20140316

 感動への抵抗によって獲得される感動の創出。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)

 撮影に嫌気がさし、疲労その極に達し、かくも多くの困難を前に手を拱いたまま過ごすこれらおぞましい日々――それは私の仕事の方法の一部をなすものなのだ。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)



7時前起床。バナナとコーヒーの朝食。朝方4時半にTからメールが入っていた。酔っぱらったあげく感極まって書き送ってきたらしい詩文が添付されていた。そういう趣味のあるやつだとは思ってもいなかったので驚くと同時に読み物としてもある一定のクオリティに達しているものであったのでそこでもまた驚いた。彼の本音を見た気がした。いくつかの後悔や弱り目とそれを俯瞰して相対化してみせる力強い巨視が拮抗してその歩みを歩ませる両脚をかたちづくっていると読んだ。ありえたかもしれない過去の肖像を思う後悔がそのままありうるかもしれない未来の肖像にたいする憧憬を呼び寄せるという離れ業も認められた。「絶対は過去の統計」という目を引く一行があった。じぶんとよく似た青臭い体臭の持ち主だと思った。
8時より歓びなき労働。昼前の休憩時にコーヒーを飲もうとして財布を忘れてきたことに気づいた。嫁さんがインフルエンザに罹ったので早く帰らせてもらうかもしれないとTのおっさんが出勤するなりいった。帰るならはやく帰ったほうがいい、Mさんが来てからだとややこくなるから、とそれを耳にしたHさんが漏らした。いくらかぶしつけな言い方だったが、Hさんなりの優しさであると判断した。と同時に、とても間接的な言及の仕方ではあるけれどもMさんの横暴を示唆してみせるようなその言葉にあやういものを覚えた。Tさんけっこういじられとるから、と問いかけ以前の無難な抑揚で漏らしてみせると、話を逸らすことなくむしろ二の矢を継ぐ絶好の機を得たとばかりに、めんどくさいんすよ、いびられとるっていうかね、どうせまたごちゃごちゃ吠えるでしょ、といい、その背後にひかえていたSさんがずいっとこちらに身を寄せると、まるで内緒の打ち明け話をするかのように、わたしいっつも上に避難してるんです、と続けていった。ほんなひどいんすか、とあらためて今度は正面切ってHさんにたずねてみると、いやひどいっていうかね、Mくんいっつも帰るだけやからこの時間、あのふたりからむとけっこうめんどいんすわ、と苦笑するようにいってみせたのだけれど、その言葉の端々からMさんが理不尽なまでに横暴にふるまってTのおっさんをこき使っている現場を目の当たりにすることの居心地の悪さ、胸糞の悪さ、体面の悪さを感じているらしいことは明らかだった。そのくせTのおっさんはつい最近Mさんに金を貸してもらっていたりもする。なぜみずからの弱みを仇敵にたいしてさらけだしてみせるのか理解に困る、本当に金に困っているのか、困っているとしてもそれはTのおっさんがときおりいうように家庭の事情からなのか、それともしばしば聞くようにパチンコや女遊びに由来する窮窘であるのか、よくわからないと告げると、あいつやっぱりこわいな、とけわしい顔のEさんが怪訝にため息を漏らす、そんなことがきのうあったばかりだった。
帰宅後ひさしぶりに懸垂と腹筋をした。それから風呂に入りストレッチをし13日付けのブログの続きを書いた。引っ越し先の候補として魔法のiらんどのブログをチェックしてみたところ記事ひとつにつき文字数の上限が1000字とあったのでこれじゃあtwitterの140字となんら変わらないと思った。日付がまわるかまわらないかのところで眠気を催してきたのでブログを書くのをやめて、あとは激しく酔っぱらった。ここまで達するのはなかなかないぞというところまでいった。このまま死ねたらいいのにと思った。昨日にひきつづき大量の生野菜と胸肉をにんにくと塩こしょうとチーズでタジン鍋したものをかっ喰らい、あとは音楽を聴いたりYouTubeを視聴したりして、2時半にはこつぜんと息絶えたように眠りに落ちた。