20140317

 たまたま僥倖によってうまく行った物事は、何という力を持っていることだろう!
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)

 目的が明確であるがゆえに、様々の暗中模索を余儀なくされる。ドビュッシー――「或る和音を取るか、それとも別のにするかを決心するのに私は一週間かかった」。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)



 朝方にいちど目が覚めた。たぶん7時ごろだったように思う。ひどい鼻づまりのせいだった。まともに息ができなかった。外れていたマスクを装着しなおして口呼吸にそなえた。てんで駄目だった。まったくもって寝つけそうになかった。眠りの尻尾をぎりぎりつかまえたと思ったら、習慣の要請によりおのずと口がふさがり、まるで陸上でおぼれる動物のように苦しくなってはっとして目が覚める、それのくりかえしだった。小便にたった。横になっていたところをたちあがると、それだけでまだいくらか空気の通りのよくなる気がする(これは痰がからんで咳き込むときと同じだ、横になっているときがとにかくいちばん苦しいのだ)。部屋にもどってから牛乳で薬を流しこんだ。からからになった咽喉の奥をうるおすだけでぐっと楽になった気がした。ふたたび横になった。ほどなくして眠りに落ちた。
 目覚めると14時だった。携帯のアラームを10時にセットしておいたはずが、無駄だった。鼻づまりはぐんと楽になっていた。はっきりと改善されていた。歯を磨くためにおもてにでるとおどろくほど暖かかった。一歩まちがえれば不快の域にさしかかりかねないほどの熱気だった。ストレッチをした。それから前夜の暴飲暴食を考慮し、コーヒーだけの朝食をとった。
 13日付けのブログの続きを書いてアップした。東京滞在記がようやく完結した。長い長い書き物だった。とちゅうで大家さんが部屋にやって来た。野菜を大量に炊いたからどうかというお誘いだった。汚れた皿ばかりだったので、どんぶり茶碗をひとつ持っておとずれると、そんなにようけいれられへんけど、とこちらの欲得を牽制するような言葉があった。部屋にもどってからまだ温かい煮物をかっ喰らった。ひょっとしてまだ三月分の家賃を支払っていないのではないだろうかと一瞬疑問に思ったが、それはそれ、そうだとしたらいずれ催促にやってくるだろうと気にしないことにした。
 14日付けのブログを書いてアップした。そのまま15日付けのブログも書いてやはりアップした。Miles Davis『Another Unity』がお供だった。ふたつの記事を書き終えるとすでに20時だった。ケッタに乗って買い物に出かけた。弁当が半額になっていたので、今日はもうこれでいいかと、たいして美味そうにも見えない生姜焼き弁当とやらを購入して帰宅した。そうして納豆と冷や奴とインスタントの味噌汁といっしょに、帰宅してからさっそく食った。
 風呂に入り、ストレッチをこなし、それからふたたびデスクにむかって16日付けのブログを書いてアップした。これですべてだった。たまっていた負債を一気に払いきった気分だった。すがすがしかった。
 23時半だった。近所のコンビニに出かけてヨーグルト飲料とプリンを購入して食った。それから移転先のブログの下見作業がはじまった。当初引っ越す予定だった魔法のiらんどは一記事につき1000字というリミットが邪魔臭かったし、アメーバブログにかんしては宣伝広告のたぐいを外すことができないというデメリットがあるらしかった。そういうところでやるからこそ面白いというのはあると思うんだが、しかし気に食わない。デザインはシンプルに越したことはない。そういえばBloggerというところがあったなと、たまたま思い浮かんだので下調べに検索してみたところ、悪くなさそうな気がしたので、そのままためしにブログを一個作成してみることにした。最初はどうにもしっくりきてくれないところがあった、いまひとつ使い勝手のよくないようなところがあったが、デザインやレイアウトのカスタムをいじくっているうちに、それ相応に自由度のありそうなことに気づき、これはなかなかいけそうだという気がしたので、そのまましばらくレイアウトのカスタマイズを続行することにした。で、できあがったのがこれというわけだった。以前の住処が福間健二の詩のタイトルから拝借した屋号を有していたので、今度もやはりまた現代詩から引っ張ってくるべきだろうと思い、いちばん思い入れのある詩人であるところの岩田宏のいちばん思い入れのある詩作品「神田神保町」の一節からこの表題を借りることにした。ちょうど東京滞在時に立ち寄った書店で立ち読みしていたときに、次にブログをはじめるならこれしかないだろうと目をつけていたという事情もあった。
 次いで来るべきマーケティングのためにtwitterアカウントを作成した。馬鹿げたアカウント名に馬鹿げたアイコンの、消費期限の短い時事ネタ頼りのきわめて残念なアカウントができあがった。こちらは四月に入ると同時に動かすつもりでいる。ひとしきり暴れたらそれでおしまい、ある程度の動員の達成できた時点でそのままきれいさっぱり消去してしまうつもりでいる。
 ここまで一気呵成にことを運んだのであるからさらにもういっちょという気持ちで、最後にブログ閉鎖を報告する記事を書いた。これにておしまい。すべて片付いた。『A』のウェブページから以前の住処に貼ってあるリンクも消去した。『A』と私人であるところのじぶんのつながりをすべて消す。その痕跡を抹消する。それによってより自由に書くべき日々を書くことができるだろう。風通しのわるい部屋は好きではないのだ(窓のないアパートに住まう人間の物言いではないかもしれないが)。極端な話、これによってたとえば『A』の存在を家族や同僚らにも知らせることできる。いまのところそのつもりはないが、しかしこの自由は後々になって大きな分岐点として将来のじぶんに認識されるのではないかという予感が働く。
 やるべきことをすべてやりおえたという、たまっていた所用をまとめて片付けたときにおぼえる特有の達成感と疲労感と、そしてまたこれで翌日から通常の時間割生活を送ることができるという期待を胸の底に灯らせながら、布団にもぐりこんで消灯した。5時半だった。