検索の神々に再会の祈りをこめて

このブログに引っ越してくるまでは、だいたい一年間好き勝手に気分のおもむくままのスタイルで記事を更新するだけしてよそのブログに引っ越す、というのをずっとくりかえしてきたので、飛び飛びではあるしじっさいによそのブログやプライベートな「日記」に浮気していた期間もそれ相応にあるとはいえ、それでも過去ログを消去することなく足掛け七年間もこうしてひとところに落ち着くことになるとは更新を開始した当初は考えてもみなかったし、ここを経由して知り合うひとびとがいるとももちろん思ってもみなかった、と、こう書き記すそばから別れのあいさつは紋切り型をまぬがれえないなと、祖母の出棺のさいに感じた死を語ることの困難とおなじようなことを思う。「量」に魅入られる傾向のあるじぶんにとって七年分ものドキュメントがそのままごろりとだれにもアクセス可能なかたちで投げ出されているこの空間を閉鎖するにあたって未練のないこともない、というかいずれは閉鎖せねばなるまいと、昨年夏『A』をBCCKSで公開することに決めたと京都駅前のスターバックスのテラス席でSにむけて語ったあのときからずっとそう考えていたのだけれど、どうにも後ろ髪をひかれてしまってずるずるとここまで来てしまったというのが実情としてまずあって、本当は『A』を公開すると同時に消え去るほうが格好もついて良かったのだろうけれども、奇妙な愛着にふりまわされるかたちで結局なにひとつ特別でない日をもってしてこのブログの命日としてしまうという、象徴的儀式としてはいささか不首尾でだらしのない運びとなってしまった。理由については再三ここでも言及してきたとおり、『A』がもうすこし脚光を浴びることができるように、というか『A』にもう少し多くのひとびとの注意をひきつけるべく思う存分働きかけることのできるように、というのがいちばんで、これまでなるべく目立たずひっそりと、内輪受けの空気の強いなかで書くという方針でやってきたブログが、ひとりでも多くの読者(と売り上げを!)という『A』公開以後の欲望と折り合いがつかなくなってしまい、結果、「(そこそこ私的な)日記」と「(きわめて公的でありたい)小説」の書き手であるじぶんをいちどはっきりとそれぞれに腑分けしたうえで、そろって尊重するのがベターなのではないかと、それぞれに固有の領土をあたえて棲み分けさせるのが最善策なのではないかという結論に行き着いた。それでその両者が見事なまでに重なり不可能な一致を遂げようとしてしまっているここでの活動はひとまず終了というかたちをとることにした。
ここを閉鎖することで家族や職場の同僚らにも『A』の存在を知らせることができるという転機もまたおとずれる。祖父にはあの世に逝ってしまうまえに一冊手渡さなければという思いが以前よりあるし、同僚らについていえば、なにかのきっかけで偶然こちらの著作を知られてしまった場合の予防策として、やはりブログは切り離しておいたほうが懸命だろうと、これもまたつねづね思っていたことではある。
もうずっと以前にも書きつけた記憶があるのだけれど、本当にここまでプライベートもクソもなく日常生活をだだ漏れに垂れ流していると、そんじょそこらの友人知人や幼なじみなんかよりもたとえば一年間なり二年間なり継続してここに通ってきてくれているひとのほうがじぶんにはとても身近に親しく感じるというたしかな実感があって、姿の見えるひと見えないひと、声の聞こえるひと聞こえないひと含めて、こちらにそそがれてあるその視線を感じるたびに、けっしてそれほどひろいわけではない身の回りの交友関係の文学とも芸術ともほとんど無縁な一群のひとびとの輪のなかにあって強くおぼえることになる痛烈な疎外感の常態がそれでいてたしかにやわらぐようなところがあり、じぶんの交友関係なんてどうだっていいよといっぱしに開きなおることができたのもおそらくはいつでもここをおとずれることができるという安心感と保証があったからで、一日のできごとを記録するというよりはただその日あったことをひたすらおしゃべりしているような感覚がテキストファイルを前にしてキーボードを叩いているときには常に強くあった(たとえば日曜日の晩にTといっしょに喫茶店でコーヒーを飲みながらそれまでの一週間のあいだに生じたできごとを洗いざらいしゃべりつくしているときのような)。そういう意味で、半不特定少数のひとにむけての私信、という開設当初のコンセプトは結局最後まで生きていた。それがよかった。無理解に囲繞された日々を送るにあたってなくてはならない秘密のたまり場こそが必要だった。
そういう秘密基地とも巣穴とも隠れ家ともつかぬものが今後のじぶんにも当面は必要なように思われるので、どこかここよりもうすこしひっそりとしたところで、そうしていまよりもうすこしだけ匿名性を強化したうえで(たとえば(…)がMとして、「(…)」が「A」として語られるような、ここよりもうすこしうすぼんやりとした辺境の一画で)、あたらしくのびのびとやっていきたいと思う。この秘密のたまり場で、毎日飽きることなく馬鹿話を披露したり愚痴をこぼしたりキレたり吠えたり小難しいことを考えてみたり小説や映画や音楽や美術について感想を漏らしてみたり意見をつぶやいてみたり考察を重ねてみたり自説を開陳してみたりしたのは、先日のTの言葉ではないけれども、ほんとうにすごく楽しかった。たとえようがないほど愉快だった。そうしてすごく鍛えられた。いちいちいうまでもないことだけれど、ここは書き言葉の訓練と探求の場でもまたあったから。その恩恵についてはくりかえさない。ブログは『A』の母胎でもまたあった。
そういうわけでここを閉じる。そのようにして開拓に出る。引っ越し先、ここに書き残しておくことができればいちばんなんだけれど、それじゃあ引っ越しの意味がないからやむをえない。でもま、縁があればきっとまたどこかで出会うでしょう。というわけで、お元気で!そんでもってさようなら!わたしたちに許された特別な時間に祝福を!(2014.3.18 M.T/D)