20140318

 芸術に対する敵意、それはまた、新たなもの、予期せざるをえないものに対する敵意でもある。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)

 まず、行動すること。
 ロンドンの或る宝石店の金庫をギャングの一味が破って、真珠のネックレスや指輪や宝石を奪う。彼らはそこに隣りの宝石店の金庫の鍵も発見し、そこにも押し入る、と、その金庫には第三の宝石店の金庫の鍵が置いてあった(新聞記事による)。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)



 11時起床。パンの耳2枚とコーヒーの朝食。ブログのレイアウトをまたいじくったりフォントサイズを変更してみたり文章の行頭一字空けを導入してみたりと試行錯誤。Bloggerというのは海外大手のブログサービスというだけあって日本語フォントにほとんど選択の余地がない。これはまったくもっていただけない。じぶんがいちばん読みやすいと感じる画面作りを心がけてはいるのだが、慣れ親しんだ環境を離れると、なにをどういじくってみても以前のほうがしっくりフィットしてくれたような気がしてしまう。ある程度は改善できるのだろうけれど、それ以降は習慣の馴化作用にゆだねるしかない。
 13時より15時半まで「G」作文。プラス6枚で計258枚。BGMは『Chichipio Buenos Aires Session Vol. #1』とOrnette Coleman And Joachim Kühn『Colors―Live from Leipzig』。ブログ記事からの引用ばかりなのでどうしても張り合いに欠ける。余白に断崖に身を置いてきちんと緊張したい。不完全燃焼のくすぶりを強く感じる。やはり「G」と平行してなにかあたらしいものを書き出すべきなのかもしれない。あるいは「G」をここらでひとつ打ち止めにするか。いずれにせよなにかしらの制限を設けたほうがいいだろうとは思う。そういうものがないかぎり切り上げどきのわからないままずるずると「G」をひきずってしまうことになる。それはおもしろくない。日記にも似た体裁ではあるので、執筆開始からまる一年という区切りでやったほうがよかったんでないかといまさらながら思い返されたりもするが、そうなると過去のブログや記憶からの引-応用が不可能になる。となるとやはり枚数制限が現実的か。400枚? あるいは各断片に通し番号をふるというのもいいアイディアかもしれない。煩悩の数で〆とするか、百物語の伝統に乗っかるか。
 作文中ふと気になって、出棺のさいに霊柩車がクラクションを鳴らす理由というのを検索してみたところ、yahoo知恵袋に以下のような回答が寄せられていた。《いくつかの説がありますが以下が最も有名です。クラクションの由来は、古い風習の葬儀の際の葬列である、野辺の送りで行われていた茶碗割りのようです。この茶碗割りの儀式は故人の霊が再び家に戻って来ないで成仏してあの世に行けるようにと行われたものです。この時の茶碗を割る音が今も風習として残り、クラクションを鳴らすようになりました。そして、今では火葬場まで行けない人へのお別れの挨拶の意を示しているのです》。これもまた国立新美術館の「イメージの力」展の後半で展示されていた、呪術や祭儀にまつわるプリミティヴな道具であったり習俗であったりが導入されたテクノロジーや輸入された異国文化と対面を果たすことでかたちづくるにいたった奇形的なハイブリッドの一種であるように思われる。
 買い物に出かけた。マスクを装着したうえで自転車で片道5分の道のりをゆくだけであるにもかかわらず帰宅するとわかりやすいくらいに鼻がずるずるむずがゆくなって目もしぱしぱと痛くなってしまう。スギからヒノキへと移行するのは例年四月の頭だという印象があるのだけれど、ひょっとするとすでにヒノキ花粉も飛散しはじめているのかもしれない。きのうの不眠にしたって、どうしていきなりそこまで症状が悪化するのかと解せないところがあった。ヒノキの仕業であるというのならば納得がいく。
 帰宅してから夕飯の支度をしていると大家さんからこっちに来るようにと手招きされた。招かれるままにお宅をおとずれると、神社でもらってきたものだといって、おはぎを差し出された。ふつうのおはぎと、きな粉と、よもぎの三種類あった。ひとつ取れというので、迷ったあげく、よもぎを手にした。去り際にほかの住人の愚痴を聞かされた。例のごとく手紙魔についてかと思ったらそうではなかった。KJについてだった。なんでもKJの友人というのがしばらく荷物を置かせてほしいといって大家さんを頼ってきたらしく、二カ月だか三カ月だかいう話だったので大家さんはしぶしぶながら了承し、その荷物とやらを空き部屋ではなく自宅の二階であずかっているというのだが、当初の期限をすぎてもいっこうに回収に来ない、それどころか期限の延長を申し出てきたとかいう話で、ほとんどうらめしそうな呪わしげな口調で事情を語る大家さんのお世辞にもうまいとはいえない説明のためにいまひとつ時系列など把握することはできなかったのだけれどおそらくはそういうことで、あのひともまた変なひとですわ、と念押しするようにこちらの耳元でささやくしわがれごえに、この土地に住まう人間に特有とされるひとつの性格を認めた。
 玄米・納豆・冷や奴・レタスと水菜とトマトのサラダ・胸肉をにんにくと塩こしょうとチーズでタジン鍋したしょうもない夕飯をかっ喰らった。それから仮眠をとった。目覚めると20時半だった。シャワーを浴びてストレッチをした。Hくんがtwitterで挙げていたミュージシャンのSoundCloudを適当に流してみたりEminem『Curtain Call』を聴いたりしながら以前のブログにけじめの一文を書きつけてアップした。本当はもうすこし日を置いてからあらためて声明を発表することができればと考えていたのだが、中途半端に引き継ぎ作業を残しているという状況に落ち着かないところがあったというか、切り替えるべきものをさっさと切り替えて一刻もはやくいつもの時間割生活にたちもどりたいと欲する心があったので、演出も打算もうっちゃることにしてこのタイミングでさっさと、あらためておおまじめにブログの閉鎖を宣言することにした。ほんの少し感傷的になった。なんらかのかたちでこちらにコンタクトをとってきてくれたりアプローチをかけてきてくれたりしたひとたちにはしらせようがあるにしても、そうでない顔も名前も見えないひとたちがいるのだとすれば、というかおそらくいるのだけれど、そのひとたちには不義理を働いてしまったなと、「探さないでください」式のこのような引っ越しにいくらか後ろめたいものをおぼえなくもない。なかにはひょっとすると四年も五年も前からこちらに着目しつきあってくれていたひともいたかもしれないのだ。申し訳ない。申し訳ないが、しかし仕方ない。それにそこまで興味を抱いていてくれているひとであれば、こちらに特有の言い回しや関連する固有名詞で検索をかけるくらいのことはたぶんしてくれるだろうし、そうであればきっとそれほど近くないうちにここにたどりつくことにもなるだろう。もちろん行く先をたずねるメールのひとつやふたつ送られてくることでもあれば、よろこんでここを知らせるつもりではいるけれど。しかしいちばん滑稽な展望としては、これほどまで念入りに隠れ家を用意したにもかかわらず、マーケティングがいっさい効果をふるわなかった場合だろう。年内にせめて100部には達したい。
 腹筋をして残った時間をついついだらだらと過ごしてしまった。早く前後半二部制の釣り合いのとれた生活をきちんと送りたい。