20140319

 事物を習慣の外へ引きずり出すこと、事物を麻酔から醒めさせること。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)

 裸に剥けば、美しくないものはすべて猥褻だ。
ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』)



 12時起床。腐れ大寝坊。きのうは3時には消灯したはずなのに。いい加減たるみすぎだ。帰省と東京滞在とブログ引っ越しの移動に次ぐ移動の三連チャンにかこつけて甘ったるくなまぬるい怠惰に身をゆだねきってしまっている気がする。
 わるい夢の後味がした。ペドフィル相手の風俗業で小銭を稼いでいた。言葉のひとつもあやつれない赤ん坊を利用することにたいして、母親とSの重なりあった人物から辛辣に諭される場面があった。きわめて精神分析的。出来すぎた素材だ。
 歯を磨いてから部屋にもどりストレッチをしていると、M河内さんのブログ廃刊は悲しい、熟女合コンの行方を追わせろというメールがPから入ったので(時間帯的に会社の昼休みだったのか?)、招待した。わが新居への最初のお客様だ。PのみならずTにせよH兄弟にせよFくんにせよちかぢか転居届(という表現はすこしおかしいが)を送るつもりでいたし、AさんとふたりのWさんという直接お会いしたことこそないものの日頃とてもお世話になっている方々もまた招待するつもりでいたのだけれど(よくよく考えてみるとAさんなんてもうたがいのブログを行き来しはじめて四五年になるんでないか! Aさんと出会っていなければそもそも「亜人」をボツにしていた可能性だってあったのだ! 少なくとも新人賞に落選した時点でお蔵入りにはしていた、そう考えるとやはりAさんに声をかけてもらったのは先の住処におとずれた最大の転機のひとつだった)、ひとまずはPが一番乗りということになった。便宜的に用いはじめた引っ越しと招待の比喩であるだけれど、これがじつをいうとちょっといま比喩を越えた実感でじぶんのなかに強く感ぜられるところがあって、馬鹿馬鹿しいまでにおおげさに聞こえてしまうかもしれないけれど、本当にいま、あたらしい街にやってきてあたらしい部屋を土台から組み立てはじめたばかりであるような、新天地に身を置いた直後のあの奇妙なまでにみずみずしい高揚がある。友人知人にこの場所をまだ知らせていないのは、越してきたばかりの部屋の荷解きと片付けがまだ終わっていないから、という感覚が近いかもしれない(じっさいに今日もまた朝からずっとレイアウトをいじくったり無きにひとしいHTMLの知識を総動員して不要な機能や項目を削除したり(各記事の下に表示される「投稿(Atom)」とかいうわけのわからないリンクの削除!)入り用と思われる機能を追加したり(ブログタイトルをクリックすることでトップページに飛ぶことができるという日本産のブログならデフォルトのはずの機能!)していたのだ)。しばしばいわれるようにもはやネットとリアルの二項対立なんてものはとっくに成り立たない。あるいは成り立つとしても、それは現実と虚構、身体性と仮想性といった、インターネット以前から考案され見透かされていたような構図では決してない。こう書いていて、いま不意に、昨夜読んだばかりの「喪服の死神」の被告人意見陳述を思い出した(http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033576/)。たいした文才だと思うし、単純化した構図で世間を概括してみせる思い込みの強さのなかにもときおりするどくひらめくような批評意識が見られる。そうして過剰なまでに卑屈を装いながらその文才とまなざしの双方を誇りに思っているらしい節ののぞけるところに、終りだの負けだのといった目くらましの言葉がさんざんちりばめられたその奥でひそかに隠し持ち保護されてある聖域、つまりそんなものは最初からないと言い張る彼の矜持の片鱗がたしかに認められる。そこに事件の(あるいはこの男の)核心がある。
 Pの奥さんは化石チョコレートを美味しくいただいてくれたようだった。そのかわりメッセージ付きの一万円札については「冷たい反応」だったらしい(「なにこれ、使えないじゃん(ぺっ!)」)。
 ごちゃごちゃブログをいじくっていたらもう15時だ! 馬鹿馬鹿しい。もうこれで完成だ。これっきり。これ以上はぜったいにいじくらない! さっきおもてからなにか歌声らしきものが聞こえてくると思ってヘッドフォンをとりはずして耳をそばだててみたところ、どうやら大家さんがひなたぼっこしながら軍歌(だと思う、すごく有名なやつ、むかしの映画とかでたびたび耳にするあの有名なメロディ)を歌っているようだったので、そのまましばらくしずかに椅子の背もたれにもたれかかって目を閉じた。大家さん、たしか弟さんだったかを戦争で亡くしているはずだ(Kさんの撮影したドキュメンタリー映画で知った)。調子はずれだし声は細いし、けれどそういうのがぜんぶある種の哀切さを響いて聞こえる。これは大家さんの背景を踏まえたうえでの感傷的な感情移入などではなく、細く途切れがちな歌声が調子はずれな節回しをなぞったときに生じるひとつの(こういってよければ)科学的な効果である。どんな歌声よりも女性(声)の鼻歌を好むというじぶんのちっとばかし特殊な傾向にだけ対応するひとつの科学。だれかに(あるいはなにかに)固有の科学、という発想はおもしろいかもしれない。
 15時半より17時半まで「G」作文。プラス4枚で計262枚。記述がどんどんやせ細っていく。文学的確信からではない。単なる節約の意向、それもブレッソン的なストイシズムとは正反対の怠惰を元手とする節約の意向によるものだ。作文中はきのうにひきつづきずっとEminemを聴いていた。Eminemはカッコイイ。ヒップホップをあれだけ深く広く掘りさげているらしいYさんもエミネムは大好きだといつだかいっていた。
 図書館にいって借りていた書籍をすべて返却した。金子光晴古井由吉は抜き書きを終えていないしホセ・ドノソにいたっては半分も読んでいない! が、とりあえず貸し出し期限がせまってしまっていて、しかもいちど延長申請をしているので、ここはいったん返却するほかないのだった。スーパーに立ち寄って食材を購入し、帰宅してから玄米・納豆・冷や奴・鶏胸肉とたまねぎのみじんぎりを酒と塩こしょうと味噌とJさんにもらった大量の殺人ニンニクでタジン鍋したものをかっ喰らった。それからまたブログのテンプレートやフォントなどをいじくっていたところ、ブログ内検索がまったくもってまともに機能してくれないことに気がついた。ググってみるとわりとけっこういろんなところで改善策が提案されていたが、どれもこれもこちらのなけなしのHTMLいじくり技術を超越した高みでの議論のように思われて辟易する。辟易するが、あきらめるわけにはいかない、ブログ内検索は自分自身がものすごく頻繁に利用する機能であるのでこれをなしですますわけにはいかないのだ。というわけでそこから延々とわけのわからないコード相手に格闘する時間がはじまったが、その途中にFくんから引っ越し先教えろメールが届いたので、もちろん招待した。ようこそ我が家へ! 二番目の客人である。Fくんとちょろちょろメールのやりとりをしながら検索窓の設置についてネット上で確認できる方法すべてをもらさず試したところ、ようやく以前の住処で利用していた機能にいちばん近いものを設置することに成功したので、ほっと一息ついた。今度こそ完成だ。もうこれ以上いじくる必要のある不備はないはず。そう思いたい。そう信じたい。
 不具合についていろいろとググっていく過程で知ったのだけれど、Bloggerの記事は検索エンジンに引っかかりにくいらしい(ほかの国産ブログとちがってping送信がうんぬんという理由だったかもしれない)。これはありがたい情報だ。直感でここに越してくることを決めたが、まったくもって正解だった。おおっぴらに開かれてあるような環境はできれば避けたいと考えながらも、かといって友人知人らの限定されたネットワーク間にのみ公開するというのも風通しの悪くてつまらない話だと思っていたから(あらたな出会いに出会うための環境もまた必要なのだ!)、まるで住処とするのにちょうどいい案配の洞窟を見つけた野人の気持ちだ。
 ようやくすべて片付いたと思ったらすでに22時半である。今日もまた英語の勉強はできなかった。というか花粉症の症状が重すぎて外出するのがどうしても億劫になってしまう。サイゼリヤで鼻をかみたくない。ジョギングに出かけることにした。右のふくらはぎを痛めてからおそらくひと月以上経つんではないか。いぜん職場でTさんに痛みを訴えたところ、それは筋を完全に痛めてしまっている、痛みが完全にとれるまで休ませたほうがいい、という助言があったのだが(そうして実際いまでもよく冷える朝などはしこりとなった痛みをおぼえるのだが)、これ以上サボっていると完全に習慣から抜け落ちてしまう、そうなればまた背面の猛烈なる痛みが復活することになる。それはよくない。そいつはいけない。そういうわけで念入りにストレッチをしてからCut Copy『Free Your Mind』をおともに走りだした。とにかくなるべくゆっくりと走るように心がけた。さすがに体力の衰えを感じないわけにはいかなかったが、それでも疲労とは別のところでたしかに湧きでる気持ちよさのようなものはたしかにあった。(短)(中)(長)とあるコースのうちどれを選択するかは走りながら決めようと思っていたのだけれど、これだったら(長)でもいけるかもしれないと思った。思ったが、ここで調子に乗るとまたひどいことになってしまうかもしれないという危惧から、ひとまずは(中)で様子見することにした。右足首に若干の違和感をおぼえた瞬間があったので途中で100メートルほど歩いた。帰宅すると30分が経過していた。(中)で30分と考えるとやはりそれ相応にゆったりとしたペースだったように思う。
 シャワーを浴びて部屋にもどると殺人ニンニクの猛烈なにおいが室内にたちこめていてちょっとつらかった。換気をすれば花粉で死ぬので、かわりにお香を炊いた。ひさしぶりだった。コンビニでポカリとヨーグルトを買った。そうして「G」を冒頭から読みなおしすることにした。最初の断章がいまはもうクビになっていなくなってしまったKさん相手に新人がぶちきれる情景にかんするところのものだったのでロマンチックじゃないなと思った。愛という一語を用いた短いアフォリズムめいたものがあるので、ドキュメンタリーな時系列に逆らってそれを冒頭に配置してやるのもいいかもしれないと思ったけれども、それはそれでちょっと作為が鼻につきすぎる。記述のトーンを統一しようと思った。何度もしようしようと考えていたけれどもその実行にともなう膨大な労力を思うとついつい二の足を踏んでしまっていた、それも今日かぎりだと固く決意した。抽象度の高い語彙の使用をもういくらか控え、装飾的な比喩もばっさり裁ち落としてしまう。言葉数の少なさがそのままするどさに直結する、そんな文の組み立て方を探求するのだ。BGMはイザベル・ファウスト『バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ』とPublic Image Ltd『The Flowers of Romance』とAugustin Dumay / Maria João Pires『Franck Debussy Ravel Violin Sonatas』とSyrup16g『COPY』。日中iTunesのイコライザをいじくったせいもあって少し音の聞こえかたがかわったのだけれど、圧縮してインポートしてある楽曲なんかはかえって音が割れてしまって駄目だ。大学にいたころはSyrup16gばかり聴いていてライブにも出かけたけれどもいつからかまったく聴かなくなってしまってほとんどのアルバムいま聴くとすごくださいなと思うのだけれど、『COPY』だけはいい、これだけは捨て曲のない名盤だと思って、それで良い音質で聴きたいというのがあったものだからCDをamazonで注文してしまった。そしてそのついでに岡崎乾二郎ルネッサンス 経験の条件』と市川春子宝石の国(2)』も注文した。
 このブログの弱点、というかこのブログに越してくるにあたってうちたてた方針の弱点として、写真をアップすることができないということと自作を引用できないということがあるなと思った。4時半に布団にもぐりこんだ。そうして5時に消灯した。