20140324

人々は、自分のかつて子供だった部分があるとき終わりを告げると、そのあとは、別のやり方でまた始めからやり直します。このことはきわめて不可解なことです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)



 10時半に起きた。頭がぼうっとしてうまく働いてくれなかった。身体が重かった。部屋が散らかっていた。空気が淀んでいた。胃の腑に独特の膨張感があった。日曜日のよりよい過ごし方はないものかと思った。歯磨きすると口の中が血だらけになった。おもては暖かく、大量の花粉が飛散していた。
 パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとった。それからウラディミール・アシュケナージベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集』の続きを聴きながら昨日付けのブログの続きを書いてアップした。大家さんがやってきて部屋代のご都合はどうでしょうかとたずねられたのでいまから持っていきますと応じた。三月分はやはり未払いだったのだ。煮付けがあるからどうかとすすめられたが、なにも食べたい気がしなかったので遠慮した。かわりに生八つ橋をいただいた。だれかからもらったばかりのものだといった。散らかった畳のうえに名刺がいちまい落ちていて、院長の文字のあとに大家さんとおなじ名字の男性名が記されていた。息子であったかどうかは定かでないが、近い身内に医者がいるという話をそういえば以前聞いたことがあったのを思い出した。
 昨日からくしゃみをすると左脇の下から背面にかけてが痛むのだけれど、これは骨か筋を痛めてしまっているということなのだろうか。
 Sにメールの返信をした。これからはなるべくスカイプにログインするように努めると書いた。以前もまったくおなじようなことを書いた気がする。たぶんタイから帰国して数ヶ月後、まだ来日すると聞かされていなかった時期ではなかったか。英語力を少しでも維持するために定期的におしゃべりしたいというのはあるが、冗談のたぐいや世間話だったらまだしも、また人生の意味だの宇宙の真実だの愛の永遠だのといったしょうもないトピックにつきあわされるのかもしれないと考えると、やはりすこし腰がひける。このあいだ東京でHくんのいっていた言葉を借りるならば、Sは「俗っぽすぎる」。彼女の故国や家族や恋愛遍歴や友人知人まわりの話を聞いているのはおもしろいが、話が実存哲学みたいな相貌をおびはじめると途端にチープにしおれてしまってやってらんなくなる。あれだけはどうにかしてほしい。物語にたいする免疫がなさすぎる。
 「G」の読み直しをおこなうつもりだったが、頭がうまく働いてくれない感じがしたので、とどいたばかりの市川春子宝石の国』の2巻を読んだ。おもしろかった。1巻にくらべるとぐいっと世界観にせまった感じ。この作家は無駄な装飾をほどこさない、つまり、装飾とみえる細部もすべてその作品の必然性にしたがって整形され配置されたものであるので(たとえばカタツムリが「イケメン」と「かわいこちゃん」の双方に反応するのもただそのようなキャラとしてただ単に造型されているのではなくカタツムリという生物がそもそも雌雄同体だからである)、僧侶の姿をしている金剛先生と仏の姿をしている月人の関係性もいずれあらわになるだろうとは思っていたが、思いのほかはやく踏みこんだという感じがする。1巻ではいまひとつその必然性の見えにくかったカタツムリの登場も、「骨」をつかさどる宝石にたいして「肉」をつかさどるという対比構造や、宝石を融解および吸収することのできるという設定で、だんだんとその立ち位置を定かにしつつある感じがする。とはいえ、それでもまだ宝石と月人と金剛先生の三点がおりなす三角形にたしかに認められる緊密な連関にくらべると、頭ひとつ浮いているという感じがしないでもない。そのあたりもおそらく今後、なぜカタツムリという表象をとって彼らが描かれなければならなかったかという疑問にたいする最大の根拠を暗に示してみせる設定が披露されることによって、落ち着くべきところに落ち着くんでないか。
 「G」をほんの少しだけ読み進めて削除するべきくだりをざっくり削除してから図書館に行った。『夜のみだらな鳥』をふたたび借りなおした。スーパーで買い物をしてから帰宅し、ちょうど米が炊けていたのでジョギングは夕食後にまわすことにして夕食を先にとることにした。玄米・納豆・冷や奴・もずく・鶏胸肉とブロッコリーとたまねぎを味噌と殺人ニンニクとしょうがでタジン鍋したしょうもない献立で、もちろん美味いはずがない。そろそろ暖かくなってきたことであるし水場での作業もそれほど苦にならなくなってきたから、せめて炒め物でも再開したい。今日のタジン鍋なんておなじ具材でも炒め物にするだけでぐっと美味かったはずなのに、おもてにカセットコンロを持ち出してそこで鍋をふるう一手間をうとましく思ったせいでひどい目にあった。
 外国の小説を読んでいるとときどき「彼女はキモノ風のドレスを身にまとい」みたいな表現に出くわすけれども彼らのいう「キモノ風」というのはいったいどういうものなんだろうと思って「kimono」「dress」で画像検索してみた。したらずらりと展開された画像のなかに西洋人モデルのまぎれこんでいるのが目に入ったのでクリックしてみると「kimono style dress」みたいな表記があって、「kimono style」でひょっとして「キモノ風」なのかなと思ってそれでググってみるとたくさん画像がヒットした。ざっと見た感じ、カーディガンみたいに羽織るタイプの女性物のトップス、それも裾が長くてサイズ感もふわっとしていて前開きになっているみたいなのがたぶん共通項としてあった。
 仮眠をとった。前々より仮眠が30分以上になると眠りの深くなる実感があってすごく起きにくいと感じていたしそう書きつけた記憶もあるのだけど、つい先日ネットの記事で昼寝は30分以内でおさめないと駄目だ、それ以上になると脳が熟睡モードに入ってしまい夜の眠りの質が低下してしまうみたいなのを読んで、まんまそのとおりだなと思った。今日は20分の仮眠をとったのだけれど、仮眠をとるときはいつもそうするように布団にもぐりこんできっちり消灯してあげくのはてには耳栓まで装着するという本腰っぷりで、おかげで20分後に身体を起こすのがとてもつらかった。明日からは仮眠のさいは電気を点けたまま、耳栓もなしにしようかなと思った。
 コーヒーを用意してからスカイプにログインした。こちらがログインしてまもなくSもログインした。めんどうくさい話題にならなければいいがと思いながらチャットで話しかけると二言三言も言葉をかわさぬうちに着信があった。出た。helloというなつかしい声がした。カメラが起動した。着飾った彼女の姿が一瞬うつった。それからひとりの日本人の姿が映った。彼の名前を告げるSの声がした。去年の夏さんざんその存在について聞かされた日本人クラスメイトらしかった。日本人男性はどうしてああもフェミニンなのかと疑問を投げかけるたびにSが実例として挙げる人物だった。映像がとぎれた。まもなく音声もとぎれた。回線が弱いらしい、とテキストを送るまもなく、また着信があった。出た。今度は映像はつながらなかった。大学にいるのかとたずねると、大学内のカフェにいると返事があった。そっちは何時だと、答えを知っていながらもたずねると、なんていったのと問いなおされた。もういちどたずねた。そこで音声がとぎれた。回線がよわいらしい、と書き送った。大学内の回線はあまりよくないの、とあった。これからはもうすこし頻繁にログインしてくれる? と問うので、そのつもりだ、と応じた。あしたはわたし家にいるつもりなんだけれど、というので、こっちもなるべく家にいるあいだはログインするようにするから、と重ねた。「本の具合はどう?」「それほど売れてはいない。ただ読んでくれたひとたちの評価はおおむねよい。ネットにいくつかレビューも載りはじめている。これからだんだんと売れていくことを期待している」「最初はなんだってなかなかうまくいかないものだわ。でもきっとあなたの作品だったらそんな難局もいずれは切り抜けることができるはずよ」「おれもそう信じてる」「あなたの本が販売されているページのアドレスを教えてもらってもいい?」「ここだよ」リンクを貼りつけると同時に、そばにいるだろう数人の日本人クラスメイトに以前のブログを見られたらすこしバツがわるいなと思った。四月に入るまでは残しておこうと考えていたが、なるべく早いうちに閉ざしてしまったほうが懸命だろうと思いなおした。しばらく返事がなかった。このままだらだらずるずるとチャットをするつもりもなかったので、外に行く用事ができたからとだけ告げてスカイプを切った。それから以前のブログを閉鎖し、写真のほうもプライベートモードに切り替えた。不義理を働いてしまったと、また思った。数年間にわたってこちらの活動を追いかけていてくれたひともいるであろうに、じつに申し訳のないことをした。顔も名前も見当のつかない不可視の彼らがみな検索でここにたどりつけばいいと思った。
 22時前だった。そこから0時までひさしぶりに瞬間英作文をした。文法問題のほうはやはりどうしても自室でやる気にはなれないし、明日Sとの電話が控えていることを考えると、ここはやはりすっかり冷えきってしまった英語回路を温める意味でも、瞬間英作文がベストではないかと思われたのだ。それから部屋でストレッチをし、寝間着の黒色スウェット上下に濃紺のパーカーを羽織ったうえに目深にかぶった黒いニット帽とマスクというこれからすき家に強盗にでも出かけるかのような出で立ちでおもてに出てふたたびストレッチをし、kath bloomをおともにジョギングに出かけた。当初は(中)コースでかまわないかというつもりだったのが、かなりゆっくりとしたペースで走ったのが功を奏したのか、中盤をすぎてなおまだまだいけると思われるゆとりがあったので、(長)コースに切り替えることにした。信号待ちにいちどつかまっていた時間以外はけっきょく一度も歩かなかった。歩行者も通行車両も少なく物理的にも精神的にもはばかりなく自分のペースで気ままにやれるという深夜の利点がいきた。
 帰宅してから汗だくになった服をぬいでシャワーを浴びた。それから部屋にもどってストレッチをし、クラウディオ・アバドイザベル・ファウストがやっているベルクとベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のおさめられている名盤を聴きながらブログを書いた。3時半に消灯した。寝床で本を読み進めるまもなく気絶するように眠りの淵に落下した。