20140325

それにまた、いい仕事というのはつねに、よその土地での、亡命の状態に近い状態のなかでなされるのです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

 ひとはなにかをするためには、二人にならなければなりません。あるいは……自分ひとりしかいない場合は、自分が二重人間になるような状況に身をおかなければなりません……祖国に対する裏切り者になることによってであれ、二重国籍者になることによってであれ、自分が二重人間になるような状況に身をおかなければなりません。レーニンはその思想のすべてを、ロシアの外にいたときに形成しました。ついでロシアに帰って多くの仕事をかかえ、そのなかば近くについては誤りをおかしたりしたあと、この世を去りました。でも彼の想像の偉大な時期は、彼がスイスに亡命していたときなのです。当時、ロシアの民衆は饑饉に苦しんでいました。レーニンはと言えば、チューリッヒの近くの山中をサイクリングしたりしていました。でも彼は、そうした状態のなかでこそ……同時に二つの場所に身をおいていたときにこそ、自分の最高の思索をもつことができたのです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)



 夢。Sちゃんといっしょに電車ともバスともつかぬ乗り物に乗っている。旅行に出かけた帰りらしくみえる。そろって実家に帰省していたのかもしれない。彼女を席においてひとりで車両のそとに出る。二階建ての電車の連結部にも似たスペースに出ると、しつらえられた大窓のむこうにみるみるすぎさっていく車窓の風景がある。波もなくひらたくひろがるばかりの海面のどことなく瀬戸内の海をおもわせるのが視界の大半を占めている。その海から突き出すようにして立つ電柱の斜めに傾いたりとちゅうで折れたりしているのから電線がだらしなくたわんでいる。席にもどると、Sちゃんが大学の同級生らしい男といっしょに大きな筆のようなものを手にとり、きゃっきゃっいいながら車窓になにやら書きつけている。列車が運行を停止するいっときだけなにやら書きつけ、動きだしたらさっと筆を離すという法則にしたがってはしゃいでいるものとみえる。長くともに過ごしたものらのうちでいつのまにかお決まりとなった一種の楽屋落ちめいた遊びだろうと見当をつける。彼女のまわりにはほかにも数人の男女が集まっている。みな大学生らしい。そのなかにひとり年長のじぶんの混じることに若干のためらいをおぼえる。なにがおもしろいのかよくわからないゲームを目にしながら邪気のない愛想笑いを浮かべていると、やってみればいいといって彼女から筆を手渡される。そこに彼女なりの気遣いを認める、異なるコミュニティに属するひととひとをむすびつけるのに長けた娘だと思う。クリーム色の壁にレンガ色のフロアのつめたく照り映えるホールのような空間にたどりつく。吹き抜けになった二階から一階をみおろすと、ヨーロッパの歴史ある図書館のような光景がひろがっている。とてもひろい。たくさんのひとが移動している。一階をみおろす手すりから背後をふりかえると、美術館の入り口のようなものがみえる。チケットをもぎる制服姿の女性が三人ほどせまい通路につづく入り口付近に突っ立っており、そこからやや離れた位置にはチケットの購入窓口のようにも地下鉄の切符売り場のようにもみえる一画がある。行き交うひとのひとりに声をかけられる。高校の同級生である。そこでここがTの勤務しているラブホテルであることに気がつく。こんなにも豪華なのか、とつぶやくと、同級生がなにやら答える。そうして目の前からたちさる。Sちゃんはどこにいったんだろうと思う。
 10時半起床。パンの耳とバナナ2本とヨーグルトとコーヒーの朝食。朝食はしっかりとるにかぎる。蜂蜜とヨーグルトとバナナの組み合わせは最高だ。
 12時半より16時半まで「G」作文。BGMはSyrup16g『COPY』とNas『God’s son』『Illmatic』とN*E*R*D『Maybe』。読みなおしの過程でいくつかの断章を削除。結果マイナス7枚で計255枚。あたらしい断章もいくつか書き加えたが、そちらのほうはいまひとつはかどらなかった。状況を提示する名詞的な機能をおびた一文を冒頭に持ってくるのは記述の節約になるしたしかに有効でもあるのだけれど、文脈をあらかじめ把握することを可能にするそのような切り出しかたが魅力的かと問われたらすこし首をかしげざるをえない。というわけで最近書き加えた断章のいくつかをもうすこし不親切に書き直した。読み手にある程度の負荷を強いるような文章でなければおもしろくない。流れるような文章の美しさとは、意味や情景をたやすくとどこおりなく再現せしめてみせる語の機能性に特化した配置とは無関係である。文は文として自立する。自立したそのなかに流れてある流れこそが美の借宿となりうる。
 ECD『Homesick』を流しながらダンベルを使って筋トレをしたのち、部屋着のスウェットにウインドブレーカーを引っ掛けて耳鼻科に出かけた。最近外にでるときはいつもこの格好だ。外に出るといったってどのみち行き先はスーパーか図書館か職場くらいなのだし意中のあの娘がいるわけでもなし、上から下からなにもかも着替えるのなんて億劫だというアレからついつい簡単な格好で外に出てしまう。最後にきちんと身なりをととのえたのはひょっとすると東京遠征時ということになるんでないか。あれ以来スウェットしか身につけていない。コンビニの表看板にライトが灯される瞬間を目撃した。
 耳鼻科はガラガラだった。すでにスギ花粉のピークは過ぎたのだ。街ゆくひとびとのなかにマスクにおおわれた顔を見かける機会も少なくなった。ヒノキにも反応するようになった数年前を境にお花見という年に一度の楽しみが失われてしまったこちらからするとうらやましいかぎりである。受付で薬だけくださいと言った。言ったあとになってからこれだけ空いているんだったらふつうに診察室に通してもらって鼻の穴にしゅしゅっと薬剤を吹きつけてもらったり蒸気を吸わせてもらったりしたほうがよかったかもしれないとすこし後悔した。
 病院をあとにしてからそのまま歩いてスーパーまで出かけた。買い物をすませて帰宅してから玄米・納豆・冷や奴・もずく・菜の花とブロッコリーを烏龍茶でタジン鍋したものに茹でた鶏胸肉をのっけただけのしょうもない夕飯をかっ喰らった。しょうもない夕食ではあったが、しかし下味もなにもなしに蒸したり茹でたりしたものにオリーヴオイルと塩だけで味つけしたものがやはりいちばん美味いなとあらためて思った。口のなかがうるさくならない。食事というものにある種の静謐さがもたらされる。飯をこれから食べるというタイミングで大家さんがやってきて味ご飯を大量につくったからもらってくれといわれた。今日はもういいと断ったが、例のごとく断ることをゆるさぬ執拗な要求の声が続いたので、あきらめて茶碗片手にお宅をおとずれた。
 食事のあとに仮眠をとった。耳栓は装着しなかったが、消灯した。20分の睡眠だったが、やはり起きるのに苦労した。それでもきのうよりはずっとマシだったが。パソコンをたちあげてスカイプにログインしてみるとSがいた。話しかけるとすぐにおりかえし着信があった。20時半だった。それから3時までのあいだ回線はほとんどつなぎっぱなしということになった。彼女はデスクにむかって大学の課題らしいモデル制作をしているところだった。専用の厚紙めいたものに何度も線を引いたりその線になぞってカッターの刃を走らせたりしていた。画面左手に位置するらしい窓からさしこむ光のぼんやりとした色調が、カメラの解像度のかすかな粗さとノーメイクのひたいに垂れたひとふさの前髪の疲労にいろどられた艶っぽい雰囲気とあいまって、ターナーが油絵の具で人物画を描いたらきっとこんなふうだろうと思った。きみは一幅の油彩画のようにみえると告げると、はにかんだ。大学のクラスメイトの日本人にあなたの小説を英語に翻訳してわたしにきかせるようにいったのだけど駄目だったわ、と彼女はいった。だれだってそんなことしたがらないさ、アマチュア小説家の書いたものの翻訳なんて時間の無駄だって考えるのがふつうだ、と応じた。それに彼はそもそも文学になんて興味がないのかもしれないし、と続けると、そう! 彼は文学に興味がないのよ! そしてそれは大問題よ! と返事があった。カフカを読んだ、と彼女はいった。あなたの部屋に彼の写真が貼ってあったのを思い出したわ。読んだのは『変身』らしかった。おもしろかった、ほかの作品も読んでみようと思ったけれどもネットに無料で転がっているのが『変身』だけだったから、と続けた。あなたの小説の内容について教えて、と例のごとくあった。日本語で説明しろといわれてもおれにはできない、と応じると、これもまたやはり例のごとく、come on! とあきれたようにいって、時間はたっぷりあるんだからゆっくり考えてくれたらいいわ、と続けた。こうなったらひとのいうことなんて聞きっこない。不本意ではあるが、epiphanyについて書いている、とひとまずいった。彼女はその語の意味をしらないといった。手仕事をつづけながら、辞書に記載されている定義を読んでみて、というので、ネットで検索してでてきたものを音読してみせると、ぶつぶついいながら顔に皺をよせてよくわかったようなわからないような表情を浮かべてみせた。いまはどんなのを書いてるの、と重ねてたずねるので、二年以上書きつないでいたものは捨てた、きみとカフェにいったときにおれがずっと取り組んでいた原稿だ、あれは完全にボツにした(Oh my god!!)、それとはべつにひとつ書いているのがある、それはたぶんこの冬までには完成すると思う、というと、Great! といいながら彼女は手元から目を離しカメラ越しにこちらにむけて微笑んでみせた。で、それはどんな内容なの、とやはりそこは引き下がらないので、fragmentのよせあつめだ、と応じた。じぶんの身におとずれたspecial momentを拾いあつめてそれで一冊の本にしようとしている、epiphanyを描くにはフィクションが必要だったがspecial momentsは身の回りの現実から採集したものだ、というと、そのほうがきっといいわ、みんな真実の現実を書くべきだから、と、fictionの一語に読みとる文脈のことなる人間同士に固有の奇妙なずれがここでもまた生じたが、これにはもう慣れっこである。道を歩いているときに街路樹の葉っぱがいちまい落ちておれの鼻を切ったことがある、そのときは家に帰ってすぐにそのことを書きつけた、きみのことだって書いたことがある、きみが去ってからしばらくはくしゃみをしたあとの一瞬の沈黙がきわだって感じられた、bless youをいってくれるひとがいなくなったから、そういうとまた手元から顔をあげてカメラをまっすぐ見据えて、I miss youと彼女はいった。「わたしたちどうしてあんなにもたくさん口論をしたのかしら?」「おれたちふたりともstrong characterだからだよ」「あなたって本当にstubbornよね」「よくいわれる。ただきみのほうがおれよりすこしだけstubbornだと思うけど」「日本人はみんなstubbornだわ。大学のクラスメイトだってそう。ドイツ人の教授がいるんだけど、わたしがSにあなたの小説を翻訳するようにって頼んだときだって、Sに無理やりなにかをやらせようとするのはだれにもできないっていうのよ」「stubbornじゃない日本人だっているさ」「わかってるわ。でもあなたはstubbornよ。わたしもそう。ねえ、あなた空港に来てくれたってほんとう?」「ほんとうだよ」「でもわたしあなたを見つけられなかったわ」「おれはあのとき世界でいちばんあわれな日本人だったね。空港でひとり三時間くらいずっと突っ立ってたんだから」「どうしてもっとはやくメールしてくれなかったのよ。見送りにいくっていうメールを読んだときわたしはもうバンコクにいたのよ」「それはおれがstubbornだからだ」「やっぱりそうなのね」「Tにいわせればおれほどstubbornな人間はそうそういないらしい」「知ってるわ」「おれはきみへのプレゼントも買ってあったんだよ」「ワオ! ほんとうに? なにを買ってくれたっていうのよ?」「靴下だ。おぼえてる?」「おぼえてるわ! あのカラフルなやつね!」「最初はあのヘアアクセサリーにしようと思った、きみお気に入りの。でもあの店を見つけることができなかったんだ。で、そのかわりに靴下を買った。店員さんにたのんでプレゼント用のキュートな箱につめてもらってね。見える? キュートな箱だろ? おれはこいつを片手に空港でひとり突っ立っていたんだ。なんてぶざまな日本人だったんだろう!」「ああ、なんてこと!」「でもまあいい。これは他の女の子にプレゼントすることにするから」「なにいってんのもう!」
 彼女はしきりにロンドンに来るように誘った。というかこちらがいずれロンドンを訪れることを前提にして話をすすめた。旅費がないというと、たしかに週二日じゃなかなかお金がたまらないかもしれないわ、でもあなたは新聞や雑誌に文章を書くことだってできるはずよ、それに売れる小説を書くことだってできる、といった。それはできない、おれはおれの書きたいもの以外書く気になれないから、というと、そうね、知ってるわ、と彼女はため息をついた、あなたってそういうところもすごくstubbornだから。東京に越すかもしれない可能性について触れると、わたしすごくいいプランを思いついたわ、と彼女は手をとめてカメラに目をむけてにやりと笑ってみせた。こわいな、あんまりききたくない、と告げると、本当にいいプランなんだから、と笑って続けた。彼女によれば、われわれは来年の夏にロンドンで再会するべきらしかった。それまでに節約してロンドンまでの旅費をためる、一年半もあれば十分だろう、宿泊費はもちろん必要ない、彼女の家に泊まればいいのだから、そうしてロンドンでしばらく過ごして日本に帰国したあとは東京に引っ越せばいい、それが彼女のいうすごくいいプランのあらましだった。要するに、旅行をするにも引っ越しをするにもいずれにせよ仕事を辞めなければならないのであれば旅行と引っ越しのタイミングを重ねてしまったらいいという話だった。「そうしておれたちはまた口論をする」「たくさんね」「そうしてあるときおれはとうとうきみの部屋を出るんだ。そうして近所のカフェに寝泊まりするようになる」「それでわたしは空港で待ちぼうけってわけ?」「プレゼントをひとつ持ってね。もちろんおれはきみからメールが届いていたことにバンコクで気がつく」「ねえ、わたしたちどうしてあんなにもたくさんケンカばかりしたのかしら?」「たぶん二カ月は長すぎたんだよ」「一カ月でもケンカしたわ」「そう、だからたぶん一週間くらいがベストだよ。いちばん仲良くいられる」「一週間でもケンカするかもしれないわ」「それじゃあおれは三日目にきみの部屋を出ていく」「でもじっさい一週間じゃロンドンを見てまわるなんてぜったいにできないわ。駆け足でバタバタしておしまいよ。だからやっぱり少なくても一カ月はここに滞在するべきよ」
 わたしも本をつくったのよ、と彼女はいった。大学の課題で建築関連の本をいっさつ制作したのだという。そういって彼女はPDFファイルをこちらにむけて送信した。ダウンロードには一時間はかかる見通しだった。あなた読書したい? とあるとき彼女は唐突にいった。どっちでもいい、と答えようとして、該当する英語をしらないじぶんに気がついてあたふたした(あとで調べてみたところ“Either is fine”という簡潔な表現のあることを知った)。カメラをつないだままわたしは課題、あなたは読書、それぞれのやるべきことをするのよ、それでときどきなにか思うことや考えることがあったらそれについて語るの、まるでおなじ部屋にいて別々のことをしているみたいにね、と続けた。「おなじ部屋にいながら別々のことができる」というのはじぶんがかつて抱いた理想的な恋人関係だった。そう言いかけて思いとどまった。彼女はしばしばスカイプをそのように利用するらしかった。わたしは部屋でひとりで黙々と作業することができないの、そんなふうに過ごしているとものすごく悲しいさびしい気持ちになってくるのよ、だからなるべく外に出てみんなで課題に取り組んだりするわ、とちゅうでああでもないこうでもないって議論したりしてね、それでどうしても自室で作業しなければならないときは妹や従姉妹や親友とこんなふうにカメラをつなぎっぱなしにしておくのよ。おれとはまったく正反対だな、おれはなにか書き物をするときはぜったいにひとりになりたいから、というと、知ってるわ、それですこしでも邪魔されると「ウー! ウー!」って頭をかかえてイライラしはじめるのよね。
 作業に取り組みはじめた彼女のようすをしばらく眺めてからこちらはこちらで『夜のみだらな鳥』の続きを読みはじめた。不慣れな状況だった。もちろん集中することはできなかった。英語の勉強をしたいと思ったが、英語話者と電話のつながった状態で、受験英語の例文を音読するのも馬鹿げた話だった。何度もコーヒーを入れるために席をたった。一時間くらいはおたがいに口をきかずに黙々と作業に従事したように思う。彼女のパソコンはおんぼろだった。とちゅうで何度も回線が切れた。熱を持っているから15分ほどスリープさせることにするわ、というメッセージが届いたので、そのあいだにこちらもシャワーを浴びることにした。風呂からあがってカメラをつなぎなおし、そうして大家さんにもらった味ご飯を電子レンジで温めていると、なにをやってるの、というので、腹が減ったからなにか食べるつもりだ、というと、わたしもおなかがすいたわ、お昼を食べていないのよ、といった。ロンドンは15時をまわっていた。彼女は米を炊いてバナナといっしょに食べることにするといった。そのとき通話はパソコンではなく彼女の携帯電話を介しておこなわれていた。彼女はその携帯電話を手にしたまま階下のキッチンにおりて、本場ヨーロッパのオーブンを映したり大量のナイフやフォークやスプーンにまじってちょこんと置かれているチョップスティックを映したり庭先で寝転んでいる黒猫(名前をたずねたが忘れてしまった、リトアニア式のふくざつな発音だった)を映したりした。最初にカメラを介しておたがいの姿を認めたとき、彼女はなによりもまずこちらの体つきが変わったと指摘した。夏にくらべると二三キロは筋肉が増えたはずだというと、やたらと艶っぽい笑みを浮かべてすごくいいといった。彼女は筋肉フェチだった。ほとんどの日本人は(というかアジア人)はtoo skinyだとしばしばいったものだった。きみの爪もすごくいい、というと、赤く塗った五指の先端をカメラの前でぶらぶらさせてみせたあと、thank youと照れくさそうにいった。
 なにかの拍子に彼女は最近芝居をはじめたのだといった。水曜日は完全オフなので、meditationとactingに出かけるのだといった。shakespearとか? とたずねると、もっとmodernなやつよ、でも名前忘れちゃったわ、といった。
 彼女の母と義理の父の日本への新婚旅行は二年後になるといった。それから両親はちかぢかboatを買う予定だといった。いまの家は借家なのだという(Sもそこに間借りして住んでいる)。boatを買ってそこに住むつもりだというので、それは一般的なのかとたずねてみると、ググってみればたくさん出てくるといった。じじつ彼女の送ってくれたURLをクリックしてみると、住居用のとても長いボートを湖や運河に浮かべてそのなかで生活しているひとびとの写真がたくさん出てきた。水上暮らしというとどうしても貧民層のイメージがあったが(カンボジアのヴェトナム系移民!)、ロンドンの場合は必ずしもそういうわけではなさそうだった。boatは家を買うよりも安くすむから、というので、ひょっとして土地代を支払わずにすむのかと思って問うてみると、さすがにそういうわけではないらしかった。
 なんの本を読んでいるの、というので、メキシコの小説だと応じた(しかしこれは間違いだった、ホセ・ドノソはチリの小説家だった)。わたしは最近精神医学の本を読んだわ、と彼女はいった。鬱病にはハグがいいって書いてあったの、と続けるので、似たような話は耳にしたことがあるし経験的にもよくわかる、と応じると、わたしそのことを考えるといつもあなたのことを思い出すのよ、といった。ウディ・アレンの映画は観たことがある、とたずねてみせるので、名前は知っているし興味もすこしあるが一本も観たことはない、と答えると、『マンハッタン』というのがすごくよかったからぜひ観てほしい、といった。
 3時前だった。そろそろ眠ることにしようという段になって、最後にひとつ言っていい? と彼女はいった。すごく率直な気持ちよ、と真剣な笑みをおびた顔つきをカメラにむけてみせるので、バイバーイといってカメラに手をふってみせるという対応で茶化して逃げようとすると、はっきりと機嫌をそこねた表情を浮かべてみせたので、うわーそうだこの顔だこの顔! この顔になると話がすっごいめんどくさくなるんだった! と肝心要のところで完璧に空気を読みそこねたおのれのしくじりはひとまずよそに昨夏の苦々しい印象の数々が次々とすさまじい鮮度でよみがえりまくるのにげんなりした。それから彼女は去年の夏わたしはあなたに拒絶されたと感じたといった。あなたがあなたはだれとも一緒にいるつもりはないといったことにわたしはとても傷ついたわ、あなたに拒絶されたと感じたの、と続けた。そういっていくぶん強いまなざしでこちらを見遣るので、こちらがだれとも添い遂げるつもりのないことは二年前のタイ・カンボジア旅行の時点で話していたはずだしそれにそもそも彼氏持ちの状態で来日しておいたおまえの立場からそれいえることかよみたいなのがあったのだけれど、なにいっても無駄であることはわかりきっているしこのタイミングでまた口論などしたくなかったので、だれであろうと長いあいだいっしょにいることはできないという点についてはあらかじめきみにだって言ってあっただろうと、それだけ告げた。すると、じゃあどうしてわたしと二カ月いっしょにいようと思ったの? わたしとは二カ月っきりの関係のつもりだったの? と重ねて詰問してみせるので、おまえ自身そのつもりだってさんざん言ってただろうにと思いつつもそれをいったらきっとわたしはただあなたの本音を探るためにああやって言ってみせただけよとかなんとかその手の返答があるに決まっているので、おれは挑戦したんだよ、ひょっとしたらきみとだったらうまく関係を持続することもできるかもしれない、ずっといっしょにいても平気かもしれないって考えたんだよ、もちろん失敗に終わったわけだけれど、と取り繕うと、それだったらそうとわたしに告げるべきだったわ、とまだまだひきさがるようすをみせないので、ボーイフレンドのいる女性にむけてそんなことをいう権利なんてないよ、少なくともおれはそこまでarrogantにもselfishにもなれない、と相手の急所を突いてみせると、ようやく黙った。それから、ようやくわかったわ、ありがとう、といってこちらをながめて、やや見つめあったあとに吹きだした。最後の最後で毎度のことながらイライラさせてくれたが、しかし夕方の光をあびる横顔はちょっときれいすぎた。やはり美人だと思った。触れたいと思った。こうしてあなたをおしゃべりしていると強いあこがれ(longing)を感じるわ、と彼女はなにかの拍子にいった。すぐそこにいるのにtouchすることもhugすることもできない。
 近いうちにまた、と約束して通話を終えた。雨降りの水場で歯をみがきながら、ときどき会ってハグしたりキスしたり気分がのればセックスしたりの親密な友人関係じゃだめなのか、と思った。どうしてすぐに「死がふたりを分つまでずっと」の発想になるのか、永遠を持ち出すのか、all or nothingにこだわるのか、しかしこれは西洋人にかぎった話なんかではぜんぜんない。だれにもなにも約束したくないしされたくないと強く思った。Tさんは絶対に個人主義なひとですもんね、できるだけ自由がいいでしょ、とHくんに駅のホームでいわれたことを思い出した。そのとおりなのかもしれない、といまさらながら思った。じぶんを束縛するのは自分自身だけで十分だ。