20140328

 映画は十二人いればつくることができます。それにまた、二人でもつくることができます。ニ、三人で始めておいて、何人かの人を集めればいいわけです。あるいはまた、そのニ、三人が互いに理解しあえなくなれば、ほかに映画をつくりたがっている人がいないかどうか調べればいいわけです。でもそうした場合、映画の世界の連中とは組むべきじゃないでしょう。なにかをつくることができるためには、ほかの場所にいる人たちと組むべきです……
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

いまかりに、諸君のパスポートに《ソ連への入国を禁ず》と指定されているとしましょう。その指定が映像をつかってなされることはありません。いったいどのようにすれば、映像をつかってそうした指定をすることができるでしょう? 映像をつかってそれをすることができないのは、映像は自由に属するものだからです。それに対し、言葉は牢獄なのです。映像は必然的に自由なもので、映像がなにかを禁止したり、なにかを許可したりすることはないのです。なぜなら、映像というのはひとつの全体だからです。言葉とは別のものだからです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)



 4時起床。7時間たっぷり眠ったところで自然と目が覚めた。電気が点けっぱなしだった。風呂にも入っていなかった。ジョギングもしそびれている。なんたるざまだと思った。歯を磨いてストレッチをした。くしゃみをしたり咳をしたりするたびごとに背中があいかわらず痛む。パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとった。それから昨日付けのブログをいちから書いて投稿した。投稿画面に引用符のアイコンがあるのだけれど該当箇所を選択したうえでそのボタンをクリックしてみても以前のブログのように枠で囲って表示されることがなく、それがどうも不満だったのでいろいろと検索した結果探り当てたコードをCSSにコピペした。だんだんとそれらしい居住まいになってきた。アットホームなブログです。
 9時半まで「G」作文。プラス3枚で計269枚。東京での出来事を追加した。なかなかいい感じ。緊張感というのはそのまま張り合いでもあって、これがないとやはり物足りない、力量の届くか届かないかわからないぎりぎりのところで勝負しなければならない。
 ゆで卵をふたつと広島菜をぶちこんだマルタイラーメンを食したのち布団にもぐりこんだ。眠気はほとんどなかったが、このタイミングでやや長めの仮眠をとっておけば、昼過ぎから夜中までがっつり活動できるだろうという魂胆があった。めずらしくやや困難な入眠だったが、それでも三十分とたたぬうちに思考がそのまま図像と化す夢の域に踏みこんでいた。めざましは12時にセットしてあったが、ベルが鳴るたびに頭を叩くのをくりかえし、ようやく寝床から身体を起こすとすでに13時半だった。翌日に仕事を控えていることを思うと、0時就寝が今夜の理想ということになるが、2時間ちょっとのこの仮眠は果たして正解だったのか。バナナとヨーグルトに蜂蜜をたらして食した。それから16時過ぎまでだらだらと瞬間英作文した。
 炊飯器のスイッチを入れてから家を出た。晴天だった。おまけに暖かい。六本木の地下鉄を出てから新国立美術館にむかうまでの道のりを思い出した。脱いだジャケットを二つ折りにして腕にかけたのだった。そのことも「G」に書いた。花粉をおそれず徒歩で図書館に出かけることにした。薬は一日二回の約束で処方してもらっているのだが、症状のひどい日は勝手に三回四回と割り増しさせてもらっている。洗濯物だって部屋干しを徹底しているし室内でもマスクを装着しているし日中はとにかく外に出ないし、と、そこまで徹底しても鼻づまりのひどいあまり目が覚める明け方もめずらしくないのだからやってらんない。震災のあったとき、被災者らが寒さと花粉の双方に苦しんでいるというニュース記事を読んで、たぶんそのときがいちばん彼らの置かれた窮地に体感的に接近した。想像力が身近な苦しみを媒介にしてひとっ飛びした。
 記し忘れたが、昨日は春一番らしい強い風が吹いていた。昨日じゃない。一昨日だったかもしれないしそのまたさらに一日前だったかもしれない。とにかく近所の大通りを北にむけて歩いていた。その身体に吹きつける横風があった。ウインドブレーカーがカサカサ鳴った。ひるがって今日は無風である。とても暖かい。汗をかくかもしれないと、家を出て一分と経たぬうちに思った。ヘルメットをかぶった西洋人の男が前方から自転車に乗ってやってきた。チェンマイのジャングルトレッキングで知り合ったイギリス人(デイヴ? ベイヴ?)に少し似ていた。もう少し歩くと今度は桜色のおそろいの和服を身につけた西洋人女性が七人ママチャリに乗ってなにやら英語で話しながらやってきてわきを通りすぎていった。さすがにだれもヘルメットはかぶっていなかった。茶道教室の帰りといったところだろうと、服装と彼女らのやってきた方角から見当をつけた。ああいう子のひとりでもひっかけることができたら英語の勉強もずっと張り合いのあるものになるだろうに。若い枝垂れ桜が名前のしれない寺の門前で咲きほこっているのが目についた。その寺のなかに入ろうとすると住職の奥さんらしいひとにここは一般公開していない場所だから入らないでくれといわれたとSはかつて語った。前からやってきた原付バイクが寺の脇にゆっくりと停止した。服装からしてそこそこ若いらしい運転手の女性はヘルメットをかぶったままポーチからデジカメをとりだして桜にむけてシャッターを切った。枝垂れ桜はたしかソメイヨシノよりもずっと開花が早かったはずだ。となれば平野神社の枝垂れ桜もいまごろは満開だろう。明日Tと夜桜をながめにいくのも悪くないかもしれない。
 Oさん宅のわきをとおって薬物市場にむかった。薬物市場の駐車場には警察官がひとり突っ立ってなにやら監視しているふうだった。そのわきを通りがかった自転車の若い男が、おそらくはくだんの警察官に呼び止められたのだろう、声の主のほうをちらちらと二度見し、けれどそれっきり減速することもなくペダルを踏みこんでこっちにやってくるのがみえた。男はヘッドフォンを装着していた。どうやらそれを注意されたらしいが、なにも聞こえなかったていで強引に切りぬけたらしかった。その背後をとくべつ急ぐわけでもないゆったりと追う警察官の歩みがあった。バイクのキーらしいものをチャラチャラさせながら、妙にするどく攻撃的な、ほとんど憎悪といっていいほどの色をやどらせたまなざしでもって去りゆく背中を追っているようにみえた。わざわざバイクで追いかけるのだろうか? それほどの案件だとでも?
 薬物市場で歯ブラシを購入してから図書館にいった。この時点で身体が汗ばみはじめていた。きのう入浴していないせいで頭もかゆくなりつつあった。スーパーでたまごと牛乳とヨーグルトときゅうりと総菜のカキフライを三つ購入して帰宅した。下宿の敷地内に足を踏み入れたところで閉ざされた自室のむこうから米の炊けたことをしらせるアマリリスのメロディがきこえてきた(それにしても「ラリラリラリラ」という歌詞はどんなヒップホップのリリックよりもえげつない!)。どっかの小説の主人公だったらひざを落としてひれ伏す瞬間だ。
 玄米・納豆・冷や奴・もずく・カキフライの簡単な夕食をとった。あとでまたサラダと茹でた胸肉をかっ喰らう算段だった。胸が気持ち悪かった。不規則な睡眠をとってしまったせいか、病みあがりのように身体がだるく重かった。眠りのしこりが常にまぶたの奥にわだかまり、足首の関節に独特の気だるさが奴隷の鉄鎖のようにつきまとっていた。動かなければと思うのだが、なかなか動きだすことのできない小一時間があった。清水から飛び降りる気持ちで身体をふるいおこし、風呂場に行った。シャワーを浴びても湯につかっても疲れはとれなかった。部屋にもどりストレッチをしていると、おもてで聞き覚えのある声がたった。すぐにKさんの友人のOさんだとわかった。Oさんは大家さんにたのまれてほかの住人のものらしい原付バイクを邪魔にならない一画にむけて移動させているところらしかった。ナイスタイミングだと思った。ふたりがおもてでごちゃごちゃやっているあいだに部屋の照明を落として玄関に鍵をかけた。Kさんはすでにこのアパートにいない。となるとOさんがここに来た理由はじぶん以外にない。むろん相手をする気力などない。仮に気力などあったところで相手にしたいとも思わない。最初のうちはKさんのツレということで大目に見ていたのだが、やたらとなれなれしい態度でくりだされるひとを小馬鹿にしたような軽口の連続にたしか三度目に会ったときあたりから耐えられず、それ以降は顔をあわすことがあっても軽蔑もあらわにはっきりと不快感を表明するようにしており(いちどTといっしょにいるところに話しかけられたことがある、そのときのこちらの対応をTは「ひやひやするほどのケンカ腰」であると指摘した)、それに応じて相手のほうでもこちらを気遣うそぶりのようなものを見せはじめてはいたのだが、Kさんもいなくなったいまあえて交際を持続させる義理などない。今日こちらにやってきたのはおそらく一時帰国中のKさんになにか依頼されてのことではないかと思われるのだけれど、はっきりいってめんどうくさい。なんだったら最近ではKさんの相手をするのもめんどうくさくなってきている。というかKさん自身わるいひとではないし映画の趣味などこれまでに出会ったことのあるなかでもっともしっくりくるひとだったりするのだけれど、時間割生活に忠実に生きる身としてまずアポなし訪問されるのが不快でたまらないというのがあって、メールの一通でも送ってから来てくれと、サプライズとかそんなんぜんぜんいらないからまずは事前に知らせてくれと、これはその手のだらしなさを有するひとにたいしていつも思う。ひとと会う予定はないしどこかに出かける予定もないが、それでもスケジュールびっしりなのがわが暮らしなのだ。そこのところをぜひとも尊重していただきたい。
 ストレッチを終えてからコンビニに出かけてネット料金を支払った。空腹で気持ちわるいのか胃をわるくして気持ちわるいのかよくわからない気持ち悪さがみぞおちのあたりにずっとあって、身体にたずねてみたところとりあえず甘い飲み物を欲しているらしいことがあきらかになったので、午後の紅茶とチーズ蒸しケーキを買った。帰宅してからスカイプにログインし、Dr.Dre『The Chronic』を聴きながらここまでブログを書いた。スカイプは自室で英語の勉強をしているときだけログインするという方向でやっていこうと思った。これだったら仮に作業の途中で話しかけられても英語の勉強の延長としてイライラせずに受け止めることができる。
 発音練習と瞬間英作文を0時ぴったしまでやった。とるにたりない酩酊のなかで踊ってAV観てYouTubeで有吉のラジオ聴いて、Hくんの楽曲を子守唄にして眠った。夏の記憶のなにからなにまでがよみがえるようだった。2時には達していなかったはずだ。