20140329

人々はドキュメンタリーというのがどういうもので、フィクションというのがどういうものかということをわかっているつもりでいます。私もまた、この二つの契機は互いに異なっていると考えているし、いくらかはその違いがわかっているつもりです。でも、これはそれほど単純な問題じゃないのです。労働者の仕種は、そのどの部分がフィクションなのでしょう? あるいはまた、子供に対する母親の仕種なり、恋人に対する女の仕種なりは、そのどの部分がドキュメンタリーで、どの部分がフィクションなのでしょう? ふつうは、人物が本心からしゃべっているところを、つまり、ひとに指図されてしゃべるのではなく……演出家に指図されてしゃべるのではなく、自分からしゃべっているところを撮影すれば、それはドキュメンタリーだとされています。でも子供が母親に向かって《ママ》と言うとすれば、それはたぶん、その母親がふだんから子供にそう言うよう仕向けているからなのです。だからその場合は、その母親が演出家なのです…… ルビッチは以前は、ドラマや心理的コメディしかつくらない、心理的映画作家とみなされていたのですが、私はいつも、そのルビッチの次の言葉を念頭においてきました。《山を撮ることから始めたまえ。山を撮れるようになれば、あとは人間を撮ることもできるだろう》というのがそれで、私もそのとおりだと思います。山の形をつくる[あるいは「山の模型をつくる」]ことができれば、人間の形をつくることもできるのです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

アイディアというのは天から降ってくるものではなく、自分で見つけ出すべきものなのです。そしてそのためには実践が必要で、実践がなければアイディアをもつこともできないのです。一本の映画の成長は、実践のなかからこそ引き出されるのです……
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)



 5時半起床。6時半にめざましをセットしたつもりだったのに一時間あやまっていた。ブロガーの朝は(期せずして)はやい。歯を磨き、ストレッチをし、パンの耳2枚とバナナ2本とヨーグルトとコーヒーのたっぷりとした朝食をとってから昨日づけの記事を投稿した。みぞおちのあたりに昨日から続く気持ち悪さがわだかまっていた。胃だと思った。まちがいない、コーヒーのがぶ飲みをあらためなければならない、朝から四杯も五杯もたてつづけに飲んでいいものではないのだ。胃薬をのんだ。それからすこし迷って花粉症の薬も追加した。Eさんがいつだったか胃薬はどんな薬とちゃんぽんしても問題ないみたいなことをいっていた。
 労働。観光シーズンの到来とあってさすがにむちゃくちゃいそがしかった。バタバタバタバタ小走りで動きまわった。宿泊の予約が可能かどうか問い合わせる電話が日中だけで五件あった。来週はもっとひどいことになるだろう。週六日入っていたSさんの抜けたいま人手不足の感は否めない。来月にはNくんも去るらしい。こうなればすき家だ。リニューアルオープンだ。
 Jさんが三万五千円も入った財布を落としてしまったという話を聞いた。給料日明けにくわえて自身の誕生日ということで、Jさんはじぶんの誕生日にはいつもJさんの財布をあずかっているお姉さん(だれかが財布の紐を締めていないとJさんは手元にあるだけのものを後先考えずすべて使いつくしてしまうし、使いつくしたら使いつくしたで今度は金を得るために事件を起こしてしまうのは明白なため)のところにいって「女買うから金くれや」と頼むらしいのだけれど、今年もそう頼んで特別給付金を手に入れ、さてどうしようかとわくわくしながら街に繰りだし、そうして行きつけの服屋にいってひとまず五千円かそこらのシャツを一枚購入した。で、そこを出てしばらく経ったところで、残り三万五千円のまるっとおさまっている財布がなくなっていることに気づいた。あわてて先ほどの服屋に電話で問い合わせてみたというのだけれど手がかりはなし、とりあえず警察に届け出はだしたという話ではあるようなのだけれど、なんせ財布のなかにはけっこうアレな方々の名刺が何枚か入っているということで、たとえば町中でたまたまその財布を拾うことがあったとしても、これはのちのち因縁をつけられるんでないかとびびってだれもわざわざ警察に届け出たりすることはないんでないかという話で、戻ってくる見込みはないだろうとのことだった。財布を落としたとはいうけれどもどうせパチンコですってしまったかアレを買うかしただけだろう、で、それじゃあいざ同僚らに金を借りる段になっても格好がつかないから不幸を装っているんだろう、と最初はあやしんでいたのだけれど、財布を落としたその日の挿話のディテールが作りものにしては細部まで凝っていて、Jさんにことをそこまで念入りに運ぶ能力などないのは自明であることからこれは事実かもしれないと思いなおした。
 夕方には西洋人カップルがやってきた。アーティストっぽい雰囲気のある長身の男と彼よりも10歳は年上らしくみえるフランス訛りの女性だった。システムがよくわからないというので、おおざっぱなところを説明したのだけれど、S以外の西洋人と英語で話すというのはやはりまだすこし緊張する。言葉がうまく出てこないし聞き取りもはるかに困難である。料金についてざっと説明したあと、じぶん以外に英語をあやつれる人間はここにいないしそのじぶんにしたところであと一時間もしないうちにここを去ることになると伝えると、すこし戸惑ったような表情を浮かべてみせた。それからおたがいのの意見をうかがいあうようにして連れ合い同士で見つめあった。しきりなおすつもりで、気の毒だけどこの時期の京都はとてもにぎわうから、というと、女性のほうが気のぬけたような笑みを浮かべて、よく知ってるわ、ほんとうにそう、ととても疲れた声で漏らした。すでにずいぶんと歩きまわったあとらしかった。
 帰宅するとTがいた。しょっちゅう一緒に海外旅行にいく女友達とまたもや遊びに出かけていたらしく、今度はサイパンとのことで、ゴディバのチョコと現地の民芸品をおみやげにいただいた。民芸品は男女のペアをかたどった木材の人形で、お守りの一種らしく、10種類近くある効能のうち「健康」(「おまえにはこれしかないと思った」)に特化したやつだった。じぶんの趣味にとてもかなっているものだったのでうれしかった。デスクの前の壁面につりさげてあるSにもらったフェイクアンバーのネックレスにならべてぶらさげた。
 のんで酩酊した。そうしてなか卯に出かけた。衣笠丼とうどんを食した。コンビニに立ち寄って甘いものを購入した。時間が伸び縮みするようだった。帰宅してから甘いものを食し、身支度を整えてから今度は銭湯に出かけることにした。小雨だった。あいまいな記憶をたどってしばらく歩きまわったあと、目星をつけていた一軒をおとずれたのだけれど、入るなり番台に座っていたばばあにものすごい邪険な態度で「はよしてな」といわれた。時刻は22時45分で、閉店は23時らしかった。別のところにしよう、というTの提案にしたがって立ち去ることにした。靴箱の鍵をなくしてしまったので、着替えやタオルでぱんぱんにふくれあがったビニールバッグのなかをかきまわしていると、そうしたこちらの様子を不快感のきわまった表情でじっとにらみつけていた婆が、わざわざ番台からおり、そうして靴箱のまえでごそごそやっているこちらとロッカールームのあいだの戸をガラガラと閉めだしたので、Tといっしょに唖然とした。おもわず「なんじゃこのババア!」と声をはりあげた。なぜここまで敵対的な、ほとんど憎悪といっていいものを宿したまなざしでにらみつけられなければならないのか。去りぎわに今度はTが「このババアくっそうぜえ!」と声をはった。憤懣やるかたなしな態度で元来た道をひきかえしながら、あいつBで働いとった時代のおれより勤務態度わるい、と漏らすと、あいつバイトなん、と素っ頓狂なことをTが漏らすので、ゲラゲラ笑った。
 あいつやべえ、あんな強気のババア見たことねえ、と悪口のつもりがだんだんと賞賛の言葉に変容していくものをふたりして唱えながら別の銭湯にむかった。以前いちどだけKさんとXさんに誘われておとずれたことのある下宿のそばにある店舗だった。ここはしかし湯が熱い。とにかくまともに身体をしずめることのできないくらいに熱い。そんな記憶があったのでできれば避けたかったのだが、贅沢をいっていられる状況ではすでにない。こちらの番台に腰かけていた女性はババアではなくおばあちゃんだった。何時まで開いてますか、とたずねると、12時までやしまだまだ時間あるよ、ゆっくり浸かっていって、といった。湯は案の定熱かった。熱い湯に比較的耐性のあるこちらはそれでもどうにか湯船に身をしずめることができたが、Tはひたすら苦戦していた。じぶんたちのほかに客はふたりしかいなかった。そのうちのひとりはすぐに出ていった。われわれが出るころに入れ違いでもうひとり入ってきた。身体を拭いて服を着た。番台のおばあさんにすすめられるがままにソファに腰かけた。そうして以前Kさんらと来たときにも買って飲んだ、なにやらむかしなつかしい瓶入りの炭酸飲料をのんだ。美味かった。それに一本60円と安かった。
 帰宅してからふたたびのんだ。そうしてYouTubeで「小梅太夫で笑ったら即芸人引退」をTに見せるつもりで再生したが、結局また死ぬほど笑ってしまった。これでおそらく四度目の視聴である。なにかの拍子に、ほんじゃ来年の夏イギリスは確定なんやな、とTにいわれた。どうやらそうした前提で話をすすめているじぶんがいるらしかった。「検索ワード連想クイズ」を続けて再生しはじめたTをよそに布団に横たわった。30秒ともたずに眠りに落ちた。