20140401

 ……私は二十年前はこうしたことを考えていませんでした。そして今になってこうしたことを考えるようになったのは、私がこれまでずっと、映画をつくりつづけてきたからです。つまり、一種のコミュニケーション手段のなかにいつづけたからです……矢を射る者でも、矢を突き刺される者でもなく、矢そのものであろうとしつづけたからです。書いたり、映画をつくったり、考えたり、語ったりするということは、矢そのものであろうとするということなのです。愛というのはこれとはいくらか違っていて、矢が射られたり、矢が突き刺されたりする瞬間のことです。愛したり愛されたりする者には、矢のことを考える必要はないのです。もっとも、ひとはしょっちゅう矢を突き刺されつづけたり、しょっちゅう矢を射つづけたりすることはできません。それに、矢が飛んでいるあいだの時間というものもあります。数百光年つづくにしろ三秒ですむにしろ、矢が射られてからなにかに突き刺さるまでの時間というものがあるのです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

 ……私は自分の考えを放棄しなかっただれかのことを語るべきなのです……どう言えばいいのか……誠実なやり方でなりおもしろいやり方でなりで……工場で働くとか軍隊に入るとか教授になるとかといったやり方よりもずっとおもしろいやり方で、自分の生活費をかせいでいるだれかのことを語るべきなのです。自分がしたいと思うことをするのではなく、自分にできることをし、そのなかに自分の欲望をもちこもうとしているだれかのことを語るべきなのです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)



 4月やで!
 夢。裸にXLサイズのTシャツをいちまい着ただけの姿で実家の風呂場にいる。浅田彰と千葉雅也があらわれる。浴槽の蓋をあけるとなかは地下倉庫のようになっておりそこにおりていった浅田彰が勝手知ったる手つきで学習机の長い引き出しのようなものを壁面から抜き出していくとやがて隠し部屋めいた空間が姿をあらわす。そこに一台の電子ピアノが置いてある。浅田彰が鍵盤を叩きはじめる。シュトラウスの楽曲だと思う。意外に趣味がわるい。夜道を歩いている。祖父の田舎である(というぼんやりとした認識がある)。四方にかぎりなくひろがる田園のなかを車の一台も通らない立派な舗装のほどこされた道路がまっすぐにのびている、財源のあまった地方特有の風景である。じぶんのほかに、やはり浅田彰と、父と、おそらくは弟と、あとはだれかよくわからない無数の面々、それもときと場合によって人数の多くなったり少なくなったりする匿名的な面々がいる。それら一同にときおりドラクエ?のロトの子孫の三人組が重ねられる。モンスターの出没する夜道であるが、浅田彰のMPはすでに切れている。これ以上イオナズンは使えないという。エリクサーを手渡すと、まだまだだいじょうぶだけどねと強がってみせる。千葉雅也にも手渡す。背後からモンスターがあらわれたのでイオナズンを放とうとするとMPが切れていると表示される。サマルトリアの王子となってはやぶさの剣で攻撃する。モンスターの首をたしかに断ちおとしたはずが、しかし死なない。のろのろとした状態でこちらにむかってくるその足取りがいっこうにひるまない。モンスターではなくゾンビなのではないかとひらめきはっとする。周囲を見渡す。父も浅田彰もほか匿名的な面々もみなどことなく顔色が青白い。そうしてうーうーとうめきながらのっそりした歩調でおなじ方向にむけて行進している。その顔を剣で斬りつける。もちろん死んでくれない。ひょっとして自覚症状がないだけでじぶんもすでにゾンビなのではないかと思う。墓穴に埋葬される。この土中で死にきることもできないまま一万年も生き埋め状態が続くことになるのかと思う。同時に、これは小説になるなと思う。
 11時にめざましで起きたがそれ以前からひどい鼻づまりのせいで半ば目のさめているようなものだった。そのせいなのかどうかはわからんがひさびさに頭のわるい夢を観た。歯を磨きストレッチをしたのちパンの耳2枚とコーヒーの朝食をとった。それからTwitterでトラップを仕掛けたのち「ムージル」で検索してでてきた名前を片っ端からフォローした。気づけば2010年までさかのぼっていた。フォローしたアカウントのなかにはとっくに更新停止しているものもあるかもしれないが知ったこっちゃあない。どのみち読者の呼び込みが功を奏さなくなった時点でおさらばする使い捨てのアカウントにすぎないのだ。どうでもいい!
 ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』を最後まで読みきった。そこそこおもしろかったが、そこそこ以上のものではなかった。訳者解説でヒエロニスム・ボスという画家のことを知った。ググってみるとなかなかすごかった。どうしてか既視感があったので記憶をたぐりよせてみると、『ベルセルク』だった。ガニシュカ大帝が髑髏の騎士による一刀を受けて霧散し幻造世界を成立させることになったその直後にこの画家の代表作を模した見開きがあるのだ。
 ダンベルを用いて筋トレをしたのち最寄りのブルジョワスーパーに出向いた。道路をはさんだ向こう側にリクルートスーツ姿の男女十人程度の集団を見かけた。ときどきその手の集団を目にすることがある。就活中というわけではなさそうであるけれどもしかし会社帰りというわけでもなさそうである彼らはいったいなにものなのだろうか。内定者同士の懇親会にむかう途中とかそういうことなのか。スーパーのレジではタランティーノにそっくりな西洋人を見かけた。
 帰宅してから玄米・納豆・冷や奴・もずく・水菜とブロッコリーのサラダ・茹でた豚肉を食した。それからここまでブログを書き記し、さていったん仮眠でもとるかというところで母親から着信があったので出ると、あんた本出したんやってな、といきなりあったので、うん、と応じた。応じたあと、いやいやいや! となって、だれに聞いたんや! となった。母親の話によるとかつて同僚だったS先生から今日ひさしぶりにメールがあり、そのなかでこちらが本を出版したことについてさも当然のように触れつつ「わたし紙の本も購入します!」とあったのだという。で、事情をしらぬ母親は勤務中にもかかわらず「えー!」と大声をあげることになり、別の同僚のなんとかいう先生がその声を聞いて駆けつけてきて「どうしたんですか!」というので、これこれこういうことがあってと事情を話すと、それじゃあ早速息子さんの筆名をネットで調べてみましょうとなってサーチ、結果、事実を確認するにいたったらしい。あんたあのなになに予選落ちっていっぱいわざわざ書いてあんの何なん、M(弟)がアレぜったい当てつけや、またいらんことしとるいうて笑っとったで、というので、あの能無しどものせいでこっちは本来もらえるはずやった50万みすみす逃すことになったんやからな、いまは連中の土下座待ちや、と応じた。それはともかくなぜS先生がこちらの出版の事実を知っているのかがとにかく謎で、母もそれをふしぎに思って問い合わせのメールを返信したらしいのだけれど、いまのところ返事はまだないのだという。S先生とはたしかタイから帰国した直後、実家で一カ月だらだら過ごしていた時期に母の職場でいちどだけ顔をあわせたことがあるだけで、そのときも会話らしい会話はしていないしただ簡単なあいさつを交わしただけで、彼女はたしかじぶんと同い年だったか一個上だったか一個下だったかとにかく同世代で、ライブフェスと讃岐うどんをこよなく愛する地元国立大卒の才色兼備で京都にもときおり遊びに出かけることがあると、これらの情報はすべて母伝いに聞いたものであるのだけれど、ただおしゃべりな母のことであるからこちらが小説を書いていると、これはたしかに口にしたことがあると当の本人も認めていたけれども、あるいはそれ以外にもひょっとすると過去の新人賞の応募履歴や筆名についても語ったことがあるのかもしれない、でなんとなくググってみたところ該当ページを発見するにいたったとかそういう可能性はおおいにあるし、それどころか以前のブログにヒットした可能性だっておおいにあるわけでじつをいうとここ数ヶ月か数年ずっと購読されていたのかもしれず、別にそれはそれでいっこうにかまわないのだけれどしかしこのタイミングで家族の耳にじぶんのネット上での活動がしられたことを思うと、今回のブログ引っ越しはマジですごいきわどいタイミングだった、本当にぎりぎりだったとみずからの第六感を誉めたたえたくもなるが、しかし仮にS先生がもうずっと以前よりじぶんのブログを購読していたとした場合、今回の引っ越しを機にそれじゃあもう母に話題をふってもだいじょうぶだろうと判断したという気遣いの経緯があったのかもしれず、こうなるともうなんでもいいからちょっといちど会わせてくれ、そんでもっておれといっしょにうどんを食べにいこうという感じではある(しかし彼女にはたしか婚約者がいた!)。あしたお父さんと京都に花見に行こうかと思うとるんやけど、というので、この時期の京都来るとか自殺行為やで、市内入ったら車まったく動かんくなるわ、と牽制した。すると電話のむこうで父親となにやら相談する声があり、次いで、それでもやはり行くのだというようなことをいい、あんたは明日空いとんのかん、と続けるので、いちおう空いとることは空いとるけど、と応じた。昼前を目処に京都に到着する予定だという。これで明日いちにちはオフということになった。「G」のストックがなくなったいま、ネタ探しにはちょうどいいといえばちょうどいいのだけれど。
 驚きのあまり仮眠をとる気がすっかりなくなってしまった。気を落ち着けるために食器を洗いにでた。NくんやFくんが言っていたようにじぶんのブログはひょっとしてこちらが想像していたよりもずっと多くの読者がいたんでないかという気がしてきた。部屋にもどってから夜の部の魔ーケティングにいそしんだ。今度は「フェリーツェ」と「カフカ」でサーチしたが、カフカという名前のバンドか何かがいるせいで、それらしいターゲットをうまくフォローすることができなかった。まあいい。じっくりいこう。年がら年中エイプリルフールだ。
 Nくんの原稿にとりかかることにした。四分の一ほど読んだところで風呂に入った。部屋にもどったところでふと、こちらをフォローしてくれているアカウントがフォローしているアカウントをすべてフォローすれば興味関心の近さからして手っ取り早いのではないのかと思いついた。われながら良案だと思った。ゆえにさっそくポチポチポチポチやっていくことにした。Wさんがフォローしているアカウント200ちょっとをすべてフォローし終えた時点でいいかげん手首がだるっだるになっていたのだが、Fくんが600以上フォローしていたのでこれマジでぜんぶやるのかよとげんなりしながらそれでも魔ーケティングのためならと思いひとつひとつポチポチしていたところいきなりだれもフォローすることができなくなってしまって、これ制限人数とかあったんだっけと思いながらホームにもどってみるとアカウントの凍結宣言が表示されていて、なんだこれと思いながら表示された画面に目を凝らしてみると、要するにあなたのアカウントはスパムとして多くのユーザーから報告されていますみたいな警告で、だれがスパムやボケがステルスマーケティングやろが! と思いながら凍結を解除するための手続きをおえてホーム画面にもどってみるとフォローもフォロワーも0人にリセットされていたのでぶちぎれた。ゆえに呪詛を垂らしまくったあげくもう二度こんなクソツール使ってたまるかとばかりの捨て台詞をのこしてわが秘密基地に帰還してここまで記事を書きつないだ。
 もうなんでもいいっすわとくさくさした気分でなにも手につかない感じがあったので、そういうときはこれとばかりにたまりにたまっている抜き書きに着手することにした。ひとまず今日読み終えたばかりのホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』の抜き書きをささっと片付けることにして、次いで松下清雄『三つ目のアマンジャク』にも着手、1時になるころにはすべて書き抜きおえた。『夜のみだらな鳥』のなかに《腕の通っていない袖のように力なく垂れた男根》という表現があって、これはちょっとすごいと思った。それから「バーニーズマウンテンドッグ」で画像検索してにやにやしたのち消灯した。最近はくさくさするたびに犬馬鹿どものペットブログにアップされているクソ高いカメラで撮影されたとおぼしき気合いの入った我が子自慢の写真に両目をひたして癒されている。