20140331

たしかに私にも、なにかを文章の形で提出しようとすることはあります。でも私はしまいには、それにうんざりしてしまいます。いったん映画としてつくったものを、なぜもう一度、要約の形でつくり直す必要があるでしょう? 私は映画の宣伝パンフレットとか要約とかをつくらなければならなくなると、いつもうんざりしてしまいます。すでに映画で語ったものを、それとは別のやり方でどう語ればいいのかわからないのです。私が好きなのは、たとえば予告篇をつくることです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

私は自分に、「物語というのは、ひとが自分自身の外へぬけ出るのを助けるものなのだろうか、それとも、自分自身のなかにもどるのを助けるものなのだろうか?」という疑問をなげかけるわけです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)



 10時半起床。めざましは9時にセットしておいたはずなのだが、寝坊した。二日連続で寝不足だったのだからしかたがない。自責にばかりかまけているような人間でもないのだ。歯を磨くためにおもてにでるとすっかりおなじみの春の陽気だった。鴨川にでも出かけてゆっくりたっぷりうたた寝まじりの読書でもできればと思うが、まだまだ花粉の旺盛な三月末日である。パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとったのちDr.Dreを聴きながらここ二日分のブログを一気に書きあげて投稿した。
 14時前より16時半まで「G」作文。プラス3枚で計263枚。BGMはHilary Hahn & Hauschka『Silfra』とPrefuse 73『Prepalations』。とりあえず下書きしてあったぶんはすべて彫刻しなおした。明日からは選別&改稿作業にふたたび着手する。
 懸垂と腹筋をしたのち家をでた。図書館に歩いて行くつもりだったが、思っていたよりも肌寒かったので翌日にまわすことにし、スーパーで手早く買い物だけすませて帰宅した。帰宅後、玄米・納豆・冷や奴・もずく・レタスとキュウリとトマトのサラダ・茹でた豚肉を食べた。ビートたけしがいいともの最終回で読んだ表彰状の小ネタをYouTubeで視聴してひとしきり笑ってから仮眠をとるべく布団にもぐりこんだ。
 めざめると23時前だった。めざましをセットしてあったのは21時である。枕元にめざましを置いておくとろくなことにならない、寝床からいったん身体を起こす必要のある位置にこそ設置しておくべきであるという大原則をないがしろにした日は必ずこうなってしまう。いつまでたっても学習できない人間だ。このまま朝方までぐっすりいこうかと思ったが、先日早朝4時に起床して活動した一日が体力的になかなかしんどかったのを思い出して、ここはやはりいったん起きるべきだろうと思いなおした。二時間仮眠をとろうともどのみち朝方になれば眠気をもよおすのがじぶんなのだ。
 風呂にゆっくりと浸かってから部屋にもどりストレッチをし、夕方大家さんにいただいたおかずをつまみながらまたもやYouTubeで、今度はさんまやらダウンタウンやらとんねるずやらの勢揃いしているいいとも夜の部の一部を視聴して笑った。それから発音練習にとりかかった。一時半だった。そのまま瞬間英作文になだれこんだが、いまひとつはかどらなかった。どうにもだらだらと過ごしてしまった気がする。月曜日はどうしてこう怠惰になってしまうのか。ふがいない。
 A-thingsというちいさなギャラリーでやっている岡崎乾二郎ポンチ絵展、東京滞在中に行っておけばよかったといまさらながら後悔した。Wさんにここでやっているとわざわざギャラリーのウェブサイトへのリンク付きのメールまで上京前にいただいていたのだけれど、そのサイトに掲載されていた作品の画像がどうにもぴんとこなくて、これだったら別にいかなくてもいいかと思ったのであったけれど、最近になってネット上にぽつぽつあがっているほかの諸作品の画像なんか見ると、これぜったいに行くべきだったわと強烈な後悔に苛まれてしまう。なんたることだ!
 あんまり眠たくないけどと思いつつ書物を片手に寝床にもぐりこんでみたら3ページも読み進まぬうちに眠ってしまった。6時をまわっていたはずだ。