20140402

 私は当時すでに――今でもそうですが――、「ときにはばかでかい映画をつくるのもわるくはないけど、でもそれによって小さな映画をおしつぶしたりしてはいけない」と考えていました。それにまた、「かりにある映画ができのわるい映画とされるとすれば、それはただ単に、それと似た映画がほかにつくられていないからなのだ。つまり、その映画だけでは需要にこたえられないからなのだ」と考えていました。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

こう言ってよければ、ひとは自分のことは自分の背後から考えます。でも他人が自分を見ているということを意識するときは、自分の前方からも自分のことを考えます。つまり、大ざっぱに言って、ひとは自分自身に対する二つのアングルをもっているわけです。それにまた、私がある男のことを考える場合、私はその男のことを、この二つのアングルから考えることができます。なぜなら、その男は別の私だからです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)



 8時半起床。Twitterアカウントの凍結が解除されフォロー&フォロワー双方ともにカウントゼロから通常通りの数値に回復していた。Fくんから「A」botを作成するのがいちばん現実的な手段なんではないかとDMが届いていたのだけれど、抜き書きの過程でまた粗が目についてしまってうじうじ書きなおしするような事態はできれば避けたいし、それになにより作成する一手間がめんどうくさくてたまらない。魔ーケティングの効果はどうかと思ってチェックしてみるとひさしぶりに一冊売れていた。たった一冊! しかし売れたものはたしかに売れたのだ。効果がないというわけではない。地道にやっていくほかあるまい。というわけでこころを入れ替えてひとまずきのう連射した錯乱ツイートをすべて削除し、みずから規定したフォーマット(キャラ)に忠実なツイートを今後も続けていくことにした。ひとまず長者番付の常連社長に絡んだ。こういうことをしているとつくづく思うのだけれど、魔ーケティングがどうのこうのいいながら結局じぶんがいちばん重点を置いているのはどこかといえばまずまちがいなく身内にねらいをしぼって笑いをとりにいくみたいな、そういうしょうもなさであって、あいつさんざんマーケティングとかセルフプロデュースとかいっておきながらじっさいにおこしたアクションがそれかよみたいな、そういうツッコミを想像してどんどんエスカレートしていく悪ふざけみたいなものがこちらをドライブしている現実は否定しがたくあり、こういう性質はたとえば五年以上にもわたっていちげんさんお断りの閉鎖的なブログを営みつづけてきた経歴とも完璧に一致する。じぶんは基本的に内輪受け、楽屋落ち、身内ネタの人間なのかもしれない。そう考えるとまじめなところもふまじめところも、なにもかもがぜんぶふしぎに腑に落ちるようなところがある。
 バナナとヨーグルトの朝食をとった。ふたたび売れ行きをチェックすると紙本がいきなり8冊も売れていた。さっそく魔ーケティングが功を奏したのかと思ったが、そんなうまい具合にことが運ぶわけない。おそらくは母親だろうと見当をつけた。Twitterをのぞくとふたたびアカウントが凍結されていたので解除の手続きをとった。活動しはじめて24時間以内に二度もアカウント凍結の憂き目にあうというのはなかなかレアな体験ではないか? プロフィールの一行にはっきりとこちらの目的は書き記してある。であるからしてその目的原則に忠実にしたがって行動しているこちらをいちいちスパムだとして報告してみせるユーザーは度し難く非寛容である。とりあえずリンク先に飛んで一行読め、それでわからないんだったら文学なんてやめちまえ、と思った。手元にためこんである小ネタをすべて消化するまではTwitterはやめない。
 10時過ぎに母親から着いたと連絡があったのでひさしぶりにスウェット以外の服に袖を通しておもてに出た。助手席に乗りこんですぐに、んでS先生はなんで本出したって知っとったん、とたずねると、いまひとつ細部のはっきりしない返答ではあったが、とりあえず京都に友人らと遊びにきているときにたまたまこちらの話題がでたらしく、それでためしにその場で「M」「京都」「小説家」「貧乏(安アパート?)」みたいなキーワードで検索したところ、まんまとこちらの現状を知るにいたったという話らしかった。ただそのさいにS先生のたどりついた先が、書籍の販売ページであるのかそれとも以前のブログであるのか、それはわからない(そして訊けない)。ひょっとして本買った? とたずねると、道中で注文した、とあったので、何冊? と重ねてたずねると、うちに一冊、じいちゃんに一冊、Nちゃんに一冊、それから○○先生に一冊、あとあんたが本出したらぜったいに欲しいっていうとる子がおってその子に一冊……とあり、結局あの8冊はほとんど身内関連というわけかと、これにはちょっとがっくりきた。
 醍醐寺にむかった。現場付近に到着すると猛烈な渋滞で、当然のことながら駐車場に空きのあるわけでもなく、コインパーキングを探して周囲をうろうろしたが、ぜんぜん見当たらない。近くに平和堂があったので、そこの立体駐車場に停めてそこから歩いていくなりタクシーを拾っていくなりするのが賢明ではないかと提案したが、その平和堂さえも見失ってしまい四方八方をうろうろ、だんだんとみんな苛立ってきた、車内の空気も険悪になりつつあった。ほやしこの時期の京都に車で来るなんてあかんいうたのにとおもわず洩らした。そうこうするうちにようやく平和堂にたどりついた。立体駐車場に車を停めてそこから歩いて醍醐寺にむかおうとしたところで、平和堂の前からコミュニティバスなるものが出ていることに気づいた。往復300円、醍醐寺行きである。乗らないわけがなかった。行列にならんでいるとまもなく小型バスがやってきた。さすがにこれ一台に行列まるごとは入りきらないだろうと思われたが、東京の満員電車なみのすし詰め地獄を強制された結果、どうにか乗りこむことができた。醍醐寺までは十分とかからなかった。徒歩でもじゅうぶん間に合う距離だった。
 バスをおりた。暑かった。そしてひどい花粉が予想された。醍醐寺は入り口からして桜並木の満開だった。何年かまえにも両親とここをおとずれたことがあるが、そのときは桜の季節も終わりがけで、一部の枝垂れ桜や八重桜以外はほとんどすべて散ってしまったあとで、どちらかというとむしろ葉桜をめでる訪問だったような覚えがあるが、今回はちがった。満開だった。風が吹くたびに花びらがひらひらと舞って、遠目にみれば羽虫のようであり、高い位置を見上げればなにかしら抽象的な砂時計のようなものを思わせた。おぼえのある屋敷に足を踏み入れておぼえのある庭園をながめた。数年前とはちがって観光シーズン真っ盛りとあり、人波だらけでとてもゆっくり見物などできる空気ではなかった。巨大なパラソルの骨のように枝をひろげた枝垂れ桜の老木のその骨と骨をすきまなく埋めつくす満開がすこし印象にのこった。右を見ても左を見てもカメラを構えてばかりいる群衆のなかで耳をすませば日本語と中国語の比率がほとんど五分五分だった。ここ数年ほんとうに中国人観光客の数が増えた。
 抹茶団子を購入した。境内での飲食はお控えくださいとあったが、腹が減ってしかたなかったので隠れて食った。見覚えのある道のり沿いに境内を奥にむけて進んでいくと、ちいさな滝のもうけられた池のそばに休憩所があった。食事をとることができるようだったので、割高であることは覚悟のうえここで昼飯をとることに決めた。五組待ちだった。長い待ち時間だった。ようやく名前を呼ばれて席に着きあらかじめ決めていた桜そばとゆば丼なるもののセットを注文するにいたったが、肝心の食事が運ばれてくるまでにまたもや長い待ち時間があった。フロアで待機している従業員らはときどき手持ち無沙汰そうにみえた。厨房とフロアにわりふる人数をまちがっているのではないかとひそかに推測した。おしぼりがでなかった。母親が従業員を呼びとめて三人分のブツをたのむと、あらかじめ用意されてはいるらしいきちんとしたものが奥から運ばれてきた。周囲のテーブルを見渡してみるかぎりおしぼりは見当たらなかった。つまりこの店はおしぼりはあらかじめ用意してある、しかし持ってくるように頼まれないかぎりは客に出さないという方針らしかった。職業柄、父はずいぶんイライラしているようにみえた。飲食をなめとると眉間に皺をよせてみせさえした。フロアのスタッフはもっときびきび動けるだろうし順番待ちの客の注文をあらかじめとっておくことだってできるはずだ。たしかにそうかもしれなかった。立ち話をしているくらいだったらテーブルをまわって茶や水を注ぐくらいできるだろうにと、空になったままの湯のみをかたむけながら思った。順番待ちをしている客のなかにはあきらかに苛立っている姿もちらほらあった。立ち話をするにしてもせめて順番待ちの彼らからは姿のみえない死角でするべきだろうにと、厨房の入り口前でなにやら談笑しているらしいふたりの従業員と彼女らのほうに強い訴えのこもった目線を送る順番待ちの客らを交互に見比べながら思った。
 食事は予想に反して美味かった。こういうところの飯はまずいというのが定説なので期待していなかったが、あるいは期待していなかったその分だけよりいっそう美味く思われた。背後の窓越しに救急車が一台あらわれた。熱中症で観光客が倒れたのかもしれないと考えたが、いくら暑いといったってしょせんは小春日和であるのだしまだまだ熱中症というわけではないだろうと思いなおした。こういう場所にくるときはやっぱりサイレン鳴らさんのやなあと母がいった。救急隊員はわりあいのんびり動いているようにみえた。それほど大事ではないらしい。食事を終えて店のそとにでると、わきにしつらえられた石のベンチに中年とも老年ともつかないひとりの女性が横たわり、なにやら呼吸器のようなものを口元に装着した状態で、家族らしいひとびとと救急隊員の呼びかけに応じている姿が目についた。
 仏像を見た。仏画を見た。ふすま絵を見た。そうして前回おとずれたときにこの桜は盛りだったらおそらくとても美しいだろうにと両親の嘆いていたその桜のまさしく盛りというほかない豪勢な満開を目の当たりにして嘆息した。たいしたものだった。桜の花びらはやはりピンクよりも白にちかいほうが断然で上品でよいと思った。そしてそれ以上にあるいはひょっとすると、じぶんは満開の桜よりも葉桜のほうが好きなのかもしれないと思った。少なくとも見ていてウキウキするのは葉桜のほうだった。しかしそれはただ単に夏の予感を投影してのものにすぎないのかもしれない。
 見るべきものはすべて見てまわったので帰路に着いた。コミュニティバスに乗って平和堂の前でおりた。バス停前にはとんでもない行列ができていたが、バスが二台たてつづけに来てくれたおかげで待ち時間に鬱屈することなくすんだ。平和堂では父が紳士服売り場でベルトを購入した。父はベルトのことをなんどもバンドといった。指摘すると、あんたからしたらこっちのほうみたいやもんな、とエスカレーターのうえでふりかえった母がエアギターを弾きながらいった。帽子をかぶり眼鏡をかけマスクを装着した三重苦のせいだと思われるが、帰路の車内ではなかなかひどい頭痛にさいなまれた。眠るのがいちばんだと思ってうとうとしているとなにかの拍子に母に声をかけられた。このまま帰省してはどうかという提案が続いてあったが、今日帰省したところで金曜日にはまた京都に戻ってこなければならないからと断った。ワンコロにすこし会いたいという気持ちはあった。今年で四歳になると醍醐寺散策中に聞いたときにはおどろきのあまり声をあげたのだった。もう誕生日来ていらんのさと母はいった。
 結局夕飯はくら寿司ということになった。父をともなって回転寿司にいくとだいたいこのネタは養殖だだのこの店の衛生管理はどうのこうのだのこのネタの原価はいくらだのとケチをつけながらのうんちくがはじまるのでおもしろくないし、おもしろくないその事実を指摘するのももっとおもしろくないのでただ適当に聞き流すばかりになるのだけれど、その聞き流すという行為が母にはときおりできないことがあって、たとえばあとになってから陰口を共有するトーンでなにやらこちらにささやかれると、それはそれで父のうんちくよりもうっとうしかったりする。くら寿司のコーヒーをはじめて飲んでみたが、150円のわりにはぜんぜんいけた。アパートのまえでおろしてもらい犬猫によろしくといって別れた。知り合いにサインをもらってきてくれるようにたのまれているのだと往路の車内で母から切り出されたことを思い出したが、すでにあとの祭りである。醍醐寺にむかうバスを待ついっとき、母はたまたまこちらのかばんに入っていた「A」をとりだし最初の数ページをめくると、これはちょっとむずかしいわ、むずかしい、会話とかでぽんぽん進まんと文でぜんぶやってくんやな、とわかっているのかわかっていないのかよくわからない感想をもらした。母はエンタメ小説を好んで読む。
 帰宅してからThe Jimi Hendrix Experience『Axis: Bold As Love』とMiles Davis『Bag’s Groove』とIsabelle Faust『Bartók:Violin Sonatas』をおともにここまでブログを書き記した。書き記しながら中休みのつもりで魔ーケティングをおこない、Fくんのアカウントを参考にしてまたもや片っ端からフォローしまくる戦法をとったが、その過程ですでに五名にブロックされているという事実を知るにいたった。なんたる屈辱! なんたる辱め! わが生涯最大の恥辱! そのFくんからふたたびDMが届いており、すでに「A」bot作成を開始しているという報告があったので、泣けた。いい友人を持ったと思った。でもってじぶんは結局いつもこのパターンだなと思った。他人の恩恵に甘え放題に甘えてじぶんはらくらく生き延びている。さんざん大口を叩いておいて結局なにもできずひとまかせみたいな(いちばん熱心に拡散につとめるべきじぶんが人目に立つのは邪魔くさいという理由でゆいいつ宣伝の場として機能しえたブログを放棄してしまったのだ!)。Wさんみたいにでっかい影響力をもったひとがTwitterやグーグルプラスでつぶやいてくれなかったら、Aさんが読書メーターに登録して読友さんらにアピールしてくれなかったら、Fくんが彼にとってとても神聖な日記にたびたびこちらの名前を出してくれなかったら、たぶん「A」はほとんど読者を獲得することができずに終わっていただろう。なんだったらグーグル検索からも無視されていたかもしれない。ほんとうにありがたい。この感謝をいかにしてあらわすべきか? きまってる! 最強最上やばすぎる底なしの大傑作を書きあげることによってである! そうしてしこたま稼いだ印税を横流しすることによってである! ぬあー俄然燃えてきた!!!!
 でも仮眠をとった。ひどい鼻づまりのせいでほとんど眠っているとはいえないような浅い眠りだった。さすがに日中ずっと外を出歩くとなるといくら薬を飲んでもマスクを装着してもぜんぜんだめで日常生活にさしつかえがおおいにでる。風呂に入ると血行がよくなるためにかますますひどいことになった。Twitterやっぱりあんまり面白くないし効果も見込めそうにないしとっとと終わらせようかなと思っているとFくんからまたDMが届いて、「A」bot作成の途中に誤字をひとつ見つけたとあって「床に就く」が「床に着く」になっていたというものなのだけれど、あーやっぱりこういうミスでてくんだなーとげんなりしつつもこんな細かいところまで目を通してくれてサンキューと感謝し、とりあえずデータ版の原稿にちゃちゃっと修正をくわえた。それから魔ーケティングに励んだ。というか持ちネタをすべて使い尽くした。これでもういい。もうおしまい。はっきりわかったことがある。おれは・マーケティングに・興味がない! 瓶詰めの手紙はとうに大海に投じたのだ。それでもういいだろ! あとはどしっと構えて機の来るのを待ち構えていればいいのだ。行動原理はなに? 「やりたいことをなるべくやってやりたくないことはなるべくやらない」、これである。マーケティングは? やりたくない! 然り、話は決まった!
 地獄がはじまった。朝の6時半まで大西順子『Baroque』とArchie Shepp Quartet『Blue Ballads』をおともにひたすら岡崎乾二郎ルネッサンス 経験の条件』を読みすすめていたつもりが、怒濤の鼻水&鼻づまりに苦しめられてほとんどまったくといっていいほど頭が働かなかった。地獄だった。薬をガシガシ追加したが、いっこうに効果はなかった。これはぜったいにまともに睡眠をとることはできないだろうと判断し、枕元にペットボトルのお茶を控えておいて、マスクを装着した状態で消灯した。長く浅い眠りのはじまりだった。