20140403

 探偵映画はなぜ……というか、人々は警察というものをあまり好きじゃないものですが、それなのに、探偵映画はなぜあんなにヒットするのでしょう? 捜査官とか刑事(ポリシェ)[あるいは「探偵」]というのはいつも、自分がしたいと思うことをしています。かれらの行動は、人々がもっている自由の観念と――かならずしも本来の自由ではない自由の観念と――符合するものなのです。かれらはポケットに手をつっこんで街をぶらついたりするだけで、特別なことはなにもしません。労働者とは違って、機械に向かって仕事をすることを強制されることもなければ、政府からとてつもない責任を負わせられるといったこともありません。煙草をふかしたり、酒場に入ったり、だれかの襟首をつかんであれこれ問いつめたりするだけです。かれらは西洋にとっての理想の自由を表わしているのです。刑事というのは、たとえ人々に愛されないにしても、ロビン・フッドとかターザンとかよりもずっと、真のヒーローなのです。刑事というのは、人々が悪口を言うこともできる――なぜなら刑事だからです――ヒーローなのです……必要なら、人々が自分を同化しないこともできる、あるいは、心の底では完全に自分を同化しながら、同化していないふりをすることもできるヒーローなのです。それに刑事というのは、なにもしないことのために給料をもらっている、怠け者です。刑事には、自分がしたいと思うことができるのです。刑事にはまた、物語(イストワール)を生きることができます。といっても、ベトナムとかしかじかのストライキとかしかじかの党派の権利要求とかのような、ある歴史的(イストリック)出来事を生きることを強制されるわけじゃありません。刑事にはまさに、個人的物語を生きることができるのです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)



 息苦しくなって何度も目がさめた。そのたびに枕元のペットボトルを手にとりからからになってひっつきかけている咽喉をうるおした。陸地で溺れるような感覚があった。じぶんの咽喉に窒息させられているような苦しさに何度もせめさいなまれてはそのたびごとに夢から現実に息継ぎするようにして目ざめた。そして咽喉をうるおした。地獄だった。10時過ぎにいちど身体を起こした。咽喉をうるおし、小便に立った。頭がぼうっとしてものを考えることがむずかしかった。酸素がぜんぜん足りなかった。腹になにかつめこんで薬を追加しようと思った。たちあがって行動しているときは横になっているときよりもいくらか鼻づまりはマシになる。薬をのみ部屋の掃除でもして時間を潰して、それで症状がおさまってきたタイミングを見計らって睡眠をとりなおすのが賢明だろうと考えた。考えながら部屋にもどったところで布団のうえにばたりとうつぶせに倒れこんだ。そのまま自然と意識を失った。次に目覚めると14時すぎだった。ダウンジャケットを着たまま布団にもぐりこんでいた。鼻づまりは解消されていた。
 Tと居酒屋にいく夢を見たのを思い出した。居酒屋ではない、喫茶店だったかもしれない。とにかく個人経営の、いわゆる「隠れ家的な」、常連客の集うこじんまりとしておしゃれな店だった。せまい店内のテーブル席についた。木造の小屋のような店内で、暖色系の照明がいたるところにつるされていた。すこし席をはなれているうちに、Tのとなりに見覚えのない男が着席していた。男はひたすら高校野球について語っていた。こちらがそんな話題になどまったくもって興味がないふうであるのもおかまいなしに延々とうんちくを披露するのだった。肩をたたかれたのでふりかえると、WさんとAさんがいた。なんで京都にいるんすか! と叫びながら握手した。Wさんはピンクの猫ちゃんで、Aさんは男性とも女性ともつかない西洋人の姿をしており、いわゆる「男前な女性顔」であった。どうして女性なんだろうかと一瞬疑ったが、アバターに性別もクソもないかと思いなおした。席にはいつのまにかYさんの姿まであった。店の経営者はYさんの知り合いの女性らしかった。職場の話題については避けなければならなくなった。
 歯磨きをしてストレッチした。パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとったのち前日分のブログの続きを書いて投稿した。それからNirvana『Never Mind』を聴きながら今日付けのブログもここまで書いた。生活リズムのぐだぐだに狂ってしまってまったくもって時間割通りに行動できないことに起因するくさくさした気分と、居心地のわるいその手の怠惰にひらきなおってしまいたくなるやぶれかぶれをあおりたてるぬくぬくとした春の陽気をはねつけるのにカート・コバーン絶唱は必須である。
 時刻はすでに16時半をまわっていた。『Bleach』と『From The Muddy Banks Of The Wishkah』と続けて流しながら「G」の改稿を進めた。通し番号36まで。じつに散漫な作業だった。とちゅうで麻痺ってしまってからはどうにもこうにもならなかった。
 だらだら20時過ぎまでテキストファイルをいじくりまわしたのちケッタで近所のスーパーまで出かけた。買い物をすませて帰宅し、玄米・納豆・冷や奴・もずく・水菜とブロッコリーのサラダ・茹でたささみを喰らった。それから風呂に入った。部屋にもどってストレッチをこなしTwitterをのぞいてみると、Fくんが「A」のbotを作成し公開してくれていたので、お礼のDMを送った。Twitterどうもうまくいかないしちかぢか退陣すると伝えると、失礼ながらMさんマーケティングとか向いてないと思いますからそういうのはほかのだれかに任せて執筆に専念したらいいですよとずばりいわれたので、だよねーとなった。それか作家名義でひとつパブリックなブログをたちあげてそこで小説の批評・感想のたぐいを載せてみるのもいいかもしれないとあったけれど、批評とか書いたことないし、作家名義で書くとなるとものすごい肩肘張って気合い入れまくってしまうだろうから、そうなると記事ひとつ更新するのに一カ月とかかかってしまいそうでそれはちょっと神経ずたずたになりそうだから嫌だ。きのうTからメールがあって四国旅行は来週水曜日から金曜日にかけてという段取りになったので、むこうでなにかよさげなものを見つけたらbot作成のお礼としてFくんにおくろうと思った。うどんのキーホルダーとかな!
 まぶたの奥に重くだるくわだかまっているものをしのびながら発音練習と瞬間英作文をだらだらと3時ごろまですすめた。英語の勉強中はいちおう例の方針にのっとってスカイプにログインしているのだけれど、そうしてこちらのログインしているときはほぼ例外なくSもログインしているのだけれど、いまのところ話しかけてきたことはない。ただこれ次回の通話時あたり、どうしてあなたはログインしておきながらわたしに話しかけてこなかったの、どうしていつもわたしのほうからなの、あなたはわたしとおしゃべりしたいと思わないの、みたいな言い方でまたもやしかられるんでないかという気がおおいにする。うまく聞き取れなかったふりをすることで時間をかせぎそのあいだに効率的な言い訳を日本語で考えるというあの脳みそを酷使するひとときをまたもやかいくぐらなければならないのだ!