20140404

 …私が思うに、変えることが難しいのは、内容よりはむしろ形式です。つまり、形式と内容を古典的に対比して考えれば、あるいはまた、この二つの言葉を文字どおりに解釈して考えれば、形式の方が、変えるのがずっと難しいということです。人間を変えるためには……形式を変えるためには、千年はかかるのです。(…)事実、諸君もよく知っているように、肩書とか身なりとかというものは、きわめて強い力を発揮します。身なりがわるければ、ある種の場所には入ることができません。形式というのは……空港で一国の首相を迎えるやり方とか、赤ん坊に洗礼を施すやり方とか、結婚の進め方とかというのは、私が思うに、今でもまだ、きわめて強い力をもっているのです……人々は今でもまだ、断固として、いくつかの形式にしがみついているのです。そして真の変化というのは、そうした形式が変えられるときにもたらされるもののことです。またにせの変化[直訳は「真の非変化」]というのは、資本主義的という言葉のかわりに社会主義的という言葉がつかわれたりするときのように、言葉だけがとりかえられるときにもたらされるもののことです。本当のところはなにがかわったのか? ということこそ、興味深いのです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

 …映像には嘘をつかなければならない理由はなにもありません。たしかに、映像に嘘をつかせることはできます。でも映像というのは、ひとつの事実にすぎないのです。ひとつの事実のひとつの要素にすぎないのです。すべてでさえないのです。映像に嘘をつかせるのは、映像のつかい方なのです……
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)



 10時半にめざましで起きた。ぬぐいさるのがむずかしい眠気があった。歯を磨きべくおもてにでると、鉢植えの土がそのうえにしきひろげられてあるブルーシートの点在が目についた。大家さんはときどきこのようにして土に日光浴をさせる。部屋にもどってストレッチをしたのち、パンの耳(当たり)とコーヒーの朝食をとり、昨日付けのブログを投稿した。朝食をとりながら「A」の売れ行きをチェックするのが今年に入ってからの習慣になっているのだが、今日は昨日にくらべて閲覧数が10以上増えていた。だいたいいつも1か2、ひどいときは0なので、botのおかげかもしれないと思った。地道に重ねていこう。いつかは情報拡散のハブになるような人物の目にとまることだってあるかもしれないのだ。
 Prefab Sprout『38 Carat Collection』を聴きながらNくんの原稿を読んだ。半分ほど読み進めたところで感想を書きしるし送信した。とちゅうで家のおおきく揺れる一瞬があった。強風の一日であるが、あの揺れ方はどうも地震だったのではないか。
 15時だった。懸垂と腹筋をした。それからケッタで図書館に出かけた。道中、米を炊き忘れていることに気づいた。帰宅してから米を炊くそのひと手間がなんとなくうとましく思われたので、今晩は玄米のかわりに半額品の寿司を食うことにしようと決めたが、値引きシールの貼られる時間帯までにはいましばらくある。自室待機するのもなんとなくつまらなく思われたので、ひさしぶりにひとりで喫茶店に出かけることにしたのが17時、そのまま20時過ぎまで滞在して岡崎乾二郎ルネッサンス 経験の条件』をちびちび読み進めた。店に入るなり、ちょうど二三時間前にパンの耳をまとめて廃棄したところだと告げられた。ぜんぜん引き取りに来てくれないものだから在庫スペースがいっぱいになってしまった、回収するだけでもかまわないからもうちょっとあいだをあけずに来てくれないと、といわれて平身低頭、ぐうの音も出なかった。それからつい先日店にやってきた女の子がちょっと変わったタイプのアラレちゃん眼鏡をかけていて、その眼鏡のブランド名だか商品名だかがケルアックだったという話が披露された。オン・ザ・ロード! 帰りしなに廃棄していなかった分のパンの耳をSちゃんが袋に入れて手渡してくれた。そのときの様子からなんとなくSちゃんはじぶんにたいして気後れのようなものをおぼえているんでないかと思った。開店当初からの常連客でありながら一部のひとびと、というかOさんをのぞいてほとんどほかの常連さんとは馴染もうとしないこちらのかたくななの拒絶と無関心の身振りがそのような気後れを周囲にもたらす要因となっているのはわかっているのだが、こればかりはしかたない。譲れない。いちど距離をつめてしまうとその次から顔をあわせるたびにどうでもよい世間話を交わさなければならなくなってしまう、ひとりで作業をする時間がとりにくくなってしまう、それだけは避けたいのでなるべくイヤホンを装着して書物(もしくはディスプレイ)に目を落とし自閉の域にとどまろうとする、つめてくるなよと無言で威嚇する(さいわいこうした態度の徹底のおかげでかつては顔をあわせるたびになにやら話をもちかけてきたひとたちもいまではこちらの姿をみてもせいぜいあいさつのひとことをかける程度であとは放っておいてくれるようになった)。下宿の住人らにたいしてもおなじ方針にしたがって接している。こちらの場合は先よりも攻撃的な印象をともなうことも辞さぬかまえでいるが(ある程度強気で対峙しておかないと部屋でやかましく騒がれるおそれがあるのだ!)。なんかこんなふうに書いているとじぶんがものすごく性格のわるいやつにおもえてきた。
 小雨の降るなかをえっちらおっちらケッタを漕いだ。スーパーに立ち寄ると寿司の大半はすでに売り切れており、かろうじて鯖寿司だけが四割引だったのでそれを買った。帰宅してからささみと水菜をぶちあげたマルタイラーメンと鯖寿司を喰らった。寿司とラーメンのコンボほどこちらのテンションをぶちあげてくれる組み合わせはないと思う。シャワーを浴びてから山下洋輔トリオ『Chiasma』をおともにストレッチをしたのち、コーヒーをちびちび飲みながら本の続きを少しだけ読んだ。眠気をもよおしてきたところで打ち切り、NirvanaMTV Unplugged In New York』を聴きながらブログを書いた。1時半消灯。