20140407

 形容詞というのは状況を判断するためのものじゃありません。でもわれわれは今、形容詞によってものごとが定義される時代にいます。文章のなかでものごとを定義するのに役立つのは動詞とか補語とかであって、形容詞は、定義するためのものではなく、ほかのことのためのものなのですが、それにもかかわらず、映画は今では形容詞によって定義されています。(…)私が思うに、映画批評は今では、これまでのとはいくらか違ったやり方で書くことができるはずです。《この映画は美しい》とか《素晴らしい》とか《いかにもスタンバーグらしい》とか《シェイクスピアより美しい》とかと言ったりするのではなく、料理とか調子のわるい車のモーターとかを批評するのと同じようなやり方で映画を批評することができるはずです。映画館主とか批評家とかがどんな言葉をつかっているか考えてみてください。いつも、《驚嘆すべき》[英語]とか《素晴らしい》[英語]とか《天才的》[英語]といった言葉しかありません。あるいはまた、《私がこれまでに見た最高の映画》[英語]という言葉もつかわれます。でもときどきであって、しょっちゅうじゃありません。しょっちゅうはつかえない言葉だからです! それでも、この言葉はよくつかわれるのです。それにしても、映画はどうやって定義すればいいのでしょう? 形容詞をつかってでしょうか? でも、《この映画は美しい》などと言うことはできません。かりに諸君が「ぼくの恋人は美人だ」と言うとしても、それではその恋人を定義することにはなりません。諸君が恋人に[定義として]つけ加えることのできるものがあるとすれば、それは音楽とか絵画です。ひとつの表示にすぎないものが定義の中心におかれたのでは、うまくいかないのです。《真の》とか《にせの》といった言葉でさえ、完全に価値が低下してしまうのです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)



 12時過ぎに起きた。10時半にめざましでいちど目が覚めたが、前向きな確信とともに二度寝しようと思ったのをおぼえている。鼻づまりが消えていたからかもしれない。眠れるうちにしっかり眠っておこうという損得勘定が働いたのだ。酩酊が功を奏したのかもしれないと思ったが(じじつそういう説もあるようだが)、どうだか知れたもんじゃあない。予備知識なしで断罪しようとする連中はいわずもがなだが、なんでもかんでも有効だからと口角泡を飛ばしている連中は連中でやはりまた鬱陶しい。
 しかし鼻腔が通っているというのはすばらしい。じつに壮快である。気分がよい。四国旅行が待ち望まれる。ドライブ用のCDRを作成しようと思った。さわやかでテンポのよい歌物ばかりでトラックを埋めつくすのだ。歯を磨き、ストレッチをし、洗濯機をまわした。定点観測の結果、「A」の紙本が1冊売れていることが判明し、小躍りした。データ版にいたっては6冊ダウンロードされている。正月以来の上々たる売れ行きである。Fくんのbotのおかげだろう。東京に足をむけては眠れないなと思った。魔ーケティングアカウントのほうを見ると、見知らぬ人物(といってもこっちがフォローしていることになっているのだが)からbotはじめたんですかと語りかけられていたので、そろそろ潮時だろうと思い、返信することなくアカウントを削除した。役目は終わった。誉めるにせよ貶すにせよ、やはり書き手の姿のある場では感想を洩らしにくいというのはたぶんある。すると拡散がとどこおる。ならば消え去るほかあるまい。みずからを生け贄にささげることによってみずからが語りつがれる場を構成してみせるキリストの手口というわけだ。
 チョコレートとコーヒーの簡単な朝食をとり、昨日づけのブログを一から書いて投稿した。洗濯物を部屋干ししおえると15時だった。耳鼻科の午後の部は16時開始だったので、中途半端に浮いたこの時間を瞬間英作文に費やした。きりのよいところまで進めたのち徒歩二分の耳鼻科にむかった。待合室には祖母らしき女性に絵本を読んでもらっている未就学児の姿があった。ちょうど一年前にこの待合室での情景を「G」に書き記したのだった。英作文をしばらく続けたところで名前を呼ばれたので診療室に入った。ヒノキ移行にともなって症状が悪化した、おもてに出る日があるとマスクを装着しても薬を服用してもその晩は眠れなくなる、眠気が出てもかまわないので強い薬が欲しい、とだいたいにしてそのようなことをいった。いまは鼻は通っているんだね、といわれたので、きのうまではひどかったんですけど、と応じると、苦笑をともなう相づちがあって、どうせおおげさな患者だとおもわれているんだろうと勘ぐったが、しかしこうなること自体は予想どおりではあった(それに医者というのは得てしてこういう態度をとるものだ)。鼻うがいをし、薬を噴射してもらい、蒸気を通した。ついでに耳を診てもらうのを忘れたことに待合室にもどってから気づいたが、あとのまつりだった。次回の来院時でかまうまいと思った。あたらしく出されたザイザルという薬は強力であるにもかかわらず副作用の眠気はあまりないのだという。効果と副作用の双方ともに強力であった薬から眠気をもたらすその成分だけをぬきとってできた比較的あたらしい薬らしい。就寝前一日一度の服用でいいというのだが、そんなのでほんとうにだいじょうぶなんだろうかと心配な面はある。前回処方してもらったなんとかいう薬は朝夕の一日二度の服用だったが、症状が悪化するにつれて勝手に昼やら就寝前やらにも服用していたりしたせいで、すでに手元にストックはない。かわりに蕁麻疹のときに処方してもらったアレグラがあと三錠ある。この二種類、計17錠で四国をしのぐ。
 いつものスーパーまで出張るのが面倒だったので最寄りのブルジョワスーパーに立ち寄り、食材をいくらかと値引き品の弁当を買って帰った。THA BLUE HERB『LIFE STORY』を流しながらダンベルを用いて筋トレしたのち、弁当を温めて納豆ともずくといっしょに食った。ウェブを巡回し、ややだらだらと過ごしてしまったあと、眠気のもよおしてくるまで布団にもぐりこんで瞬間英作文をした。15分にも満たない、とても浅い眠りのうちに、いくつかの夢を見た。いいともの夢だったような気がする。夢というよりは就寝前に会得した情報の断片的な反芻に近いものだったかもしれない(食後のネットサーフィンで先日のいいとも最終回の舞台裏にまつわる記事をいくつか読んだのだ)。
 じつに浅く短い眠りではあったが、のそのそと起きあがってみると目がぱっちりと冴えており、眠りの残滓などつゆほどもなく、おそろしいほど洗いきよめられた意識あった。これは朝方寝付くのに難儀するかもしれないと思った。シャワーを浴びて湯船に浸かり、部屋にもどってストレッチをしてから阿部薫『Studio Session 1976.3.12』を聴きながらここまでブログを書いた。
 22時半だった。「G」にとりかかった。BGMはSPECIAL OTHERS『UncleJohn』とYaron Herman『Variations』。だらだらだらだらと3時ごろまで原稿をいじくっていたが、こういう時間のかけかたは正しくない。ぴゃっと集中してぴゃっと立ち去るのが理想なのだ。ひとつ断片を書きくわえてからはひたすら改稿作業だった。改稿とはいうが、ほとんど一から書きなおしているようなものだ。こんな文章でよくもオーケーサインを出したものだとおもわれるような代物がごろごろあって嫌になってくる。じぶんにたいして甘すぎるのだ。プラス2枚で計265枚。合間にパンの耳を二枚トースト食べた。
 四国旅行は前回同様、混雑を避ける意味で深夜に京都発ということになった。出発時間を問い合わせるこちらのメールにたいしてTは、どうせうどん食うくらいしかすることないし夜中出発でも十分やろ、と返信をよこした。まったくもってそのとおり!