20140411

(…)軍隊に労働組合がないというのは驚くべきことです。給料がないというのは……というか、厳密には、マフィアの方がずっと誠実です。かりにマフィアが諸君にだれそれを殺してくれと頼むとすれば、マフィアは諸君に大金を払います。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)

 幸いなことに、私は高等映画学院の入学試験に落ちました。このことは今でもまだ、私の人生の幸運な出来事のひとつとなっています。映画の世界のなかでの私のもうひとつの幸運な出来事は、私が第二作から現在に至るまで、ずっと[興行的]失敗ばかりつづけてきたということです――私はこのことを自慢しようとしているわけじゃ少しもありません。というのも、私のような人がほかにもいればいいのにと思っているからです――。私は失敗ばかり……経済的失敗ばかりくりかえしながら生きつづけることのできた数少ない社長の一人なのです。
ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』)



 9時に携帯のアラームで目が覚めた。ぼんやりとした頭でテレビをつけてみると、極楽とんぼの加藤が司会をしている情報番組でEXILEの新規メンバーオーディションの模様が放送されていた。すごくどうでもいいと思うと同時に、ダンスを学ぶために数年前に上京したYのゴールもたとえばこのようなところなのだろうかと考えた。しばらくすると隣室のカプセルでもごそごそやる気配がたち、やがてこちらのカプセルと通路をさえぎるシェードをひらいてTが顔をのぞかせた。先にロッカールームに行っているというので、こちらも荷物をまとめてすぐに向かうと応じた。
 エレベーターに乗ってロッカールームにむかった。洗面台の前に腰かけて歯を磨き顔を洗った。日中あれだけ寝たにもかかわらずクソみたいに眠りほうけてしまったというと、おれも一瞬で爆睡したという返事があった。なんだかんだいっておたがい疲れていたのかもしれない。こちらは体調不良で、Tは長時間にわたる運転で。フロントで鍵を返す段になって当の鍵をカプセルのなかに置き忘れてしまったことに気づいたのであわててエレベーターを乗りつないで取りにもどった。フロントにはおじさんというよりはおじいさんに近い年齢のくたびれた男性がいた。昨夜おもてで夕食を終えてホテルにもどってくると、ちょうどこの男性と日中姿を見たおっさんのふたりがフロントでそろってなにやら作業をしていた。それを見てTは引き継ぎの時間だといったのだった。時計をみるとたしかに0時ぴったりだった。0〜12時と12〜0時の12時間制シフトだろうと見当をつけた。
 ひとまず飯を食いにいくべきだった。車を出して近所をうろうろしながら最初に目についたうどん屋で簡単に朝食をすませようとなったが、そういうときにかぎって一軒も見つからなかったりするものである。ひとまず大通り沿いに出るべきではないかとうながした。車を走らせていくうちにこちらの見込みどおり何軒かうどん屋の看板を認めるにいたったが、駐車場に車を寄せてみるとどれもこれも準備中の札がかかっていて開店までまだ一時間以上はある。そうこうするうちにここからだともう山田家もそう遠くないぞとTが言いだしたので、それじゃあ山田家にナビを設定してそこにむかうことにしよう、それで道のりの途中に別のうどん屋があればそこに入ることにすればいいと提案した。そのようなルールのもとで開始されたゲームはしかしながら結局、ある程度予想のついていた事態であるとはいえ、山田家への到着というありふれた決着をみることになった。もともとが武家屋敷だったという店の入り口にはお遍路さんの道中らしい菅笠をかぶり金剛杖をついた老人三人がいた。いかめしい門構えを見上げながら、これは寺じゃない、うどん屋さんだ、とどこのものともしれぬ訛りで確認しあっていた。
 座敷席に通されるときのうにひきつづきまたもやわれわれの貸し切りだった。なんのかんのいってもいちおうは昼飯時である。こんなんではたしてだいじょうぶなんだろうかと思った。今回は趣向を変えてきつねうどんとおでんを注文することにした。Tもまたなにやら別の種類のうどんとおでんを注文した。そうしてこのおでんが絶品だった。からし味噌をつけて食べる焼き豆腐がことさら美味く、主役のうどんを凌駕してあまりあるうまさだった。こちらが食事を終えるまぎわになって若い女性二人組があらわれた。まちがえた。そうではなかった。女性二人組があらわれたのは前日の来店時だった。彼女らはあきらかにこちらとおなじ観光客だった。聞き耳をたてていると、九州のものらしい言葉遣いがききとれたのだった。食後に足をくずしてだらだらとくっちゃべりながら、さてこのあとどうする、直島にでもいくかとたずねると、もう直島めんどくさくねとTが苦笑を浮かべながらいった。そんじゃあ帰るか、と応ずると、ますます苦笑してみせながらもそうしよっかというので、よし帰ろうとなった。そうして結局、ここのうどんをFくんへのお土産、というかお礼として購入することに決めた。
 車を走らせながら結局今回の旅行はひたすら眠ってばかりだったなと感想を述べあった。 タイマスターのTさんがいうバカンスの定義がよみがえった。わざわざ旅先でする必要のないことをあえてやってみせる、それこそがバカンスの豊かさなのだ、と。この話をT相手に披露するとき、アルファベットの「Tさん」ばかりが頭のなかを席巻し肝心の彼の名字がぜんぜん出てこなくて難儀した。頭文字がTやったはずなんやけどときりだすと、○○さんやろというTの回答があって、それであーそうそうとなったのだった。ブログの弊害。
 食後のコーヒーを飲むべくいまや悪い思い出の巣窟でしかないくだんの道の駅に立ち寄った。車を停めてところで、骨付き鶏肉を食べ忘れている! とTが騒ぎだした。たしかにそのとおりだった。離島にたちよる計画をとりやめにしたいま、まだまだ時間もあることであるし、いちど市内のほうに引き返すことにして名物だけは喰らっておこうということになった。土産物屋の店内にある自販機でカップのコーヒーを買って飲んだ。それから便所で交互にうんこをしてからふたたび元来た道を戻りはじめた。例の商店街が近くなってきたところで目についたコインパーキングに車を停めた。くたびれた係員のおっちゃんがひとひとり座るのがやっとな小屋にひかえている商店街筋の一画だった。おっちゃんの指示をうけて車を停め、チケットをもらって歩きだした。おっちゃんのそばにはそのおっちゃんと顔なじみらしい、ホームレスめいた男性がひとり屋外にだされた丸椅子に腰かけてワンカップを飲みながら微笑をうかべていた。すごく平和だと思った。こういう雰囲気は大好きだ。
 昨日は夜が遅すぎたために食堂の大半が閉まっていたが、今日は今日でまた朝が早すぎるせいで大半の店がシャッターをおろしていた。シャッターをおろしていないのを見つけたと思ったら準備中の札が入り口にかけられてあるのだった。これはひょっとして無駄足だったんではないかとささやきあっていたところでようやく一軒、営業中らしいうどん屋を見つけることができた。おもてには骨付き鶏肉の写真が掲載された看板も出ていた。ただし一品1580円。ふつうの骨付き鶏肉ってだいたい800円前後であるのにくらべて二倍もの高値で、ブランド鶏使用とあるそのせいだと思うのだけれどしかし選り好みする余地などあるわけでもなし、最後であるしこれくらい景気よくいこうやということで店に入った。先客は一名だけだった。カウンター席に腰かけてうどんを食していた。こちらも離れたカウンター席にならんで腰かけた。メニューを見るとオリーブ和牛なるもののステーキが骨付き鶏肉と同値で提供されているらしいことに気づき、どちらにしようかと一瞬迷ったが、ここはやはり名物でせめるべきだろうと当初の予定どおりオーダーした。たいしてTは和牛のほうをオーダーした。厨房でたちはたらいている店主は、今日はうどんがたくさん出てるからお兄さんらもたぶんうどんだろうと思って麺を茹ではじめていたよ、と笑っていった。なんと返事すればいいかわからなかった。飲み物はどうしますか、といわれたので、肉を喰らうのであるしここはひとつ炭酸をたのもうかと思い、ジンジャエールを一杯ずつ注文した。するとぼくもジンジャエールが好きでね、ジンジャエールっていうと甘いのと辛いのとがあるけど、というので、ぼくあの辛いやつが大好きなんすねよ、と応じると、残念! ここにあるのは甘いほうのやつです! とあった。飲み物が運ばれ、ついでしばらく時間を置いたのちに骨付き鶏肉が運ばれてきた。とても大きくて見事な一品だった。慣れないナイフとフォークできりわけて一口運ぶと、濃いワインの後味がひろがった。Tにひとくちわけてやると、ワインじゃない、日本酒だろう、とあったので、これが日本酒というやつか! と感動した。肉はすばらしく美味かった。こちらがあらかた食いつくしたあとになってようやくTのもとに和牛が配膳された。われわれのあとに遅れてやってきた男性ひとり客の注文したうどんのほうが早く出てきたが、これはしかたがなかった。あくまでもうどんがメインの店構えである。おそらく肉料理はいちどにつき一品ずつしかこしらえることができないのだろう。Tから和牛をひときれわけてもらった。美味かった。美味かったが、1500円かそこら払えばまあこれくらいのものだろうという見通しの範囲内におさまっている美味さではあった。しばらくすると大将がさしみのための醤油をいれる小皿のようなものに茹でたうどんの麺をちょっとずつ盛ってさしだしてくれた。たれもなにもなしにぜひそのまま食べてみてほしいというのでそのまま食べると、まず塩味があり、ついでとても甘い後味が残った。そうしてなによりまったくもってほかで体験したことのないふしぎな麺の食感があった(のちに大将はそのご自慢の食感について「くにゃ感」という表現をくりかえし口にした)。びびった。なんだこれはと思った。賛嘆の声をもらすわれわれをまえにして大将は自信満々の笑みを浮かべると、うどんづくりについてのなにやら専門的な語彙を豊富にちりばめた説明を立て板に水の得意顔で繰りだしはじめた。そもそも知らない言葉が多すぎてなにをいっているのかよくわからないずぶの素人であるこちらを気遣うふうではいっさいない、要するにオタクがみずからの専門分野について嬉々として語るあの語り口だった。ひとのことをいえた義理ではないが大将はとにかくよくしゃべるひとだった。むかしズームインなんとかのテレビ取材が入ったときのエピソードとして、録画と生中継を組み合わせて放送するために本番ではほんの五分かそこらの出演だったにもかかわらず前撮りと生中継とでトータル十数時間も拘束されるはめになったみたいな話にはじまり(しかもその話が香川県が猛プッシュする夢2000とかいううどん粉や讃岐うどん組合にたいする猛烈なdis(「あんなもんパン粉です、あれでうどんなんかできません、サンプルも半分以上送りかえしましたね、コンテストの出場依頼とかもあったけどあんなのぜんぶ裏ありですから、結局審査員や行政の身内のやってる店が金賞とるってあらかじめ決まってますからね、参加するだけ損です」)のあとに続けてシームレスに口にされたために生放送の意味で通ぶって口にされる「生」というその言葉が話を聞いているこちらからすると生麺の「生」としか解釈できずしばらくのあいだまったくもって筋を追うことができなかったりしたのだけれど当の大将はそんなこちらの戸惑いもすべて無視して延々と問わず語りにみずからの連想に忠実にしたがって話をすすめていく )、香川県にあるすべてのうどん屋八百数十軒をめぐったという「だれもが耳にしたことのある某大企業の重役さん」がこの店がいちばんだと認定してくれたという話だとか、一時期のうどんブームの際には香川大生(Nくん!)のバイトの女の子が泣き出すほどいそがしかったりした話(一時間待ちがあたりまえの行列、遠方からやってきた観光客の無理な注文)だとかが延々と、ほかの客からの注文が入るたびに中断をはさみつつも(そうしてそのほかの客らにも大将はおなじ饒舌をふるうのだった)披露されつづけた。肉を食いおえたところでまだいくらかゆとりはあったし何よりサンプルとして一口いただいたうどんがあまりにも美味かったものだから追加でうどんを一人前Tとシェアするつもりで注文して食ったのだけれどこれだったら二人前でもいけたというくらいつるっと食べることができて、そう伝えると、6人連れの常連客だったらさんざん飲み食いしたあとに〆として12人前のうどんを頼むのがだいたいふつうだという話にはじまってまたもやそれを起点としてくりだされる矢継ぎ早のマシンガントークがあり、 もうそろそろおいとまさせてもらおうとこちらがいささか強引に席をたってみせたところでまるでひきさがる気配はなし、あげくのはてにはレジで金を支払いどうもごちそうさまでしたとどうにかケリをつけたこちらの言葉尻にかぶせるようにしてじぶんはもともとは二十数年間会社員をしていたのだ、その当時は京都にも大阪にもよく出かけたものだと、まっだまだふくらみそうな新たな話題を次々にきりだす始末で、とにかくしゃべる! しゃべりすぎる! 大将は今年66歳といっていたがどうみても五十代にしかみえないしJさんの一個下というのが信じられないくらい若々しく、ほかをよせつけぬしゃべりふくめてまったくもってバイタリティの権化みたいなひとだった。そのようなしゃべりの激烈な印象に勝るとも劣らぬなうどんがそしてまたすごかった。最後の最後でこの店に寄り道することができたのは端的にいって僥倖だった。よい思い出ができた。
 コインパーキングから車を出してさてどのようなルートをたどって帰宅するかとなった。どうせだったら岡山経由で行きとは異なる道のりでいくのもいいのではないかとなってそのようにナビを設定してみたところ、香川から岡山にわたる巨大な橋の通行料金がべらぼうに高かったものだからやっぱり行きとおなじ道のりでいこうかとなった。夕方の混雑はできれば避けたいので途中で高速に乗るかもしれないけれどと断りながらもひとまず下道限定でナビを設定しはじめたのだけれどなぜか何度やっても岡山県経由になってしまう、それでTがまたもやイライラしはじめたので目的地を京都にせずにひとまず淡路島付近で設定してそこに到着した時点でまた目的地を再設定すればいいのではないかと助言した。助言したところで食後の猛烈な眠気を覚えた。そうして次の瞬間には例の道の駅に到着していた。 おれいつ寝た、とたずねると、あんたやばいで、ほんまに一瞬で寝オチしとった、という返答があった。Tがいうにはふたりでナビを設定しおえたところで細い路地の端につけていた車をバックさせて大通りにひきかえしハンドルを切ったそのときにはすでにこちらは寝息をたてていたらしい。その間じつに15秒。15秒前までふつうにしゃべっていたのにいきなり寝息をたててすやすや眠りほうけているものだからこれは本当に病気なんではないかと驚いたのだという。ナルコレプシーというよりはただののび太くんみたいだけど。
 あんたの寝息聞いとったらねむなってきたしおれもここで仮眠とるとTはいった。仮眠をとるTにくらべてこちらは仮眠をとりおえて頭のすっきりしたところだったので、『ルネッサンス 経験の条件』を片手に例の広場に繰りだした。広場にはたくさんの親子連れの姿があった。ベビーカーを押したママさんらのあいだを駆け足で追いかけっこする子らの声がのどかにひびきわたっていた。広場の真ん中では黒のトイプードル相手にボール投げをして遊んでいるお姉さんがいた。芝生の円周に沿うて整備された道を小さな自転車にのった未就学児の兄弟が飽きもせずにぐるぐると周回をくりかえしていた。ベンチにあおむけに寝転がり帽子を顔半分にかぶせて直射日光を避けるようにして本を読んでいると、まだまだ若い祖母にひきつれられた幼い男の子が、あそこに寝ながら本読んでるひとがいる、へんだねえ! と標準語のイントネーションで祖母に語りかけているのがきこえた。「へんだねえ!」という言葉の、相手の同意をもとめるようでも言い聞かせるようでもあるふしぎにおとなびた口調に、これはおそらく彼の両親や祖父母が彼に語りかけるときの甘えた口調をそのまま学んでなぞっているのだと思い当たってはっとした。その男の子と兄弟であるのかあるいはひょっとすると同一人物であるのかもしれないが、子供用の自転車にのって周回しているうちのひとりがこちらの寝転がっている付近を通るときにかぎって必ず自転車の速度を落とし、怪訝そうな、というかほとんどガンつけレベルのけわしいまなざしをそそいでいった。そのたびごとにこちらもまた本から目をそらし、少年の瞳をまっすぐに見返した。広場の緑と、ひらけた空の青と、遊具の点景と、色とりどりの服を着せられた小人のような子らのちらつくめまぐるしさが、一枚絵として視野にとらえてながめてみるととてもキュートでポップでガーリーで、こういうCDジャケットってわりとあるよなあと思った。ぼんやりしたカフェで流れているようなオムニバスCDのジャケット。本を読みすすめながらときおり広場のほうに目を遣った。芝生の真ん中で飽きもせずにボールを投げてはそれをくわえて尻尾をふりふりもどってきたトイプードルにポケットからとりだした菓子のたぐいを与えるというのをくりかえしていた女性の、その指示にくだんの犬のほうがだんだんと従わなくなりつつあるようだった。疲れてきたのか飽きてしまったのかあるいはすでに満腹になりつつあるのか、投げられたボールのほうにはリードをひきずりながらもいちおうパタパタと駆けていくのであるけれど、芝生のうえに停止したボールをくわえることなくその手前で立ち止まったり、あるいはくわえても飼い主のほうにもどることなくその場に伏せたり見当違いの方向に運んでいったりした。そのたびごとに飼い主の女性は犬の名前を呼んだ。ときどき呼ばれるがままに駆けていくこともあったが、そういうときにかぎってボールは置き去りにされるのだった。最終的にトイプードルはベンチに腰かけていた無関係の中年女性の足元に駆けていきその周辺をうろうろしはじめた。日陰だった。飼い主の女性はゆっくりと犬っころのほうに近づいていくと、地面にたれているリードを拾い、そうしてなにやら声をかけながら駐車場のほうにむけてゆっくりとひとりといっぴき連れ立って去っていた。その後ろ姿をベンチから身を起こしたこちらと、先のベンチに腰かけている女性とがそろって追った。
 そこにTがやってきた。こちらが身体を起こすのとほとんど同時にやってきたものだから、まるで遠くからやってくる彼の足音に気づいてこちらが姿勢をただしたみたいに傍目からはみえたかもしれない。あんたパジャマ脱ぎ忘れとるやん、とTは開口一番そう指摘してみせた。えっと思って指さされたほうに手をやってみると、緑色のてらてらした生地の半ズボンの胴回りがだらしなく外に出ているシャツの裾とベージュのチノパンの隙間からのぞいていることに気がついた。カプセルホテルでパジャマとして与えられたものだった。やってしもた、ぜんぜん気づかんかった、といいながらも、しかし小便に立ってズボンのファスナーをおろし中からブツをとりだすべく指先をねじこむたびごとになにかいつもより妨げの多いような気はしていたのだ。まさかパジャマとは! おれもそれ履いたままズボン履いとったわ、ぎりぎりで気づいたから良かったけど、とTがいうので、そもそもなんでこれ半ズボンなんやろな、ふつうハーフパンツちゃう、とおのれのあやまちを棚にあげてホテルを責めるようなことを口にした。車にもどるまえに土産物屋にたちよって、土地の名物であるらしい鳴門金時のソフトクリームと自分用のお土産として添加物やら保存料やらがゼロというのが売りらしいキリンラーメンなるものの醤油味と塩味をそれぞれひとつずつ購入した。ソフトクリームはぜんぜん美味くなかった。ラーメンは食わないうちから味が想像できた。
 下道を延々と走った。香川から淡路島にむけて架かる橋をわたっている途中、車窓越しにのぞむことのできる海面がまるでくしゃくしゃに丸めてからふたたびひきのばした新聞紙のようにちいさな皺だらけになっていることに気がついた。あれってひょっとして鳴門のうずしおではないかと思ってTに声をかけてみると、うわなんやこれ! と驚きの声があがった。うずしおはたしか一日二回しか出現しなかったはずである。眼下のそれはうずまきのていなど全然なしてはいなかったのでおそらくはうずのくだけたあとかあるいはこれから形成されることになるかのいずれかの過渡期であるようにおもわれたが、それでもやはりふつうの海面ではぜんぜんなく、潮の流れの複雑に入り組んで狂っていることのありありと視認されるふしぎな絵模様だった。「A」の序盤でおおうずの出現するシーンを書いたけれど、うずのおさまったあとの凪というのはあるいはこういうものであったのかと、想定していたものとよく似ているようでもあれば全然ちがうようでもあるのに、そもそもイメージとして、図像として、画像として、脳内にくりひろげられたうずしおを描写するという方式で書いたわけではぜんぜんなかったことにいまさらながら気づいた。図像があってそれをなぞる言葉があるのではない。まず言葉があった。いつもそのようにして小説を書いているのがじぶんのやりかただった。言葉を尽くして言葉を描く。
 橋を渡りおえて淡路島にさしかかりしばらく経ったところで道をまちがえていることに気がついた。ナビの設定をあらためていなかったためだった。道なりにそのまますすめばパーキングエリアがあると標識にあったので、帰路とは異なる方角だったけれどもどうせだったらそこまで行ってみようということになった。うまくいけばうずしおをながめることができないという魂胆もむろんあった。ぐねぐねした坂道をしばらくくだっていくとやがて視界の先に海がひろがりはじめた。橋もあった。ついさっきわれわれがそのうえからうずしおをのぞんだのとおなじ橋であるのかどうかはわからなかった。車を停めておもてに出ると夕陽がまぶしかった。駐車場をとりかこむ柵代わりの茂みに足を踏み入れて海を見晴らすと、まっすぐな夕陽を受けて反射する海面のきらきらがひとすじにつらなって彼方から此方へと光の道筋を描きだしていた。目をあけていられぬほどまぶしかった。海面にはさざ波がたっていたが、こまかに波うち皺寄せるそのひとつひとつがてんでばらばらのきれぎれ好き勝手にふるえていてあきらかによく見知った海面などではなかった。すごいな、とおもわず漏れた。
 展望台があるらしかったので看板の指示どおり高台にむけて歩きだした。坂をのぼった先にある売店ではご当地フードの全国大会かなにかで第一位にランクインしたという淡路島バーガーとやらを食べることができるとあったので期待して出かけたのだが、まだまだ明るい夕暮れどきにもかかわらず売店はすでに閉ざされておりひとの気配もまったくなかった。売店のテラス席にあがってそこからまた海のほうに視線を送りだした。海面に浮かぶまぶしい光の道筋と、その周囲にさざめく細やかで自由気ままな波間によって生成されるめまぐるしくてちいさい無数の凹凸をながめた。しばらくながめたところで車のほうに引き返すことにした。駐車場から売店のある高台までのゆっくりと曲がった短い坂道の頭上には棚がはりめぐらされていた。季節次第では草花のトンネルになるのかもしれない。脇には満開の桜があった。地理的な条件のためにいまごろ満開なのかあるいは品種の違いによるものなのかはよくわからなかった。その桜を背景にしてスマートフォンで写真を撮り合っている中年のカップルがいた。無言でそのかたわらを通りすぎて駐車場にでると、むこうから一台車のやってくるのがみえた。いまごろ来たって遅いわ、バーガー食えへんねん、と皮肉っぽくつぶやいてみせると、あれ三重ナンバーやな、とTがいった。しかもおれらの車とおなじ車種や。
 パーキングエリアを出て車を走らせた。往路はよる夜中の真っ暗闇でほとんどなにも見ることのできなかった淡路島の町並みだったが、帰路はまだまだ明るかった。島といえどもこれほどの大きさになってしまうとさすがによそものの目には本州との差異を見出すのもむずかしい。率直にいってごくごく典型的なファスト風土がそこにあった。ここに住むひとびとの意識には、たとえば沖縄の島々や奄美諸島のひとたちのようにみずからと内地の人間のあいだに一線を画してみせる「島民」としての意識みたいなものはあるのだろうかと思った。
 島から本州にわたりおえたところでまたパーキングエリアがあった。往路にもたちよったハイウェイオアシスだった。夕方の帰宅ラッシュにまきこまれる可能性もなきにしもあらず、もうここで夕飯をとっておいてもいいんでないかとTがいうので、了承した。駐車場からおりると建物のわきのほうに広場らしきものがあるようにみえたので歩いていくと、神戸の夜景を海のむこうにながめることのできる一画だった。家族連れが一組と、若いカップルが二組いた。すでに日はとっぷりと暮れていた。高名な神戸の夜景であるがこうしてみるとそうたいしたものでもないなと、行きとおなじようなことをまた思った。写メを撮ろうとしているTが構図のなかにはいりこんでいるこちらにむけてしきりに邪魔だ邪魔だとくりかえしてみせるので、わざと変な動きやポーズをとってばかりいたら近くを通りすぎていった子どもに笑われた。
 フードコーナーの入り口にはひとの顔よりおおきなラーメンの器のオブジェが設置されていた。器のうえには機械仕掛けの巨大な箸がつるされており、器とそれとをむすぶ麺をつまんでゆっくりと上下に運動していた。二年半前にたしかに目撃した記憶があった。このくだらなさは国宝ものだなと言い合った。ウインウイン音をたてながらひたすら上下するその箸を右手でつかんでポーズをとりTに写メを撮ってもらった。できあがりを見せてもらったら写メのつもりだったのがじつは動画だった。あまりにも馬鹿馬鹿しかったのでフェイスブックにあげていいよといった。
 券売機でカツカレーのチケットを購入した。Tはすじこんカレー(すじ肉+こんにゃく)を注文した。もちろん双方ともに美味くはなかった。たいらげるものをさっさとたいらげてから土産物屋を冷やかした。往路にチェックしていた高級ポン酢が気になったので自分用に購入した。その往路で買い物をしたとき復路のパーキングエリアで商品と引き換えできるというサービスチケットなるものをもらっていたのでそれをレジにさしだすとただのビニール袋にパッキングされただけのそっけないインスタントの淡路島産たまねぎスープ五食分があたえられた。職場の土産はこれでいいやと思った。土産というにはあまりにも貧相でほとんど無礼に等しいもののようにも思われたが、文句をいわれる筋合いもない。Tは車でつまむためにたこ天を二人前購入していた。職場の同僚らといぜんこの売店をおとずれたときTはボクシングの井岡と出くわしたといった。「あっ!」と声をあげると、いきなりステッカーを手渡されたらしい。Tは名古屋の専門学校に通っていたときに高田純次から街頭インタビューを受けたこともある。
 売店を出たところで屋台が目についた。じゃこ天がひとつ100円かそこらで売っていたので一本購入して車にもどるなりパクついた。Tが一口くれというので食わせてやると美味い美味いとしきりにくりかえし、あげくのはてにはたこ天は冷蔵保存のきくものであるしあとで食べることにしておれもじゃこ天を買うことにするといって駆け足で車から飛び出ていって屋台のほうにむかっていった。その背中をフロントガラス越しにぼんやりながめながらじゃこ天の残りを食べた。じゃりじゃりとした砂をかむような食感があった。買ってきたばかりのものを食べながら車を発進したTはうめえうめえとここでもやはりまたしきりにくりかえした。じゃこの配分が最高なのだといった。もう一本余分に買っておくべきだったと、とても真剣な後悔の声色でつぶやいた。
 交通量の多い時間帯の神戸を運転するのは嫌なのでそのまましばらく大阪にさしかかるまでは高速を行くことにした。途中で軽い渋滞にまきこまれた。帰宅ラッシュ時やしなーとTがいうのに、そっか通勤に高速を使うひともおるんやもんなとすこしおどろいたふうにもらすと、そういう手当もあったりするしなと返事があり、考えてみれば当然のはずのその事実がなにかとてもふしぎな非日常のできごとのように思われた。それからパーキングエリアで働いているひとたちは通勤が大変だろうなという話になった。一般道とちがってどこでも簡単にUターンするわけにはいかない。行きと帰りとで上りと下りを使い分けしなければならないその一手間は存外うとましいのではないか。おさないころパーキングエリアで働いてみたいと考えていたことを思い出した。
 そうしてまた寝た。池田市にさしかかったあたりでたしか阪大の校舎があり、この近くにN(Tの弟)が住んでいるはずだという話になったところまではおぼえているのだが、そこから先の記憶がない。次にめざめると数年前に強行した大阪行脚時にたちよったイオンが車窓越しにいきなり認められたのでおもわず大声をあげた。ナビによると京都からちょうど20キロ地点にあたるらしかった。このイオンのフードコーナーにあるロッテリアでたしかアイスコーヒーを飲みながらわけのわからない写真を撮ったのだった。すでに両脚は棒にようになっていてもはや一歩も歩けない、どこでもいいから野宿しようと考えながらひきずりひきずり歩いた果てにたどりついた休憩ポイントだった。そのイオンからさかのぼるかたちで大学のクラスメイトそっくりの声色の女性とすれちがった短いアーチ橋を認めた、バッタもんのヒートテックを購入したスーパーを認めた、いつ車に轢かれるかわかったもんではないとひやひやしながら歩いた川沿いの交通量の多い通りを認めた、休憩するつもりでたちよったところが配送センターでしかなかったイオンを認めた、そのイオンまでの道のりをガイドしてくれた謎のババア(NPC)をパーティメンバーにくわえて散策した住宅街を認めた!
 京都に到着するころには22時をまわっていた。夕飯はとる必要はすでになかったが、どうせだったらコーヒーでも飲んでいこうと喫茶店に立ち寄ることにした。すでに京都を去りフィリピンにわたると宣言していちど去った手前、のこのこともういちど店に姿をみせることにTは若干の抵抗をおぼえているようだったが、そんなのかまうこたあない、笑いのひとつもとれてむしろ気分がよいぐらいだとうながした。店に入りひととおりあいさつを交わしたのち、いつものコーヒーを飲んだ。やっぱりここのがいちばん美味いとTはいった。同感だった。どういう話の流れからそうなったのかよくおぼえていないが、テロメアとかサイボーグとか拡張現実とか情報としての自我とかシンギュラリティとか、あるいは破局噴火とかキメラウイルスとか氷河期とか太陽フレアとか、めずらしくもそういうSFチックなあれこれを一方的にしゃべりつづけた。前夜Pから送られてきた画像ファイルの容量がかなりでかかったのでひょっとして定額制でもなんでもないこちらのプランではダウンロードにけっこうな費用がかかってしまったのではないかと思いTに調べて計算してもらったところ幸福きわまりない写真四枚で計1450円だったので骨付き鶏肉もう一本食えるわと笑った。そうこうするうちにOさんがやってきたのでとりあえず気絶の報告をしておいた。脂汗がでて顔面蒼白になるという症状だったらなによりもまず頭を心臓よりも低い位置に下げないといけないという助言があったのでなるほどと思った。Oさんも二十代のときにいちどだけ似たような経験をしたことがあるらしくそのとき医者にいわれたのだという。考えてみればとても当たり前のことではあるのだが、しかしこれはなかなか有効な対策手段であるようにおもわれたので肝に銘じておくことにした。やばいときにたちあがって歩いたりするのがいちばんあかんでといわれたところで、以前朝っぱらから気絶して病院にかかったときの女医さんにもおなじことをいわれたのを思い出した。気絶そのものがもたらす症状よりも気絶をきっかけに倒れて頭を打ったり全身を強打したり目を潰したりといった危険性のほうがずっと高いのだと、だからやばいと思ったらなによりもまず身体を低い位置にもっていって外傷のリスクを避けなければいけないのだ、と。すっかり忘れていた。あるいはそのような判断をくだすことのできるだけの冷静さを強奪するほど強烈な吐き気とめまいだった。
 なにかの拍子にいきなりSちゃんからAさんの名前をだされたので死ぬほどたまげた。なんで知っとんの? 知り合いなん!? と勢いこんでたずねると、いやこのあいだ敏ちゃんここでアンディ・ウォーホールのもじりがどうこうっていってたじゃないですか、それでわたしそういうもじりとか好きだから気になってて、というので、なあんだそういうことかと安堵すると同時に、SちゃんってちょいちょいこっちとTの会話に聞き耳をたてているときがあるというかそりゃカウンターのむこうで立ち働いていたらいやでも客の話なんて耳に入ってくるんだろうけれど、いずれにしてもあんまり変なおしゃべりはできないな、どこでどうあぶないうわさがひろがってしまうかわかったもんじゃないな、と思った。Tと会うとだいたい職場関係のブラックすぎてけっしてウェブに放流することのできない話題になってしまうのだけれどそういうのぜんぶ耳にはいっている可能性だってなきにしもあらずなのだ。気をつけないといけない。
 日付をまわったところで店をでた。薬物市場にたちよって牛乳だけ買った。下宿の前まで送ってもらったところで荷物を両脇にかかえて車の外に出た。それじゃあ元気で、また出国前に連絡を、とだけいって別れた。なにかを車に置き忘れているような気がしたが、財布と携帯と着替えと鞄と土産物と、ひとまずそれだけは確保してあったのでまあいいやとなった。ちらかった部屋に荷物を置いてすぐにシャワーだけ浴びた。部屋にもどりストレッチをしてメールのチェックだけすませたところで、300円で購入した例のCD三枚を車のなかに置き去りにしてきたことに気がついた。また帰国後にもってきてもらえばいいやと思いながら消灯してすぐに寝た。