20140412

 夕方、玄関に山田さん来ておみやげのカニを下さる。山田さんのお国は新潟で、お父さんは亡くなったが、お母さんが元気でおられる。山田さんはよく新幹線に乗って新潟へ帰る。お国からカニを送って来て、そのカニを山田さんが届けて下さるから、私たちにとって新潟は親しい土地となった。いつか一度、新潟へ行ってみたいねと二人で話すようになった。
庄野潤三メジロの来る庭』)

 朝食前の「家歩き」のとき、むく一羽で来る。妻に知らせると、パン屑を作って水盤のそばにまいてやる。あとからまた一羽来て、パン屑をつつく。むくどりは、いつも群れで来る。八羽くらいでかたまって来て、庭を歩きまわる。動作に落着きがないので、はじめのうち私たちはあまり歓迎しなかった。
 ムラサキシキブの枝の牛脂のかごにとりつく。そこへまた別の一羽が来て、かごの上と下で牛脂のとり合いをして、騒ぎ立てる。かごから離れないむくのおなかのあたりを狙って下からくちばしでつつくのがいる。妻と二人で、
「みっともない」
 といって、笑って見ている。
 妻がまいてやったパン屑をむくが争って食べる。一羽がくわえたパン屑をうしろから来た別の一羽がよこどりして逃げるのがいる。こんなむくを私たちはよろこばなかった。ところが、あるとき、「むくは家族で来る」と何かに書いてあるのを見て、考えが変った。
 パン屑をよこどりするむくを見ても、あれはのんびりしたお兄さんのくわえているパン屑を、抜け目のない弟のむくがよこどりするのだと思ったら、「あさましい」と思わなくなった。家族でやって来て、庭を忙しく歩きまわってどこかへ行ってしまうむくが可愛く思えるようになった。
庄野潤三メジロの来る庭』)



 6時20分起床。バナナとヨーグルトとコーヒーの朝食。まだまだ冷える朝であるとの実感を得ながらも手袋なしですますことのできる早朝の外出に、季節のじわじわと端へ端へと追いやられつつある動きをたしかに見る思い。
 労働。今日はBさんの誕生日だったらしくYさんが出前をおごるというのでそれにのっかってついでにじぶんの分も注文した。あしたビールでも買ってプレゼントしますとBさんにいうと、そんなのいらんいらん、ええからええからとあって、その言葉のいくらか真にせまったところがあるようなのに、過剰な遠慮のあらわれとして端的に受け取るべきなのか、あるいはその奥底に贈与の循環を断ち切りたいという魂胆を見るべきなのか、若干判断に迷ってしまった。ビール一缶とおつまみ程度だったら「負債」としてもたいしたものではないと思うのだけれど、Bさんはなかなかきりつめた生活を送っているし、しっかりしているというよりはむしろケチくさいところがなきにしもあらずなので、本当にいやがられてしまったらそれはそれでけっこう困るのだが、日曜日など帰りぎわによくチョコや飴をほかのひとに内緒でくれたりするし、そのぶんの恩も込めてといえばいいのかもしれない、そうしたら気持ちよく受け取ってもらえるかもしれない。貢ぎ屋のTさんは相変わらずクソ高い洋菓子屋のケーキをワンホール購入してプレゼントしたとかなんとか、Jさんの誕生日にも煙草をワンカートンプレゼントしていたというし、天敵だろうとなんだろうととにかく貢ぐ、そして株をあげようとする、その魂胆はもろもろのできごとを経由したいまもなお健在らしい。そのTさん相手にEさんがぶちぎれたという一件のあったことを、道の駅での気絶後くだんの広場のベンチで寝転がっているときにEさんからメールで受け取っていたので詳細を問うてみると、会社の花見のあとにEさんが本社の人間らと飲んでいたところにTさんから電話があって女の子を四人ほどつかまえたから合流しようとかなんとか、で、指定された場所にいってみると肝心の女の子はひとりもおらず(このあたり本社のみんなといっしょに飲みたかったTさんがほらを吹いただけなんではないかとEさんは踏んでいるようだったしこちらもそう思う)、ただそのとき店にべろんべろんの女の子がひとりいたのでとりあえずその子をかこんでみんなで飲んで、社長の弟などは泥酔に勢いをかりて名前もしらないその子の胸をもみしだきまくっていたらしいのだけれどそんなこんなでその子も帰ってしまい、さてどうしようかとなったところで次の一軒にいこうとTさんがいいだしおすすめのお店の案内役を買ってでるといってきかない。それだからみんなおとなしくうながされるがままにいっしょにタクシーに乗り込んで発進、するがいなやほんの50メートルほど進んだところで車を停めさせて「着いた! ここだ!」と、ようするにこれはわざわざタクシーを利用するまでもない距離をタクシーで移動するというTさんなりのボケのつもりだったんだろうけれど肝心のタクシー代はといえばもちろん会社持ちなのでそれでEさんがブチギレて、むろんここには日頃の鬱憤もたいそうあったというかむしろそちらのほうがたぶんでかかっただろうし、べろんべろんになっているのを建前にいっぱつどやしつけてやりたいという魂胆がもともと強烈にあったのはまちがいなくって、その結果、Tさんの胸ぐらをつかみ壁におしつけたうえでなにやら恫喝しまくるにいたったという流れらしかった(Tさんは神妙に「はい、はい」とうなずく一方だったという)。で、翌日は例のごとく酒に酔ってなにもおぼえてませんのていでTさんは出勤したという話で、つまるところはすべてが手垢のついた既知のパターンであった。
 仕事の合間をぬってあたらしい時間割生活を模索した。これは前夜Tと喫茶店でだべっているときに考えたことであるのだけれど、「作文」「英語」「読書」の3課目を一日2コマにふりわけてローテーションしていくのではなくやはり一日3コマ分の時間をどうにかして設けて「作文」「英語」「読書」の三本柱をたとえ少しずつでも毎日こなしていったほうがいいんではないか、それくらいキツキツのスケジュールを組んだほうがだらだらする隙もなくてよいのではないか、そういうアレがあったものだから、ひとまずメモ用紙に毎日のルーティンをそれぞれ書きつけて必要な時間をそのとなりに記し、それらを仮眠や食事の間にどう位置づけるのがベストなのか、どう順序だててこなすのがいちばん効率的なのだろうか、ああでもないこうでもないといろいろ試行錯誤した。最終的に今後は起床8時の就寝1時をベースにした生活を試してみることに決めた。このあらたな時間割のなかにはここ五年以上絶えてなかった「昼食」を取り入れるという大革命も含まれている。もう気絶はしたくない。なるべく健康でいたいのだ。食後の猛烈な眠気にだっていつかはきっと慣れるはずだと前向きに考えることにした。
 お流れになったとおもわれていた熟コンであったが、再来週の金曜日に開催されることにきまった。そのころにはJさんも給料日明けでふところがホクホクしているし問題ないだろうとのことだった。ただ懸念事項として相手側の面子が四人いるそのために男性陣をもうひとり増やしてくれないかという要望があるとのことで、じぶんとYさんとJさんに共通の知人といえば職場まわりの人間しかいないのだけれどTさんを呼んだらぜったいに場が荒れるだけでJさんの恋人探しどころではなくなるだろうし、かといってEさんは熟女に興味などない(というか熟女をもとめるくらいだったら奥さんを抱けという話である!)。Jさんと面識こそないとはいえOさんだったらあるいはうまくやれるんでないかと提案すると、あいつは年上ぜったいNGやから無理、女は27歳までとかいう絶対的な法則のなかで生きとる中学生がだいすきなロリコンやねんとあったので、どんな生臭坊主だと笑った。もうこっちも四人そろったとか適当にいうといて当日ドタキャンくらったていでいけばええんちゃいますかねというと、まあそれが無難かもしれんなあという返事があった。肝心の相手側についていえば、当初こちらの見込んでいたよりもずっと年齢層が低いらしく五十代の潮吹きなんとか以外は全員アラサーでなんだったら同世代みたいなもんじゃないかと、とはいえ年齢のサバ読みはおそらく確実だとおもわれるのでじっさいは三十半ばから四十路にかけてといったところだろうとこちらは踏んでいるのだけれど、それにしたところでぜんぜんふつうであるというか期待していたナイトメアではまったくもってない。アラサー三人にかんしてはそれぞれ既婚未婚バツイチという情報もあって、未婚とバツイチなんてけっこう本気でがっついてくるんでないかという気がしないでもないし、そのあたりについてはまだこちらの年収を知らせることによってたぶん予防線を張ることはできるんだろうけれどもしかし金のにおいがしない、パトロンになりうる存在のようには全然おもえない。そこそこおいしい思いができるんではないかと期待しているらしいYさんとは裏腹にこちらはけっこうげんなりくるところがあって、なんか結局ぜんぜんふつうの合コンになりそうっすね、ぼくがもとめとる金とカオス両方とも期待できなさそうっすわ、と肩を落としていると、いやいやでも冷静に考えてみ、なんだかんだといってうちらに混じって五十代と六十代がおるってことやで、これたぶんすごい画になるで、とあったので、たしかにそうかもしれないと盛りかえした。Jさんが生まれてからいちどもカラオケにいったことがないというので、当日は食事のあとにカラオケにいこうかという流れになったのであるけれど、しかし20代30代40代50代60代通してぜんいんが盛りあがることのできる楽曲などはたして存在するのだろうか!
 職場の冷凍食品で夕食をすませたのち帰宅してからすぐに風呂に入りストレッチをし、それから9日分の日記をバババッと一息に書き記し見直しもせずに投稿してから寝た。