20140413

 夜、一日の仕事が終り、あとは、風呂に入って寝るだけというときに、妻は書斎からハーモニカの箱を取って来て居間のこたつに置く。私が二人の好きな昔の唱歌、童謡を吹き、妻が歌う。二曲目はいつも歌なしハーモニカだけの「カプリ」ときまっている。「カプリ」は亡くなった私の友人の小沼丹の好きな曲であった。小沼は軽快で明るい曲が気に入っていた。
 さて何を吹くか。季節の歌をいつもとり上げる、まだ二月にならないので、「早春賦」には早いねという。「早春賦」は「夜のハーモニカ」の中でも私たち二人の特別お気に入りの歌である。谷のうぐいすの気持になり切って歌うので、歌い終ったときに妻はいつも、「ほーほけきょ」という。
 小学唱歌の「冬の夜」を吹き、妻が歌う。「春の遊びの楽しさ語る」というところがいい。
 一日の終りに妻がハーモニカを持ち出し、昔の唱歌や童謡を私が吹き、妻が歌うのがわが家の大事な日課となってから、どのくらいたったろう? 十年近くたったかも知れない。
庄野潤三メジロの来る庭』)

 長女来る。
 昼前の一回目の散歩から帰ると、足柄から長女が来ていた。例によって、私は、
「こにゃにち」
 と長女に声をかける。長女は、
「こにゃにちは」
 とこたえる。
 これは昔、長女がみていたテレビの漫画の主人公のあいさつのことばなのである。長女からそのあいさつことばを聞いて私は気に入り、長女が来たときだけいうことにしている。
庄野潤三メジロの来る庭』)



 6時15分起床。歯を磨きストレッチをしパンの耳2枚とコーヒーの朝食をとってからいつもより十分ほど早く家を出た。通勤路の途中でコンビニに立ち寄り、Bさんへの誕生日プレゼントとしてビールを購入するつもりだったのだが、いざ酒類の陳列されている冷蔵庫の前に立ってみるとなにがなにやらさっぱりわからないというか、ビールと発泡酒第三の新人みたいななにかがあるという話を聞いたことはあるしビールがいちばん美味いというのが通説であるというのも知っているのだけれど果たしてどれがどれやら皆目見当もつかない。ゆえにとりあえずいちばん値段の張るものを上から三つ適当にひっつかみ、ついでにじぶん用の飲むヨーグルトもひっつかんでレジにむかった。ときどき立ち寄ることのあるコンビニなのだが、早朝の時間帯にいつもレジに入っている愛想のクソ悪いおっさんが今日もいて、釣り銭を手渡すのすらわずらわしいといった投げやりな態度と口調をともなう接客で、ここまでくるとかえって腹もたたないというかそうしたくなるのもわからなくはないしょせんは似たもの同士のわれわれにひそかなシンパシーをおぼえてしまう。おれもクズだしおまえもクズな、みたいな。
 労働。昼間はそうでもなかったのだが、夕方からガシガシ客が入ってきたそのせいでリネン不足の危機におちいってしまった。いまさらクリーニング業者に連絡を入れたところで手遅れである。客の入ってくるたびにこれだいじょうぶだろうか、宿泊客の分までもつだろうかと、ハラハラしてしまう。日曜日はいつもこうだ。セットの絶対数を増やしてほしい。もしくは業者側に日曜日も平日と変わりなく働いてほしい。そうでもしないと毎週こんなふうにぎりぎりになってしまう。困ったものだ。
 休憩時間中、新聞のテレビ欄をながめていたJさんが、なんやこいつビッグダディって、ワシこいつ大嫌いやわ、京都きたらどついたるどバカタレが、とひとりで毒づいていたので笑った。Bさんが帰りしな、ビールありがとうね、いただきますというので、一日一本ずつ飲んでくださいね、飲みすぎはあきませんよと応じると、はい、はい、と神妙にうなずいたのち、ちょっと間を置いてから、誕生日ほうったらかしにされたからね、きのうはやけ酒のんだからじつをいうと今日二日酔いやってん、とどこともしれぬ方向に目をそらしながらやや控えめなトーンでそうもらしてみせたので、ああ例の彼氏さんのことか、と思った。去ってから、ひどいひとですねのひとことくらい口にしておいたほうがよかったのかなと、皿洗いをしながらおもった。それから、だれもしらない秘密の恋人関係についてじぶんだけが知らされてあるというこのシチュエーションには妙に艶かしいものがあるな、と思った。秘密というのはそれだけでエロい。英語のintimate(親密さ)という語にはたしか暗黙のうちに性交渉をすませた間柄という意味もあったはずだと思い出した。
 昨日にひきつづき職場の冷凍食品で夕飯をすませてから帰宅した。そうしてすぐにストレッチをしジョギングに出かけた。プレイリスト「香川」を聴きながらゆっくりとしたペースで(長)を走った。とちゅうでいちども立ち止まることなく完走しきった。上半身はヒートテック一枚、パーカーなしだったが、それでも十分に汗をかいた。アイシングしてシャワーを浴び、部屋にもどってからふたたびストレッチをした。腕時計の時刻がずれていたのでカシオのウェブサイトでPDFをダウンロードしてそれを参考にデジタルとアナログ双方の時刻を修正した。腕時計の針はむろん日本の時刻をきざんでいるが、デジタルのほうはロンドンの時刻を表示している。ちょうど一年前、作文も読書もうっちゃっておいてSの来日するまでの残り三カ月間を英語の勉強にささげようと決めたとき、職場の更衣室でこのように設定したのだった。村上龍の『五分後の世界』を模した決意だった。
 10日付けの日記を長々と書き記した。0時半になったところで多少の眠気を感じたのでいったん作業を中断することにした。先はまだまだ長かった。軽くひっかけてからコンビニに出かけておにぎりを二つとレモンティーを買った。帰宅してからさらにひっかけたのちYouTubeでいろいろなミュージシャンのPVを試聴した。禁断の多数決のPVはどう考えてみてもシラフで制作したものではないという強い確信のようなものを得た。酩酊の論理のようなものがかすかにかぎわけられるのだった。更けてゆく日曜夜の過ごしかたをほかにしらないさびしさを狂った頭で少し思った。3時過ぎに消灯すると一瞬で奈落に落下した。