20140414

 新しいテレビ。
 お昼を食べたあとに、マルサ電機から新しいテレビが配達された。これまでみていたテレビに妻はお酒をふりかけて、「ありがとう」といって、マルサに持って帰ってもらう。
庄野潤三メジロの来る庭』)

 ゆっくりと晩酌をして夕食を食べ終ると、いつも妻は、
「何にしますか?」
 と訊く。デザートの甘いもののご註文をきいてくれる。それから手もとにあるものを何と何と並べる。こちらが何がいいと答える。「そうだと思った」と妻はいい、用意してくれる。これがわが家のきまりである。
庄野潤三メジロの来る庭』)



 9時45分に起きた。目覚ましをセットしてあったのは9時半だった。歯を磨きストレッチをし、前夜購入したレモンティーの残りを飲みほした。寝るまぎわにバクバク食べたチョコレートのせいで腹のまだまだくちかったので、パンもバナナもヨーグルトもとらず、ただコーヒーだけを飲んで朝食とすることにした。
 前日考案した新規の時間割にしたがって行動したかったが、「作文」「英語」「読書」の三本柱のまえにたちふさがる「日記」があった。なんて邪魔なんだろうと思いながらひとまず10日付けの記事の続きを延々と書きつないだ。13時に達したところで道の駅で購入したキリンラーメンとやらを作って食べた。しなしなになったほうれん草をトッピングとして入れた。なんてことないふつうの袋麺だった。食後はふたたび日記の続きにとりかかったが、途中で完全に集中力が切れてしまい、気づけばYouTubeイチローのスーパープレイ集みたいなのを試聴していた。どうしてそんな動画にたどりついたのだったかはよくおぼえていない。
 懸垂と腹筋をして筋肉をいじめた。香川にむかう途中で購入した古着のシャツに合うズボンはないだろうかと押し入れのなかに積んである収納ケースの下段からもう何年も履いていないスキニージーンズなどをとりだして一着ずつあわせてみようとしたところで、ズボンの生地にわけのわからない斑点めいたものが浮かびあがっていることに気づいた。嗅いでみると独特のにおいがあった。カビだと思った。ネットで検索してみると洗濯して日当りのよいところできっちり乾燥させれば問題ないらしかった。大半がもう履かないものだと思われたので洗濯するだけしたら古着屋かリサイクルショップに持っていって引き取ってもらおうと思った。ひとまず四本色落ちの心配のないものばかりを洗濯機のなかにつっこんで、「念入り」モードでスイッチを押した。そうしておいてから自転車で図書館に出かけた。とちゅうで文房具店にたちより黒色のマッキーを一本買った。文房具屋では西洋人の男がひとりなにやらむずかしそうな顔つきでレターセットを検分していた。その男のようすを店のおもてからながめているまた別の西洋人がいた。図書館にいって延滞していた『夜のみだらな鳥』を返却し、ずいぶん前から予約していた山内マリコここは退屈迎えに来て』を受け取った。これはもう何年かまえにWさんのブログだったかTwitterだったかで知ったもので、最初にタイトルを目にした時点ですでに ぴーんときていたのではあったけれど、それからしばらくたったところでファスト風土まっただなかの田舎ですごす若者らの倦怠みたいなものが描かれてあるという情報を得て、俄然読みたくなったのだった。
 スーパーで買い物をすませて帰宅すると、買ったばかりのマッキーでさっそくFくん宛てにド阿呆な手紙を書いた。原稿用紙が見当たらなかったので、病院でもらった花粉症の薬の説明書の裏側を利用した。それを山田家のうどんの入った箱にセロテープでひっつけてから近所のコンビニに出かけて宅急便を依頼した。店員の男の子は新人らしく、こちらの依頼にいくらか戸惑っているふうだった。ことあるごとにとなりのレジにいる太った女性に声をかけて指示をあおいでいたが、その女性の指示というのがまたわりあい辛辣なふうだったので、もうちょいやさしくしてやってくれと内心思った。携帯のメール画面を展開して伝票にFくん宅の住所を書きこんでいると、ひょっとしてそうなるかもしれないと家を出るまぎわにひそかに予感してもいたのだったが、記入しているとちゅうで充電が切れた。ぎりぎりまにあったと思ったが、郵便番号だけ書き記すことができなかった(というかそもそもFくんからもらったメールには郵便番号が記載されていなかった)。空欄を指摘されたので、住所だけわかっていたらだいじょうぶってことはないですかねというと、戸惑ったふうな男の子はまたもやとなりのレジの太った女性に声をかけた。女性は調べればいいでしょ的なことを小さくそっけなくもらしカウンターの奥にある引き出しのほうを指さした。男の子はその引き出しから分厚い雑誌をとりだしてこちらの記入した住所から郵便番号を探りあてて記入した。彼には告げていなかったが、伝票に記入した京都の住所はでたらめだった。携帯の充電が切れてしまったので番地がわからなくなってしまい、適当にそれっぽい数字を書きつけたのだった。
 帰宅してから夕飯の支度をした。水場でなすの浅漬けをつくってから部屋に運ぶとちゅうその皿を落として割ってしまった。また食器がひとつ減ったと思った。ひとり暮らしをはじめるにあたって実家からもちこんだ食器はこうしてひとつまたひとつと減っていく。細胞のようだと思った。生活の細胞。どんどん死んでどんどん更新されていく細胞とそれらのめまぐるしさとは一見すると無縁らしくみえる確固たるわたしの幻影のように、どんどん捨てられていってどんどん更新されていく生活の部品とそれらのめまぐるしさとはやはり無縁らしくみえる確固たるわたしの生活という幻影。皿がわれるたびに瀬戸際で食いとめていた歳月がいっきに押し寄せてくるような気がする。過ぎ去ったものの長大さをひといきで実感することを強いる圧力のようなものをおぼえる。
 玄米・納豆・もずく・豆腐・茹でたささみ・水菜のサラダをかっ喰らったのち、山内マリコここは退屈迎えに来て』を布団にもぐりこんで読みはじめた。収録されている作品タイトルの「私たちがすごかった栄光の話」「君がどこにも行けないのは車持ってないから」とかこれだけでもうかなり突き刺さるというかグッとくるのだが、収録されている最初の一篇を読みおえた時点でこれはまたすごい作家がいたものだと感心した(この最初の一篇「私たちがすごかった栄光の話」のラストシーンはちょっとすごい、こういう展開で進めておいてここでこんなふうに終わらせてみせるのかとその大胆さにおもわず身震いしつつもひざを打つ)。一見するとさらりと書きながされているようにみえる日本語なのだけれど、たとえば東京から田舎に出戻りした人物の所感として《わたしもまだ、気分的には、長い帰省をしている感じ》という完璧な表現がさりげなくまぎれこんでいたりしてとにかくいちいち痛い。骨身にしみる。

 この町に暮らす人々はみな善良で、自分の生まれ育った町を心底愛していた。なぜこんなに住みやすい快適な土地を離れて、東京や大阪などのごみごみした都会に若者が流出するのか解せないでいるし、かつて出て行きたいと思ったことがあったとしても、この平和な町でのんびり暮らしているうちに、いつしかその理由をきれいさっぱり忘れてしまうのだった。
 この町では若い感性はあっとういう間に年老いてしまう。野心に溢れた若者も、二十歳を過ぎれば溶接工に落ち着き、運命の恋を夢見ていた若い女は、二十四歳になるころには溶接工と結婚し家庭におさまった。

 二十四時間営業のファミレスは、あたしたちと似たような境遇の暇な若者でいっぱいだ。ナイロンジャージにスウェットパンツの、引くほど行儀が悪いヤンキーカップル。ときめきを探している女の子、携帯をいじってばかりの男の子、テンションの低い倦怠期カップル。そんなくすぶった人々。若さがフツフツと発酵している男が聞こえる。
 フロアの通路を歩くときは毎回、品定めするような尖った視線を浴びる。知ってる奴じゃないかチェックしてるのだ。みんな誰かに会いたくて、何かが起こるのを期待してるんだと思う。あたしだってそう。

 この引用部を一読しただけでもわかると思うのだけれど、この作家はたとえば島田雅彦が一時期こだわっていた抽象概念としての「郊外」なんて目じゃない、語のひらたい意味におけるリアリズム文学の手つきで「郊外」を完璧にえぐりつくしている。読み進めていると、ファスト風土文学とでもいえばいいのか、完全にあたらしいジャンルを開拓している印象すらしばしば受ける。この印象はたとえばはじめて岡田利規の『三月の5日間』を読んだときのものに似ているともいえるかもしれない。それを語るための完全に正しい語りが探り当てられたことによってはじめて表象可能となったものがここに十全に表象されているという驚き。言葉をもたぬひとびとに言葉が与えられたような、光のささぬ一画に光がさしこまれたような、あるいは言葉をもち光もさしこむ一画に住まうひとびとのそれらがすべてしょせんは作り事(文学史的な暗黙の了解)にすぎなかったことを暴露してみせるような、そのような達成によって無自覚に見過ごしていたものが「(再)発見」されるにいたるその衝撃、そしてそこにともなうみずみずしくも強烈なリアリティとアクチュアリティ。「風俗」を描く小説というのはこのようなものでなければいけない。あるいはこのような認識の更新をもたらすものだけが風俗小説と呼ばれるべきだろう。たとえば「ファスト風土」という言葉の発明と浸透によってあれら郊外の風景をひとつの典型として理解することがたやすくなったように、山内マリコの小説を読むことによってひとは「大都市」でもなければ(森や山や川といった豊かな自然に恵まれた旧き良き)「ド田舎」でもない、日本中あちこちにあふれかえっている「ふつうの田舎」を認識し語ることが可能になる。岡田利規のほうがあくまでも東京に生きる若者に焦点をあてていたのにたいして、山内マリコは田舎の「あっという間に年老いてしまう」「若い感性」をとりあげる。それはむろん東京のネガである。文学の、というかフィクションの歴史としてどちらが黙殺の憂き目にあってきたかはいうまでもない。この作家はこれまで語られることのなかった(あるいは語り損じられてきた)場とひとびとを語るためのまなざしと語りを発明した。偉業と呼ぶにあたいする。
 山内マリコがすばらしく仮眠をとるどころではなくなってしまったので、半分ほど読み終えたところで布団から出てシャワーを浴びにいった。母から『A』が今日届いた、みんなサインをほしがっているので夏に帰省したときに一筆ものしてやってほしいとあったので、もうなんでもいいやのやけくそでサインはするからそのかわりきちんと宣伝しまくるようにみんなに伝えてくれと返信した。それから10日付けの長い長い日記を1時半まで延々と書きつなぎ、疲れきったところで布団に倒れこんで消灯した。