20140420

 ?のたうちまわるブナ?の話を聞いたことがある。積雪十メートル超。逃げも隠れもできぬブナは雪の重みで押しつぶされ、ときに折れる。雪解け後、全精力を注ぎ込んで立ち直ろうとし、生き直そうとし、傷んだ体を修復しようとする。その繰り返し――何年も何十年にも及ぶその営みが、ついにあられもない、のたうちまわる怪異な姿に変ずるのだという。ひっしに死に耐え、喘ぎ悶える動物のようなその姿態、迫力、思わず息をのむその形相。武子は、いま、まさしくそれなのではないだろうか。
(松下清雄「三つ目のアマンジャク」)

 あたしは言わない、絶対言わない明かさない、あたしの本音は、正体は。だって本音も正体も、あたしには無いもの。あるのは、人びとに対するあたし、さらに言うなら、人びとと対峙するあたし。それがほんとうの、あたし。そして、そのなかから炙出されるようにして出てくるすべて、それがあたしの属性。これをどう、どのように他人(ひと)に言える? 明かせる? いろんな形での濃密な渡り合い、葛藤、軋轢、交流などなどのなかから絶えず、夥しく、噴出してやまない、生々しく熱っぽく流動する、しかも厚っぽい濃霧に蔽われたマグマか火山ガス群みたいなものだから。他人がどう評しようと、それはあくまで一方的、一面的、局部的。あたしがどう弁明しようと、それもあくまで一方的、一面的、局部的。これを誤解だ曲解だ無理解だ偏見だといってみても、所詮は水掛け論。あたしの正体は、真実は、他人にとってもあたしにとっても、永遠の謎。だからあたしは、自分について、自分からは何も言わない、明かさない。ただ、ひたすらにあたしを演じる――それだけ。
(松下清雄「三つ目のアマンジャク」)



 6時起床。ブロガーの朝は(少しだけ)早い。歯を磨きストレッチをしたのちパンの耳とコーヒーの朝食をとった。それから前日付けのブログの続きを書いたが、出勤までに完成をみることはかなわなかった。昨日のひきつづき今日もまた肌寒かった。というか昨日とまったく同じ服装で出かけたので、昨日よりもさらに一段階冷える朝であることがありありとわかった。
 朝っぱらから職場にTのおっさんから電話があった。Yさんはいますかというので、今日は出勤じゃないですけどと応じると、そうですか、それじゃあいいですとあったので、なにか伝言があるんでしたらお伝えしますけどとカマをかけてみると、いやまた本人に直接いうんでいいですとあった。切って、やや迷ったのちEさんにメールで報告した。たぶんYさん経由で闇金に紹介してもらおうとしているんじゃないかって気がするんですけどと伝えると、(怒)という表現の語尾についたお怒りの返信があり、どうすればいいだろうかと問われたので、ひとまずYさんに直接アクションがあるまで様子見でいいのではないか、でその内容次第ではおまえうちの従業員全員から金を借りるつもりかと過去の事例をこのタイミングでぜんぶ持ち出して責める、ついでにその金の使い道をあらためて問いつめる、と返信した。Mくん鬼やな、とあった。そうはまったく思わない。以心伝心の親しい間柄でもない相手に嘘の理由で金を借りるってのは要するに詐欺でしかないではないか。
 引き継ぎのとき、胃の中の蛙の王者ことMさんにコップをひとつ洗い忘れていたというだけの理由でやたらと高圧的な態度をとられた。かなりカチンときたが、(クソみたいに些細なことがらではあるものの)いちおうは正論であるので、素直に洗ってから謝罪した。すると、謝らんといい、おれが神経質すぎるだけやから、とぶっきらぼうな返事があって、じゃあハナから言うなや、と思った。反論することは可能なのだが、その先にひかえているのがおたがいの些細なミスをあげつらいあってその差し引きの数でどう出るかみたいなとても幼稚な勝負でしかないことは目にみえているので、そういう馬鹿っぽさを厭う身としてはなかなか張り合う気になれない。この馬鹿とおなじ土俵にあがることの羞恥が勝つ。
 帰宅後、眠気と空腹をこらえながら前日付けのブログの続きを書こうとしたが、なかなか気分がのってくれなかったので、ツイッターのほうでくだらんことをつぶやいた。労働を終えた日曜夜にはやはりTと連れ立ってくら寿司に出かけて喫茶店にはしごしダラダラしたいと思った。ひとりだとどうしても「おつかれさまー!ウーイ!」という気分にはなってくれない。大家さん巻き寿司の差し入れをくれた。入浴して前日分のブログを仕上げて投稿したところでコンビニに出かけてカップ麺を購入した。0時前だった。狂って食って笑って寝た。なにやら書きつけもしたが、シラフで書いたものとさして変わらない。




だいだい色の海」


オレンジの森をぬけて魚が
山並みの地図をぬりかえた
きみがもうここにいないということが
隙あらば絶好の機会だった


鉄砲水のようなはげしい気持ちで
指と指をからめた
転調するできごとの走馬灯が
黒く縁取りされてまるで遺影みたい
きみが笑わない日曜日
嘘が笑った


疾走する馬のたてがみをきりそろえて
だれかの憎悪をかたどった
吹き流しのなかを通りぬける異国の真理
風に運ばれてやってきた
真夏の日時計
陰日向に咲いたあなたの笑顔が
きのう街角の掲示板に貼られていたよ


この神殿には花がない
かわりに罪と秘密がある
祈りのつもりで組んだ両手の先が
剣をにぎるかたちになる夜ごとのくりかえし
計算ずくでのりこえた
危機の数だけあるはずの勇気!


「見つけた」
「なにを?」
「いままさに見つけたものによって
 見つけられたばかりのものを!」




厚手の青空をあるいていく
鈴の音をならしながら裸足で虹のうえを
クジャクの色このデザイン
横流れに流れる
だれの目にもひろわれなかった真夜中の流れ星たち


すくいとるかたちでそろえた手に
あなたの清水がそそがれる
のみくだすのもまたあなたで
そうしてわたしはいなくなる
いつのまにかのまれる水となる
あなたにのまれる水となる


万華鏡のなかで手をふった
永遠にくりかえされる一日また一日にむけて
ひとつらなりの笑顔に亀裂がはいって
地中にはびこるひげ根の叛乱!


同期せよまばらな存在たち!
きみらは実在する!




 きのうの夜きみだけが置いてけぼりにされた。マムに。マミーに。マミー・マミー・サンダース夫人に。夫人の権力は絶大である。きみの読み書きする想像力など指先ひとつでかきまわしてお手の物だ。やっぱりそうだったのだときみは気づくかもしれない。しかるべき措置をとるべきである! 判決はしかし永遠にくだらないのだ! きみは手招きされるがままに歩きだした。闇をぬけて、森に入り、やがて空港にたどりついた。つまり、それこそがほかならぬ飛躍という行為なのだった。地震とは神のミスタイプにすぎないのかもしれない。この星はキーボードに対応する画面でしかない。そういう仮説も考えられる。神がいま即興で紙に書きつけている文字群の虚構こそがほかならぬこの世界なのだ。われわれの認識をふちどるこの世界なのだ。おもしろい。しかしこれではまるで小説ではない。そう、そんな疑問からはじまる小説があってもいいのだ!
 ボビーは路地裏をかけぬけた。サッカーボールを蹴飛ばしながら障害物をあちこち回避するのだ。「わお! こんな逸材みたことない!」そうしてジョージは笑顔でショットガンをかまえるのだ!
 一羽で飛ぶ鳥がいた。そんな鳥はとんびでしかなかった。これ以上つづける気もなかった。