20140421

(…)その男とのあいだの最後の数メートルを歩いているあいだに、この空き地に入ったとき、彼の演奏も聞こえていたことを思い出した。意識下の低い弦の音、リズムとメロディ――だから女の唄声にはそういうものが欠けていてもよかった。女のほうが彼の伴奏をしていたのかもしれない。そう思うと、記憶のなかのすべてがもう一度あらためて再生され、それまでとは違って聞こえた。
マイケル・オンダーチェ村松潔・訳『ディビザデロ通り』)

(…)古い文献によれば、この地方の吟遊詩人は小鳥の鳴き声を真似できることで有名で、その結果、鳥の渡りの習慣を変えてしまった可能性があるのだという。
マイケル・オンダーチェ村松潔・訳『ディビザデロ通り』)



 10時に起きた。けだるかった。歯を磨きストレッチをし、デスクに腰かけてからだらだらぐらぐらして小一時間過ごした。バナナとヨーグルトの朝食をようやくとって、昨日付けのブログを投稿した。夜のあいだに書きつけていた詩文めいたものはいいところもあれば悪いところもあったが、いずれにせよ手癖につらぬかれたものではあった。ほかの詩編にまぎれこんでいたとしても、たぶんみるひとがみれば一瞬でこちらの書き記したものだと見分けのつく、二重の意味での手垢のようなものがみとめられた。
 12時半より15時半まで「G」。プラス1枚で計265枚。集中できなかった。あたらしい断片を彫刻しようにも気が張ってくれなかったので古いものをいじったり削除したりした。書いても書いても書いた分だけ削除してしまうのだからいっこうに進まない感じがする。しかしそれは作業を数値化してとらえる(枚数単位で俯瞰する)弊害でしかない。手を入れて、それでよくなっているのであれば、枚数が減ろうともいっこうにかまわない。そんな当然の事実をとりおとしてしまう程度には現状に焦慮をおぼえているというわけだ。最後に作品を書きあげてからもう二年半になる!
 15時半から17時半まで英語の勉強をした。それからケッタで図書館に出かけて山内マリコここは退屈迎えに来て』を返却し、UAのアルバム2枚とセリーヌ『夜の果てへの旅』とちくま文庫梶井基次郎』(抜き書き用)を借りた。スーパーに立ち寄り食材を購入し帰宅してから玄米・あさげ・納豆・冷や奴・レタスと赤黄パプリカと水菜のサラダ・茹でたササミの夕飯をとった。
 20分の仮眠をとると20時半だった。入浴してストレッチし、澤野雅樹『ドゥルーズを「活用」する!』の続きを呼んだ。読み終えると23時過ぎだった。腕立て伏せをした。合間にTwitterをのぞくと「A」のbotが完成したというFくんの報告があったので、簡単なやりとりをした。Twitterというのはメールより気軽にやりとりするツールとしてけっこういいかもしれないと思った。(やったことないけど)LINEよりも開かれてあるのもたぶんいい。心置きなくあれこれできる友人知人がみんな東京近郊に住んでいるという状況を考えると京都にひとり身を置いているのが馬鹿らしくなってきた。Sの提案にのるかどうかは別として、しかし京都生活は今年いっぱい(あるいは今年度いっぱい)を目処にして(ちょうど滞在十年になるわけだし!)、三十代(と口にするのはすこしおそろしい!)からはまたあたらしい街でリスタートを切るのも気持ちのいい話ではないかと思った。そしてできればそろそろ日当りのよい仕事に就きたい。日陰のやりとりにもいい加減飽きてきた。
 セリーヌ『夜の果てへの旅』の冒頭を少し読んだところで、借りたのは高坂和彦訳なのだけれど、生田耕作訳の文庫が出ているのを知って、やっぱりそちらのほうがいいんだろうかと迷いが生じた。というかそもそも『夜の果てへの旅』よりも『北』のほうが気になるというのがあって、蓮實重彦がたしか『表象の奈落』だったように思うけれどもそのなかに収録されている文章のなかで『北』を絶賛していたし、WさんもいつだったかTwitterセリーヌは『北』がいちばんいいみたいなことをつぶやいていた。だから『夜の果てへの旅』はもういいやとなって、かわりに阿部和重ピストルズ』を読みはじめた。『シンセミア』を読んでからもう四五年は経つのでいろいろさっぱり忘れていてもういちど『シンセミア』から読み直そうかなと迷いもしたけれどダンボールのなかをごそごそやるのが面倒くさかったので力ずくで読み進めることにした。3時半に消灯した。