20140426

 またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通は一体に賑かな通りで――といって感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうした訳かその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い二条通に接している街角になっているので、暗いのは当然であったが、その隣家が寺町通にある家にもかかわらず暗かったのが瞭然(はっきり)しない。しかしその家が暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。もう一つはその家の打ち出した廂なのだが、その廂が眼深に冠った帽子の廂のように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、廂の上はこれも真暗なのだ。そう周囲が真暗なため、店頭に点けられた幾つもの電燈が驟雨のように浴せかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ刺し込んで来る往来に立って、また近所にある鎰屋の二階の硝子窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中では稀だった。
梶井基次郎檸檬」)



 夢。道の駅に到着した車内にいる。運転手はTの友人らしいが、いまひとつはっきりしない。マクドナルドのドライブスルーのような曲線の通路をぬけた先、芝生のはげた地面に車を停めて降りると、こちらの停車したすぐそばにタクシーが停止する。そんなところに車を停められたらこちらが出たいときに出られないではないかと抗議するも、じきに勘違いでしかなかったことが判明し、いくらか気まずい空気になる。地面にかがみこんでタクシーのつけたものらしいわだちの泥土を両手で掘っているとじわじわと泥水がわきはじめる。道の駅の出口には噴水ともプールともつかぬ水場があり、その中央に設けられた塔のてっぺん付近でワインレッドのドレスを着たどことなく妖精めいた女性が浮遊している。高台から水中に飛びこむTの姿がみえる。
 夢。YさんJさんと三人で中学校のものとも小学校のものともつかぬ体育館の中にいる。こちらの四方を大きく取りかこむ円周上に巨大な石板が等間隔に林立している。それらの石板はそれぞれが高名な日本画家の手になるものらしく、Yさんがひとつひとつの作品について順番にうんちくを垂れていく。やがてひとりの山師が背後に巨大な石板をしたがえてこちらの面前にやってくる。石板は赤い袖幕によって目隠しされており、なかをのぞきたいのであれば追加金を支払わなければならないという。そのとたん多数の人影が一方向にむけていっせいに駆けはじめる。ビットコインと同じだ、みんな右へならえで同じ方向にかたむくぞ、とだれかが叫ぶのが聞こえもする。 ひとの流れに逆らってひとり舞台の上にのぼる。舞台上にはパイプ椅子がならべられており、ヒステリックな人波から逃れたものらが離脱した順に前から着席している。末席に腰を落ち着ける。これで10億くらいはいってくるんかねと軽口を叩いてみせると、着席者のなかからくすくす笑いが漏れる。着席者のなかには小学校の同級生のTとKくんがいる。帰り道ではやはり小学校の同級生であるところのNが空気の入った救命着を針でつつきまわっている現場に出くわす。もうそんくらいにしといたってくれ、となだめるように声をかける。
 6時20分に起きた。昨夜の興奮をひきずっているためにか、睡眠不足のわりにはそこそこ快活な目覚めだった。歯を磨きストレッチをし、パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとった。UAを聴きながら出勤した。
 職場に到着するなりMさんから、Sさんとちごうてきみが来てくれると助かるわ、と声をかけられた。Sさんは時間ぎりぎりに出勤するために引き継ぎやらなにやらしているうちにいつも電車に乗り遅れそうになるのだといった。朝からほめ殺しってのも気持ちのわるい話だなと思っていると、先週の帰りしなにコップをひとつ洗っていなかったというそれだけの理由で声をあらげたことをわびる言葉があったので、なるほどねと思った。最近あたらしいひともどんどん入ってきてるしな、ものが汚いままちらかったままにしてあるとそういうのでかまへんのかって勘違いするやろ、あいつらアホやから、そやしまあ細かいことかもしれへんけどなるべくな、きちっとしといたほうがええ思うてな、と、なにやらとってつけたような後だしの弁明があり、次いで、そやしな、あのじいちゃんにもちゃんと教えといたほうがええで、と、今月から週に二日は夜も働くようになったJさんの不始末を改善するよううながす一言があったので、やっぱりそうか、とひそかに値踏みした。いい歳をしておきながらまるで突っ張りはじめたばかりの中学生みたいなイキがりがたをして気の弱い同僚ら、というか主にTのおっさんをいじめまくっているにもかかわらず(あるいはそれゆえにこそ)、結局本物相手では腰がひけてしまうというわけだった。そしてそういうおのれのそぶりを恥ずかしいとも思わない。Mさんのイキがりがたを見ていると典型的な金持ちのボンボンだなといつも思う。にじられた矜持とは無関係の、ごくごくささいな事柄にまつわる異様に神経質な短気というのは、わりと裕福な家庭で育った人間特有の性質のひとつである気がする。金子光晴もみずからの短気とわがままについてそのような分析をくだしていた。
 Eさんより昨夜の戦果を問われたのだけれど、全員が勢揃いするまでトークのお楽しみはとっておくようにとYさんから口止めされていたので、それはおいおい話しますと茶をにごした。Mくんもうすぐ四連勤あるけど大丈夫け、というのに、すごい憂鬱ですけどまあどうにかしますと応じ、それから、一年前の日記を読み返していたところ、四連勤はぜったいに耐えられない、Sさんにシフトを変わってもらおう、と書いてあったことを告げた(そしてその翌日の日記にはじっさいにSさんに電話をかけて休ませてもらう約束をとりつけている)。人間ってちゃんと成長するもんですね、とEさんは爆笑しながらいった。
 JさんBさんYさんとたてつづけに出勤したところで昨夜の報告会をおこなった。おかげで始業がいつもよりも30分遅れた。そうしていざ始業となり階上組(JさんBさんYさん)と階下組(じぶんとEさん)にわかれたところで(わかれぎわに「下のほうがおもしろそうな気がする〜」とBさんはいった)、EさんからさてMくん真相を聞かせてくれとあったので、こちらの目に映った事実をそのまんま告げた。ひととおり報告し終えたところで、でおまえなんかええ感じにはなったんけ、とあったので、Sちゃんのことを伝えると、そんなもんもうさっさと抜けてよそいっといたらええのに、という。いやでも相手子持ちっすからね、身なりも気合入ってたし本気で再婚相手探しに来てるでしょ、と応じると、バツイチ子持ちってけっこう再婚願望ないもんやで、だいたい結婚にこりごりしとるし子どものこと考えて再婚避けるんも多いから、ほやし案外わりきった付き合いできるもんやで、とプロフェッショナルな助言があったので、マジかよ! それもっと早く言えよ! と嘆いた。
 そのEさんが途中で早引きした。奥さんが朝からひどいめまいに悩まされていたらしいのだけれど、体調のいっこうに回復するきざしがなく、ちょっと病院に連れていったほうがよさそうかもしれないということだった。奥さんは過去にメニエール病の疑いがあり、めまい外来をおとずれたこともあるらしい。ちなみにそのときの診断は「二日酔い」だったという。
 中年の西洋人カップルがやってきて近所にあるというゲストハウスまでの道のりをたずねられたので、YさんのiPhoneで地図だけ表示してもらってそれ片手に説明した。なかなか慣れたものだとわれながら思った。外国人と英語でしゃべるという場面にあたって緊張するということがまずなくなった。
 昨夜の帰りの電車内ではあれほど乗り気だったYりんとのデートであったが、なにかの話をきっかけにじぶんとYさんとBさんとJさんの四人でビアガーデンにでも行きたいねという話になると、途端にそちらのほうに(というかおそらくはBさんと飲むことのできるというその可能性に)目移りしたらしいJさんが、Yりんなどもうどうでもいい、というかYりんばかりでなくたとえYちゃんSちゃんという若いあのふたりが来ようとも一ヶ月後の約束なんてのはもうどうでもいいのだといわんばかりの急激な方向転換を成し遂げたので、なんだそれとなった。あとになってYさんとふたりでしゃべっているときに、あれやっぱなんだかんだでBさんがいちばん狙いってことなんすかねと切り出してみると、Bさんの飲み物にアレを垂らしてみせてうんぬんかんぬんという人間のクズみたいな発想をかつてJさんが漏らしていたという驚愕の事実が判明したので、いやいやいやいやそれはマジであかんでしょやばいでしょと焦った。冗談のつもりなのかもしれないとはいえ道徳の彼岸に身を置いているあのじいさんだったらそれくらいのこと平気でやりかねん危うさがあるので、マジでそんなそぶりがあったら止めなきゃいけないですよと、その場合はまずまちがいなく直接の責任を負うことになるYさん自身の可能性に言及しまくるかたちで強く釘をさしておいた。その話の過程で、Bさんにはじつは恋人がいるのだと打ち明けられた。もちろん本人の口から聞き知っていたわけだが、そうだったんすか、でもなんとなくそんなそぶりはありましたもんね、ととぼけた。
 職場の冷凍食品で夕食をすませたのち帰宅した。シャワーを浴びてストレッチをし、それから夜遅くまで25日付けの日記を一心不乱に書きつづけた。これもまた香川旅行記に負けず劣らず長いものになりそうだった。