20140428

 そのうちに私は非情に興味のある一つの籠を発見した。それは黒い宝玉のような眼をした、褐色の背に白い縞の走っている猫じゃらしのような尻っ尾を持った、アクロバットの一群だった。朝鮮栗鼠!
 この連中は十匹で二十匹の錯覚を与えるために活動していた。餌を食いに来ている奴のほかは、まるで姿がつかまらない。籠を垂直に駆けあがってゆく。身を翻す。もう向う側を駆け下りている。また駆けあがってゆく。もう下りて来ている。また駆けあがってゆく。もう下りて来ている。
 アーチだ! いつも一定の、好もしい、飛躍の格好の残像で構成されている。
 餌を食っている彼等はほんとうに可憐に悧巧そうに見える。猫じゃらしの穂のように芯の通った尻っ尾をおったてて鉢の前へ坐る。拝むような格好に両手を揃えて、穀類を掬っては食うのである。まるで行儀のよい子が握飯を食っているようではないか? そしてまた錯覚の、群飛の、アーチのなかへ駆けあがってゆくのである。
 隣りの平たい籠のなかでは、彼等はまた車を廻さされていた。
 彼等の一匹が車のなかへはいると、車は猛然と廻り出す。彼は駆ける駆ける。車は廻る廻る。まるで旋風機のように。桟もなにもかも見えなくなってしまう。そのなかから、彼の永久の疾駆の格好が商標のように浮き出して来る。ついと彼が走りやめる。と、桟がブランブランと揺いで、一走りをすませた彼の姿がそのなかから下りて来る。そしてまた代りの奴がはいる。そしてまた車が廻り出す。
梶井基次郎「栗鼠は籠にはいっている」)



 7時半にめざましの音で起きた。ずいぶんと身体がだるかったので三十分追加で眠ることにした。8時にふたたびめざましで起きて、まだまだ重くけだるい身体を無理やり起こして半分眠りながら歯を磨いた。水場で顔を洗っても意識の芯の鈍っているようなところがあったので、だめだもっと寝よう、でないと日記の続きをまともに書けそうにないと思い、携帯でアラームを設定して布団にもぐりこんだ。アラームは設定できていなかった。めざめると11時だった。
 細切れの夢をたくさん見た。バイクと自転車の融合したような乗り物を上半身裸で乗りまわし、学校とも役所ともつかぬ施設の廊下を飛ばしまくっていた。22歳にもかかわらず学生服を着用するなんて、と母親相手に自嘲してみせる場面もあった。居酒屋で弟に自転車をねだられたので、生徒指導の教師が同席している場であったにもかかわらず(あるいはそれゆえにこそ)、駅前でパクってきたるわと約束した。香川でおとずれた商店街によく似た夜の商店街のひとけのない通りを例の乗り物で移動した。後ろから前の前の職場に常連客としてよくおとずれていた当時小学生のKが自転車にのってついてきた。扉をぬけると真っ暗で、どうやら映画の上映をしている最中らしかったが、小中高と同級生のIと中高同級生のSに声をかけられてよく来たなともてなされた。せまい螺旋階段を例の乗り物でぐるぐるのぼりながら目的地の7階にむかっていた。
 パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとったのち、12時前から17時半すぎまでぶっ通しで25日付けの日記の続きを書いた。とちゅうでバナナとヨーグルトの間食をとった。最後まで書きとおしたところで完全に力つき、雨も降りはじめていたので図書館に出かける気にもなれず、近所のブルジョワスーパーに徒歩で出かけて、値引きされた総菜品を購入した。なまぬるい雨の湿気に皮膚のむきだしになったところがじとじとするアジアの雨期めいたこの感じ!
 帰宅してから玄米・あさげ・納豆(薬味としてねぎ・おくら・みょうが)・カニクリームコロッケ・茄子の揚げ物・昆布の煮しめをかっ喰らった。食事中なぞの腹痛に見舞われたのでしばらく布団に横たわりうんうんうなっていた。回復したところで風呂に入った。部屋にもどると大家さんが棒アイスの入った箱を持ってきてくれ、二本とっていいといったのでありがたくちょうだいした。そのうちの一本を食べ終えたところで22時、そこから0時半までかけて25日付けの日記の読み返しと修正を二度おこなった。投稿してから枚数を数えてみると、68枚にも達していた。今世紀最大の阿呆だった。
 腹痛のために食べのこしていた食事の残りを片付けたのち今日付けの日記、それから昨日付けの日記、一昨日付けの日記とさかのぼるかたちで書きはじめた。昨日付けの日記を書いている途中、携帯電話のほうに箇条書きされてあったおおざっぱなメモ書きのうち「二度寝のたもの読者」という一行があって、これだけがなにを意味しているのかよくわからなかった。こういう意味不明の箇条書きは自転車で移動中に書きつけたか起床後すぐに書きつけたかのいずれかであるように思うのだが、まったく思い出せない。一昨日付け(26日)の日記を半分ほど書き記したところで力尽きたので、『今昔物語』片手に寝床にもぐりこんでまもなく消灯した。