20140429

 演奏者の白い十本の指があるときは泡を噛んで進んでゆく波頭のように、あるときは戯れ合っている家畜のように鍵盤に挑みかかっていた。それがときどき演奏者の意志からも鳴り響いている音楽からも遊離して動いているように感じられた。そうかと思うと私の耳は不意に音楽を離れて、息を凝らして聴き入っている会場の空気に触れたりした。よくあることではじめは気にならなかったが、プログラムが終りに近づいてゆくにつれてそれはだんだん顕著になって来た。明らかに今夜は変だと私は思った。私は疲れていたのだろうか? そうではなかった。心は緊張し過ぎるほど緊張していた。一つの曲目が終って皆が拍手をするとき私は癖で大抵の場合じっとしているのだったが、この夜は殊に強いられたように凝然としていた。するとどよめきに沸き返りまたすーっと収まってゆく場内の推移が、なにか一つの長い音楽のなかで起ることのように私の心に写りはじめた。
 読者は幼時こんな悪戯をしたことはないか。それは人びとの喧噪のなかに囲まれているとき、両方の耳に指で栓をしてそれを開けたり閉じたりするのである。するとゴウッ――ゴウッ――という喧噪の断続とともに人びとの顔がみな無意味に見えてゆく。人びとは誰もそんなことを知らず、またそんななかに陥っている自分に気がつかない。――ちょうどそれに似た孤独感がついに突然の烈しさで私を捕えた。それは演奏者の右手が高いピッチのピアニッシモに細かく触れているときだった。人びとは一斉に息を殺してその微妙な音に絶え入っていた。ふとその完全な窒息に眼覚めたとき、愕然と私はしたのだ。
「なんという不思議だろうこの石化は? 今なら、あの白い手がたとえあの上で殺人を演じても、誰一人叫び出そうとはしないだろう」
 私は寸時まえの拍手とざわめきとをあたかも夢のように思い浮べた。それは私の耳にも眼にもまだはっきり残っていた。あんなにざわめいていた人びとが今のこの静けさ――私にはそれが不思議な不思議なことに思えた。そして人びとは誰一人それを疑おうともせずひたむきに音楽を追っている。云いようもないはかなさが私の胸にしみて来た。私は涯もない孤独を思い浮べていた。音楽会――音楽会を包んでいる大きな都会――世界。……小曲は終った。木枯のような音が一しきり過ぎて行った。そのあとはまたもとの静けさのなかで音楽が鳴り響いて行った。もはやすべてが私には無意味だった。幾たびとなく人びとがわっわっとなってはまたすーっとなって行ったことが何を意味していたのか夢のようだった。
梶井基次郎「器楽的幻覚」)



6時半に起きた。予報通りの本降りだった。歯を磨きストレッチをし、パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとった。びしょ濡れになるのを覚悟で、つまりびしょ濡れになってもいっこうにかまわない格好で外に出た。職場に到着し引き継ぎ作業をこなしているあいだ、なぜかMさんより延々とMくんではなくMさん呼ばわりされつづけた(しかも皮肉な距離感の演出などではまったくなく、ごくごく自然に、さながらずっと以前よりそのように呼びならわしていたかのごとく)。
 祝日とはいえ前後ともに平日である中日である。ひさしぶりに時間の過ぎる速度のめっぽう遅いひまな一日だった。いつもならめまぐるしく動いているうちにあれよあれよという間に落着する15時のコーヒータイムが、今日ばかりはまだかまだかと待ち遠しくなるくらいに遠かった。今日をきりぬけたところでほんの三日間の休みをはさんだだけで土日月火の四連勤である。考えただけで憂鬱になるし、たとえほうほうのていで四連勤をきりぬけたところで次の出勤日までにやはりまた三日間の休みしかない、そのことを思うと、いつもより二日多く出勤するだけとはいいながらも実質四日間のロスをしている気になる。このことは前のブログにもいちど書いたおぼえがあるし、たしか「G」にも採用している(もっとも今後没案として削除する可能性はおおいにあるが)。
 袖口と肱のあたりとがボロッボロのビリッビリになったシャツを着ていたら金は制服代として出すからあたらしいものを買ってこいとEさんにいわれた。社長は貧相な身なりというのをものすごくいやがるらしかった。
 Eさん譲りのスマホでNくんのブログに投稿されていた小説の断片を読んでいたらなかなかおもしろかったので簡単なメールを送った。すでにとっくに子どもでないわれわれ書き手が子どもを描くために要請されるなかなか絶妙に適切な距離感がその「語り」のなかに(ときおり破綻する箇所も散見せられるとはいえ)保持されてあると感心した。中勘助マンスフィールドみたいに子どもを書/描きたいと思った。
 しっちゃかめっちゃかのぬれねずみと化す覚悟で家路に着いた。スーパーで半額品の寿司を二箱(かんぱちと鯛)とチキンラーメンとナッツの入ったスイーツ用のチーズとカフェラテを宴のために購入して帰宅した。洗濯機をまわしてからシャワー浴び、部屋にもどると22時だった。あたらしく入手したばかりのものをひっかけた。若干吐き気のきざしがあったが、まもなく復調した。洗濯物を部屋干ししてから音楽を聴き、飯をかっ喰らい、めちゃイケ主導でやった回の27時間テレビ(あれはたしかまだ京都に越してきたばかりのころではなかったか?)の「笑わず嫌い王」をYouTubeで視聴してゲラゲラ笑った。NくんHくんFくんがTwitterでワイワイやっているのを見て、この子たちが路頭に迷うことがあればおれがどんな手段を使ってでも金を稼いで食わせてやらなければという(シラフのいまおもえば謎の)使命感に駆られた。「東京同士の距離と東京と京都の距離がひとしくなるTwitterはあやしい。整合性を保つために退会した」という一文を書きのこしていた。ヘッドフォンを装着したまま寝た。