20140618

 人間と生活のそんな瓦解に直前していながら、ふしぎに私の家庭の空気は、なごやかであった。私に輪をかけて世間しらずな妻と、イノサンな義妹と、立ってよちよちあるきだした乾のいたいけさがかもし出す生活の雰囲気には、やっぱりエンゼリックなものがあった。エンゼリックなものは、絵そらごとのなかではうつくしくこの世の風のなかではいつもしょんぼりしてみえる。彼らを庇うことで崩れゆくものから忘れていられた。
金子光晴『どくろ杯』)



 7時半起床。歯を磨き顔を洗って部屋でストレッチをした。このところずっと腰の具合がよくない。パンの耳2枚とホットコーヒーの朝食をとってから職場にむかった。通勤通学の人出に邪魔ばかりされる不快な朝だった。
 職場に到着して半袖一枚に着替えると、しばらく見ないあいだにえらいいい身体になったなとSさんにいわれた。Sさんとは先日土曜日にひさびさに再会したのだったが、それより前となるとおそらく年末の忘年会のさいに軽く顔あわせしたきりだった。午前中はエアコンのフィルターを掃除して過ごした。それから冷蔵庫の補充をした。午後からは先日と同様、掃除の下準備にひたすら精を出したのであったが、しかし激務であった。止まることのない客足にみんなひいひい言いどおしだった。新鮮味のある経験のためにか、こちらはそれ相応に熱中して仕事にはげむことができた。夕刻になって下におりると、どうやきついやろ、とEさんがニヤニヤしながら待ち受けていたが、率直にいって、思っていたよりもずっと楽だった。ジョギングや筋トレのおかげでわりとそこそこ体力がついているのかもしれないと思った。ただし右手首に軽い腱鞘炎のような痛みは感じる(腱鞘炎はこの仕事の職業病みたいなものらしい)。汗を掻くのは気持ちいいなと思った。いまとおなじシフトと給与が与えられるのであれば、こっちの仕事にうつってもぜんぜんかまわないとも思った。仕事が楽かどうかははっきりいってどうでもよくて、じぶんの時間をいかにかためて確保できるか否かが問題だった。週二日の拘束時間で八万円稼げる仕事であれば、内容なんてべつになんだっていい。どのみち内職ができないのであればおなじである。
 あしたも出勤することになった。あさってはわからない。状況を見て、もしやばそうであったら昼からでもいいから来てくれとのことだった。来週にはふたりが帰ってくるかもしれない。そうなれば万事オーケーである。そうでなかった場合は、少なくとも三ヶ月は出てこれない。となるとあたらしい従業員を雇う必要が出てくる。雇って教えて一人前になるまでのあいだ、週に何日かはやはり助っ人で出勤する必要が出てくるだろう。災害ユートピアの効力が有効なうちになんとかしてもらいたい。でないとこっちのメンタルがまたまずいことになってくる。無敵スターをとってしばらく時の経過したマリオの気分に近い。
 帰宅後、懸垂と腹筋をした。それから洗濯機をまわし風呂に入り、部屋にもどってからストレッチをし、発芽玄米・インスタントの味噌汁・納豆・冷や奴・ほうれん草のおひたし・茹でたササミ・トマトとレタスのサラダの夕飯をかっ喰らった。0時に気絶就寝。