2014-06-01から1ヶ月間の記事一覧

20140621

(…)それから私は、長兄のもとに善後策を相談に行った。長兄は実父に随って、若いときから鉱山の売買いや、自称特許品の泡沫会社をつくったり、つぶしたりで、一攫千金の夢を追うことで半生を費した男だ。富士見町で芸妓屋をしていたこともあったし、上野広…

20140620

(…)高円寺ぐらしが、そんなふうで、何ヶ月かつづいたが、近所の商人たち、米屋、雑貨屋、そば屋、豆腐屋と、店並(かどな)みに借金ができ、豆腐屋などは、一丁五銭の豆腐が百丁、計五円也というためかたであった。商人は、今日より弱腰だったとは言え、八…

20140619

(…)愛くるしい生れ立ちの子供は近所の誰からも愛された。おなじように乏しい家並みの小庭づたいに、見知らぬ家の縁先から裸足であがって、昼寝をしている主婦の枕もとに坐り、子供は、「お客さまですよ」とよびかけた。びっくりして主婦が目をさますと、見…

20140618

人間と生活のそんな瓦解に直前していながら、ふしぎに私の家庭の空気は、なごやかであった。私に輪をかけて世間しらずな妻と、イノサンな義妹と、立ってよちよちあるきだした乾のいたいけさがかもし出す生活の雰囲気には、やっぱりエンゼリックなものがあっ…

20140617

(…)じぶんの身辺を刷新したいという衝動は、恋愛感情にはつきものである。 (金子光晴『どくろ杯』) 10時起床。7時にめざましをセットしてあったのだが二度寝した。携帯のアラームは7時半だった。布団にくるまっているのが気持ちよすぎて三度寝四度寝とく…

20140616

(…)口にする内容がどんな悩みであっても、青春の会話は、どこかたのしげだ。みすみす接吻で解消するような諍いは、諍いということができない。 (金子光晴『どくろ杯』) 夢。夜の喧噪と人ごみのなかを歩いている。どことなく祇園祭のおもむきがある。しば…

20140615

(…)私たちが昼のしたくをしているとき縁先に、鉢巻をした彼が、飄然として姿をあらわした。バットを一箱買おうとおもうが、銅貨が五枚しかないから、二枚貸してほしいということであった。朝七時に、たしかに七枚手ににぎって出て、川をわたってくる途中、…

20140614

(…)唇でふれる唇ほどやわらかなものはない。 (金子光晴『どくろ杯』) 寝坊の確信とともに漫画のようにがばりと布団から跳ねおきると6時ぴったりで勘違いだった。二度寝して20分後にあらためて起きた。歯を磨き顔を洗いストレッチをしてからパンの耳2枚と…

20140613

(…)当時の勝彦は、ものに憑かれたように私に傾倒し、私の言動には、理非なくくっついてきた。そうした人間関係は、ふかいほど大きな危険を伴い、あいてが成長して、じぶんのつくした誠実がばからしいと気付いたとき、さっぱりと離れてゆくだけではすまず、…

20140612

(…)土手に沿って風の走るのが、土手そのものが風上へ向かって走っているように聞こえる。その力に引かれて家々の軒も順々に傾いで、やっと踏み留まっている。そのまま町全体がずるずると押し流されかける。しかし風の間には恐ろしい静まりがある。 (古井…

20140611

この夏前まで内山の父親は入退院を幾度か繰り返したがおおむね家にいた。それまで二年あまり、夫婦は三時間とまとまらぬ眠りをきれぎれにつないで暮らしていた。睡眠不足は常態になると睡気も差さなくなる。睡気なしに眠り、睡気なしに覚める。父親を老人病…

20140610

表は止んだようだ、と井斐は顔をあげた。雨の降っていたことを私は思い出して、止んだと、どうしてわかる、とたずねた。それは表を往く人の足音の、響きが違う、と井斐は答えた。 いましがた、止んだところだ、と言った。 雨のあがる間際には、妙な境がある…

20140609

反復から成り立つ現実に、すこしずつ置き残されていくのが、年を取っていくということか。よくよく知ったはずの道に迷う。角を正反対のほうへ折れて、しばらく間違いに気がつかない。方角が怪しくなって立ち停まると、あたりが見知らぬ場所に見える。この辺…

20140608

――頭(かしら)の露をふるふ赤馬(あかむま) 日常の一場の光景のほうが天体の巡りよりも、水よりも時よりも、永遠のように眺められることはある。人は死後の眼になっているのだろうか。自身の不在の眼で眺めるとは理からすれば成り立たぬことであり、眼を惹…

20140607

ある日、記憶がひとつ、ほかの事に頭を奪われている最中に、ぽっかりと湧いた。すっかり忘れていた事が年月を隔ててあまりあっさり浮かんで、むやみに鮮明だと、記憶ながら外へ眺める。 (古井由吉『野川』より「森の中」) 6時20分起床。勤務日の朝はそれ相…

20140606

(…)しかし記憶にない、その無いということを確めるほど難儀なこともないといまさら思い知らされた。空無からさらに空無へ、そのはてしないこと、自分の死後を思うのにおさおさ劣らない。死後のことならまだしも、思う自分も無いということで思考停止になる…

20140605

身近に暮らす者を、すでに自分のいなくなった後のように、眺めることはあるのだろう。死んだら何も見えないはずなので、死者の眼で眺めるのは、まだ生きていることの、何よりのしるしである。(…) しかし同じく無数の生者にたいしては、その苦楽はおろか、…

20140604

夜の底をゆるやかに流れる河が、際限もない闇を吐く。古代の詩の伝える冥界の様子である。冥界であるからにはもともと闇の支配する境であるはずなので、闇から闇へ、闇を絶え間なく吐いていることになる。こうなると闇もなかなか、光の欠如というようなもの…

20140603

出不精というのは、行かずともよいところにはふらりと行くくせに、行かねばならぬところには呼ばれても、とりわけ気の向かぬことはなくても、いざとなるとどうしても足が向かない、そんな頑是ないようなところがある、と昔年寄りが話していた。 (古井由吉『…

20140602

そうしたら、といきなり続けた。空港に降りて荷物を取ってもう閑散としたリムジンの停留所に立っていると、海外旅行の帰りらしい老夫婦がトランクを積んだ車を押してやって来た。品の良い老紳士風だけれどなんだか猿のような面相が浮いているな、と眺めて相…

20140601

(…)見えてしまう時はあるものだ、と。あちこちから火の手がもうあがっているのに、自分のほかは誰も気がついていないというような。往来の至る所に屍体が転がっているのに、通りかかる人の眼には入らないというような。叫ぼうにも声が出ない。声が出たとこ…