20230204

 では、勉強をする大きな効用がいったいどこにあるのかと言えば、それは抽象を扱えるようになることです。人間たちは、勉強を通して抽象の扉を開き、具体と抽象の間を往還することで、世の中を見る解像度を高める努力をしてきました。虚数を通してしか見えない世界の広がり、量子力学を通してしか実感にたどり着けない世界の深さは確かに存在するのです。抽象を通して具体を見ることで、目の前に広がるありふれた世界が全く別様になる。それがまさに勉強の醍醐味です。
 しかしこのことは、解像度が高いほど素晴らしい世界が広がるというような単純な話ではありません。大人と子どもの環境に対する反応を見比べてみるだけでわかりますが、子どもより大人のほうが見る解像度が高いから、大人はそのぶん世界の豊かさを堪能しているとはとうてい言えません。むしろ、大人は具体を具体のままに見る子どもの目を失ってしまったからこそ、それを取り戻すために抽象という代理物に飛び込んでいるのかもしれません。その意味では、勉強は子どもの目を別のしかたで取り戻すことを通して自由になるためのものとも言えるのです。
 しかし、注意が必要なのは、このときの「自由」というのは必ずしも世間で生きやすくなることを意味しないことです。人間は自分の人生が動き続けることに負担を感じます。だから多くの人は大人になるにつれて、安定と安心を求める方向に進むものです。それに対し、自由というのは常に自分自身が揺れ動くことを許容することであり、安定や安心とは真逆の価値観なのです。
(鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』)



 13時起床。もっとはよ起きろアホ! 今日もクソ寒い。歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。トースト二枚の食事をとり、コーヒーを淹れ、きのうづけの記事の続きを書く。投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年2月4日づけの記事の読み返し。(…)先生の教え子である(…)くんとそのご両親と面会した日。作文指導をしてくれという話であったが、これは結局流れたのだった。かなり割の良いバイト案件ではあったが、こちらとしては仕事を無駄に増やしたくないというアレがあったので、流れてほっとした。以下、ちょっとおもしろかった箇所。最近の高校生の暮らし。

(…)くんはぱっと見、ゲイという印象は受けなかった。イケメンではあると思う。羽生結弦の大ファン。日本語の勉強を中学三年生の時に開始したきっかけも羽生結弦。過去には一度、日本語でファンレターを書いて送ったこともあるという。髪型も美容院で羽生結弦と同じようにしてもらっている。高校は私立で、校則がかなり厳しい。髪の毛も短髪でないといけないのだが、「リーダー」(おそらく校長か生徒指導にあたる教員だと思う)による検査のある日はサボることで、これまで難を逃れているとのこと。高校は実家から車で10分ほどのところにある。本当は寮生活を送らなければならないのだが、「リーダー」によるチェックのある日以外は毎日内緒で実家に戻って寝起きしているという(だから寮は昼寝をするための場所という認識らしい)。中国の高校なのでご多分に漏れずスマホも恋愛も禁止であるが、その禁止というのもけっこう形式的なところがあるという。見つからなければ問題ないし、教員らも積極的に検査しようとはしないということらしい。恋愛にしても誰と誰が付き合っているという情報は教員の耳に入っているのだが、だからといってすぐ何かするということはない、ただそれがきっかけで成績が下りはじめたら両親を呼ぶなりして指導するという具合になっているとのこと。

 それから2013年2月4日づけの記事の読み返しと再投稿。以下のくだりを読んだとき、いまは亡き大家さんの声がものすごい解像度でよみがえってきて、ちょっと動揺した。

過眠に起因する頭痛に苦しみながら起き抜けの身体をほぐし、これからひとっ走りしてくるのでお湯を沸かしておいてくださいと大家さんに伝えにいった。(…)さん、あんたね、走るのは薬です、走るのはお薬です、五年ほどここに住んではった方がね、◯◯さんという方なんですけどね、ここに五年間おられて、それで弁護士にならはったんですわ、そんでその◯◯さん、毎日、ほれ、丸太町通からあんた、北山のほうまで走らはってね、五年おられましたけどな、まあたしかに病気知らずな方でした、いっぺんも倒れへんだんですよ。こちらが走りに行く旨を伝えるたびに大家さんは弁護士になったというかつての住人のことを口にする。丸太町から北山まで走り終えるといつも部屋で大酒を飲んで寝るのがならいだったという。つい先日、奥さんと子供を引き連れてこのアパートに挨拶に来たらしい。貧乏生活からの出世という目に見えてわかりやすいひとつの物語。

 特に「五年おられましたけどな」のところがすごい。たしか新宿で集まってメシを食った日だったと思うが、こちらの書く(…)弁の再現度がすごいみたいなコメントを(…)さんにいただいたことがあって、そのときはそうなのかくらいにしか思わなかったのだが、いま大家さんの言葉遣いがここまで克明に息づいてるのを見て、読んで、なるほど! と思った(もっとも大家さんはコテコテの京都弁であるが)。
 あと、「薬物市場のテーブルに近隣中学の合唱部か吹奏楽部の部紙というか今月いっぱいのスケジュール表みたいなのが置き去りにされていて、手書きの文字やちょっとしたデコレーションイラスト、ほんの数行にも満たない作成者の雑感らしいものが印刷されたそのわら半紙がどうにも魅力的に思われて、2枚あるうちの1枚をくすねてしまった」とあって、そんなこともあったなと思った。手書きの文字が好きなのだ。フェチといってもいいレベルかもしれない。この話題については(…)が最大の理解者であり、(…)でコーヒーを飲みながら、これまで出会った人間のなかでだれの字がもっともすばらしかったか? みたいな話だけを三時間くらい続けた記憶もある。ちなみに「薬物市場」というのはコンビニとドラッグストアが合体して一店舗になった店のことで、24時間営業であり、かつ、イートインもあったので、夏場や冬場はエアコンをもとめてときどきそこでコーヒーを飲みながら書き物をしたり読み物をしたりしていたのだったが、いまおもえば、まったくもってうっとうしい客であるな。
 それから、この日の記事にはまさにきのうづけの記事で触れたばかりの「Z」とそのリメイク可能性についても書かれていた。なんでもかんでもシンクロするもんだ。

帰宅後、自室にて読書。蓮實重彦『陥没地帯』の残りを片付ける。すばらしかった。ロブ=グリエの原理をいくらか神経質になったシモンが切り詰められた文体でなぞり書きしているような小説。パズル系の小説(人称や一般名詞を軸に同一性をスライドさせていく手法がとられている小説)の中ではこれまで読んだ中で間違いなくベスト。『オペラ・オペラシオネル』よりもこちらのほうが好みだった。作品それ自体の構造に自己言及するメタメタしたくだりのどうしても目立ってしまうあざとさもあるにはあるが、それさえもがただの種明かしにならず筋の分岐と語りのスイッチングのひとつとして十全に利用されつつがなく処理されているところなどはさすがの手腕だと思った。あらゆる差異が集合する大水のクライマックスという発想が「Z」とまったく同じであったのに驚き、リメイク願望が鎌首をもたげた。

 その後、今日づけの記事もここまで書くと、時刻は17時半をまわっていた。作業中は『Orbit』(STUTS)と『Presence』(STUTS & 松たか子)を流した。

 キッチンに立つ。『Mirage』(Mirage Collective, STUTS, butaji & YONCE)をききながら(なんかずっと聴いてしまう!)、米を炊き、豚肉と白菜とブロッコリーとニンニクをカットし、タジン鍋にドーンしてレンジでチーンする。
 食す。仮眠はとらず、そのまま授業準備にとりかかる。第23課の続き。20時前からはじめて21時半に終わる。アクティビティのルールを一部変更。しかし先学期前、夏休み中に授業準備をしていたときは、アクティビティなんて全然思いつかんわという感じだったと思うのだが、今回はけっこうすんなりあれこれひらめく。これも経験やな。ただこうやって授業準備をしているとたびたび思う、ここでこしらえた教案をあと何年使うことができるのだろう、と。中国の台湾侵攻がはじまってしまったらどうなるのだろう、と。2027年が人民解放軍の創立100周年と近平の旦那の三期目終了なのでそれまでに——みたいな話はよく聞くわけであるし、最近のアメリカの動きとか日本の突発的な防衛費増額とかいろいろやばそうな動きがあちこちで起きている。アメリカはアメリカででっちあげの根拠でイラク戦争をはじめる程度には終わっている国であるからそっち界隈から流れてくる情報も眉に唾つけてくらいにしておいたほうがいいんだろうが、だからといって中国が台湾の武力併合を狙っていないのかといえばそんなわけあるはずがないというかガチガチに狙いまくっている。あと何年この地にとどまることができるのか、その日がおとずれる前に帰国することができるのか、帰国できなかった場合はどういう扱いを受けることになるのか、いろいろ考えてしまうなやっぱり。(…)さんもそういう空気を察して帰国してしまったわけであるし。
 今日はマジで寒い。暖房の設定18度ではちょっと追いつかんくらいだ。浴室でシャワーを浴び、あがってストレッチをする。コーヒーを淹れ、22時半から「実弾(仮)」第四稿執筆。1時ごろまで。ひきつづきシーン12をいじくる。なんか足りないんだよなァ。このシーンそれ自体の強みがない、「実弾(仮)」という作品全体に奉仕するだけのシーンになってしまっている気がする。「実弾(仮)」という象徴秩序をはみ出し、部分的に破壊する、そういう逸脱気味のエピソードないしは記述が必要なんだと思う(それがないために物足りなさやつまらなさを感じてしまう)。ドキッ! とするような、なんやこれ? と思わせるような、そういうなにか。
 懸垂をする。餃子を茹でて食し、ジャンプ+の更新をチェックする。母親からLINEが届いているのに気づく。なんで最近こんな頻繁に連絡寄越すようになったんやと思いながらチェックする。(…)で河津桜が咲いていたという写真付きの報告にくわえて、役所のアルバイトで(…)の実家をおとずれたところ、二人目が七月に産まれるという話をきいたとのことで、そんな話こちらは(…)本人から聞いていない。それですぐにわかった、あのバカこちらにずっと伏せたままにしておいて夏休みの一時帰国中にいきなり対面させてやろうという腹づもりなのだ。それをさらに逆手にとってやろうかなと思った。つまり、この話をまったく知らないふりをしつつも出産祝いをあらかじめ用意しておいて、で、対面にあたって、わー! だまされた! とやっておきながら、次の瞬間、顔に落書き済みの福沢諭吉が入ったピカチュウのポチ袋を差し出すという例のパターン。
 と思ったが、ふつうにめんどうくさくなってしまったので、おい! 女の子生まれるらしーな! と(…)にLINEを送っておいた。それから歯磨きをすませ、ベッドに移動し、「行人」(夏目漱石)の続き。「兄はその時しきりに死というものについて云々したそうである。彼は英吉利(イギリス)や亜米利加(アメリカ)で流行る死後の研究という題目に興味をもって、だいぶその方面を調べたそうである。けれども、どれもこれも彼には不満足だと云ったそうである。彼はメーテルリンクの論文も読んで見たが、やはり普通のスピリチュアリズムと同じようにつまらんものだと嘆息したそうである」というくだりがあったのだが、『青い鳥』の作家としてではない、神秘主義者としてのメーテルリンク——若いムージルに影響を与えた——に言及している日本語作家の文章をはじめてみた。