20230423

 郭象は、一つの区分された世界において他の世界を摑まえることはできない、と主張する。「まさにこれである時には、あれは知らない」からである。この原則は、荘周と胡蝶、夢と目覚め、そして死と生においても貫徹される。この主張は、一つの世界に二つ(あるいは複数)の立場があり、それらが交換しあう様子を高みから眺めて、無差別だということではない。そうではなく、ここで構想されているのは、一方で、荘周が荘周として、蝶が蝶として、それぞれの区分された世界とその現在において、絶対的に自己充足的に存在し、他の立場に無関心でありながら、他方で、その性が変化し、他なるものに化し、その世界そのものが変容するという事態である。ここでは、「物化」は、一つの世界の中での事物の変化にとどまらず、この世界そのものもまた変化することでもある。
 それを念頭に置くと、胡蝶の夢は、荘周が胡蝶という他なる物に変化したということ以上に、それまで予想だにしなかった、胡蝶としてわたしが存在する世界が現出し、その新たな世界をまるごと享受するという意味になる。それは、何か「真実在」なる「道」の高みに上り、万物の区別を無みする意味での「物化」という変化を楽しむということではない。
中島隆博荘子の哲学』)



 12時半起床。きのう寝たのが遅かったのでやや寝不足。メシはトーストですませる。
 14時半から(…)二年生の日語基礎写作(二)。今日も寒い。日中の気温は8度。それにくわえて小雨。ひさしぶりに冬服で教室に出向く。授業前半で「架空の伝記」の清書。後半+日語会話(二)で「食レポ」の続き。今日は(…)くん、(…)くん、(…)さん、(…)さん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんの18人が発表。(…)さんと(…)さん、それから用事で実家に帰省中の(…)さんの3人は明後日することに。今日発表した学生で満点をつけていいかなと思ったのは、(…)さん、(…)くん、(…)さん、(…)さんあたり。(…)さんは意外だったが、彼女は作文の課題もけっこういい。最近勉強をがんばっているのかもしれん。ちなみに彼女が発表した内容はドリアンピザ。大好きすぎて、18歳の誕生日には家族でそろってピザハットに行き、そこでドリアンピザをたらふく食ったというのだが、店内にはなかなかすごいにおいがたちこめたらしい。あとは家でドリアンピザを食っていたところ、となりの住人からクレームが入ったというエピソードも紹介された。(…)くんは彼女と一緒にいった大学近くにあるバーベキューの店。(…)さんはふるさと大連の海鮮料理。(…)さんは福建省だったか浙江省だったかにある変わり種の包子を紹介していたが、じぶんはまだ一度も食ったことがないというので、食ったことがないものを食レポすんのかよと笑った。
 休憩時間中、金曜日の食事はどこでとるつもりなのかと(…)さんにたずねると、いっしょに同行する予定らしい(…)さんが(…)にある四川料理の店だと言う。それぼくでも食べれるやつ? との質問には、品数の多い店なので辛くないものもあるという返答。なるほど。
 あと、学生らの発表中は、中央前から四列目の空席に着席していたのだが(黒板とスクリーンをちょうどいい角度でながめることのできる位置)、本来であればその席のとなりは(…)さんである(学生らの席順は別に指定されているわけではないのだが、だいたいみんな毎回おなじ位置に座る)。実際、前回の発表時は彼女を右となりにひかえる格好で学生らの発表をチェックしていたわけだが、今日はその本来ならば(…)さんがいる席に(…)さんが着席していた、教室に入ってすぐその異変に気づいた。だから、あ、こっちがとなりに座ることを見越してるな、雑談したいんだろうなと察し、しかるがゆえに休憩時間中はなるべく彼女とたくさん話すようにした。ギターサークルの発表会は昨日19時から22時まで3時間もあったらしい。ギターサークル以外にダンスサークル、漫才サークル、それからカクテルサークルの四団体合同のイベントだったとのこと。カクテルサークルというのはどうもシェイカーを使ってシャカシャカシャカシャカとパフォーマティヴにカクテルを作るアレらしい。酒のことはよくわからん。イベントも終わったしこれでちょっとゆっくりできるでしょうというと、支出をエクセルにまとめて大学に提出する仕事が残っているのでまだまだ忙しいという返事。
 授業は10分はやく切りあげた。ケッタの鍵を解錠していると、(…)! とおなじく授業終わりの(…)から呼びかけられる。Did you get better? と、以前インフルエンザにかかったという話を聞いていたのでそれを踏まえてたずねると、注射を打ったら二日で治った、ふだんそういうものは打たないからやたらと効いたみたいな返事。(…)は車で来ていた。以前夫妻で乗っているのを見たことがあるやつだ。黄色い軽自動車。雨の日はこいつに乗って外国語学院までやってくるという。去年事故にあった車だ。三十年以上車を運転しているが、人生で交通事故にあったのは四回だけ、その四回すべてが中国に来てからだというので、以前も言っていたねと応じる。実際、中国の交通マナーはマジで終わっている。11年前におとずれたバンコクよりはマシかもしれんが。
 (…)に立ち寄って食パンを三袋買う。夕飯はひさしぶりに第三食堂で打包。ケッタに乗っているあいだ、そうする必要もないのに立ち漕ぎをしてみたところ、なぜかそれがきもちよく癖になってしまい、移動時間の半分以上立ち漕ぎしていた。なんでや? アホの子か? BMXにのっているような気分になるから?
 帰宅して食したのち、日曜日であるからやっぱりスタバに行くべきだろうと気張る。寝不足であるし、仮眠をとってもいないし、店に行ったところで満足に書見も進まないんではないかというアレもあるにはあったんだが、いや習慣の力を信じるんだ、コーヒー飲んだら覚めるわ、と信じて来店。全然そんなことなかった、やっぱり全然あたまが働かんかった、『「心理学化する社会」の臨床社会学』(樫村愛子)の続きを読んだのだが、目が文字の上をうわすべりする。そういうわけでこれ以上長居しても無駄であると二時間足らずで切りあげることに。店には(…)さんそっくりの女子がやっぱりいた。いつものソファ席に腰かけて、いつものようにMacをカタカタやりまくっていたので、おもしれー! どっちが日曜夜のスタバの王か勝負や! と気合が入った。物語の予感がするぜ!
 帰宅。浴室でシャワーを浴び、ストレッチをし、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所巡回。2022年4月23日づけの記事の読み返し。

 爆睡した。目が覚めると11時半だった。モーメンツをのぞくと、(…)さんが昨夜深夜に投稿していた“四月之声”が消されていた。“四月之声”、やはり中国人らのあいだで拡散させようとしている運動が起こっているみたいで、火消しに走る当局とのあいだでいたちごっこが続いているようだ。これを書いているいま、微博で“四月之声”を検索してみたのだが、やはりヒットしない、完全に検閲されている。で、もしかしてと思って、“しがつのこえ”で検索をかけてみたところ、数件ヒットした。外国語ができる人間というのはやはりレジスタンスになりうるのだと思った。「よんまるよん かべのうちがわ しがつのこえ」というつぶやきが印象に残った。ちなみに映像はYouTubeにあがっている。また日本語字幕付きのものもTwitter上で確認できる。検閲に対抗して映像をQRコード化するなど色々な方策がとられているらしく、これは完全に武漢のときと同じ。そしてあの時と同様、結局、喉元過ぎればになるのがこの国なんだろうなという絶望感もすでに先取りするかたちでこちらは覚えている。再帰的無能感。

 2013年4月23日づけの記事も読み返す。きのう読みかえした2013年4月22日づけの記事に「パソコンを起動したついでになんとなくテキストファイルをひらけたところ、だれにも思い出されたくない、というフレーズが思い浮かび、それを書きつけたらなんとなく止まらなくなって小一時間ほど詩めいたものを書きつづけた。詩めいた、と遠慮がちに表現したのは、手癖だけで書いてしまっているたよりなさがあるからだ」という記述があったのだが、肝心のそのテキストが同日づけの記事に記録されていなかったので、ブログにではなくテキストファイルに残してあるのかなと思ったのだが、日記とは別にもうけられた2013年4月22日づけの記事に全文残されているのを発見したので、「×××たちが塩の柱になるとき」には2013年4月22日づけの日記にあとづけするかたちで転載しておいた。「きみを思いだす権利がきみだけにしかなかった/栄光がもういちどきみをひとりにするまで」とか「でなおすばかりの日々のしずけさに/賭け金をうわのせする高い音が凛とひびくのだ」とか、このあたりはなかなかかっこいいな、
 ほか、以下は2013年4月23日づけの記事より。

 見よ、私は豊かであり、ありあまってもっている、なぜなら、私はすでに、私がこの世界に望むすべてのものを所有しているからだ。そして、私のまさにここにもつものを私は、あたかも所有していないかのようにもつ。なぜなら、私は愛によって所有するのではなく、また私は、私自身のうちのなにかを失うことなしに、なにものかをもたずにいることもできるだろうから。
マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘我の告白』より「ヘルラッハ・ペーテルス」)

朝方まで「邪道」作文。プラス1枚で計453枚。ひさしぶりにまとまった時間をとることができたにもかかわらずダメダメな出来だ。なぜ、こんなわけのわからないものをいつまでも加筆しつづけるのか?わけがわかりたいからだ。こんなものを書きだしてしまったわけを。書きつないでしまうわけを。

 ま、こんなかっこええこと言っときながら、最終的にはふつーにボツにしてまうんやけどな。

 出前一丁を食し、食パンも一枚食し、ジャンプ+の更新をチェックし、今日づけの記事もここまで書いた。ひとつ書き忘れていたことがある。授業中に学生たちから最新の流行語を教えてもらったのだ。麻辣烫について(…)くんが発表したときだったが、辛さをあらわす言葉は五つある、レベル1が微辣、レベル2が中辣、レベル3が特辣、レベル4が变态辣——と、ここまではこちらも当然知っている内容だったのだが、レベル5として泰酷辣と板書、それで教室中が爆笑の渦に包まれたので、なになに? とたずねると、最近の流行語だと学生らはいった。で、(…)くんが抖音にあがっているものらしい動画を見せてくれたのだが、あれはビジュアル系バンドみたいなもんだろうか? あるいはアイドルだろうか? ステージに立っている中国人歌手がMCの際になにやら語ったのち、最後に太酷了!(直訳:クールすぎる!)と叫ぶ、その言葉をおなじピンインの別の文字に置き換えて、泰酷辣や泰裤辣——こっちの表記は一年生の(…)くんが微信のコメント欄でやたら多用しているのを見て知った——などと表記している模様。動画はYouTubeにもあがっている(https://www.youtube.com/watch?v=aVK_YxGWJ-s)。ネットで調べてみたところ、このひとは“我是一个特别固执的人,我从来不会在意别人跟我说什么,让我去做。如果你也可以像我一样,那我觉得这件事情太酷啦!”と言っているらしい。で、その太酷啦の発音が妙だということでいろいろな当て字でイジられている模様。
 樫村愛子の続きを読む。2時になったところでベッドに移動し、The Garden Party and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きをほんのちょっとだけ読んで就寝。