20230601

She had never given much thought to the devil for she felt that religion was essentially for those people who didn’t have the brains to avoid evil without it.
(Flannery O’Connor “The Displaced Person”)



 オラッ! 6月だぜ!
 10時半起床。(…)先生から微信が届いている。事務室に期末試験の問題を提出しにいったのだが、担当者から他の教員はまだ全然提出していないと言われたとのこと。提出の締め切りは昨日。学生だけではなく教師も含めて時間にやっぱりルーズな社会なんだなとあらためて思った。
 昼飯は第五食堂の一階で炒面を打包。オーダーしたものができあがるのを待っているあいだ、男子学生から中国語で話しかけられた。饭卡がないので自分のメシを代わりに支払ってほしい、その分の金額は微信のほうで返済するからみたいな話だったと思うのだが、めんどうくさいので听不懂で対応。え? みたいな顔をするので、我不是中国人と続けると、納得いった表情。しかしこちらに呼びかけるのに同学というのはちょっと無理があると思う。こんな髭面の学生、絶対おらんでしょ、と。
 帰宅して食す。狂戦士の甲冑の副作用で味わからず。食後のコーヒーを飲みながら、きのうづけの記事の続きを書く。(…)一年生の(…)さんから微信。午後にひかえている期末試験「道案内」について、リスニングに自信がないので、二題ほど試しに問題を出してほしいという。やる気があるのはまあいいことだと思うのだが、なんでこんなギリギリのタイミングで言い出すのだろうと思う。中国人学生の特徴として、時間にルーズなだけではなく、基本的になににつけ見込みが甘い、準備が足りないというのがマジであると赴任初年度からずっと思っているのだけど(しかしこれは裏を返せば、楽天的である、ポジティヴである、「バカ」になることができる=行動力があるという意味でもあるし、こうした要素が中国社会のプラスの面も担っていることは確かだろう)、でもこれも主語がデカすぎるかもしれない、正確には「中国人学生」ではなく「それほどレベルの高くない中国の大学の学生」の特徴かもしれない。
 ケッタに乗って南門そばへ。バス停から33番のバスに乗る。移動中は『ネオリベラリズム精神分析――なぜ伝統や文化が求められるのか』(樫村愛子)の続き。終点でおりて売店へ。いつものようにミネラルウォーターを買うと、いつものお姉さんがいつものように日本語で「こんにちは」という。それに続けて「私は十年前日本語を勉強しました」というので、びっくりした。大学で日本語を勉強したことがあるのだという。「でも全部忘れました」と続く。われわれのやりとりをお姉さんの母親らしい女性がニコニコしながら見守っている。十年前に大学生だったということは、いま三十代前半か。
 教室へ。今日はテストでないはずの(…)くんがなぜか教室にいる。学生らが続々と集まる。14時半から(…)一年生の日語会話(二)。期末試験その一。今日試験を受けるのは(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)くん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)くん、(…)さんの13人。テストであるのに(…)さんが遅刻。さらに出席をとる際、先ほどメールで練習をしてほしいと依頼してみせた(…)さんが、いまだにじぶんの名前の日本語読みがわからないような反応を示してみせたので、さすがにげんなりした、出足から挫かれた。で、実際にテストをやってみたのだが、こちらが想像していたよりもずっと悪い出来栄えだった。一年生にはまだ難しい内容だったかなと一瞬思ったが、いや、これはやっぱりこのクラスの問題だろうと、大学から日本語を勉強しはじめた学生であるにもかかわらず、授業中熱心にこちらの話を聞いている(…)さんなどが高いスコアをとっているのを見て考えなおした。

 今日テストを受けた学生のなかでは(…)くんがダントツだった。あとは、(…)さん、(…)さん、(…)さんあたりは「優」をつけることになるだろうなという印象。(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんあたりはボロボロ。こんなにできないのかと唖然としたし、劣等生ほど一人当たりに割く時間も長くなるのでイライラもした。(…)さんを終えた時点で時刻は16時30分をまわっていた。予定よりも20分オーバー。(…)さんはテストが終わるなり自分の成績はどうなのかとたずねた。最低ラインの学生でもどうにか合格にできるよう配点をのちほど微調整しなければならないのでいますぐ何点なんて答えることはできねーんだよと内心腹を立てる。合格できるのかできないのかがそれほど気になるのであればもうちょっと準備してこいよ、と。(…)くんがテストを受けたいとやってきたが、彼はもともと来週の予定であるし、すでに20分時間をオーバーしていたし、今日はこのあと映画の約束もあるので、これは断った。
 バス乗車。移動中はやっぱり『ネオリベラリズム精神分析――なぜ伝統や文化が求められるのか』(樫村愛子)の続きを読む。終点のひとつ手前でおりる。(…)で食パンを三袋買う。三年生の(…)さんと(…)さんのふたりはこれから南門近くの店で馄饨(ワンタン)を食べるところだという。合流する。四年か五年ほど前、一度だけ来店したことのある小さな店だった。あのときはたしか(…)さんと(…)さんといっしょに食ったのではなかったか? 女子ふたりは馄饨をオーダー。こちらは牛肉面をオーダーするも、狂戦士の甲冑の副作用によって味まったくわからず。この店は(…)くんや(…)くんのおすすめだという。
 食後、徒歩で映画館に向かう。道中、卒論の話になる。来学期はいよいよ四年生、卒論執筆がはじまるわけだが、(…)さんの指導教官は(…)先生に決まったらしい。(…)さんは(…)先生を希望しているが、どうなるかまだわからないとのこと。(…)先生は人気があるし、抽選に漏れた結果として(…)先生が指導教官になるかもしれないねと茶化すと、(…)さんは大笑いした。こちらと彼女のふたりで、(…)! (…)! 来来来! と(…)先生の真似をすると、(…)さんは本気で嫌がった。
 宝くじ売り場があった。最近学生らがスクラッチの宝くじをしているようすをモーメンツに投稿しているのを見たばかりだったので、ちょっとやってみたいと伝えた。映画の上映開始時刻は19時でまだまだ余裕があったので、店の中に入ってみることにしたが、スクラッチのやつはすでに売り切れとのこと。
 映画館へ。階段をあがった先で(…)さんがポップコーンの入った紙の容器を蹴飛ばして中身をぶちまけるというハプニングがあった。どこの客のものかわからんが、フロアに直接ポップコーンが置いてあったのだ。(…)さんはすぐに受付にいって事情を話した。ポップコーンは客の食い残しらしかった。ゴミ箱に捨てずフロアに直接置いていったものらしい。だからトラブルにはならなかった。上映開始までまだ一時間ほどあった。館内はエアコンがついておらず多少蒸し蒸しした。ゲーセンコーナーがあったのでのぞいてみたが、ボロッボロのクレーンゲーム(コインをいれたところではたして作動するのだろうか?)の景品が、どこからどう見てもパチモンのクレヨンしんちゃんのほこりだらけのぬいぐるみだった。
 時間が余っていたので、いったん外に出ることにした。近くに別の宝くじ売り場があるかもしれないというわけで探してみたが、それらしいものは見つからなかった。果物屋に立ち寄った。飲料品コーナーにスタバのコーヒーが売っていたので買った。それから映画館にもどった。女子ふたりは館内でポップコーンとコーラを買うといった。こちらもコーヒーは帰宅後にとっておくことにしてコーラを買うことにした(館内が蒸し暑かったので、炭酸を飲みたくなったのだ)。
 コーラとポップコーンをもって会場に移動。今日は中国の子どもの日。それにあわせての『天空の城ラピュタ』公開初日だったのだろう、客の大半は子連れの母親たちだった。結果、会場内はなかなかにぎやかであり、上映中も子どもらの話し声が目立ったが、こちらは中国語を解さないのでそれほど気にならなかった(しかし(…)さんはけっこう不快そうにしていた)。『天空の城ラピュタ』を観るのは、もしかしたら二十年ぶりとかになるのだろうか? お手本みたいな物語だなとしみじみ思った。うますぎる。公開は1986年。こちらが1歳のときだ。
 映画が終わったところで外に出る。ロビーに向かう道中、天井が鏡になっている通路で、写真を撮りたいと(…)さんが言った。それで三人そろって天井に向けてピースしたのだが、撮影の瞬間に通路の照明が切り替わり、われわれの姿がしょぼい遊園地にあるお化け屋敷のゾンビみたいな緑色に染まった。「鬼」みたいだと、撮影した写真を見たふたりがぎゃーぎゃー騒いだ。
 映画館の外に出る。先の果物店をふたたびおとずれて、(…)さんがレモンだのマンゴーだのを買う。老校区のほうに向けて歩く。途中、宝くじを売っている店が見つかる。中に入る。カウンターにいるおっちゃんにスクラッチはあるかとたずねると、ショウケースの中を指さしてみせる。四種類か五種類ある。とりあえず10元のやつを一枚買う。近くのテーブルに腰かけ、卓上に置いてあるカードを使って、銀色の部分を削る。宝くじはA4用紙の三分の一ほどのサイズ。一枚につき、三種類のくじが用意されている。ひとつめは絵柄をそろえるもの。削る箇所はたしか九箇所あって、おなじ絵柄が三つそろったら当たりというもの。当たりの絵柄は中国らしく「花火」とか「爆竹」とかだった。しかしこれは当たらなかった。次は絵柄ではなく金額がそのまま「10元」とか「500元」とか記載されているもの。削る箇所はたしか六箇所で、これも三つそろえる必要がある。これも当たらなかった。最後のものは細長い長方形を一箇所だけ削るもの。削った先には成語かなにかが記載されている。くじの裏面に記載されている成語と同じものであったら当たりらしいのだが、これが見事にあたった! 20元! だったらこの当たり分を使ってもう一枚やるっきゃねーなというわけで追加で一枚購入。500元以上の当たりが出たら、(…)街にある高級日本料理店でおごってやると約束したこともあり、学生ふたりのテンションもあがる。しかしそううまくはいかない。今度はダメだった。しかし実質無料でスクラッチを二枚楽しめたのであるから問題なしとする。
 老校区へ。「君をのせて」を鼻歌で歌いながら歩く。それでふと思い出したのだが、大学生だった頃、(…)が西院のTSUTAYAで『となりのトトロ』のサントラをレンタルしようとしたところ、レジに入っていたバンドマン風のバイトに鼻で笑われ、それでたいそう怒っていたことがあったのだが、その(…)が不在の場で、たしか(…)だったと思う、でもおれがもしTSUTAYAでバイトしとるとき、あいつみたいなやつがレジまでトトロのサントラ持ってきたら(久石譲の音楽に対する評価は別として)普通に笑ってまうかもしれんわとクソまじめな顔つきで口にして、あれはけっこう笑った。
 老校区を歩く。(…)さんに兄弟姉妹がほしいと思ったことはあるかとたずねると、弟がいるという返事があった。驚いた。彼女はひとりっ子だと思っていた。それでいろいろにたずねてみたのだが、彼女らのルームメイトは(…)さんひとりをのぞいて、ということはつまり、(…)さんも、(…)さんも、(…)さんも、(…)さんも、(…)さんも、(…)さんもということだが、全員が兄弟姉妹持ちであり、かつ、長女であるらしい。そんな偶然があるのかとさすがにびっくりした。彼女らがほかの部屋の学生とは異なり、基本的にルームメイト同士仲良くやっているのは、もしかしたらひとりっ子ではなく、かつ、長女という立場の人間が集まっているからなのかもしれないなとふと思った。今度この仮説を当人らに直接ぶつけてみよう。もしかしたら賛同を得るかもしれない。
 南門を経由して新校区に入る。ケッタを回収し、(…)楼のそばにある売店に入り、ふたりのおすすめであるトマトのカップ麺を夜食用に買う。女子寮前でふたりと別れて帰宅。スタバのコーヒーを半分だけ飲み、シャワーを浴び、ストレッチをしたのち、買ったばかりのカップ麺を食すが、狂戦士の甲冑の副作用がいまだすさまじい。ジャンプ+の更新をチェックする。(…)さんから今日撮った写真が送られてくる。
 きのうづけの記事を投稿する。ウェブ各所を巡回し、2022年6月1日づけの記事を読み返す。十年前の記事については、6月1日づけのものから同年同月3日づけのものまでまとめて3日づけの記事として投稿されているようなので今日は読み返さない。1時半を過ぎたところで寝床に移動。『ネオリベラリズム精神分析――なぜ伝統や文化が求められるのか』(樫村愛子)の続きを読み進めて就寝。