20230610

古澤が論文で主張したのは、「罪悪感の二種」という変更した題目からも分かる通り、罪悪感にはいわゆる罪を起こしたことに対する罪悪感だけではなく、それを許されたことによって生じるもう一つの罪悪感、すなわち懺悔心があるということであった。
(『精神分析にとって女とは何か』より西見奈子「第三章 日本の精神分析における女性」 p.144)



 胃の不快感で一度目が覚めた。数日前にもこんなことがあったなとねぼけたあたまで思った。その数日前と違って、今日はたやすく二度寝することができなかった、苦しさのあまり身体を起こすことになった。これまでに胃腸の調子が悪くなったことは何度かあるが、そのいずれとも違う不快感だった。はじめての不快感であるが、あ、これが逆流性食道炎なのか、とすぐに思った。実際はどうか知らない。しかし身体を起こすと楽になるのはたしかだった。便所で小便をした。もしかしたら吐くかもしれないと思ったが、そんなことはなかった。ベッドにもどってげっぷをすると楽になった。コロナ後遺症の一種だったら嫌だなと思った。夜食のパンが原因かもしれないとも思った。ソーセージとマヨネーズの小さなパンふたつとクリームパンひとつ。寝る前に食うようなものではたしかにない。おなじ夜食は数日前にもとった。前回胃の不快感で苦しんだのももしかしたらあの夜だったかもしれない。
 時刻をたしかめると4時過ぎだった。具合のよくなったところで二度寝した。そして次に目が覚めると13時半だった。ひさしぶりにアホみたいに寝た。(…)一年生の(…)くんから微信が届いていた。(…)くんと一緒に(…)に来たという。先輩らの「中古市場」を見に来た、しかし開始は17時からだと知った、今日はいったん(…)にもどることにする、今学期はお世話になりました。「中古市場」とはキャンパス内で開催されているフリーマーケットのことだ。例年この時期、卒業前の四年生が寮の私物を叩き売りするのだ。今学期は数日前から開催しているが、こちらはまだいちどものぞいていない。
 朝昼兼用の食事はトースト二枚ですませる。コーヒーを淹れて、14時半から17時過ぎまで「実弾(仮)」第四稿執筆。シーン27を終えてシーン28へ。プラス12枚で計539/1016枚。これ傑作小説かもしれんな、とふと思う瞬間がひさしぶりにあった。
 執筆中、麻痺りかけたので気分転換にのぞいたYouTubeだったかTwitterだったか忘れたが、そこで大谷翔平のインタビュー動画に行き当たり、ちょっとだけ視聴してみたのだが、ピッチャーとして球を投げるときの感じとして、パワプロみたいなもの、自分自身を操作しているようなイメージと答えていて、一流のアスリートというのはそういうレベルで自己の身体を統制・統御することができるのか、そこまで客体化できるものなのか、とびっくりした。
 第五食堂で打包。帰宅して狂戦士の食事(びみょ〜に味覚がもどりつつある気がするが)。三年生の(…)くんから微信。「先生、六時、いつもの校門で」というので、は? となる。土曜日にいっしょにメシを食うという話はたしかにあったが、あれは郵便局に向かうのが別の日程に転じたのをきっかけに流れたというのがこちらの認識だった、しかしどうやら彼のほうではそうでなかったらしい。「六時」というのだがその「六時」までは残り20分しかないし、そもそもこちらはすでにメシを食っている。中国あるあるが悪い方向に転んだパターンだなと思った。これまで何度も日記に書いていることだが、中国ではたとえば翌日の夕飯をいっしょに食べようと約束した場合、待ち合わせの時間を事前にしっかり決めておかずなあなあのままにすることが多い、日本でもそういうことは全然あるわけだが、その場合は当日のたとえば午前中にあらためて何時にどこどこで集合ねという話をつけておくのが普通である、しかし中国では今日の(…)くんのようにぎりぎり直前になって連絡を寄越す、仮に待ち合わせ場所がこちらの寮であれば、事前に連絡などはいっさい寄越さず、段階をひとつ飛ばして、突然、「先生、寮の前についたよ」というメッセージが送られてくるのだ。すでにメシを食ってしまっていることを伝えると、「ご飯は別、先生と合うことは一番の目的だよ」とあったが、基本的に三年生の男集団といっしょになっても(…)くん以外ほとんど日本語を話そうとしないし、その(…)くんも友人らの会話に中国語で参加してもどってこなくなることがたびたびあるしで、正直いっしょにいてもかなりつまらない。それでも慣れの問題もあるだろうからと、これまで何度か行動をともにしているわけだが、状況はいっこうに変わらないし、正直おれの貴重な休日を奪ってくれるなよといういらだちをおぼえることもしばしばなので、今日はもう断った。
 それで夜はスタバで書見することにした。スタバをおとずれるのは日曜日というのが今学期の習慣であるが、たまには土曜日でもいいかと思ったのだ。それでケッタに乗って万达へ。まずは(…)で鼻うがい用の食塩と夜食のカップ麺を買うことにしたのだが、驚いたことに、商品棚が一部ガラガラになっていた。あ、閉店するんだ、と思った。一年ほど前だったか、閉店することに決まったという話を(…)先生から聞いていたが、市民らの反対もあって、市政府が援助するかたちで営業を続行したという経緯があった。しかしおそらく(…)がオープンしたからだろう、だったらやっぱりいらないという流れになったのではないか。食塩はあったが、カップ麺は辛いやつしかなかったので、ほかの店で買うことに。

 スタバへ。美式咖啡を注文。日曜日の夜にくらべるとやはり比較的席は埋まっている。ひさしぶりにカウンターに座ることにする。コロナ以前は毎回この席で書見していたなとなつかしくなる。それで『臨床社会学ならこう考える――生き延びるための理論と実践』(樫村愛子)を読みはじめる。万达の入り口そばに面している席なので、入館してきた客らが目の前を横切っていく格好になる。途中、ふと視線を感じて顔をあげると、目の前の窓ガラスの向こうで若い女の子ふたりが立っており、こちらにむけて笑いながら手をふっていた。どちらもあまり見覚えのない顔。ということは(…)の一年生だろうと思い、軽く手をふりかえす。
 店には二時間ほど滞在。第一章を読み終えたところで外に出る。広場には新築された店舗、屋台、遊具の数々があり、そのなかをたくさんのひとが行き交っている。夜になっても気温は三十度近い。あ、もう夏なんだ、と不意に思った。夏に特有のあの性的な期待感のようなものがかすかにうずいた。
 残ったコーヒーをちびちびやりながら、大学の南門のほうに向けて移動する。中国の路面はわりとボコボコなので、ケッタを片手運転するときは日本でおなじことをするときよりもやや慎重になる。いつもと異なる帰路をたどると、それだけで楽しい。目にする景色が目新しいと、この世界にはまだまだ多くの死角があるのだというよろこびがわきあがる。未踏の死角の存在、それはこの世界にはまだ自由の余地があるのだと、こちらの認識の風通しを良くしてくれるものにほかならない。
 (…)楼のそばにある売店で以前、(…)さんと(…)さんが教えてくれたトマトのカップ麺を買う。店の夫婦はこちらが店に入ったとき、めちゃくちゃでかい声で口論していた。カップ麺をレジに持っていったときだけ静かになったが、支払いをすませるとふたたびめちゃくちゃでかい声でケンカをはじめた。
 帰宅。きのうづけの記事の続きを書く。シャワーを浴び、ストレッチをし、何週間ぶりになるのだろうか、コロナ感染をきっかけに途絶えていた筋トレを再開する。懸垂10回×3セット。プロテインは飲まず、代わりにカップ麺を食し、ジャンプ+の更新をチェックする。
 きのうづけの記事を投稿し、2022年6月10日づけの記事を読み返す。以下、2021年6月10日づけの記事からの孫引き。ポストフォーディズム社会において要請されるキー・コンピテンシーとは、樫村愛子がたびたび言及する再帰性とほぼ同じと見て問題なさそう。

國分(…)話を戻しますが、なぜキー・コンピテンシーの話をしたかというと、以前、熊谷さんが、キー・コンピテンシーはちょうどASD自閉スペクトラム症の症状のネガになっていると指摘されていたからです。キー・コンピテンシーを反対に読めば、自閉症の条件になる。簡単に自分の感情をコントロールできる、新しい状況の変化にすぐに対応できる——こうしたキー・コンピテンシーが教育において称揚される社会では、それに対応できない人たちが排除されていくのではないか。熊谷さん、数字としてこの三〇年で自閉症はどのくらい増えているのでしょうか?
熊谷 データにもよりますけれども、ASDの診断数は、三〇倍に増えています。
國分 三〇倍。はじめて聞く人は驚きますよね。化学物質が原因とかいろいろなことを言う人がいるんですが、じつはポイントは診断数なんですよね。つまり、「ウチの子は何か少し変ではないかしら」と思って親が病院に診察に連れて行く。昔なら、ちょっと変わっているかもね、くらいですんでいたのを、すぐに診察してしまう。だから診断数が増えているというわけですね。
熊谷 ええ。二〇一二年に一橋大学の佐野書院で國分さんと連続して議論させていただいた際にも、ポストフォーディズムと絡めてこんな話をしました。
 情熱的に次から次へと欲望を持ちながら過去をあっさりと捨て去ることができる主体こそが、ポストフォーディズム下で元気に生き延びることができる。しかし残念ながら人間の進化はそのような時代に十分にはついていけず、ポストフォーディズムに適応できる人の数は多くはない。とりわけ、鮮明な過去を生き続けている、つまり記憶が強力な存在感を放ち続けるような日々を送っていたり、過去の習慣を捨てて新しいものに適応していくのが苦手な傾向をもつ自閉スペクトラム症という一群の人々は、かつてのフォーディズム体制下では理想の労働者であったけれど、ポストフォーディズム社会においては次々に障害者のラベルを貼られているのではないか、と。
國分 ええ、よく覚えています。
熊谷 人間が今後、どんなスピードで進化していくのか私には予測がつきませんが、しかし、こうした社会の変化に誰もが息切れをしているのではないか、要求される進化のスピードについていけなくなっている印象が私にはあります。そして今、その証拠に、診断数も三〇倍に増えているのではと。同時に、全数調査に近い方法で、同じ診断基準でやると増えていないという研究もあります。このことから、実際の割合が増えているのではなく、受診する人が増えたとか、気にしはじめる人が増えたということになると思います。
國分 そこで熊谷さんに改めて、他者の条件と社会的な排除についてお伺いしたいと思います。キー・コンピテンシーが問題含みであることは言うまでもない。ただ、これを簡単には否定できない。というのも、キー・コンピテンシーに象徴される現代社会というのは、パターナリズムの否定から生まれているとも言えるからです。社会や権威が何もかもを勝手に決める時代があり、それへの反省が、この過度に個人化した社会を生み出しているとも言えるのではないでしょうか。
國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』 p.305-308)

 2013年6月10日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。「邪道」をボツにすることに決めた日。ちょっと驚いたのが、「祝福された貧者の夜に」というフレーズがこの時点で出てきていること。(…)が京都滞在中に書いた記事のタイトルがこれであるのだが、記事よりもはやくタイトルだけは先に生まれていたのだ。

洗濯物を干している途中、あたらしい小説の構想が不意に浮かんだ。というよりは「邪道」をいったん手放そうとようやく踏ん切りがついたその流れで、それまでせきとめられていた次作への意欲が堤防を越えてあふれだしたというべきかもしれない。英語の勉強の片手間に書きつなぐことのできる、短いものがいいと思った。「祝福された貧者の夜に」というタイトルがまろび出た。構想よりもはやくタイトルが浮かぶというのは、小説にタイトルをつけるのがあまり好きでないじぶんとしてはたいへんめずらしいことである。「邪道」はいずれ続きを書くことになるのかそれともボツにすることになるのかいまはまだわからないけれども、経験的におそらく後者だろうなとは思う。いちど手放したものを後で書きつないだことがいちどもない。一年以上書きつないできたものを切り捨てるという判断はなかなか簡単なものではないというか、どっこいしょっと老後の重たい身体でせいいっぱいの寝返を打つような思いきりが要請されるが、作品としてはかたちに残らずともこの実験作を書きつなぐことで得た執筆作法上の技術や、論理の転がし方と戯れ方、認識の変容などはぬぐいさりがたくこの身体にしみついているのでまったくもって無駄ではないし、これを無駄と呼ぶのであればそもそもの話およそありとあらゆる営みは無駄というほかない。

 そのまま今日づけの記事も途中まで書いた。2時半になったところで中断。母からLINEが届いている。いとこの(…)のところにいる犬(17歳)が内臓にできた腫瘍に由来する出血が原因で数日前に死んだという。また兄夫婦のところの(…)(14歳)は腫瘍ができた左前足を切断したとのこと。それから(…)のイボについてだが、液体窒素での処理はまだ終わっていないらしく、これからの話らしい。
 寝床に移動後は『ラオス現代文学選集』(二元裕子・訳)の続き。ドワンチャンパーの「山の端に沈む太陽」「誰がお金は神様だと言ったのか?」「価値と価格」をたてつづけに読む。小説としての技巧に見るべきものはさほどないのだが、ごくごく単純に、ラオスというほとんど名前しか知らない国の社会がどんなふうであり、そこに暮らすひとびとがどんなふうであるのか、その風俗を市井のリアリズムを介して覗き見することのよろこびというものがたしかにともなう。ところどころ、中国の片田舎とイメージが重なるところがあるのもおもしろい。