20230609

 性的な虐待体験に対しての否認と抑圧は、本人からはもちろん周囲や社会からも非常に強いために、たとえば近親者によってなされた虐待を見て見ぬふりをされることも少なくない。また、虐待の背景にはその前、三世代に渡って同様の虐待パターンを見ることができることもよく知られている。母親自身が外傷を体験しており、弱く、不安定で、自分の女性性や身体を肯定的にとらえることができない場合には、そのことが女児と母親との関係や母親の身体の認識、そしてそこに生じる空想に影響を与えることになる。娘が父親からの性的虐待を受けているのを見て見ぬふりをされていたといった例もある(McDougall 2004)。母や祖母の世代の女性たちの女性らしさの表われの中には、かつては文化的に受け入れられていたために、外傷体験の影響が組み込まれていることが見過ごされてしまうことがある。母親の中には自分の受けてきた外傷的な性的体験をこともなげに、何の説明もなく娘に伝え、そのことで世代から世代へと外傷を無意識に伝達してしまうものもある。こうした母親は娘のこころを自分の外傷体験を貯めておく場所、植民地のように使用することになる(Silverman 2015)。
(『精神分析にとって女とは何か』より鈴木菜実子「第二章 精神分析的臨床実践と女性性」 p.90)



 10時半に咳がとまらず目が覚めた。痰がずっとからんでおり、咳をしても咳をしても抜けない。うっとうしい。日本から持ってきた咳止めシロップも使い切ってしまったしなァと思って、これを書いているいま、念のために薬箱代わりに使っているナイトテーブルのひきだしのなかをあさってみたところ、のどぬ〜るスプレーがあったので、あ、ラッキー! となった。
 今日の最高気温も35度。食堂に出向くのが暑くてだるいのでトースト二枚で朝食兼昼食とする。狂戦士のコーヒーを二杯たてつづけに飲みながらきのうづけの記事の続きを書き、投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年6月9日づけの記事を読み返す。2013年6月9日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。(…)さん、(…)さん、(…)さんと、(…)さんのアパートで大麻だの国内では非合法のエナジードリンクの原材料であるらしいパウダーだのをちゃんぽんして遊んだ日。(…)さんと会ったのはこの日がはじめて。彼の育った環境というのがまたなかなか強烈であるのだが、それについてはこの日の記事に記されていないので、別の機会にあらためて聞いたのだったかもしれない。

仕事を終えて帰宅後、荷物だけ置いてすぐさま今出川まで出て、バスに乗って四条大宮へ。(…)さんと合流。今日は以前より(…)さんの話の中でたびたび登場していた(…)さんとご対面の日。(…)さんは一時期ハーブのやりすぎで完全に廃人となっていたらしく(その当時の座右の銘は「オーバードーズ」だったらしい)わりとけっこうな期間、閉鎖病棟に監禁されていたという半端ない経歴の持ち主である((…)さんの地元の友人は(…)さんといい(…)さんといいだいたいみんな狂っている)。いつシャバにもどってきたのだったか忘れてしまったけれどもとにかくいまは晴れて社会復帰というアレで、といってもわりと長いあいだ無職期間が続いていたみたいだけれど、それがようやく仕事が決まった、明日は初出勤である、そういう流れからのお祝いなのか何なのかしらないけれどもなぜかこのタイミングでじぶんとの初顔合わせというということにあいなったわけで、当初は三人で会う予定だったのだけれど(…)さんも参加するという流れになったらしく、ゆえに四条大宮ロッテリアの前で(…)さんの車がやって来るまで(…)さんと立ち話しながら時間をつぶした。(…)さんと会うのは(…)さんの誕生日会以来で、なんだかんだで五回以上は会っているはずであるしお互いの部屋にさえ出入りしているのにいまだに互いのことはほとんど知らないという謎の関係性で、しかもその関係性が妙に心地よかったりする。いぜん、(…)さんのいない場でぼくらふたりがたまたま町ですれちがうことがあったらどうしますか、とたずねてみたところ、いやいやそれはもう完全シカトでいこう、声かけるとかなしやで、と返されて大笑いした一幕もあった。(…)さんは裸の大将にすこし似ていた。住居のアパートが独特のつくりで、照明のないまっくらな階段をカンカンカンと音をたててのぼっていった二階に、むきだしの鉄骨でできた廊下というか回廊というか通路がのびており、回廊という語を用いたのは中央にある吹き抜けの空間をぐるりととりまくかたちで通路がのびていたからなのだけれどその中央のふきぬけに落下しないようにはりめぐらされている柵やら手すりやらに住人らの洗濯物が干してあったりして、殺風景で無骨で無機質で人工的な肉も皮もない骨だけのやたらと風通しのよい殺風景な空間に、ほとんど場違いの感をともない点在する洗濯物の差し色がとても印象的で、実に黒沢清的な空間だった。せまい一室につどった四人に共通するのがヒップホップだったからというわけでもないのだろうけれどわりかしずっとみんなでヒップホップを聴きながらのチルアウトで、途中で各自がそれぞれ好きな楽曲をリクエストするみたいな流れになった、のだったかどうかはあまりよく覚えていないのだけれどとにかくリゲティの百台のメトロノームのためのなんとかをじぶんは流したのだけれどたぶんあんまり受けはよくなかった。あとは(…)さんの用意してくれたコーヒーがすごくまずいという話や、(…)さんが明日から出勤することになるのは風俗店らしくてそこでひとまず雑用係からはじめることになるらしいのだけれどやたらとおれは風俗王になるのだと連呼していて、面接時に志望動機をたずねられたときだったかにも、ここには夢をかなえるためにきました、と言い、担当者から夢の内容をたずねられると、大金持ちになることです、ときっぱり言いきったとかいう話で、それで採用されるってどんな店やねんという(…)さんのツッコミに死ぬほどげらげら笑ったりした。energy drink without liquidのせいで勃起がおさまらなかった。なにもしていないにもかかわらず絶頂感がせまってきて、気をまぎらわすのに苦労した。

 14時半から(…)一年生の日語会話(二)。期末テストその二。今回試験を受けたのは(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんの12人。以前(…)先生から大学をやめると聞かされていた(…)さんであるが、今学期の終わりを待たず、すでに退学したらしい。「優」に届きうるレベルの学生は、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんあたり。一番ボロボロだったのは(…)さん。ほぼ全問不正解。しかし(…)の期末テストをしていたときも思ったのだが、女子学生らはテストのときに普段よりもかなり着飾ってくる。たぶんそれで少しでも点数を稼ごうというあたまがあるのだろうが、いやそれは関係ないだろと思う。しかしスピーチコンテスト本番の場でもやはり女子学生らはやはり普段メイクをしない子もバッチリメイクになるし、というか校内予選ですらそうだったわけで、だからこれはこの社会の文化なのだろう。こちらはテストの前にけっこうガチガチに基準を作っていくタイプであるし、テスト中も相手のほうはそれほど見ずに発音に耳をすませるようにしているので、外見の印象に左右されることはほぼないと思うのだが、しかし文化だとわかっていても、なんか見くびられているようでちょっとイラッとする感じがしないでもない、中年の男性教諭なんてこうやって着飾った姿を見せておけば加点してくれるもんでしょうと思われているんではないかという考えがどうしたって働く。しかしそれはそれとして、学生らはやはりみんな緊張しているようだった。そりゃそうだ、教室で外国人とふたりきりでやりとりするのだ、緊張するに決まっている。
 テストが終わったところで(…)から微信が届いていることに気づく。きのう送ったitineraryのスクショにこちらの名前が記載されていないというので、電子領収書を送っているのだからそれでもう十分だろうと思いつつも、旅程と支払い金額とこちらの名義が一覧表示されている画面のスクショを四分割して送る。
 教室を出る。駐輪場でスクーターに乗った(…)先生とばったり出くわす。卒論関係の書類を提出しにきたところだという。これでようやく解放されるとのこと。コロナはどうでしたかとたずねると、二度目の感染のほうが症状は軽かったという返事。さらに同居家族に感染することもなかったという。(…)などはむしろ感染して学校を休みたいと言っていたとのこと。
 ひさしぶりの再会ということもあって、そのまま三十分ほど立ち話。来学期入学の新入生が二クラスになる話をする。(…)先生だいじょうぶですかというので、来学期はスピーチコンテストの指導もあることであるし(…)先生に(…)の授業はできないと伝えたと受ける。その(…)先生と(…)先生のふたりが以前教務室でスピーチコンテストの指導について語り合っていたのだが、作文の修正は(…)先生に全部任せればいいだろうと言っていたと(…)先生は顔をしかめて言った。結局今年もそうなるわけねと思っていると、強く言ったほうがいいですよと(…)先生は言った。(…)先生はいちおうその場でそれだと(…)先生の負担が大きくなりすぎますよと言ってくれたらしいのだが、その場にいなかった(…)先生も含めて、担当教員は例年どおりこちらに大部分の仕事を押し付ける気でいるのだろう。いちおう先学期の最後にこの仕事量の差で報酬が同額であるのはおかしくないかと(…)先生に訴えているわけであるし、今学期はその報酬もなくなるわけで、これで例年通り、(…)先生も(…)先生も、それからふたりの影響を受けた(…)先生も、学生らに作文を書かせるだけ書かせてじぶんでは添削を一切しないという方式で乗りきろうとするつもりでいるなら、いっぺんその三人とこちらの計四人からなるグループチャットを作成してそこで詰めてやろうかなと思う。たぶん三人ともめちゃくちゃあせるだろう。
 (…)が(…)学院として独立する話になる。(…)先生や(…)先生をその後(…)のほうで引き取ることはできないのかとたずねると、ふたりとも博士号をもっていないので難しいだろうという返事。(…)先生にお会いしたことはありますかというので、名前だけ知っていますと受けると、彼女はフィリピンの大学院で博士号を取得しているとのこと。何年か前に微信でメッセージを交わしたことがあるが、マジで一年生以下の日本語能力だったのでびっくりした記憶がある。フィリピンの大学院で博士号ということは、もしかしたら日本語専攻ではないのかもしれない、ただ日本語もちょっとかじっているので博士号持ちということで大学に採用されているということなのだろうか? ちょっとそのあたりはよくわからない。
 来学期にあらたな博士号持ちの教員がやってくるという話にもなる。外教ももうひとり来てくれればいいのですがというので、まあコロナ以降のこの状況ではなかなかむずかしいでしょうねと受ける。給料も低いですしと(…)先生もいうので、7000元ちょっとではさすがに来ないですよねと応じる。英語学科もひとり辞めるみたいでというので、(…)は先学期でやめて近所の語学学校で働いているみたいですよと応じると、もうひとり年齢の問題で契約更新できなくなると聞いたというものだから、え? じゃあ(…)がやめるのか! とびっくりした。この仕事の定年はたしか60歳だったはず。(…)はたしかに60歳にみえる。いちおうあたらしい外教がひとりやってくることになっているというのだが、若い男性で、どこの国の人間であるかはわからないものの、中国での外教キャリアはそこそこある、ただ履歴書をみるかぎりほとんどの大学を一年か二年でやめているという話で、だからうちの大学にも長居はしないんではないかとのこと。
 日本語学科も取り潰しになるみたいな話もありますねというと、実際その可能性は否定できないという返事。日本語学科の就職率はうちの大学の全学科中ワースト2位だという。日本語学科のほうでもせめて数字だけでもごまかそうと、本当は就職が決まっていない学生を知り合いの会社で働いていることにするために書類を偽造するなどしているのだが(こうした小細工はほかの学科でもみんなやっているとのこと)、それでも60パーセントそこそこらしい。中国の経済状況はいま本当に悪いですからと(…)先生は何度も口にした。仮に日本語学科がなくなった場合、(…)先生はだいじょうぶなんですか? 英語学科の学生に日本語を教えるかたちになるんですか? とたずねると、そうではなくて大学の事務員として働くことになるだろうという返事。もちろん授業は担当しない、日本語もまったく使わない、だからかなりつまらないと思うというので、以前博士号をとろうかと考えているという話もありましたし、そうなったらそのタイミングで大学院に行くのも手ですねというと、しかし(…)を置いて海外で一年二年と過ごすことはやはりむずかしいという返事。中国国内で大学院に入るとなると、やはり競争率がかなり激しいし、日本の大学院のほうがいいと思うのだが、しかし息子のことがいろいろ心配でと続ける。(…)は集中力が全然ないという。以前からそういう話は聞いていたが、どうもADHDの疑いがあるらしい。いまは三年生なので、勉強するときは鉛筆のかわりに万年筆を使うというのだが、たとえば漢字の書き取りをするとき、ノートの横一列に同じ漢字を書くとして、一列につき三つか四つはかならず書き損じが発生してしまい万年筆でごにょごにょっと毛虫をこしらえることになるのだという。教師に叱られることも当然ある。(…)先生夫妻はそれほど叱らないようにしているというのだが、(…)自身けっこう繊細なところがあるらしくて、というのはけっこう意外であったのだが、じぶんの理想像のようなものをかなり高く設定しているタイプらしい、そうであるからほかのクラスメイトらが容易にできることがじぶんにはできない、そういう状況にけっこうストレスを感じているようで、深刻なトーンではないというのだが、もう自殺したほうがいいかもしれない、みたいなことまでぽろっと口にするらしい。そういう状況であるから、いまはまだ小学生であるからアレだとしても、今後、思春期を経て中学生、高校生となっていく、その過程がたいそう心配であるとのこと。たしかに。
 (…)先生と別れて第五食堂へ向かう。打包して帰宅。狂戦士の夕飯を食す。マジでぼちぼち潮時なのかもしれんなとぼんやり思う。ほかの大学に移るか、帰国するか、そういう決断を来年あたりにはせまられることになるかもしれん。愛着のあるなしとかではなくて、単純に、環境が変わるのはめんどくせえなァと思う。変わったら変わったで、結局、あたらしい物語の予感にウキウキするのはわかっているのだが。

 大連の(…)さんから恋愛相談の長文が届いていたのでそれに返信する。クラスメイトの女の子が好きになった。好意を打ち明けた。すると相手のほうでもじぶんに好意をもっていることがわかった。それからしばらく、正式に恋人同士になったわけではないが、その前段階のようなあいまいな関係を続けていた。その後、(…)さんは正式に交際を申し込んだ。しかし相手の女の子は、じぶんは将来的に結婚して出産したい、両親もそれを期待している、だから付き合うことはできないと言った(という返事から察するかぎり、その子はおそらくバイセクシャルなのだろう)。しかし(…)さんとは親しい友達のままでいたいと言う。(…)さんとしてはそのような状態に耐えられない、フラれたのであればフラれたで距離をしっかり置きたい。だからそう伝えた。しかし相手は納得しない。この件について相談した友人らは、「面倒くさい女」「さっさと逃げよう」と口をそろえて言う。そういう状態が続いていたところ、昨日、相手の女の子のほうから正式に付き合ってほしいと告白された。(…)さんとしては驚くほかない。おそらく相手の気の迷いかもしれないというあたまがあったのだろう、もう一度しっかり考えてほしいと返したが、今日ふたたび告白されたのだという。それでじぶんはどうすればいいのだろうかとこちらに相談するにいたったとの経緯。詳細は知れないし、言語の壁も当事者バイアスもあるだろうから、あまり勝手なことをいうわけにもいかないのだが、話を聞くかぎり、相手の女の子は(…)さんがじぶんのそばから離れようとするのを目の当たりにしたのをきっかけに、じぶんの恋心を強く自覚したということになるのだろう(あるいは、友人としての彼女にそばにいてほしいがゆえに、恋心を自分自身に対してすら偽装したという可能性も考えられるが、さすがにそこまで穿った見方を伝えはしない)。とはいえ、相手は一度(…)さんの告白をこばんでいるわけであるし、その理由も理由である。仮にこのまま付き合うことになったとしても、結婚と出産を希望する彼女の人生設計はいずれそう遠くないうちにふたりの前にたちはだかる可能性がある。とはいえ、彼女の考え自体が変化する可能性ももちろんある。告白を受け入れれば、のちほど傷つくことになるかもしれない(しかしその結末にいたるまでは幸福を享受することができるだろう)。告白を拒めば、いま傷つくことになる(しかしのちほど別の恋をして幸福を享受することができるかもしれない)。そういう状況をはかりにかけているのが現状ということになるのだろうが、とはいえ、(…)さんはまだまだ若い。恋愛経験もそれほど多くない(恋人は過去にひとりいただけだ)。だったら付き合ってみるのも一興ではないか? 将来がどうのこうのなんてことは将来のじぶんにまかせればいいだけの話であって、若いうちは多少無鉄砲になってもかまわないからなるべく多く恋愛を経験したほうがいいのではないか? 結果的に辛い思いをすることもあるかもしれないが、それもまた経験として消化することができるのが若者の特権であるし、それになにより、このような相談をクラスメイトでもない外人のおっさんにもちかけてくる時点で、きみは実は友人たちがよこしたのとは正反対の助言、すなわち、ふたりが恋人になる方向へと自分の背中を後押ししてくれる意見がほしいということなのでないか? そういう心理が仮に働いているのだとすれば、その心理にすなおになったほうがいい、と、だいたいにしてそのような返信を書き送ると、「はははは」「さすが(…)先生」とドンピシャだった模様。「先生に相談しにきってよかった~」という。夏休みは(…)にいるかというので、来月13日まで(…)に滞在しているが、14日に(…)入りして一泊する予定だ、だからその日に会うこともできるでしょうと受ける((…)さんの故郷は(…)なので)。
 それから写作の添削にとりかかる。「(…)」。全員分をひとまずまとめて片付ける。ひとりひとつずつおもしろ回答をピックアップしたものをまたPDFにまとめて配布しようと思うのだが、それは明日か明後日することに。その後、ソファに移動して、『現代タイのポストモダン短編集』(宇戸清治・訳)の続きを読む。「虹の八番目の色」(ビンラー・サンカーラーキーリー)と「毒蛇」(デーンアラン・セーントーン)。前者はクソほどどうでもいい。こんなものを読む時間があるなら、YouTubeSFC時代の格ゲーの超必殺技集を視聴していたほうがマシだ。後者はおもしろかった。『現代タイのポストモダン短編集』に収録されている短編でいちばんよかったかもしれない。訳者によれば、以下のような曰く付きの経緯がある。

 「毒蛇」は、デーンアランが長い時間をかけて内部発酵させ、二〇〇一年にやっと書き下ろした短編であるが、はじめはタイの雑誌社にまったく相手にされず、タイ文学研究者・翻訳家のマルセル・バランがフランス語に訳してルシュール社から六千部を出版、発売後一カ月を待たずに一万部が増刷されたという曰く付きの小説である。デーンアランの名は、一九九三年に同じようにフランス語で発行された長編Ngao Si Khao(白い影)によってヨーロッパでは少しは知られていたが、一躍、現代タイの偉大な作家と呼ばれるようになったのは「毒蛇」以降のことである。結局「毒蛇」は、二〇〇八年にフランスのシュヴァリエ芸術文化賞を受賞した。その後、タイではバンコク・ポスト新聞が英語版で連載したのをきっかけに、二〇一一年になってようやくメーオクラーオ社がタイ語・英語併記版を出版した。

 巨大なキングコブラに襲われた少年が、噛みつかれるすんでのところでそのコブラの頭を左手で押さえ込む(少年の右手は障害によって自由でない)。コブラの牙は少年に届かないが、四メートルはあるその巨躯で少年の体を締めつける。少年はコブラに体を締め付けられたまま、世話になっている僧のいる寺をおとずれ、働いている両親のもとをおとずれ、じぶんの家がある村をおとずれる。しかしだれも少年を助けることはできない(あるいは助けようとしない、なぜなら少年一家に私怨を有している村の呪術師的かつペテン師的な存在が、キングコブラの強襲は祟りであると言明するからだ)。キングコブラに巻きつかれた少年が、ふつうに考えてありえないような距離を——寺院へ、両親のもとへ、村へと——移動する点だけ見れば、リアリズムの範疇を逸脱していると判断されるのだが、しかしそのさじ加減が微妙というか、ひょっとしたらそういうこともあるかもしれないと思わせられるような妙なリアリティも同時にある、というよりもここではむしろ、キングコブラや、少年や、少年の障害がある右手や、呪術師的なおっさんやに託された寓意の節度がひかえめである、暗喩の体系がカチカチに気づかれていない、そのためにリアリズムとしてそのまま読むことのできる余地が残されていると評したほうが正確だろう。その微妙なバランス感覚がおもしろい。ただ、結末として、とうとう精も根も尽きはてた少年がキングコブラのあたまを握っていた左手の力をゆるめる、そして死を覚悟する、しかしキングコブラはいつのまにか少年の手のなかで息絶えていたことが判明する、と、ここまではまだいい、凡庸といえば凡庸なオチかもしれないが許容はできる、しかしそのあとに続けて、少年の「目はうつろに開き、時々微笑んだり、時々は声を出して笑ったりした。時には泣き、時には自分に向かってぶつぶつと何かを呟いた。敗北を受け入れることにした、まさにその瞬間に、彼の精神は完全に毀れたのだった。」と結ばれるのは、うーん、さすがにこれはちょっと違うんじゃないの、凡庸きわまりないこの最後の一行のせいで全部台無しになっちまうんじゃないの、それまで微妙なバランスで回避されていた暗喩の体系がこの一行のせいでわかりやすく固定されてしまうんでないの、とたいそう疑問に思った。
 書見を終えたところで(…)二年生のグループチャットに通知を送る。来週の授業に便箋と封筒を持ってきてください、と。(…)くんから封筒は手作りでもいいかという返信が届く。冗談のつもりなのか? それとも単純にケチりたいのか? 彼のコミュニケーションにはなかなか不明なところが多くある。手作りでも別にかまわないとひとまず返信する。
 シャワーを浴びる。ストレッチをし、パン屋で買ったパンを食し、ジャンプ+の更新をチェックする。その後、今日づけの記事を途中まで書いたところでベッドに移動。『ラオス現代文学選集』(二元裕子・訳)を読みはじめる。ひとまず「そのひと言が……」(ドワンチャンパー)を読んだ。「ラオスでは配偶者を表す時に子供の名前の後に父さん、母さんを付けて呼ぶことがある」という注釈にびっくりした。おもしれーな! (…)夫妻であれば、(…)が妻である(…)ちゃんのことを「(…)の母さん」と呼ぶということだ!