20230616

「二郎、だから道徳に加勢するものは一時の勝利者には違ないが、永久の敗北者だ。自然に従うものは、一時の敗北者だけれども永久の勝利者だ……」
夏目漱石「行人」)



 11時半起床。三年生の(…)くんがモーメンツで教員の発言を批判している。どの先生の授業であるのか、名前を伏せているのでわからないが、「日本发展八千年 中国发展五千年」「原来先有日本才有中国」みたいなことをどうやら口にしたらしく、それに対してキレている模様。彼のキレっぷりを支持するクラスメイトらも当然複数いて、あ、これ下手すりゃキャンセリングがはじまるかもしれんなと思った。ある意味現代の中国ほどポリコレとキャンセル・カルチャーが先鋭化した国はない。(中国における)政治的に正しい発言は異論を決して許さない絶対的なものである。それも以前は一種の抑圧として上から強いられるものだったが(かつては権威であり法であったが)、近年の尋常ならざる愛国教育(と戦狼外交=諸外国ディス)によって、今日の若い世代の人民らには抵抗なく受け入れられているというか、ほぼデフォルトの価値観としてひとつの疑問もなく内面化されている感じがする。実際、教育の現場で教師がほんの少し他国をもちあげた発言を口にするだけで、その音声なり動画なりが拡散して大炎上、とんでもないはやさでクビになったみたいな話もちょくちょく聞く(こちらが知るかぎり、いちばん狂っていると思ったのは、建築関係の教授が講義中に日本の古い時代の建造物を絶賛したところキャンセリングに遭い、そのまま職を失ったというケースだ)。本当に馬鹿げている。戦時中の日本もこんなふうだったのだろう。
 昨日もぽつりぽつり小雨が降っていたが、今日も同様で、おかげでずいぶんひさしぶりに最高気温が30度を切った。何週間ぶりだろう? 第五食堂一階の売店でミネラルウォーターを購入。店員のおばちゃんがレジに突っ伏して昼寝していたので、你好と声をかけて起こしたのち、不好意思とわびる。おばちゃんは眠たげなまなざしをそれでもいつものようにニコリとほそめた。
 外国語学院へ。14時半から(…)一年生の日語会話(二)期末試験その三。今日試験を受けたのは(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんの計12人。このラインナップはちょっときついかなと事前に予想していた通りの結果になった。(…)さんと(…)さんと(…)さんの三人はまず間違いなく「優」をつけることができる。(…)さんは先学期にくらべるとかなり落ちた。モーメンツの投稿から察するかぎり、今学期どうも彼氏ができたらしい。うちの女子学生は恋人ができると突然まったく勉強しなくなる率がかなり高い。(…)さんはある日を境に突然派手に化粧をするようになって髪の毛も金髪に染めて、授業中も以前は最前列に腰かけていたのが最後列に着席するようになり、あ、これは恋人ができたなと思っていたところ、予想通りそのままおきまりのパターンをずるずるなぞることになった。ルームメイトのなかから今後そんな彼女の影響を受ける子も出てくるだろう。(…)さんと(…)さんの東北組は壊滅的。(…)さんと(…)さんも相当やばかった。
 (…)で食パンを二袋買う。今日はふたつなのかとおばちゃんが笑いながら言う。買い物をすませて店の外に出ると、(…)一年生の女子学生ふたりから声をかけられる。なんでこっちにいるの? とたずねると、明日四級試験だからという返事。四級試験は明日ではなく来週の土曜日だろうと思ったところで、そもそも四級試験を受けるのは二年生と三年生なのだから彼女らのいう四級試験は英語のほうのことかと気づき、英語の試験ですか? とかさねてたずねると、日本語! という返事。よくわからんが、詳細をやりとりする能力もまだない学生なので、話はそこで適当に切りあげる。のちほどモーメンツをのぞいたところ、おなじ(…)一年生である(…)くんも四級試験うんぬんと投稿していて、それで思った、以前学生から(日本語専攻の学生しか受験できない従来の四級試験とはことなり)日本語を専攻していない学生も受けることのできる資格試験がはじまるみたいな話を聞いたことがあったが、(…)の学生はそれを力試しとして受験するつもりなのかもしれない。

 帰宅。「究極中国語」でボキャビル。第五食堂で夕飯を打包し、食し、30分の仮眠をとる。シャワーを浴びて、ストレッチをしたのち、20時半から「実弾(仮)」第四稿執筆。23時半まで。プラス19枚で計593/1016枚。シーン30をたっぷり加筆。シーン31も途中まで進める。
 懸垂する。プロテインを飲み、トースト二枚を食し、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。2022年6月16日づけの記事の読み返し。2013年6月16日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。(…)さんと彼の幼なじみである(…)さん、(…)さん——本名はたぶん(…)とか(…)だと思う——といっしょに(…)をちゃんぽんした日。この日の記事はちょっと面白いし、補足しておきたい内容もあるので、全文引用する。

6時半起床。8時より12時間の奴隷労働。帰宅後荷物だけ入れ替えてすぐに今出川まで出る。バスに乗って四条烏丸へ。(…)さん(…)さんと合流。すっかりできあがっている。以前(…)さんが(…)さんと(…)さんの三人でおとずれたという居酒屋へ。ここの大将がもともと(…)さんがブイブイいわしまくっていたころの仲間のひとりで、(…)さんについては「ほんとうに残念な大人」だといいながらも料理の腕に関しては天才と認めてやまず、じじつ店で出しているメニューの大半は(…)さんによって考案されたものらしい。というわけで鳥を食いまくった。

 ここの(…)さんというのはもちろん(…)さん。(…)さんはたぶん(…)さんだろう。

先週より風俗で働きはじめた(…)さんはいまのところ無事に元気にやっているらしい。色んな意味で黒くハードな業界ではあるけれども丸一年働いて幹部クラスに昇進しさえしたら月給50万円はかたいらしく、そうなればじつにおいしい。ただ(…)さんは金をもつとやばいというか、またかつてのように向精神薬とか睡眠薬とかブロンなんかを買い占めてがっつりオーバードーズするんでないかと、それだけがみんな心配で、(…)さんはもともと祇園で伝統文化にたずさわる一員として働いていて、実働時間は一日一時間とか二時間レベルなのにものすごい賃金というか給料自体はたいしたことはないのだけれど金持ち姐さんたちの雑用をこなすことでもらえる小遣いの額が半端なくて、たぶん世の中にこれよりおいしい仕事はないんでなかろうかというアレだったのにハーブで人生オジャンにしてしまって、気づけば居酒屋でうんこを漏らしたり上半身裸にベースボールキャップをかぶって繁華街を練り歩いたりしてしまうようになってしまったとかなんとか、あとはものすごいスケベで、スケベという語のもつありとあらゆるニュアンスと完璧に一致する人材で、(…)さんから二万円借金してまでヘルスに行ったとか(…)さんのお店に女の子を連れてきたはいいものの金づるにされまくっていたとか、むかしから生魚と犬とオカマだけは大嫌いだとずっと言い続けていたにもかかわらずいつからかニューハーフにはまりだしただとか、大阪だったか京都だったかにあるゲイの集まる有名なクラブに行きたいからといってノンケの(…)さんを誘ってくりだしたはいいもののまったくもっていっこうにモテず、最終的に店の真ん中で「だれでもいいからおれを抱いてくれ〜!」と大声で叫んだとか、やばいエピソードがてんこもりで、あとは実家が割烹をやっているらしいのだけれど母親が愛人を連れてやってきてじぶんの旦那が立ち働いているカウンター越しに平気でディープキスしたり下半身をいじくりあったり、けっこうえげつない家庭環境で育ってきたらしく、だから(…)さんはぜんぜんそんなふうに見えないのだけれどけっこう派手にDVをやらかすひとで、そういう意味ではもうひとりの(…)さんと同じなのだけれど、夜中とか朝方にしばしば(…)さんのもとに息子をどうにかしてくれと(…)さんの父親から電話がかかってきたことが一時期よくあったのだという。というのもそのむかし(…)さんがその割烹でバイトとして働いていたことがあったらしく、(…)さんと(…)さんは幼稚園からの付き合いらしいのだけれど、あの環境だったら(…)があんなふうになってしまうのもしかたないと(…)さんが口にしたのはちょうど(…)さんが便所に立っていたときだったように思うけれど、気づいたらまわりが頭のおかしいやつばっかになっていた、かといっていまさらまともなやつと付き合おうという気にもなれない、正気なやつとつるんでもしかたない、というので、まあ類は友を呼ぶっていいますもんね、と聞こえようによってはずいぶん失礼無礼にあたる相づちをうち、それからなんだかんだといいながら(…)さんの地元仲間に次々とひきあわされて輪の中に入りつつある現状を思った。

 (…)さんがかつて従事していた仕事について、当時は公開ブログだったのでぼかして書いてあるが、これはたしか舞妓さんの着付けの仕事だったはず。書いてあるとおり、「実働時間は一日一時間とか二時間レベル」なのに、帯を締めたりなんなりするだけで、ぽーんとお小遣いをもらうことができる、本当にこれ以上おいしい仕事はないだろうというレベルのアレだったらしい。しかしその(…)さんが家族に暴力をふるっていたという話はすっかり忘れていた。ぱっと見はマジで、それこそ(…)さんなんかとおなじ、背が低く小太りで、暴力なんてものとはまったく無縁にしかみえない、それどころかむしろ暴力をふるわれる側だといわれたほうがしっくりくるような外見のひとだったのだが。ドラッグ好きにはけっこう年季が入っていて、中学生のときだったか高校生のときだったか、たしか(…)だったと思うが比較的長期間留学していたらしく(だから英語はペラペラらしい)、そのときも現地でディーラーのもとに通い詰めてコカインばかり買っていたという話だった。
 そして日記は以下のように続く。この時点ですでに軸足が「生活」に置かれている。つまり、「実弾(仮)」のような小説をいずれ書くだろうという覚悟がすでに固まっていたわけだ。

むかしは、大学を卒業する前後だったように思うけれど、小説を読み書きする仲間が欲しいとか、そうでなくても音楽をやっていたり美術をやっていたりあるいはシネフィルだったり、舞台をやっていたり哲学をかじっていたりする連中とつるんだらさぞかし楽しいだろうと思ってそうなることを望んでいたこともあったのだけれど、ひとりで黙々とインプットとアウトプットをくりかえしているうちにだんだんどうでもよくなってきたというかむしろじっさいにその手の連中と知り合ったり言葉を交わす機会を七年間を通して重ねていくうちにどうもこちらの買いかぶりだった、おもしろい人間がいないことはない、だけれど大半の人間はクソつまらないというか生意気いわせてもらえればこちらを驚かせてくれない、モラリストによる定型思考の域を脱するものではない思考をどや顔でひけらかすのにそうかもしれませんねとげんなりとした気遣いとともに相づちを打つのもうんざりもう飽きた、芸術に寄りかかっている人間ほど強烈に紋切り型の言説を口にするものもいない、と完璧に幻滅したというのが、傲慢なものいいかもしれないがたぶん正直なところであって、行儀の良いアート・サブカル愛好者らや文学かぶれどもの趣味の悪さに遭遇するたびにオエッとなってしまってここじゃねえやおれの居場所は、となる。手垢のついた落としどころありきの会話をなまぬるい固有名詞の周辺で交わしあっては知識量の多寡を競いあう愚劣な営みに参画するくらいならば、頭のおかしいひとたちの頭のおかしいふるまい、奇妙奇天烈な発言や動向、まだ目にしたことのない珍妙な光景やエピソードを採集するほうがずっと愉快というもので、ところでそういうかつてあったれこれを思うと、ネットというのはすばらしくて、愛好する固有名詞のばんばん頻出するこのブログに興味をもってなにかしらのかたちでコンタクトをとってきてくれるひとびとと趣味のあわないわけがないというか、早い話、真っ裸に本音のじぶんをそれでもよしと肯定してくれたうえでの関係なわけだから、こういうとなにぶん幼児的な全能感を求めているのかおれはと自問したくもなってくるが、しかしありがたいし、なにより話が早い。この文字列の墓場を京都にやってきて以降のじぶんの領土であるとすると、(…)さんらとくりだす週末の夜というのは地元に置いてけぼりにしてきたじぶんの側面の復讐のようでもある。復讐者が深夜の繁華街を歩きまわっている。街と人に勝手に期待して勝手に倦んだ京都のじぶんを殺そうとつけ狙っている。居酒屋を後にしてからは(…)さん宅に行った。死んだり生き返ったり失神したり痙攣したり悟ったり恍惚としたり狂おしく美しい事物の細部に溺死しそうになったり、せわしなく、めまぐるしく、ものぐるおしく、あざやかに狂って咲く花はあだ花、骨折りは無駄骨、どこの馬の骨ともしれぬまま何も残さず朽ちて逝く。

 そのまま今日づけの記事にもとりかかった。2時半になったところで中断。授業のある日はやっぱり執筆と語学の両方をこなすのはむずかしいようだ。ほかに切り詰めることのできる時間もあると思うのだが、なかなかうまくいかん。寝床に移動後は『囚われた天使たちの丘』(グエン・ゴック・トゥアン/加藤栄・訳)の続き。これはやっぱり相当とっつきにくい小説だ。ちょっと残雪を読んでいるときの感覚に似ているかもしれない。どういう態勢で読んでいけばいいのかわからないというか、この構えでいいかなというのが仮に見つかったとしても、数行ごとに、あるいは、数ページごとに、そうではないのだと作品のほうからはねつけられて通用しなくなる。これはいったいどういう見取り図のもとに書き進められた作品なのか、その痕跡みたいなものがいまだに全然見えてこない。すごい小説なのかもしれない。