20230617

私は天下にありとあらゆる芸術品、高山大河、もしくは美人、何でも構わないから、兄さんの心を悉皆(しっかい)奪い尽して、少しの研究的態度も萌し得ないほどなものを、兄さんに与えたいのです。そうして約一年ばかり、寸時の間断なく、その全勢力の支配を受けさせたいのです。兄さんのいわゆる物を所有するという言葉は、必竟物に所有されるという意味ではありませんか。だから絶対に物から所有される事、すなわち絶対に物を所有する事になるのだろうと思います。神を信じない兄さんは、そこに至って始めて世の中に落ちつけるのでしょう。
夏目漱石「行人」)



 正午過ぎ起床。食堂に出向くのがめんどうなのでトースト二枚ですませる。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年6月17日づけの記事を読み返す。2013年6月17日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。

おもての水場に出るたびに玄関脇の網戸越しに自室の様子を窃視者の横目でのぞきこんでしまう奇癖があって、しらじらとした照明のもとにうきあがる自室がなじみのない空間のように見えるのがすこし面白い。きのうの勤務中、昼下がりのしずかなひととき、不意にじぶんがいま・ここにいるこのじぶんであることにたいする驚愕と不信のようなものにとりつかれて混乱したというか、となりのデスクに腰かけてPCにむかいあっている(…)さんや、高い位置にならべられた数台の監視用モニターや、身につけているワイシャツや右手ににぎられているボールペンや左手にある引き出しの最上段におさめられている英語のテキストや、背後にひかえている部屋でくつろぐ同僚たちやそのなにもかもが唐突に浮遊しはじめて地に足がつかないというか、シニフィエシニフィアンが分離して両者をつなぐ糸が混線して事物の意味がことごとく遠くこんぐらがってしまうというか、とにかくいまあるすべてがこのようであることにたいする納得がすべて失われてしまうような、リニアな歴史の最先端にあるはずのいま・ここを認識することはかろうじてできるのだけれどその認識にいま・ここにいたるまでの記憶や歴史の蓄積というものがどういうわけか欠損しているそのために記憶喪失のようなめまいにとらわれるというか、回線の弱いPCでネットを接続しているときにあるような接続→中断→接続の断続的なくりかえしを記憶領域へアクセスするための経路でくりかえしているような、そういうことはときどきあって認識のバグとしてふだんは片付けているのだけれどきのうのはちょっと次元が違うというか、かなり短い期間ではあったもののかなり強烈で、あ、狂いそう、狂うなこれはきっと、と思いながら、もちろんそこにはある程度の恐怖もあったのだけれどそれよりもむしろ、よし行け!このまま行け!と、自己の崩壊を願うような破滅的な勢いみたいなものもあって、というかそのやけっぱちな好奇心のほうが恐怖を圧倒的に凌駕していて、とはいえ結局はこのとおりまったくもって無事であり無傷であり正気なわけだが、この手の崩壊感覚にたいする興味というのが要するにムージルを経由した神秘主義や恍惚体験、薬理学的な脳いじりと軌を一にしているのだと思う。たったいちまいの網戸をはさんで窃視者のまなざしを模しただけで自室がああも簡単に他人行儀に見えてしまう、そのおもしろさもまた同様のバグを求める心理に基づくものだ。

 「よし行け!このまま行け!」と思えるということは、結局、この認識のバグはその程度のものでしかなかった、「このわたし」や「いまここ」を崩壊せしめるほど徹底的なものではなかったということだ。そういう危機に触れた経験を有する十年後のじぶんからすれば、この当時のじぶんはまだ安全圏でイキっているにすぎない。「やけっぱちな好奇心」で凌駕することのできる「恐怖」などたいしたものではない、本当の「恐怖」はそんなぬるいものではない、狂気に夢を見るな(統合失調症神話の否定)。

 ここまで記事を書くと時刻は14時半だった。成績表の記入をはじめる。まずは(…)および(…)一年生の日語会話(二)。「道案内」の試験を行う前にだいたいこういう基準で点数をつけようという見通しを用意しておいたのだが、そして実際に成績表に記入する段階であらためて微調整を行うつもりだったのだが、その必要はまったくなかった。あくまでも仮のものとして、当初の基準にしたがって点数をつけてみたところ、十分バランスのとれた結果になったのだ。ただ、本来なら「不合格」である学生らを「合格」にしている手前、その学生らほど低い点数ではないもののおなじ「合格」をつけている学生らはちょっとかわいそうであるので、下駄をはかせて「中」にするという操作はのちほど行うかもしれない。今日はとりあえず仮の点数をつけるのみだ。韓国留学のために高い成績が必要だと以前連絡をよこした(…)さんであるが、計算の結果、問題なく「優」をつけることができることが判明したので、フライングで成績を教えたことは秘密にしておいてねと断りつつ、結果を微信で送った。便宜をはかったと思われるのも困るので、この結果はあくまでも客観的な採点基準に従って得られたものだ、つまりほかでもないきみ自身の実力によって得られたものだと補足しておいたのだが、「私はいつも先生は客観的で公正だと信じています。私が出会った日本人は皆そうだったようです」という返信があって、あれ? おれ以外の日本人に会ったことがあるの? とちょっとびっくりした。と、書いたところで、手元の自家製名簿をチェックしてみたところ、彼女は浙江省出身らしい。実家が都市部であれば、日本人もきっとわんさかいるだろう。
 そのまま二年生の日語会話(三)の成績も仮基準にしたがってつける。こちらはいろいろと微調整が必要だが、それでもさほどてこずることはない。(…)さんの結果だけどうしたもんかなと迷う。実力的には「優」であるのだが、今学期は三度にわたって平常点も成績に加味すると学生らに伝えているわけであるし、遅刻も多く授業中もずっとスマホをいじっているだけの彼女にそれでもなお「優」をつけるとなると、ほかの学生らもきっと「おいおい(…)、日和やがったな!」と思うだろう。判断は日語基礎写作(二)の期末試験の採点が終わるまでひとまず待つことに。
 第五食堂で打包。狂戦士の食事をとったのち、ベッドで仮眠。シャワーを浴び、ストレッチをし、21時から『本気で学ぶ中国語』。0時半に中断し、トースト二枚を食し、プロテインを飲み、歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックしたのち、ベッドに移動し、『囚われた天使たちの丘』(グエン・ゴック・トゥアン/加藤栄・訳)の続きを読み進めて就寝。