20230625

 11時ごろ起床。二年生の(…)くんから微信。作文のテストは300字以上でもいいですかという。規定通り400字以上書いてあれば、内容がどうであれ必ず合格にはすると事前に何度も告げてあったわけだが、いまさらなにを言っているのか。テストは午前中に終わったらしい。
 歯磨きしながらロシアの続報を追う。プリゴジンはいちおうおとがめなしということになった模様。とはいえ、ベラルーシに亡命するらしい。亡命したところで、ロシアの属国もいいところであるし、これだけの騒ぎを起こしたわけであるから、ロシアお得意の暗殺の恐怖にこれから日々おびえながら暮らすことになるだけでは? ワグネルの兵士らの処遇については、希望者は国軍に迎えるという展開になっているようだが、そもそも今回の反乱の動機のひとつが、影響力と存在感を増しつつあるワグネルを国軍の支配下におさめようとする動きそのものに対する反発というアレもあったはずで、だったらこの結果はほぼプリゴジンのひとり負けということになるのでは? ショイグ国防相とゲラシモフ参謀総長をひきずりおろすというたくらみも結局うまくいかなかったようであるし。
 トースト二枚食し、きのうづけの記事の続きを書いて投稿する。ウェブ各所を巡回し、2022年6月25日づけの記事を読み返し、2013年6月25日づけの記事も読み返して「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。そのまま今日づけの記事もここまで書いた。

 「究極中国語」をぶつくさやる。15時をまわったところでケッタに乗って外国語学院の教務室へ。日語会話(二)の成績表を提出し、日語基礎写作(二)の答案を受けとる。クソ暑くてたまらないので、ピドナ旧市街の入り口にある売店でレモン風味のペプシを買う。帰宅後、ペプシをがぶ飲みしながら答案にざっと目を通して、最上位付近と最下位付近の当たりだけつけておく。特に驚きはなし。だいたい予想通りの結果。
 第五食堂の一階で打包する。食し、仮眠をとり、採点にとりかかる。作文の採点ほど面倒くさいものもない。ひとまずS、A+、A、B+、B、C+、C、D+、Dの9段階に振り分けるわけだが、B〜Cあたりなんてほぼ点差がつかないというか、優劣をつけるのがいちばんむずかしい、何度も何度も目を通してようやくこれでいいかなという答えが見つかる感じ。(…)くんに微信を送る。規定文字数に達していないのでその分減点はするが、最終的には合格になっているので安心しなさい、と。規定文字数に達していないといえば、(…)さんもやはりそうだったので減点したわけだが、それ以上に彼女がこちらの予想していた数倍文章が上手だったことに驚いた。ふだんの課題を見るかぎり、決して文章がうまいわけではなかったし、会話の成績も「中」止まりであるのだが、なぜか今回のテストは相当よかったのだ。内容は大学一年生のときに「ビラ配り」のアルバイトをした件について。朝から夕方遅くまで働いて、給料はたしか50元程度だったか、日本だったらそれ時給やぞみたいな金額だったので、マジかよと驚いたのだった。
 採点を終えるとすでに23時をまわっていた。かなり疲れた。(…)くんにこのあいだもらったちまきを茹でて食ったが、たぶんそこそこのブランド品だったのだろう、以前大学にもらったやつにくらべてはるかにうまく、マジか! 粽子ってこんなにうまいのか! とびっくりした。淘宝で同じものを買って実家への手土産にしようかな。
 歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックする。1時になったところでベッドに移動し、『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(フィリップ・K・ディック浅倉久志・訳)の続きを読みはじめたのだが、途中でなぜか下痢ラ豪雨に見舞われた。粽子か? 粽子があかんのか? 『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』はマジでおもしろい、というかこれトリップの描写がうますぎやろと思う。キマりきってもっていかれてしまうあの感じ、もっていかれている最中にふとわれにかえってシーンが切り替わるあの感じが、外側からの説明抜きに、体験したことのある人間だけにピンとくるような書き方で書かれている。いまじぶんが知覚しているいっさいが幻覚でしかないという認識があるにもかかわらず、ふと気を抜けばその認識が消失してしまいほかでもない現実を生きているものとしてふるまってしまう、がしかしなにかのきっかけにそれが幻覚でしかないことにまた思いいたり幻覚を幻覚として生きようとするのだが、しかしすぐにまたその認識を消失し——みたいなシーンの切り替わる過程が、たとえば「彼はいま目にしている光景が幻覚であることを思い出した」とか「彼はふたたび幻覚を現実と取り違えていたのだ」とか、そういう外部からの説明的記述いっさい抜きに描かれており、しかもその認識の消失および再獲得ひとつひとつのターンがけっこうな長さをもって持続するために、読者もまた、あれ? これはどっちなんだ? 幻覚のままでいいんだよな? それともいつのまにか現実に切り替わっているのか? という混乱に見舞われることになる、そこがまたうまい。やっぱり筋金入りのジャンキーが描いたガンギマリ体験は堂に入っている。