20230626

 11時半起床。トーストとコーヒーの食事をとりながら日語基礎写作(二)期末テストの採点作業続き。途中、三年生の(…)さんから微信。卒論で翻訳する日本語の本を貸してほしいという。17時ごろに寮に行っていいかというので了承。
 採点を片付け、成績表に成績を記入し、試験の解答を印刷する。シャワーを浴び、ついでに浴室と便所の掃除をする。街着に着替えてからケッタに乗って外国語学院の教務室へ。必要な書類一式をすべて提出する。問題なしとの返事。これで今学期の仕事がすべて終わったことになる。やれやれ。一年生も三年生も今日で期末テストが終わったらしく、モーメンツに解放の雄叫びが続々あがっている。キャンパスではスーツケースをガラガラさせている姿も見かけた。
 帰宅。部屋を少々片付けたのち、きのうづけの記事の続きを書く。17時をいくらかまわったところで(…)さんと(…)さんのふたりがやってくる。部屋のあちこちにしまいこんである(…)さんの置き土産である本を床にドバッと放り出して自由に選ばせる。(…)さんは小一時間ほどかけて、『ザ・万歩計』(万城目学)と『きみはポラリス』(三浦しをん)の二冊に決めた。おもしろいですかとたずねられたが、どちらの作家も一冊も読んだことはない、しかしいわゆる純文学作家ではない、ミステリでもSFでもないから専門用語に苦心することもないだろう。特に前者はエッセイのようであるし、ぱらぱらっとページをのぞいてみた感じ、それほど難しい内容にもみえなかったから、これだったらいいんじゃないだろうか。(…)さんは本を選ぶにあたって、表紙がかわいいかどうかを基準のひとつにしており(その結果、最初に手にとったのが『アルジャーノンに花束を』だった)、小学生かよとこれにはさすがに笑った。本はいつ返せばいいかというので、ここにある本は(…)さんがいらないといって置いていったものであるしぼくの趣味でもないから返さなくていいよと伝える。
 本を選んでいる最中、いろいろ話す。四級試験がやたらとむずかしかったと二年生が嘆いていたよというと、再試験だった(…)さんも同意。単語やリスニングは前回より簡単だったが、文法問題はやや難しく、なにより例年にはない新形式の問題があり、それがめちゃくちゃに難しかったらしい。前回は1点差で合格できなかった(…)さんであるが、今回はどうなることやら。(…)さんにビザはもう手に入ったのかとたずねると、手に入ったという返事。来月のたしか11日だったかに出国するという。つまり、こちらより先に日本に旅立つわけだ。最終目的地こそ異なるものの、道中は(…)さんといっしょだというので、それはちょっと安心できるねと応じる。二年生の(…)さんと(…)さんの出発日はたしか8日だったか、いずれにせよやはりこちらより先に日本に向かう段取りになっているようだった。
 メシを食いに出かける。第一食堂の螺蛳粉を食いたいというので、第一食堂のやつはめちゃくちゃ辛いんでしょうというと、だいじょうぶだという。(…)人の「辛くない」ほど信じられない言葉はこの世に存在しないわけだが、仕事もひとまず片付いたわけであるし、別に多少腹を下したっていいかと覚悟を決める。第一食堂に向かう道中、ふたりの予定をたずねる。(…)さんは明日の朝からバスに乗って故郷に帰る。(…)さんは来月の二日だったか三日だったかにN1を受けるので、その試験が終わるまでは大学に残って図書館で勉強するつもりだという。(…)さんと(…)さんと(…)さんもインターンで出国するまでのあいだ、故郷にはもどらず大学に残るみたいな話だった気がするが、これはさすがに聞き間違いか、日本で半年間過ごすわけであるしさすがにその前に一度は帰省するだろう。ほか、院試のために大学に残るのは(…)さんと(…)さんと(…)さんと(…)さんと(…)くんだったと思う。(…)さんはたしか天津にある高名な大学を目指しているはず。(…)さんは専攻を変更して故郷にある東北なんちゃら大学を受けるらしいのだが、なにに専攻を変更するのかは不明であるとのこと。(…)さんと(…)さんの二人はそろって広東外語外易大学を受ける。(…)くんは北京第二外国語学院。ほか、院試組は(…)さん。湖南師範大学を受けるらしいのだが、正直彼女の能力では厳しいだろう。意外なことに(…)さんも院試に参加するとのこと。どこの大学院だったか忘れてしまったが、先学期四級試験でクラス最低点をマークしていたし、再受験当日も遅刻してきたというし、なにより勉強など一切せずただアニメをみているだけという印象しかない子なので、たぶん厳しいと思う。ちなみに彼女は寮を出てひとり暮らしをしているとのこと。(…)くんは大連海事大学。はじめて聞く名前だが、211工程に含まれているらしい。彼はてっきり大学院になど興味はないものと思っていたのだが、一年生の時点ですでに将来は貿易業にたずさわるみたいなことを言っていたらしい。(…)くんは大連外国語大学。(…)さんは専攻を法律に変えたうえで南昌大学。彼女は故郷が江西省であるしこのチョイスをしたのだろうが、専攻の変更は意外だった。日本語能力もかなり高いわけだが、それでいえば今年心理学に専攻を変更したうえで見事大学院に合格した(…)さんみたいなものか。すでに法律関係の分厚い本を山ほど購入して猛勉強モードに入っているらしい。なんとなく彼女は合格するんじゃないかと思う。
 (…)さんはクラスのグループチャットに卒論で日本語書籍が必要であれば(…)老师のところで借りればいいと通知のメッセージを送った。その文章がこちらでも読むことのできるほど簡単なものだったので、彼女の打った文面をそのままボイスメッセージとして送りなおすと、すぐに(…)くんや(…)くんが先生中国語上手だねと反応した。(…)楼付近を歩いているときだったと思うが、(…)さんにあたらしい彼氏ができたようだとふたりがいうので、このあいだ第五食堂の近くで見かけたよと応じた。彼女は二年生のころから働いているという。演讲の学校だというので(スピーチやプレゼンの作法を教える教室みたいなところ)、しょっちゅうモーメンツに宣伝の投稿をしているなと思いつつ、アルバイトではないのかとたずねると、ほとんど社員みたいなものだという返事。だから授業にもしょっちゅう遅刻するというので、そういう学生もいるんだなとめずらしく思った。ちなみに彼氏はそこの同僚。卒業したあともおそらくそのまま仕事を続けるのだろう。
 地下道を抜けて老校区に向かう。バスケをする学生、広場ダンスをするおばちゃん、なにをするでもなくベンチに腰かけているおっちゃんたちのそばを通り過ぎる。売店で飲み物を買って第一食堂へ。しかし螺蛳粉の店がある二階はすでに閉鎖されていた。

 しかたがないので大学の外にある串焼きの店に行くことに。(…)さんがそこに行こうと言い出したのだが、これまでにおとずれたことは一度もないという。店は以前三人でいっしょにおとずれた新疆料理の店のすぐ近くにあった。二階に上がる。QRコードを読みこんで注文をする。主食として粉と炒饭、それからオクラのおひたし(わさびがついている!)、串焼き数種(牛肉、豚肉、海老、魚)。こちらの後ろの後ろの席では先着していたおばちゃんが飲み食いして盛りあがっている。会話のところどころに「日本」という言葉が聞き取れる。学生ふたりがややそちらのほうを気にしているふうだったので、たぶん日本の悪口を言っているのだな、それにこちらが気づかないように気をつかっているのだなと察する。時期的におそらく原発の処理水のことだろう。
 運ばれてきたものを食う。炒饭は全然うまくなかったが、粉はけっこういけた。串焼きは日本の焼き鳥屋や居酒屋で食うものにくらべるとやはりずいぶん劣る。肉の品質も悪いし、味付けもめちゃくちゃ大雑把だ。味覚はそこそこ復活しているようだが、嗅覚はやはりほぼ死んでいる、食品を鼻先ぎりぎりまで近づけてようやくぼんやりと嗅ぎとれる程度。(…)さんはいまだに嗅覚の回復しないこちらに驚いているふうだった。こちらはけっこう以前から、味覚はわからないが嗅覚に関してはもう完全に戻らないものとあきらめているところがある。いや、あきらめているという言葉にはちょっと悲壮感がつきまとうのでそうではない、引き受けているというべきか、そういうもんだろと了解しているというか、どう表現すればいいのかわからないのだが、なにかしら大きな葛藤や苦しみを乗り越えてのアレではなくそういうこともあるだろうとハナから割り切っているところがある。どうしてそういうふうに平然と状況を受け入れることができているのか、じぶんでも少し不思議であるのだが、そもそも食に関する興味が乏しいという理由は別として、コロナに感染する前からコロナとは無関係に、じきに四十路になるのだからいずれそう遠くないうちに身体のあちこちにガタがくるだろうという認識が、ぼんやりとした一般論ではなく一種の明晰さとともにまずあった、死ぬまぎわまで自分が五体満足でいられる保証などどこにもない、人生の後半戦はなにかしらの疾患や障害や欠損を抱えての道行になることも十分にあるという考えが、ふってわいたような想念としてではなくもうちょっと地道に、長い時間をかけて積み重なってきたものとしていつからか実存に食い込んでしまっている、それゆえにこの状況にもさほど動揺していないのだろう。もちろん回復を希望しているし、手軽な方法でそれができるのであればぜひという感じであるが、しかし一生このままであるとしてもそれはそれとしておそらくこちらは強い葛藤抜きに受けとめることができるだろう。もしかしたら父親が突発性難聴によって片耳の聴力を完全に失った状態で十年以上生活しているのを目にしているという経験も大きいかもしれない。
 食事を終えると20時半だった。(…)さんは明日の朝はやく出発なのでさっさと帰ることに。店の前でまた通行人にたのんで三人の記念写真を撮ってもらう。大学にもどる道中、(…)さんのところに父親から電話がある。ふたりが通話しているあいだ、(…)さんとアニメの話になる。(…)さんは流行りのアニメよりも少し古いアニメのほうを好んで見ているという。それでいま見ているというやつをいくつか教えてくれたのだが、全然知らないものばかりだった。ひとつおぼえているのは『东京残响』というもので、これは現在中国政府の検閲対象になっているとのことだが、帰宅後ググってみたところ、原題は『残響のテロル』で、名前をきいたことだけはある。あと、これは有名どころではあるが、『ヴィンランド・サガ』がすごく好きだというので、幸村誠といえばぼくは『プラネテス』がすごく好きで、漫画はなんども読み返しているしアニメも一度観たよと応じた。先生ほかにどんなアニメを観たというので、アニメをみる習慣はあまりないんだけど、それでも『新世紀エヴァンゲリオン』と『シュタインズ・ゲート』と『魔法少女まどか☆マギカ』は観たよと応じる(『攻殻機動隊』シリーズについては言及するのを忘れていた。あと、ずっと観よう観ようとおもって十年以上経過している作品に『serial experiments lain』があるのだった)。クラスメイトの(…)さんは『魔法少女まどか☆マギカ』が大好きだと(…)さんはいった。彼女は知っているかどうかわからないが、(…)さんは同性愛者であり、百合アニメや百合漫画や百合ゲームを死ぬほど愛している。まどマギもおそらくその文脈で愛している。
 女子寮の前でふたりと別れる。来月から日本の(…)さんに向こうで困ったことがあればいつでも連絡しなさいと伝えると、やさしい先生ねー! と(…)さんが茶化した口調でいう。その(…)さん、内心ではけっこうさみしいだろうなと思う。親友の(…)さんだけではない、(…)さんも(…)さんも(…)さんもみんな日本に行ってしまうのだ。結果、寝室には彼女と(…)さんのふたりだけが残るかたちになる。ふたりだけで来学期をまるごと過ごすことになる。
 寮に戻る。シャワーを浴び、ストレッチをし、きのうづけの記事を投稿する。2022年6月26日づけの記事を読み返す。

 翌日は正八時に学校へ行った。正門をはいると、とっつきの大通りの左右に植えてある銀杏の並木が目についた。銀杏が向こうの方で尽きるあたりから、だらだら坂に下がって、正門のきわに立った三四郎から見ると、坂の向こうにある理科大学は二階の一部しか出ていない。その屋根のうしろに朝日を受けた上野の森が遠く輝いている。日は正面にある。三四郎はこの奥行のある景色を愉快に感じた。
 銀杏の並木がこちら側で尽きる右手には法文科大学がある。左手には少しさがって博物の教室がある。建築は双方ともに同じで、細長い窓の上に、三角にとがった屋根が突き出している。その三角の縁に当る赤煉瓦と黒い屋根のつぎめの所が細い石の直線でできている。そうしてその石の色が少し青味を帯びて、すぐ下にくるはでな赤煉瓦に一種の趣を添えている。そうしてこの長い窓と、高い三角が横にいくつも続いている。三四郎はこのあいだ野々宮君の説を聞いてから以来、急にこの建物をありがたく思っていたが、けさは、この意見が野々宮君の意見でなくって、初手から自分の持説であるような気がしだした。ことに博物室が法文科と一直線に並んでいないで、少し奥へ引っ込んでいるところが不規則で妙だと思った。こんど野々宮君に会ったら自分の発明としてこの説を持ち出そうと考えた。
夏目漱石三四郎」)

 ここはすばらしかった。この前に先輩である「野々宮君」から校舎(建築)の魅力を教えられるくだりがあるのだが、田舎出の新入生である三四郎にはそれが理解できない。しかし数日経過したここでは、すでに建築を、というか「風景」をながめるまなざしを獲得している。まさにビルドゥングスロマンだと思う。バルトの『偶景』の中にパン屋の女主人とのやりとりを介して「《光を見る》ことが階級的感受性に属していることを了解する」というくだりがあるが、景色をながめてそれを美しいと感じる、それもただ漠然と感じるのではなくたとえば上の引用部にあるように「ことに博物室が法文科と一直線に並んでいないで、少し奥へ引っ込んでいるところが不規則で妙だと思」うというように細部を指摘することができる、これは間違いなく「階級的感受性に属している」。
 それでふと思い出したのだが、じぶんがこうした物の見方を覚えたのは文学よりもはやく、やはり(…)の影響だったかもしれない。まだ高校生の時だったか、あるいはすでに京都に進学したあとだったかもしれないが、(…)が景色か絵か、あるいは写真か何かをながめているときにふと、おれはあそこのあの青色の部分が好きだ、みたいな、全体的な漠とした印象ではなく、ピンポイントで色彩を指名しそれを美しいと口にしたことがあり、そのときじぶんは、そうか、色というのはそういうふうにして見ればいいのか、と膝を打って感心したのだった。

 ここを読んでいて思い出したのだが、(…)がこちらに示唆してくれたのは絵画の見方だけではなかった、景色や光の見方もまた示唆してくれたのだった。円町のあばら家に住んでいるとき、近所の生鮮館で買い物をすませたその帰りに、西日が家屋の白い壁面にあたってその壁面を琥珀色に染めていた、その上にひさしの作る影が昼間のように濃く落ちて矩形を浮かびあがらせて幾何学的なコントラストをなしていた、そのようすを指さして、おれあの色が好き、と口にしたのだった。買い物袋をさげて歩いているこちらはその言葉にかなり衝撃を受けた。ああいう色合いや影のかたちを具体的に指差し、それを好きだと口にしてもいいものなのかと、こちらが自明視していたルールの外側を突然突きつけられたような、というよりもむしろこちらが自明視しているルールなるものが存在することをそのひとことでもってはじめて自覚したような、そういう衝撃を受けたのだった。
 それから2013年6月26日づけの記事を読み返して、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。以下のくだり、クソ笑った。

おもての水場にカセットコンロを運び出してそこで炒め物をしていると、突然の心臓発作に息のつまったひとがしぼりだす断末魔みたいなのが聞こえてきて、その声色があきらかに大家さんのものであったからおもわずぎょっとして、そのときたまたまそばにいた(…)さんになんすかいまのとたずねたのだったが、敷地内にしのびこんだ野良猫を追い払う大家さんの威嚇だったことが判明し、ちょっとツボに入った。たしかにここ数日、ほとんど毎晩のように敷地内で野良猫を見かけるのだけれど、どれもこれもいちおうは警戒心旺盛ではあるもののしかしそれにしてはこちらのわりとすぐかたわらを足早に通りすぎていったりと、ある程度ひとに慣れているような節のないこともなく、ひょっとして住人の誰かが餌付けでもしているんではないかと思われないこともないのだけれど、その猫たちが大家さんの部屋に侵入して飯を横取りしていくことがたびたびあると、これは(…)さんから聞いた話なのだけれど、それゆえに大家さんは野良猫どもにたいしてたいそうお冠で、敷地内で見かけることがあれば石を投げるようにと(…)さんに命じたことすらあるらしい。

 10年前の記事にはランキン・タクシーの「ひとかけらのチョコレート」の歌詞が一部引かれており、それでなつかしくなってAppleMusicでダウンロードしてみようと思ったのだが、なかった。Why Sheep?との共作であり傑作である「逃げろウナギイヌ」もふくめてサブスク解禁してほしい。帰国したらCDを買うか借りるかしようかな。
 今日づけの記事にそのままとりかかる。0時になったところで中断。先週だったか、話題になっていた『出会って4光年で合体』(太ったおばさん)をポチるつもりのまままだポチっていなかったことを思い出したので、DMMブックスで、ではないのか、R18だからあつかいはFanzaになるのか、とにかくそこでポチった。それで軽い気持ちで読みはじめたのだが、一瞬で、あ、これはやばいわ、となり、まずは粽子を茹でて腹ごしらえをした。それから歯磨きをすませて体勢をととのえたのち、あらためて続きを読みはじめた。
 読み終えると時刻は3時半だった。ぶっとんだ。あたまがくらくらした。こんなふうに物語に酔ってくらくらするのは実にひさしぶりのことだ。エロ漫画でいえばルネッサンス吉田をはじめて読んだとき以来の衝撃、ピンク映画でいえばいまおかしんじをはじめて観たとき以来の衝撃だ。感化されそうになる。全然違うタイプの小説を書いているいま読むべき作品ではマジでまったくなかったのだが、それでもポチって正解だった、情報を圧縮してほとんど暴力的にぶん投げまくる、ぶん投げ続ける、ぶん投げまくり続ける、そういうスタイルの作品でしか味わうことのできないぎりぎりの酩酊というものがたしかに存在する。そして『出会って4光年で合体』という作品は、ただまっすぐ投げまくるだけでも十分傑作になりうる情報密度を誇りながら、その情報の出し順や出し方、小分けの仕方やその表象方法などがやたらと巧くて、もしかしたらむしろそっちのほうがすごいのかもしれない。しばらく寝つけんかった。近いうちに再読する。