20230628

 12時半起床。トースト二枚とコーヒーの食事。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年6月28日づけの記事の読み返し。以下、ひとつめの引用は2021年6月28日づけの記事、ふたつめの引用は2022年6月28日づけの記事より。

読み返しは2020年6月28日づけの記事。片岡一竹『疾風怒濤精神分析入門』の「ここまで定義せずに使っていた「享楽」という語は、実はこの欲動の満足を指します(ただし、これはフロイトではなくラカン独自の用語です)。人間の根源的な目標が欲動の満足で、欲動の満足が享楽だとすれば、「人間の最終目的とは享楽を得ることである」と言えるでしょう。この目的は、言語の〈法〉の目的を越えているわけです」という抜き書きを読んで、「享楽」=「欲動の満足」というシンプルきわまりない公式が、最近ちょっと頭から抜け落ちていたなと思った。

 後者のくだり[引用者注:上のくだり]を読んで、言語はそもそも「他者」であること、そしてその「他者」とはすなわち「社会」であり「法」であること、そして欲望とはその他者=社会=法を逸脱しない範囲内で部分的に満たされるもの(あるいは換喩的に満たされきることのないもの)であるのだなと改めて整理された。

 さらに、2013年6月28日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。

 解剖学の講義でハミルトンは、教材として、関節の動きや、消化管の動き、蠕動などを示す身体のX線撮影映画を私たちに見せた。その映画は他に類のないユニークなものだった。願わくは今でもそうであってほしい。と言うのも、このように長時間X線に身体がさらされていると、広い範囲にわたってX線による火傷や組織の破壊が起り、人間という実験動物がすぐさまこの災害から救い出されない限り、苦悶のうちに死ぬ結果になってしまうからだ。私たちが見せられたのは、ナチスユダヤ人を対象にして行なった実験の記録映画で、第二次大戦の終りにイギリス軍に押収され、その後は教材として使われていたのである。
 スクリーンに映し出されていることの意味が心にぴんとくるまで少し時間がかかった。私はその映写を一回しか見なかった。それだけで、ジョン・オウエンズという友人と教室を出てしまった。二百人あまりの他の学生は坐ったまま、興味深げに映画を見つづけていた。オウエンズと私は胸がむかつき、憤慨していた。ハミルトン教授のところへ二人で行って、訴えた。「わたしたちは人間が焼き殺されるところを見せられているんです! どうしてあれを教材に使ったりするんですか」
 「うん、分ってるよ。きみたちの言う通りだ。しかし、あれは得がたいユニークな教材なんだ。あれを使わなかったら、あの人たちの死は犬死になってしまう」
 ほとんどの学生がハミルトン教授の意見に賛成した。問題のフィルムの映写をボイコットしたり禁止したりする「運動」は起らなかった。興味深い映画であることは事実だったが、たとえ一秒でもこの映画に興味をそそられたことで(「科学」の関心や興味なんぞは地獄に落ちてしまえ)私はペストに懸ったような気分になった。
 この出来事で人間に対する私の恐怖、あの映画そのものや、それを製作した人たちの心や、官僚主義的、科学的な能率を背後から支えている人たちの心に対する恐怖が烈しくなった。官僚主義的、科学的な能率は、こういう映画の製作ばかりか、それを配布する社会機構を、悪に対するあれほどの無神経さと盲目ぶりで維持しているのだ。
R・D・レイン/中村保男・訳『レイン わが半生』)

 それから今日づけの記事もここまで書くと、時刻は16時半近かった。作業中はCorneliusの新譜『夢中夢』を流していた。すごくいい。

 『「逆張り」の研究』(綿野恵太)の続きを読む。17時になったところで寮を出る。ケッタに乗って第四食堂に向かうもシャッターがおりている。夏休み中は営業しない様子。しかたがないので第五食堂へ。こちらは一階の一部店舗のみ営業。しかし饭卡での支払いしか受け付けていないようであるし、チャージのできない現状、今日明日の分はまだなんとかなるが、それ以降はやはり自炊をする必要があるようだ。
 帰宅。食す。『「逆張り」の研究』(綿野恵太)を最後まで読み進める。はるしにゃんの話題に一章が割かれていた。
 仮眠とる。ほどなくして三年生の(…)くんから連絡。寮の前にいるというので一階まで迎えにいく。手土産のスイカを受けとって部屋にもどる。(…)さんの置き土産である本、フロアにぶちまけたままだったので、好きなものを持っていっていいと告げる。最初、湊かなえを選んだが、すでに中国語に翻訳されていたらしく、最終的には石田衣良を選んだ様子。(…)くん、ふたりきりのときはけっこう積極的に日本語を話すし、能力もまずまずだなという印象を受ける(これが集団になるとほとんどひとことも発さなくなるのだ)。いまは来月2日のN1に向けて勉強中。その後は北京第二外国語学院の院試に向けてさらに勉強を重ねるつもりだというのだが、学内でトップクラスの成績を誇り死ぬほど勉強しまくっていた(…)くんですら現役では合格できず一浪しているわけであるし、(…)くんよりもはるかに実力があった(…)くんもまったく手が届かなかったわけであるし、それにくわえて年々内卷の度合いは増している、そういうことを踏まえるとやっぱりなかなか厳しいよなと思う。そもそも(…)くんが二外を選んだのも、ただ先輩が入学しているからという、うちの学生にありがちなダメダメすぎる理由な気がするし。
 前回(…)くんから連絡があったときは、ついでに散歩でもという話だったが、正直彼とふたりでぶらぶらする気にはなれなかったので、その点については触れず玄関でさよならした。シャワーを浴びる。ストレッチをする。コーヒーを淹れて、21時から23時半まで『本気で学ぶ中国語』。腹筋を酷使し、プロテインを飲み、粽子を食う。「ロシア配備の核兵器ベラルーシ大統領「我々の兵器だ。我々が使う」…露との合意に矛盾」(https://www.yomiuri.co.jp/world/20230628-OYT1T50185/)という記事を見てビビる。マジでたぬきジジイやな。腐ってもヨーロッパ最後の独裁者、なりふりかまわず手段を選ばず、ロシアの属国になりさがっている現状からどうにか逆転しようとしているのか。

ベラルーシアレクサンドル・ルカシェンコ大統領は27日の式典で、ロシアがベラルーシへの配備開始を表明した戦術核兵器を巡り、「我々の兵器だ。我々が使う」と述べた。自国が必要だと判断すれば使用を辞さない姿勢を強調し、独自使用を念頭に置いた準備を国防相らに指示したことも明らかにした。
ルカシェンコ氏は、露民間軍事会社「ワグネル」の創設者エフゲニー・プリゴジン氏による反乱の収拾に仲介役として貢献したことで、プーチン露大統領に強気な態度を見せ始めた可能性がある。核兵器の安全管理を巡る新たな懸念材料となる。
ロシア、ベラルーシ両国の国防相は5月下旬、ベラルーシに配備する戦術核はロシアが管理と使用を判断する権利を持つことを確認する合意文書を交わしており、ルカシェンコ氏の発言は合意と矛盾する。
戦術核の配備状況について、ルカシェンコ氏は「大部分はベラルーシ国内に搬入されている」と主張した。プーチン氏は今月16日、戦術核の配備が始まったことを明らかにした上で「夏の終わりか年末までに作業は完了する」と述べていた。
ルカシェンコ氏はワグネルの戦闘員を受け入れることで、近隣国を揺さぶるカードを得たとの見方が出ている。ルカシェンコ氏はワグネルの部隊に「使われていない軍の施設を提供できる」と述べた。ワグネルにベラルーシ兵を訓練してもらうという。

 それから「究極中国語」のタスクを片付ける。終えると1時半近い。ベッドに移動後は『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(フィリップ・K・ディック浅倉久志・訳)の続きを読み進めて就寝。