20230630

 朝方に一度暑さで目が覚めた。去年(…)さんに教えていただいてからというもの、夏場の必須アイテムとなっているアイスノンであるが、とうとうこいつでも太刀打ちできないほどの暑気がやってきたのだ。といっても日中の最高気温はまだ35度程度であるし(今日など雨降りの影響もあってたった27度だ)、まだまだ本番ではない、38度以上の日々が一週間単位で続くようになってからが地獄なのだ。今年はそうなるまでに帰国できそうだが!
 次に目が覚めると10時半ごろだった。やっぱりアラームよりはやく目が覚めてしまったわけだが、生活リズムをたてなおす必要もあることであるし、ここで活動開始することに。ケンカする夢を見たが、詳細は忘れてしまった。路上で悪事を働いた人間がいて、逃げるそいつを捕まえるために、本当は泥棒ではないのだが中国語で小偷! と叫んだ。こちらの目論見通り、周辺にいた通行人がその男を捕まえる。で、こちらは男のもとに近づいていき、その後頭部の髪の毛を両手でひっつかんでぐっと押し下げ、あごではなく顔面に膝蹴りをぶちこんだのだった。
 トースト二枚とコーヒーの食事をとる。きのう唐辛子スープのしみがついてしまったTシャツに漂白剤を垂らして歯ブラシですりこんでおいてから、ほかの洗濯物といっしょに洗濯機にぶちこむ。Corneliusの新譜を流しながら、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、2022年6月30日づけの記事を読み返す。

「そうかもしれないが、こういうことは人間の研究上記憶しておくべき事だと思う。――すなわち、ある状況のもとに置かれた人間は、反対の方向に働きうる能力と権力とを有している。ということなんだが、――ところが妙な習慣で、人間も光線も同じように器械的の法則に従って活動すると思うものだから、時々とんだ間違いができる。おこらせようと思って装置をすると、笑ったり、笑わせようともくろんでかかると、おこったり、まるで反対だ。しかしどちらにしても人間に違いない」と広田先生がまた問題を大きくしてしまった。
「じゃ、ある状況のもとに、ある人間が、どんな所作をしてもしぜんだということになりますね」と向こうの小説家が質問した。広田先生は、すぐ、
「ええ、ええ。どんな人間を、どう描いても世界に一人くらいはいるようじゃないですか」と答えた。「じっさい人間たる我々は、人間らしからざる行為動作を、どうしたって想像できるものじゃない。ただへたに書くから人間と思われないのじゃないですか」
夏目漱石三四郎」)

 漱石って自作小説のなかでこうした一種の小説論を意外なほど頻繁に打つよなと思う。「草枕」なんかはそれ自体が主題みたいなもんであるからわかるにしても、「坑夫」なんてけっこうびっくりほどたびたび書き手が姿をあらわし、これは小説ではなくて現実であるから、小説というのはこれこれこういうものだが現実というのは一方こういうものだから、みたいな弁明をしていた(この場合の「小説」とはいわゆる「物語」であり、「現実」とはそのような「物語」の対義語としての「小説」であると理解すればよろしい)。
 2013年6月30日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。

 彼女は十九歳で、サーカスの曲馬師だった。彼女を乗せた馬が人馬一体になって倒れた。馬は彼女の頭の上でころがり、殺されなくてはならなかった。彼女は数日の間、完全に意識不明だった。意識が回復すると、彼女は馬になっていた。傍目にも馬のように見えた。目は馬の目だった。彼女は嘶いた。病棟の外で草を食んだ――全裸で、四つん這いになって。三週間か四週間たつと、二、三日で再び自分自身に戻った。こういうことを理解したいものだと私は必死で思った。
R・D・レイン/中村保男・訳『レイン わが半生』)

 今日づけの記事もここまで書くと時刻は13時半だった。日語会話(三)の授業準備にとりかかる。16時半過ぎまであれこれやった結果、第23課と第25課の改稿が済んだ。第24課については、先学期は飛ばしたわけだが、今学期はもしかしたら授業で取り扱うかもしれない(その場合は一から教材を新規作成する必要があるわけだが)。あと、これまた気がはやい話であるけれども、来々学期にひかえている日語会話(四)については、開設されたばかりの新規授業であるのでやはり教案を一から作成しなければならないわけだが、これについては教科書から完全に離れ、これまで一度もやってこなかったディベートやディスカッション形式のものをやってみようと思う。なんとなく現一年生の実力であればかたちになるんではないかという気がするのだ。
 そういえば、書き忘れていたが、午前中に(…)から微信が届いていたのだった。それによると、来学期の開始は9月4日から。今日から数えても、まだまるっと二ヶ月以上ある。ありがてえ。あと、外教のグループチャットのほうで、(…)がsome unavoidable situationのために今学期いっぱいで大学を離れると言明していた。こちらの勘違いでなければ、外教の中で唯一まだ中国入りをしていない、たしかインドかどこか出身の女性だと思う。(…)先生の話によれば(…)も今学期いっぱいでやめるとのことであるし、ゼロコロナ政策が撤回されたとはいえ、それ以前にくらべるとやっぱりずいぶんさみしい所帯になったもんだ。というかいつのまにかこちらが(…)に次ぐ古株になっているという現状にびびるのだが、この感じもやっぱり(…)末期時代に似ているわけで、うーん、やっぱりそう遠くないうちに日本語学科取り潰しからのさようならコースになるんじゃないかという気が大いにするな。
 Trip.comからメールが届いた。高铁の予約がキャンセルされたという通知だった。マジで? 全部売り切れなの? とクソびびったが、あらためてチェックしてみたところ、ふつうに空席だらけだったし、キャンセルされたチケットも買い直すことができたので、なんやねんそれとなった。

 寮を出る。ケッタに乗って(…)へ。食パン三袋を買って店の外に出たところで、買い物袋をさげた(…)さんとばったり遭遇する。明後日のN1試験にそなえて明日朝から高铁に乗るわけだが、その道中で食すためのおやつのようなものを買った帰りっぽい。試験だいじょうぶ? とたずねると、リスニングがだめだめ! という反応。ついでなので、夏休み中に営業している食堂は第五食堂だけなのかとたずねると、肯定の返事。饭卡にチャージできないから困っていると続けると、大学が取引先の銀行を変更するその兼ね合いでしばらくチャージできない期間が続くみたいなことをいう。アプリで支払いができるというので、それは学生しか使えないやつなんじゃないのというと、たぶん先生も使うことができるみたいな反応があったのだが、ダウンロードして設定をあれこれいじくるのもめんどうなので、ぼくはもう自炊するからいいやと答える。微信や支付宝での支払いはできないらしい。
 彼女と別れて(…)へ。大学の西側、マジで続々と新規店がオープンしており、日に日に盛えつつあるのだが、今日はとうとうローソンがオープンしているのを見つけてしまった。徒歩圏内についに日本のコンビニが! さらにコーヒーの看板を出しているカフェも発見。同様のカフェは(…)面のとなりにもある。どちらもまだ試してみたことがない。夏休み中にちょっとのぞいてみるか。
 (…)の中に入る。ケンタッキーの入り口脇にあるベンチでまた巨漢の子どもが横になっている。今日は豚肉とパクチーと長ネギとトマトと広東省のなんとかいう野菜とにんにくと生姜を買った。にんにくがひとつずつバラ売りされているのをはじめて見た。レジで会計をすませている途中、ベンチに横たわっていたはずの巨漢が店の売り場のほうからあらわれ、ほかに出入り口があるにもかかわらずこちらがやりとりしているせまいレジをわざわざ選んで通り抜けていったので、うん? と思った。さっきまでベンチにいたはずであるのに、いつのまに売り場のほうにやってきたのだろう? そしてなにも買わず、わざわざこのせまいところを通り抜けていったのはどうしてだろう? と違和感をおぼえると同時に、まぢかでながめた彼の姿が少年というにはちょっと老けすぎていることに気づいた。それではじめて、彼が知的障害のある、低く見積もっても高校生くらいの年齢の男性であるかもしれない可能性に思いいたった。
 顔認証のロッカーでバッグを回収し、店の外に向かう。ケンタッキーの前で先の男性の姿をまた見かけたが、今度はベンチに横たわっておらず、ちょうどケンタッキーの店内に入るところだった。入ってすぐのテーブルでは女性がひとり食事をとっている。男性は店に足を踏み入れるなりそのそばで軽く立ちどまり、ものほしそうにそちらをひとときながめたあと、レジに向かうでもなくせまい店内を無目的にぶらぶらしはじめた。もしかしたらこうして毎日このケンタッキー付近をぶらぶらしているのかもしれない。冷房がきいていて涼しいしいし。
 帰宅。ひさしぶりの自炊。一食分に必要な米の量も水の量も、それからタジン鍋にぶちこんだ肉や野菜にぶっかける調味料の量も、すべて身体がおぼえていたので手際よく片付けることができたのだが、仕上がったものを実際に食ってみるとやっぱり味が全然しない、おなじく自炊をしていた冬休み中にさんざん食ってさんざん味わったその味がまったくよみがえってこない。難儀なもんだなと思う。味がしないからといって味がするまで味つけを濃くすれば塩分過多で身体をいわしてしまうにきまっているので、そうならないように気をつけないといけない。味覚よりも嗅覚のほうがはるかにやばいのだが、この時期はやはり汗のにおいがどうしても気になる、じぶんの鼻は無臭と判断しているのだがこれだけ汗を吸った寝巻き代わりのTシャツがにおわないわけがないだろうと、経験で判断して適宜着替えたりしているのだが、いまやじぶんに固有のものとなってしまったこの知覚からあらたにかたちづくることのできる習慣よりも、原則的にはおなじく固有でありながらもはるかに通有性のあった過去の知覚にもとづいてこしらえた習慣のほう——着替えや入浴の頻度、トイレ掃除やシンク掃除の頻度、外出時につける香水の量など——を優先するというありかたには、ちょっとカフカの「お前と世界の決闘に際しては、世界に介添えせよ」という言葉を想起せしめるところがある。
 仮眠とる。シャワーを浴び、ストレッチをし、コーヒーを淹れる。本来は語学のターンであるが、今日は執筆の気分だったのでそちらを優先。少なくとも帰国までのあいだは、日中は授業準備と語学を日替わり交代、夜は執筆と読書という時間割でいいんじゃないだろうかと思う。そういうわけで21時半から0時半前まで「実弾(仮)」第四稿執筆。シーン33を加筆。プラス2枚で計639/1016枚。作業中はずっと『The Beat My Head Hit』(Ben Vida, Yarn/Wire & Nina Dante)を流していた。最近流す音楽に迷ったらとりあえずこれみたいになっている。
 懸垂。冷食の餃子を食し、歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックしたのち、ベッドに移動。『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(フィリップ・K・ディック浅倉久志・訳)の続きを読み進めて就寝。