20230701

 7月だぜ!
 10時ごろにまた暑さで目が覚めた。トースト二枚とコーヒーの食事をとり、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年7月1日づけの記事を読み返す。2013年7月1日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。以下のマルティン・ブーバーのエピソード、完全に忘れていた。

(…)ユダヤ人の友人たちの紹介で私はマルティン・ブーバーグラスゴウユダヤ教会で五十名ほどの聴衆に対して行なった講義に出席した。ユダヤ人ではない出席者は私だけだった。
 ブーバーは背が低く、ぼさぼさの髪をして長い白髯を顎に生やしていた。さしづめ旧約聖書預言者の生まれ替りといったところだ。あの夕べの講義の一瞬間を私は今でもはっきり憶えている。ブーバーは講演台の向こう側に立って、人間の条件だとか、神だとか、アブラハムとの契約だとかについて話をしていた、その時、急に、前にあった大きな重い聖書を両手でつかみ、できるだけ高く頭の上に持ちあげてから講演台の上に投げつけるように落し、両腕を一杯に伸ばしたまま、こう絶叫した。「強制収容所でのあの大虐殺が起ってしまった今、この本が何の役に立つと言うのか!」
 ブーバーは、神がユダヤ人に対して行なったことに激憤していたのである。無理もない。
R・D・レイン/中村保男・訳『レイン わが半生』)

 昨日が月末だったので、原稿の進捗状況を確認。5月末の時点で「実弾(仮)」第四稿は512/1016枚だったのだが、現在は639/1035枚で、合計枚数がやっぱりずいぶん増えている。ボツにしている箇所もそれ相応にあるはずなのだが、それ以上に加筆が多いのだ。
 先学期分の教案もPDFやdocにまとめて保存する。資料はPagesで作成しているのでクラウドに保存されているわけだが、なにかのトラブルでデータがとんでしまう可能性もなきにしもあらず、そういうわけで学期を終えるたびごとに資料をzipにまとめてクラウドとは別に外付けハードディスクやデスクトップ上に保存する習慣があるのだが、かなりの量の書類をいちいち手作業でPDFだのなんだのに変換するのはけっこう時間を要する。そういうわけで作業を完遂するころには15時をまわっていた。
 そこから「究極中国語」のタスクをこなす。さらに『本気で学ぶ中国語』も少々進める。16時半になったところで作業を中断し、キッチンに立って米を炊き、肉だの野菜だの調味料だのをタジン鍋にドーンしてレンジでチーンする。食す。
 ベッドに移動する。(…)一年生の(…)さんから微信が届く。故郷の自然を写した写真。かなりきれいな田舎。農村といったほうがいいかもしれない。

 (…)さんからはじぶんで編んだという白いうさぎを模したバッグの写真も送られてきた。ほかにおなじ白い糸で編んだかわいい幽霊の人形などもあったのだが、ひまつぶしにはじめてやってみましたというようなレベルではない、あれ? これふつうに売り物としてそのまま通用するんじゃないの? という出来栄えだったので、かなりびっくりした。手先が相当器用なんだと思う。
 魔道祖师と天官赐福という小説を知っているかという。知らないと応じつつも、前者についてはもしかしたら中国で大人気のあのウェブ小説ではないかと思ってググってみたところ、墨香铜臭という作家の名前がヒットして、やっぱりそうだ、コロナ以前にドラマ化して大ヒットしていたやつだ、たしか原作はBL要素の入った小説だったやつだ、(…)さんや(…)さんがどハマリしていたやつだとなった。(…)さんも中学生のときにはじめてこのウェブ小説を読んで大きな影響を受けたらしい。作者は炎上騒動をきっかけにひっこんでしまったというので、BLという要素が当局に目をつけられたパターンだったっけと思ったが、この墨香铜臭という作家の場合は「作者がデマのパクリで大規模に告発され」たのをきっかけに表舞台から姿を消したらしい(しかし日本語でググってみると、性描写で当局に目をつけられたとか著作権がうんぬんかんぬんとかそういう情報も出回っているのでよくわからん)。
 やりとりの途中、15分ほどの仮眠をとった。それからシャワーを浴び、ストレッチをし、21時から「実弾(仮)」第四稿執筆。23時半になったところで中断。プラス4枚で計643/1035枚。シーン33は片付いた。シーン34も途中まで進めた。ここもちょっと苦手意識のあるシーンだったはずなのだが、想定していたよりもずっとよく書けていたので、ちょっと安心した。やっぱり第四稿目ともなると、そこそこかたちにはなっている。
 作業中、たびたび連絡が入ったので、集中がやや途切れがちだった。まず、(…)先生から電話があった。事務室に答案や成績表を提出したかというので、ずいぶん前にまとめて提出したはずだと答えると、どうやらこちらの手から書類を受けとった教員——中国では事務室勤めのスタッフも老师になる——がもうひとりの教員に仕事を引き継いだらしいのだが、そこでなんらかの手違いが生じた模様。今日までに先学期の成績をデータベースに登録する必要があるのだが、こちらの担当する授業の成績表がいまだに届かないということで、ちょっとトラブルになっていたらしい。(…)先生からはのちほど提出済みの書類がすべて見つかったと連絡があった。やれやれ。
 成績でいえば、(…)さんから夜中にふたたび連絡があった。今学期彼女の成績には「優」をつけたわけだが、それに対するお礼のメッセージみたいなものだった。データベース上のスクショも送られてきたのだが、考查ときいていたはずの日語会話(二)の成績が「優」「良」「中」「及格」「不合格」の六段階ではなく点数で表示されていたので、あれ? なんでだろう? となった。よくわからん。まあいいや。
 一年生の(…)くんからも微信。来週からはじまるスピーチ練習の時間割について日中質問を送っていたのだが、それに対する返信がずいぶん遅れて届いた格好。今日は(…)先生の担当するスピーチ練習があったわけだが、昼休み抜きでぶっとおしでやったために昼寝をすることができず、それで夕方から夜まで寝てしまったということだった。その(…)先生はどんな時間割で練習を実施しているのかとたずねると、午前中は9時から12時までの3時間、午後は14時半から17時半までの3時間とのことだったので、だったらこちらの担当する翌週もおなじ時間割でやりましょうかとなった。昼休憩のあいだはてっきり外卖でメシを注文してそのまま教室で昼寝しているものと思っていたのだが(例年学生たちはそうしていた記憶がある)、学生らはいちいち寮に戻っているようす。こちらとしてはいったん寮にもどるのもめんどうくさいし、学生らがもし外卖するのであればついでにこちらの分のメシとコーヒーも注文してもらって、昼休みは教室で日記なり小説なりを書いて過ごそうと思っていたのだが、さてどうしたもんか。練習はじぶんと(…)さんのふたりかもしれないと(…)くんはいった。(…)くんは明日本番のN1にそなえて練習を休むときいているのでアレだが、(…)さんはどうしたのかとたずねると、おじいさんが亡くなったので故郷に帰ったとのこと。(…)くんものちほど合流するかどうかはわからないし、場合によっては五日間ずっと三人きりの練習になるかもしれない。しかしそのほうが効率は良い。(…)くんからはその後、日本語教員用の職員室にあった『ブリーチ』の単行本だの新渡戸稲造の『武士道』だのをつまみ読みしたとか、『るろうに剣心』のコスプレ用に剣心の着物と逆刃刀を買ったとか、いつものようにこちらの返信を待たず怒涛のいきおいでメッセージが送られてきた。いちいち返信していてもきりがない。
 三年生の(…)くんともめずらしくやりとりした、というか三年生のグループチャット上に明日N1受ける子たちはがんばってねとメッセージを日中送っておいたそれに対する返信の流れだったのだが、彼はN1を受験するために上海にいるらしかった。それで今日は市内をぶらぶらしていたらしいのだが、そこでDIYでじぶん好みの香水を作ることのできる店を見つけた、それで中に入ってみたところ、ボトルに「三宅一生」と記された、香水だかルームフレグランスだかわからんがとにかくそういうものを見つけたといって写真を送ってよこしたので、それは日本の有名なファッションデザイナーの名前でありそのひとのたちあげたブランド名だよと応じた。しかしイッセイミヤケって香水なんか出しているのかと思ったところ、これはブランドからリリースされているものではなく、店にいる調香師がイッセイミヤケをイメージして勝手にこしらえたものであるらしい。いや、パチモンの言い訳としてはかなりきつくないか?
 こうしたやりとりを執筆の合間合間にこなす必要があったのだった。執筆を中断したあとは出前一丁パクチーを山盛りぶちこんだものを食した。それからジャンプ+の更新をチェックし、歯磨きをしていたところで、今度は卒業生の(…)くんから微信が届いた。「先生、死にたいときはどうすればいいですか?」というので、なんやねんと思いつつ、どうしたのと返信すると、うつ病と診断されたという返事。彼からは四月末に風俗で童貞を卒業したというクソほどどうでもいい報告が届いていたわけだが、それに続くコンタクトがこの内容なのかと思いつつ、状況をたしかめてみたところ、現在は(…)に住んで仕事をしている、うつ病と診断された件についてはまだだれにも話していないという。中国の少なくとも内陸部の田舎では精神疾患に対する理解なんてマジでこれっぽっちもないので、親に告げたところでなかなか理解を得ることもできないかもしれないが、それでも(…)で神経をすり減らしながら無理やり仕事を続けたところで病気が悪化するだけに決まっているので、まずは休息を最優先事項として考えるようにと伝えたうえで、いったん実家に身を寄せて一年ほどゆっくりしたほうがいいんではないかといった。すると「正直いって、私にとって家族は悲劇の根源かもね」というので、ああ、安らげる家庭環境ではないのかと思ったが、「留守番子供ということは知りますか」と続いた。両親が都市部に出稼ぎに出ていて不在なので、その両親に代わって祖父母が子どもの面倒を見る家庭のことをいう言葉だったはずだ。うちの学生はけっこうこのパターンが多い。(…)くんは「去年じいさんはなくなった,あの時うつびょうになったかもね」といった。最愛の祖父を亡くしてというパターンかと思った。そういう意味で「家族は悲劇の根源」なのか。しかし残酷な話だが、それだったらまだ立ち直りやすいのではないかという計算もあたまの片隅で働いた。都市部での生活であったり劣悪な労働環境であったりに起因するうつ病の場合、その環境そのものを根本から転じる必要があるし、そのためにはいろいろな意味で労力やコストが必要になるわけだが、祖父の死に起因するものだというのであれば、喪の作業をきちんとこなせばどうにかなるんではないかと思ったのだ。もっとも、うつ病の原因なんてものはこれだと名指して指差してひとつに確定することのできるものではないだろうし、ことがそう簡単に運ぶともかぎらない(むしろ、こうした見方は最大限楽観的にかまえたものでしかない)。両親の理解があるのかどうかは(…)くんの言葉からではちょっとよくわからなかったが、仮にある程度あるのであれば、いったん実家のほうに身を寄せてそこでおじいさんの死をゆっくり受け入れるための時間をとったほうがいいといった。
 それから寝床に移動し、『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(フィリップ・K・ディック浅倉久志・訳)を最後まで読み進めて就寝した。