20230702

 10時に一度目が覚めたが二度寝してしまい次に目が覚めると11時半近くで明日からは早起きしなければならないのに最悪だ。トースト二枚の食事をとってコーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿する。ウェブ各所を巡回して2022年7月2日づけの記事を読み返す。一年前の今頃はちょうど「実弾(仮)」の第三稿にとりかかっているようであるのだがシーン11を修正している時点で141/869枚とあったものだからびっくりした。一年かけて200枚も加筆したのかと。中編ひとつ分ではないか。
 2013年7月2日づけの記事も読み返して「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲すると時刻は14時半をまわっていた。

 16時半まで『本気で学ぶ中国語』を進める。それからメシ。肉だの野菜だのをタジン鍋にドーンしてレンジでチーンする。明日は早起きする必要があるので食後の仮眠はとらない。二年生の(…)くんから微信が届く。二年生で唯一N1を受験した彼であるが、やはり相当難しかったらしい。三年生の(…)さんからも微信。N1に合格できた気がしないという。リスニングも難しかったし、なにより時間が足りずすべての問題を解くことができなかった、と。おなじ三年生の(…)くんからも微信。明日何時からスピーチ練習があるのかというので、今日N1を受けたばかりで疲れているだろうし明日は休んでもかまわないよと天使の慈悲を与える。モーメンツはN1受験を終えた学生らの阿鼻叫喚一色。あと、鬱病報告のあった(…)くんからも微信が届いたのだが、「今日,気持ちがいいになった」とのことで、よかった、よかった!
 YouTubeのトップページに爆笑問題太田光がゲンロンカフェに出演したときのダイジェスト動画みたいなのがあがっていたのでなんとなく視聴したのだが、めちゃくちゃするどい話をしていたので、びっくりした。「太田光 聞き手=石戸諭「全人類を笑わせたい!──太田光と言葉の企み」(2023/5/31収録)ダイジェスト」(https://www.youtube.com/watch?v=2KX-nAwQTGQ)という動画なのだが、アカデミー賞授賞式の壇上でコメディアンのクリス・ロックから妻の頭髪を揶揄されたウィル・スミスがみずから壇上にあがって相手を平手打ちした一件について、授賞式がロシアによるウクライナ侵攻がはじまってほどない時期であることを踏まえたうえで、元コメディアンであるゼレンスキーが大統領職についているウクライナプーチンが暴力の究極的なかたちである戦争を仕掛けたという構図を重ねて見るという着眼点もなかなかよかったのだが、それ以上にずっとすばらしかったのが、チャップリンの映画『独裁者』で、あきらかにヒトラーを模している独裁者を演じるチャップリンが地球儀のバルーンをぽーんぽーんと手のひらで叩いてもてあそぶシーンについて、ここのメタファーはある意味明白すぎるくらい明白であるのだが、そのバルーンをもてあそぶ独裁者を演じるチャップリンの動きというのがとてもコミカルなもので、たとえばバルーンをただ手のひらで軽く打つだけではなく突き出した尻でもってやはり打ったりもする、その動きというのが愛敬がありなんだったらかわいいのだと、そしてそのような芝居を演じているチャップリン自身、このときこの瞬間ばかりはこの役を愛してしまっているのではないかと、そうでないとあんなふうにコミカルな芝居をすることはできないんじゃないかと、つまり、政治的意図をめちゃくちゃもった『独裁者』という映画作品において、その政治的意図から逸脱する——それどころか正反対のところにまで達してしまっている——それがほかでもないこのシーンなのではないかみたいな指摘であって、これはちょっとすごいなと思った。こんな高度な話をまさか聞けるとは思わなかった。
 気づけば今日は日曜日で本来であればスタバに向かうべきであるのだが、明日の早起きにそなえてそれもやめにする。ただ気分だけでも週末モードにしようということで、夜の残り時間は執筆でもなく語学でもなく書見をして過ごすことに。それで『異常論文』(樋口恭介・編)を読みはじめた。ひとまず「決定論的自由意志利用改変攻撃について」(円城塔)、「空間把握能力の欠如による次元拡張レウム語の再解釈およびその完全な言語的対称性」(青島もうじき)、「インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ」(陸秋槎/稲村文吾・訳)、「掃除と掃除用具の人類史」(松崎有理)を読んだ。そのままガシガシ読み進めるつもりだったのだが、明日からはじまる夏季スピーチ練習前の最後の休日ということもあって猛烈にだらだらしたい気分になり、結果、朝方まで猛烈にだらだらして過ごした。