20230709

 今日で借金をすべて返済するつもりでいた、本当は昨日のうちにすませておきたかったのだが昨日は途中でWP(writing point)が尽きてしまったのであきらめたのだった、借金といつものように書いてしまったがここでいう借金とはたまっている日記のことであって日記を更新できないまま一日二日三日と経つと自然とこころがあせることになってそのあせりを含めてこちらはそれを負債と呼ぶのが習慣になっているわけでだからこの記事の冒頭で借金と書いてしまったのは誤記だ、借金ではなく負債だ、今日で負債をすべて返済するつもりでいた、そのつもりはおそらく達成できるだろう。
 昼前に起きてもろもろすませたのちまずはおとついづけの記事の続きにとりかかりそれは割合すぐに片付いて投稿することができたんではなかったか、ほんの数時間前のことであるのにもはやおぼえていない、日記を書く習慣がある人間というのは普通日々の由無し事を日記を書いていない人間よりもよくおぼえているものではないのだろうか、仮にそうだとすればこんなふうな日記をかれこれ15年以上書き続けているにもかかわらず数時間前のことも思い出せないじぶんはなんなのか、日記のつもりで書いているこれらのテキストは実は日記ではないということなのか、しかし書かずにいると気持ち悪くなってしまう、負債がたまっているのを感じるとあせりが生じるしはやく解消したくなる、だから糞便みたいなものかもしれない、出来事や経験やそれらの印象を手っ取り早く手癖まじりの言葉に置き換えて吐き出してしまいたいのかもしれない、その結果として記憶は失われるのだろうか、あるいは外付けハードディスクに大切な資料を保存するように外在化されるということだろうか、糞便とは精神分析的にいえば贈り物であるはずだ、瓶詰めにした手紙ならぬ糞便を電子の大海に漂流させることをもう15年以上続けている、おれはあたまのおかしいサンタクロースだ、だれともしれぬ他者に糞を投げてよこす痴れ者だ、たわけだ、トナカイもそりも必要としないかわりに毎日打鍵のしすぎでアルファベットの削れてみえなくなったキーボードを叩きまくる道化だ。
 16時半になったところで作業はいったん中断した、作業の合間にはきのうに続けて(…)とLINEをちょくちょく交わして帰国後の計画などたてたのだが(…)とLINEでやりとりするときはついでに最近AppleMusicできいて気にいった音源のリンクを送りつけるのがならいになっているので『The Beat My Head Hit』(Ben Vida, Yarn/Wire & Nina Dante)を紹介した、たぶんここ一ヶ月でいちばんよくきいている。タジン鍋に豚肉と野菜をぶちこんで食ったのち今度はきのうづけの記事にとりかかった、書き終わったところで投稿はせずいったん浴室に移動してシャワーを浴びたのだが今日はコーヒーをいっぱいだけしか飲んでいなかったせいかカフェインの離脱症状っぽいこめかみを締め付けるような頭痛のきざしが感じられたので入浴後は二杯たてつづけに飲みながら記事を投稿してウェブ各所を巡回した。それから一年前の日記と十年前の日記の読み返しであるけれどもこれもかなりたまっていた、まずは2022年7月7日づけの記事から同年同月9日づけの記事まで読んだ。2022年7月7日づけの記事の以下のくだりはいま読んでもやっぱりおもしろかった。

 20時過ぎだったか、(…)さんからスープ作りに失敗したという微信が届いた。手本としたスープの写真と彼女がこしらえた実物の写真とが送られてきたのだが、手本としたのは黄色味のあるスープに銀耳とナツメやクコの実の赤が映えているものであるのに対して、失敗したというスープはスープであるはずなのに水気がすべて飛んでおり、真っ白の銀耳とオリーブみたいな色になったナツメがおかゆみたいに器に盛られているだけで、(…)さん曰く味も悪く、「味がない、スープもない、ただただ食材があります」とのこと。本人はかなり悲しんでいるふうであるし、「ごめんなさい」と不必要な謝罪までくりかえしてみせるのだが、「味がない、スープもない、ただただ食材があります」という文章の破壊力がすさまじくゲラゲラ笑ってしまった。

 2022年7月8日は安倍晋三が銃殺された日だった。それから2022年7月9日づけの記事には「作業の途中、(…)さんから微信。モーメンツに彼女とデートしている写真を投稿していたので、いつものように投稿内容とは無関係に「髪の毛を自慢するな!アホ!」という荒らしコメントを残しておいたのだが、それを受けてだろう、元気にしていますかと届いたので、軽くやりとり」という一節があったのだがなにを隠そう、あれは今日だったろうかあるいは昨日だったろうか、もしかしたらおとといだったかもしれないがいずれにせよほかでもない(…)さんが例の彼女といっしょにうつっている写真を大量に投稿していたのだが写真のなかの(…)さんはターコイズブルーの髪の毛をしていたものだからまたしても投稿内容とはほぼ無関係な荒らしコメント「君、一ヶ月に一回くらいのペースで髪の色が変わってない? ハゲたおっさんに対する嫌味ですか?」を寄せたのだった。おれは毎年マジでおんなじことしとる。
 2013年7月7日は(…)さんから約束の自転車をゆずりうけた日。ママチャリだった、考えるひとのキーホルダーについてはまったくおぼえていない、そもそもこの自転車は(…)がイギリスにもどったあとどうやって処分したのだったろうか。

昼過ぎに(…)さんが職場にやって来て、彼女の出勤は18時からなのだけれどこれから四条に買い物に出かける予定なのでそのついでに自転車を持ってきたみたいなアレでわざわざやって来てくれたらしく、現物を見せてもらったところまあたいそう立派な変速機付きのママチャリで、ブレーキのところのワイヤーだけがなんていうかこう、表皮のビニールを裂いた中からあふれでる銅線の奔流みたいになっていてこれブレーキ利くのかよと思ったけれど試乗してみたらちゃんと利いて、本当にどうもありがとう!助かる!とお礼をいった。自転車の鍵にはロダンの考えるひとのキーホルダーがついていて、これもあげますといってくれたのでありがたくちょうだいすることにした。そうして18時、四条で買い物をおえた彼女が職場にやってきたときに、お礼としてメンソールを三箱をプレゼントした。これにて交渉成立。バーゲンってもうはじまってるの?と問うと、もうはじまってますよぉ、わたしバッグ買っちゃいました、といっていて、ちなみになんぼしたん?とたずねれば、44000円でっす!と元気な返答。それぼくの月給の半分以上やがな、と応じると、わたし前から思ってたんですけどぉ、(…)さんってどんな生活してるんですかぁ、とあったので、プリウスより燃費のよい生活ですと答えた。

 それから(…)さんのエピソード。そういえばこんな話もあったなとなつかしくなった、(…)さんをモデルにした人物は「実弾(仮)」には登場しない、登場させておけばよかったかなとちょっと思った、しかしそれでいえば(…)さんも(…)さんもいないし(…)さんもいないのだ。

帰りしなに(…)さんとちょっくら言葉を交わす機会があったので、率直にいって博打の借金どんぐらいあるんですかとたずねてみると、いやーたぶん笑えないくらいっすよとあったので、五百くらいっすかと問うと、まあ五百ちょっとくらいやねえとあったので、ぼくとまったく同じやないすか!と盛り上がった。ただまあ(…)さんがいうにはぼくのは奨学金なんでアレっすけど(…)さんのは実のない借金やって、と茶化すと、そりゃたしかに実のないもんやけど(…)くんひどすぎるわーとカップラーメンに湯を注ぎながら笑っていた。(…)さん曰く、(…)さんはありとあらゆる博打に手を出すがすべてに必ず負ける、得意なジャンルがひとつもない、めずらしく勝つことでもあればひとを誘って一晩でパーっと使ってしまったり後輩らにばらまいたりしてしまう、消費者金融のお得意さんで担当者とは八年以上の付き合いがあってほとんど友人状態である、あいつのえらいところはひとに借りた金は必ずローンを組んででも返済するところでたとえば元カノの借りた百万円も月々二万ちょっとずつのペースで返済し続けているとかなんとか、それますますこっちの奨学金と同じではないかというアレなんだけれど、たしかに(…)さんには嫌みがないし、彼のことを嫌うひとはたぶんいないんだろうなという人当たりの良さと物腰のやわらかさとバランスの良い陽気さがあって、(…)さんが面倒を見たがるのもすこしわかる気がする。

 2013年7月8日づけの記事にはMt.RAINERの「しあわせギフトキャンペーン」に応募するために不要なポイントをくれと訴えかけていた記事に対する応答としては(…)さんからメールを受け取っているのだがこの(…)さんとはもしかして(…)さんではないか? そうすると(…)さんとファーストコンタクトをとってちょうど10年の節目になるということになるわけで10年! 10年ってすげえな! 小学校でも6年間やぞ!

メールをチェケラしてみると「Mt.RAINER」というタイトルのものが一通届いていて、差出人の名前に見覚えはないしこれはもしやと思って開いてみると、なんと数日前にお願いした「しあわせギフトキャンペーン」のポイント募集の件で本当にメールを送ってきてくれた方だった。(…)さんというお名前の男性みたいで、じぶんで煽っておきながらわざわざこんな貧乏くさいアレに付き合っていただいてすごく申し訳ないというかおのれの乞食根性が若干気恥ずかしくなったりもするのだけれど、とりあえずは1ポイント分だったのだけれどまた追加で送るかもしれないみたいなアレだったのでぜひぜひお願いしますと返信した。現在合計28ポイント、ブックカバーまではあと12ポイント、締め切りはたしか19日だったはずで、一日ひとつずつ飲めばいけないことはないアレなのだけれどこの暑さのせいで最近はちょくちょく熱中症対策が売りのスポーツ飲料に浮気ばかりしてしまっているのでひきつづきみんな!オラにちょっとずつ18桁の番号をわけてくれ!とここで懇願するにやぶさかでないというか、あわよくば60ポイントの保冷タンブラーまでラストスパートで達したい。じぶんのブログが、このかぎりなく「日記」に近い体裁のためにまぬがれえぬ不親切さをひとつの醍醐味であるとして開きなおりその上にあぐらをかいて好き勝手書きなぐっているこのテクストが、じぶんの知らない誰かの目を引き止めるに足るだけの魅力を有しているらしいという事実をここ数日たてつづけに知って、励みになった。特にこの三ヶ月は本も読んでないし映画も観てないし音楽もまともに聴けてない、つまり、固有名詞のことごとくが遠ざかった舞台で、引用もなければ感想文もない、ますます生活そのものの無味無臭さに接近したテクストになっているはずで、それでもなお何かしらひとをひきつけるに足るだけのものが書けているのであるとすれば、ここにおそらく散文の核心めいたものがある。散文的、という言い方があるけれど、ほとんど蔑視的な物言いといえなくもないその散文的という言葉は、しかしある意味ではまさしく散文の核心を貫いているといえなくもないのだ。弛緩。だらしなさ。上滑り。紋切り型。偉大なるわが先達ロベルト・ヴァルザー。

 今日づけの記事をここまで書くと時刻は23時半で腹が減ってしかたなかったので出前一丁をこしらえて食ったのだがその前にまず懸垂をしたのだった、五日間にわたるスピーチ練習期間中は執筆も筋トレも語学もしていなかったのでようやく生活が平常運転にもどりつつあるなかでこしらえた出前一丁を食いながらジャンプ+の更新をチェックして歯磨きをすませて寝床に移動して『異常論文』(樋口恭介・編)の続きを読んだ、ここ数日で「『多元宇宙的絶滅主義』と絶滅の遅延──静寂機械・遺伝子地雷・多元宇宙モビリティ」(難波優輝)、「『アブデエル記』断片」(久我宗綱)、「火星環境下における宗教性原虫の適応と分布」(柴田勝家)、「SF作家の倒し方」(小川哲)、「第一四五九五期〈異常SF創作講座〉最終課題講評」(飛浩隆)、「樋口一葉の多声的エクリチュール──その方法と起源」(倉数茂)、「ベケット講解」(保坂和志)を読んだ。