20230710

 10時半起床。朝食用の食パンを切らしていたし快递に届いた荷物を回収する必要もあったので、この荷物というのは母親に対する土産として淘宝でポチった百香果すなわちパッションフルーツと氷砂糖の入った甘い茶みたいなやつで湯をそそげばそのまま飲むことができるという代物であるのだがうまいのかどうかはわからない、快递の荷物といえばひとつ書き忘れていたことがあって昨日のことだったかあるいは一昨日のことだったかもしれないが菜鸟のアプリに荷物が届いたという通知があり同様の通知はSMSでも届いたのだがその配達先の住所がなぜか上海のとある区画になっていてしかも荷物の中身もよくわからない、最近注文したものといえば母親への土産だけであるしそれはアプリによればまだ運送途中であってだったらこれはなんだろうと考えたところでたぶんだれかがあやまって荷物の注文ないしは配送にあたってこちらの携帯番号を記入してしまったのだろうと察した、だからその旨報告するみたいなボタンを押して処理したのだった。
 歯磨きと洗顔だけすませてまずはケッタにのって(…)で食パンを三袋購入してその帰り道に(…)楼の快递に立ち寄って荷物を回収した、夏休みは冬休みとちがって大学に残る学生もぼちぼちいるので快递も営業しているし売店も営業しているし食堂も第五食堂のみ営業しているしそれに去年の夏休みは営業していなかった瑞幸咖啡まで営業している、今年の夏休みは二年ぶりの帰国のチャンスであるからもちろん帰国するわけであるが今後は帰国は冬休みだけにして夏休みはもうこちらに残って過ごすのもアリかもしれない、というか中国語をさっさと習得して夏休み中はいろいろ旅行してみるべきなのかもしれない、コロナで二年近く日本滞在を余儀なくされていたし再入国後も移動の不便な状態がしばらく続いていたがそれでも自由に動ける期間はこれまでに合計でたぶん二年半くらいはあったはずでその二年半の間におとずれた省外の都市が広州だけなのはさすがにアレだと思う。
 帰宅してパンを食ってコーヒーを飲んで12時半から途中休憩をはさみつつ16時半まで「実弾(仮)」第四稿執筆。プラス10枚で計653/1035枚。シーン34をまた通してカタカタ修正を重ねたがどうもこのシーンは凡庸な印象を受けるというかぐっとくるところがあんまりない、全体的に弱い気がする、ぐっとくると書くと感動させたがっているようであるがこの小説はそういう小説では当然ない、しかし最初から最後まで読み通せばきっとある種の感動は生じるだろうしもしかしたらぐっとくるかもしれないとも思う、いまぐっとくるところがあんまりないと書いたのは物語内容というか挿入されたエピソードというかそういう単位の話ではなくて文章の話でこのシーン34にはぐっとくる文章があまりない、ぐっとくるという言いまわしが問題であればおっと思うでもいいのだがとにかくそういう目をひく細部がない、そういう印象をもったので風景描写をいろいろ工夫してためしてみたのだがそれでもしっくりこない、それで前言をうらぎるかたちになるというか禁じ手というかたちになるわけだがこちらがそうではないと否定した意味でのぐっとくるエピソードに近い文章をちょっと挿入してしまった、そういう反省をこれを書いているいましている、休耕田をながめている孝奈が不意に一種の天啓のように目の前にひろがるその風景がほかでもない地元の象徴でありこのような風景は都市部にはきっとないのだろうと気づくというほんの二行か三行ほどの文章であるのだがこの文章にはあきらかに田舎の外に出たことのある人間すなわち書き手であるこちら自身の認識がまぎれこんでいてまだ二十歳にもなっていない田舎をいちども出たことがない孝奈の認識としてこれは正しくない、それでも押し通すとすればこれは作家の言葉の代弁になってしまうわけでそのせいで記述の風通しが悪くなり意味の濃度が高くなってしまうのではないかという懸念があるがそのあたりは眠りによってきよめられた目で明日あらためて考えることにする、そのくだりというのは以下のとおりだ。

 尻が冷える。ひざを片方ずつゆっくりと胸のほうにひき寄せて、体育座りをする。重心を横にずらし、片方だけあげた尻に指の腹で触れる。ブラックデニムの表面はひんやりしているものの、中のボクサーパンツまで濡れているかどうかはわからない。おなじ手で地面に触れてみる。砂利のたくさん混じった赤土は、雨水を吸ってじっとりしている。
 立ちあがる。右脇腹に鈍い痛みが走る。おもわず腰をかがめて、痛む箇所を上から手のひらで押さえた。口からゆっくり息を吐く。痛みがしずまったところで、あてがった指先にぐっと力をこめてみる。やはり痛む。折れてはいない。
 雑草はほとんど生えておらず、赤土と砂利がむきだしになっている湿った地面が、新緑がにおいたつほど旺盛な山を背にしてひろがっている。巻き舌みたいな鳴き声のハルゼミが、数えようと思えばそうすることもできるほどまばらにではあるが、山の木々の高い位置で騒いでいる。孝奈は赤土と砂利の地面の上を一歩一歩、足を運ぶたびに痛む右の脇腹を軽く抱えるようにしながら、山とは逆方向に向けてゆっくりと歩いた。
 赤土と砂利の地面の尽きた先には車道がある。道路脇には、ちょうど小学校の二十五メートルプールに敷きつめた土砂をそのかたちのままどしんと置いたような格好をしている土手がある。その土手の上に、いま、孝奈は立っていた。土手の斜面にはとっかかりがほとんどない。鵜川はここをあがるとき、革靴をすべらせてまぬけな動物のように四つん這いになった。それも一度だけではなく、二度も。
 一メートル半ほど離れた道路を見おろしながら、前歯とうわくちびるのあいだに突っこんでおいたティッシュを、オーケーサインにした右手の人差し指と親指で取りだす。ティッシュは去りぎわに鵜川が放り捨てていったものだった。
「おまえにこんなこと言うてもしゃあないけどな」鵜川はそう言いながら、皮のめくれた拳をポケットティッシュでぬぐった。「明日じいちゃんの四十九日でバタバタしとるんやわ。ほやしもう妙な意地張んな。おとなしいしとけ」
 残ったポケットティッシュを袋ごと、四つん這いと土下座のあいだのような姿勢をとりながら口から真っ赤な唾液を垂らしている孝奈のそばに放り投げると、鵜川は拳をぬぐったティッシュをまるめて革靴の先についた泥を拭きとり、そのままざりざりと足音をたてながら立ち去った。孝奈はおなじ姿勢のまましばらく動かず、ただふうふうと呼吸をくりかえしながら耳だけをそばだてて、鵜川が斜面をずりおちるようにして車道におりたあと、道路脇に停めてある車に乗りこみ、法事の準備でいそがしくしている実家に向けて走り去っていくのを聞いた。車の排気音が消え去り、ぽっかりと口を開けた静寂のなかでハルゼミがその気をうかがっていたかのように騒ぎはじめたところで、ようやく顔をあげて上体を起こした。一度ひざ立ちになったものの、そのまま立ちあがる気力はなく、地面に尻をついて体育座りの姿勢をとった。鵜川の放っていったポケットティッシュの袋をひろい、新台入替日の記載されているパチンコ店のチラシが入っている面をうらがえしにして、震える指でつまみとったティッシュをまるめて口の中に突っこんだ。それからパーカーの袖やフロントに血液が付着していないかどうかたしかめた。
 そのティッシュのかたまりは、いま、真っ赤にそまっている。くちびるや歯茎にティッシュの滓がひっついてなかなかはがれないのを孝奈は舌でなぞってあつめた。あつめたものをそのまま道路の上にぺっと吐こうとするが、唾液もすべて吸いとられてしまっているので、うまく吐きだすことができない。切れて血のにじんでいるくちびるにどうしてもはりついてしまう。
 車が二台ぎりぎりすれちがうことのできるほどしかない車道の向こうには、錆の目立つガードレールをはさみ、まったく手入れのされていない休耕田が、一メートル弱ほど低くなった位置に敷かれている。孝奈は赤黒く濡れたティッシュを足元に捨て、くちびるにはりついたものを指先でつまんだりこすり落としたりしながら、道路の向こうにあるその景色をなんとなくながめた。好き放題に生い茂っている雑草の背丈の違いで、かろうじて十字に交差する畦道に見当をつけることができるものの、長らくひとが足を踏みいれていないことのあきらかな休耕田は、ずっと向こうのほうにある林の入り口まで続いている。空はほこりのような雲できめこまかく覆われており、打ち捨てられた地上に上から蓋でもしようとしているかのように低い。雲が薄くなっているあたりは、その向こうに隠れている太陽がなかば透けているために、灰色というよりは銀色にそまってみえるが、その半端な明るさがかえって地上に茂る雑草の緑を生気なくきわだたせている。視界はひろびろとひらけているにもかかわらず、土手の斜面とおなじでとっかかりがなにもないために、ながめているだけで息が詰まってくる。これが地元だと孝奈は不意に思った。降って湧いたようなひらめきだった。たぶん東京や大阪にはこんな風景はない。名古屋にも。東北は? 東北には少なくとも瓦礫がある。ここにはなにもない。
 口の中でまた鉄臭い味がひろがりはじめる。残っていたティッシュをポケットから取りだしてちぎり、ふたたびうわくちびると前歯のあいだに詰める。
 車道脇に車を停めた鵜川は、以前はこんな土砂などなかったと言いながら車をおり、孝奈に背後から不意打ちされる可能性などまったく考慮していないようすで先に斜面に足をかけ、その足をぶざまにすべらせたのだった。ここはかつて沼だった、沼はザリガニやメダカの宝庫だった、近所に住む小学生らのあいだでは五年生と六年生しか足を踏みいれることは許されないという暗黙のルールがあったのだと、斜面をのぼりきったあとも足を止めず、山のほうに歩みを進めながら、鵜川は言葉を続けた。
「おまえらの世代、そういう遊びあんましとらんやろ」
 小学生のころは田んぼの用水路でメダカやドジョウやヨシノボリを捕まえたものだった。そう答えるべきかどうか迷っているうちに、こっち来い、と手まねきされ、おそるおそる近づいていったところ、鳩尾に一発目をもらった。体をくの字に折ってえずき、そのままひざを突いてしまおうとしたところで、一発目とおなじボディブローのような軌道を描いて放たれた拳がくちびるを圧した。歯がくちびるの内側に刺さり、血がどろりと流れだすのがすぐにわかった。涙が目尻からにじんで、すぐに景色が輪郭を失った。
 その口の中からまたティッシュを取りだした。血はおおかた止まったようだが、くちびるはまるで歯医者で麻酔を打ったあとのように、何倍にもふくれあがっているように感じられた。赤いしみのついたティッシュを足元に捨ててから、滓をとりのぞくためにうわくちびると歯のあいだにふたたび舌を這わせたところで、血の気が一気にひいた。すぐにその場にしゃがみこみ、脇腹の痛みもよそに、捨てたばかりのティッシュをひろいあげて、くしゃくしゃにまるめてあった中身を確認した。根本が薄いピンクに色づいている前歯が一本、にんにくのかけらのように転がっている。

 それから台所に立ってメシをこしらえて食ったのだがその前に三年生の(…)さんにいってらっしゃいの微信を送ったのだった、(…)さんは明日いよいよ日本に旅立つ、大分のホテルだか旅館だかで半年間インターンシップ生として働く段取りになっているのだがほかのインターンシップ生らがクラスメイト複数人とそろっておなじ職場で働くことになっているのに対して彼女はひとりきりなのでちょっと心配になる、コロナ前の(…)さんみたいなケースにならないだろうかと正直気が気ではない、(…)さんも日本語がめちゃくちゃ達者だったがたぶん達者だったからこそだろう、ほかのインターン生とはなされるかたちでひとり石川の僻地にある旅館で働くことになったのだがそこにいた日本人のババアどもにさんざん差別されていじめられた、だからこちらとしては(…)さんがおなじ目にあわないだろうかと心配で心配でしかたないのだ、(…)さんのほかに(…)さんもひとりきりで働くことになる、ふたりとも目的地は大分なので明日はいっしょに発つことになっているのだが入国後ほどなくしておそらくはなればなれになるのだろう。
 きのうづけの記事の続きを書いて投稿しウェブ各所を巡回し2022年7月10日づけの記事を読み返した。

(…)『虞美人草』を読みはじめる。この作品の文体、こちらが『S&T』でやろうしていたものにかなり近いかもしれない。京都が舞台として出てくることもあり、「ただ昔しながらの春雨が降る。寺町では寺に降り、三条では橋に降り、祇園では桜に降り、金閣寺では松に降る」という文章など登場するのだが、そうか、寺町というのはもともと寺がたくさんあったから寺町なのか、現代で寺町といえば服屋のたくさんあるアーケード商店街であるわけだが、と思った。三条の橋は三条大橋のことだろうし、祇園の桜はやはり八坂神社の桜だろう。金閣寺の松はそのままだ。小説や映画や漫画に現実に存在する土地が登場するときの楽しみをはじめてこちらがおぼえたのは現代語訳の『今昔物語』を読んだときだったわけだが、あのとき、そうか、東京に生まれ育った人間というのはこういう解像度で非常に多くの小説や漫画や映画に触れることができるわけだな、これも一種の文化資本だよな、とつくづく思ったものだった。23区がどうのこうのいわれてもこちらにはいまだになんのイメージも浮かばない。

 2013年7月10日づけの記事も読み返して「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲したその作業のあいだは『t-mix』(Tohji)と『Mall Tape 2』(Mall Boyz)を流していたのだが二枚ともかなりいい、Tohjiは『angel』がリリースされた当初きいてあんまりいいとは思わなかったがLootaといっしょにやっている『KUUGA』はすごくよく裏声の使いかたとかあたらしくてこれはおもしろいと思ったのだけれどもこちらの観測する範囲では特に話題になっていなかった気がする、だがこちらの観測する範囲とはいったいどこなのか、Lootaはあれはファーストアルバムだったと思うがリリックのなかでベケットに言及していてそういう知的なひとなのかと思った、Lootaをはじめて知ったのはKeith Ape経由だ、Keith Apeは2021年にInstagramで余命数ヶ月であると告白したらしいがその後続報はない。

 ぼちぼち出国なので軽く荷造りをすることにしたのだが軽くというのはつまり衣類であったりパソコンやタブレットまわりであったりの出発ぎりぎりまで使うものをのぞいたブツをキャリーケースにとりあえずつっこんだという意味であるのだがキャリーケースとキャリーバッグとスーツケースとトロリーバッグの違いがわからない、過去の日記でもどれかひとつに限定することなくそのときどき好き勝手に選んだワードを採用している気がするのだがそういう勝手が許されるのはこれがどうでもいい殴り書きの日記であるからで作品という意識が強い小説であると途端にそうでなくなってしまう、語を統一したいという誘惑に魅入られてしまいあらがえなくなってしまう、なってしまうと書いたもののそういう誘惑にあらがいたいという気持ちが特別あるわけでもない、そういう統制や支配や法に対していちいち反発してみせるその積み重ねによってこそアナーキーな小説が書けるのだとは思わない。荷物の量は例年そうであるがやっぱり全然大したことがない、日本から中国に渡るとなるとわりと毎回重量制限いっぱい本だの服だのつめこんでいくわけであるが逆はそうでもない、せいぜいひと月過ごすための着替えがあればもう十分という感じであって実際はそれにくわえて授業準備をするための教科書や語学用のテキストなども持っていくのであるがこれらを実家に滞在中本当にひらくことがあるのかどうかはなはだ疑問ではあるのだがスーツケースの中身がガラガラであるとそれはそれで荷物が安定せずよくないと思うのでいちおう持っていくことに決めたのとあと土産だ、土産といっても土産としてわざわざポチったのは母親に対するパッションフルーツと氷砂糖のジュースの素くらいであってほかにスーツケースにつめこんだのはこれまでに学生らからもらった土産の数々でそれらはほぼこれまでクローゼットのこやしになっていたわけであるがクローゼットのこやしにするくらいであれば他人に譲ったほうがいい、そういうわけで三年か四年ほど前に(…)さんからもらった成都土産のパンダのぬいぐるみは(…)にあげることに決めたし一昨年(…)にもどった際にすでに卒業していた(…)さんからの贈り物として彼女の後輩から受け取った中国の伝統的な凧は(…)と(…)へのお土産にすることに決めた、夏場に凧というのもアレだが正月まで別に待つ必要もないだろうし正月といえば2022年分のお年玉と2023年分のお年玉をふたりには渡せていないので中国で買ったポチ袋にいくらか包んで渡すつもりでもいる。
 シャワーを浴びてストレッチをして『異常論文』(樋口恭介・編)の続きを読み進め、今日読んだのは「ザムザの羽」(大滝瓶太)と「虫→……」(麦原遼)と「オルガンのこと」(青山新)だがそれらを読み終えたところで台所に立って冷食の餃子をこしらえて食し、食しながらジャンプ+の更新をチェックをして歯磨きをすませてそのまま今日づけの記事の続きもある程度書いたところで寝床に移動した。