20230717

 階下の(…)の声で目が覚めた。やや寝不足気味だったがそのまま活動開始することに。階下に向かう。夫妻も子どもふたりもすでに活動開始している。(…)は(…)といっしょに食卓について朝食をとっていた。一晩はさんだからだろう、こちらが接近すると一瞬だけシャイな敵意を浮かべかけたが、すぐに笑った。歯磨きをすませてこちらも食卓につく。
 昼飯の時間帯まで(…)の遊び相手をしながら大人と雑談する。(…)の兄の娘ふたりはすでに小学生。上の子は小学四年だったか五年だったか、たたずまいだけであたまの良い子だとわかるという。母親は韓国人なので娘ふたりとも韓国語を理解しており、上の子は特にペラペラらしい(下の子はリスニングはできるもののみずから話すことはない)。奥さんもいまでは日本語ペラペラで、はじめて実家にあいさつにきたときはこんにちはすら言えずアンニョンとあいさつされたものだったが、あのレベルからここまで上達するのかとびっくりしたと(…)はいった。夫妻はオーストラリア留学中に出会ったわけだが、奥さんはオーストラリアに向かうその機内でお腹が痛いと英語で訴えることもできないレベルだった、それが留学をきっかけにめきめき力をつけて、いまでは日本で英語のALTとして働いているというので、おそらく地頭の相当よいひとなのだろう。
 (…)の弟である(…)にもすでに子どもがふたりいる。これで兄弟三人全員がふたりの子持ちになったわけで、少子化に対抗しとんな、(…)家とは大違いやと受けたわけだが、ところで(…)は最近心不全になったらしい。(…)はわれわれの7歳年下であるから現在30歳か31歳、心不全になるような年ではないだろうと思うのだが、身長は170センチに満たないにもかかわらず体重は130キロオーバー、それで体調を崩したのだろう。意識を失うことはなく、具合が悪いと思ったのでじぶんで車を運転して病院に向かい、結果、ひとまず問題ないところまで回復したというのだが、三十代前半で心不全はやばすぎやろとおもわずふきだしたところ、その事実を夫婦に告げた(…)の母君も爆笑しながらだったというので、それでまた笑ってしまった。
 そういう話を交わしている最中も(…)はしょっちゅうトミカをこちらの顔の前に差し出してなにやら話しかけてくる。そしてそのたびに(…)が、ひとが話しとる最中に話しかけたらあかんっていつも言うとるやろと叱る。(…)は(…)に対してまずまず厳しめに接する。今日の昼もまた外でメシを食う話になっていたのでその点を踏まえて、きのうもお出かけ、今日もお出かけ、そんなんまるで〜? と(…)に続きをうながすと、盆と正月いっぺんや! という返事があったので、よしよしとなった。
 昼飯は台湾料理。いい感じに小汚い店舗が近所にあるのだという。味もよい、量も多い、腹いっぱい食っても安い。店は台湾人が営業している。車で10分ほどの距離だったろうか? 駐車場がせまく、われわれが到着したのは13時前、満車だったので近くをぐるっとまわってふたたびおとずれるとちょうど客のひいたタイミングだったので、あらためて車を停めて店内へ。訛りのある女性店員が迎えてくれる。(…)省出身者の訛りとは全然違う。一語一句をそっけなく投げつけるようなしゃべりかた。台湾の訛りなのだろうか? 台湾の言葉はむしろかなり優しく甘ったるい感じがすると聞いたことがあるので、少なくともこの女性は台湾出身ではないのかもしれない。店内には赤い提灯がぶらさげられており、壁にも赤い飾り紙が貼られていて、日本でこういう飾りつけを見るのもちょっと妙な気分だ。メニューはめちゃくちゃ多かった。ラーメンとチャーハンと揚げ物のセットでもたしか1000円をオーバーしないという安さで、しかも量が多いことから、現場仕事の人間が昼休憩に立ち寄っている場面もしばしば目撃するとのこと。(…)ちゃんと(…)はふたりでそのセットをシェア。(…)は同様のセットのラーメンを天津ラーメンに。こちらは角煮ラーメンを単品でオーダー。ラーメンのスープ自体はわりとしょっぱい味付けだったので、嗅覚と味覚が不完全なこちらでもおいしく食べることができたし、角煮はひとりで食べきれないほどいっぱい入っていた。近所にこういう感じの大衆的な店があるのはいいな、定期的に来たくなるよなといった。実際、夫妻はちょくちょく店をおとずれるらしい。レジで支払いをする際、台湾人(?)のホールスタッフがいつも「あげる」とやや巻き舌気味でいいながら(…)にあめをくれるというので、巻き舌ということは東北地方の出身なのかもしれない。
 客足のひいたタイミングで入店したはずだったのだが、その後も続々と客が入ってきて、たいそう繁盛している。食後のスイーツもけっこういろいろあるふうだったが、宇治抹茶のアイスみたいなもののチラシが食卓脇の壁にはられており、それを(…)ちゃんが食べたいというのでひと皿だけオーダーすることにした。小皿に長方形のアイスが三つのっているもの。大人三人でシェアする。(…)はアイスクリームを食べない(氷菓であればちょっとだけ食べる)。ケーキやプリンやシュークリームも食べない。甘いものがあまり好きではなく、特に生クリームが嫌いらしい。このくらいの年の子どもでアイスもプリンも食べないなんてかなりめずらしいのではないか。好きな食べ物はひじき。テイストが完全にジジイ。
 レジであめをもらって店を出る。支払いはこちらがもつ。いったん帰宅し、スーツケースとリュックサックを回収して車にもどる。(…)ちゃんと(…)とはここでお別れ。(…)は駅まで見送りに来てくれるという。出発直前になって(…)ちゃんが忘れ物をもってきてくれた。歯ブラシや歯間ブラシやその他もろもろをまとめてつっこんでおいたファスナー付きのビニールケースを洗面所に置いたままだったのだ。
 新祝園駅まで送ってもらう。近くにある商業施設の有料駐車場に車を停める。その商業施設の二階にエスカレーターで移動し、施設の内側を通り抜けるかたちで乗り場のほうに向かう。途中、(…)がうんこしたいといってトイレに向かったので、こちらと(…)とふたりでベンチに腰かけ、この二日間楽しかったな、たくさんお出かけして幸せやったな、盆と正月がいっぺんに来たみたいやったなと話す。周囲には制服姿がちらほら。たぶん通学に利用される駅なのだろう。
 (…)がもどってきたところで改札に向かう。(…)は電車のみえる場所にやってきたということでウキウキ。(…)ちゃん、電車とバスと先生とどれが一番好きや? とたずねる。電車とバスだけ好き! という返事がすぐさまあり、(…)が腹を抱えて爆笑する。トミカ返せクソガキ!
 券売機でICカードにチャージする。特急券はここの窓口で買えないらしい。大和西大寺まで行ってもらってそこで買ってもらえればと窓口の駅員がいう。父子とはここでさよなら。バイバイして階段をおりる。ホームは暑い。静かだ。電車が来るまでまだ10分ほどある。ちょっとうんこがしたくなってきたのでエレベーターで改札のあるところまでもどり、和式便器しかないトイレでちょっとだけうんこをする。それからまたホームにおりる。急行で大和西大寺に移動する。
 大和西大寺のホームで特急券を買う。自販機で特急券を購入するのははじめてだ。移動中はひたすらBliss and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きを読む。大和八木で乗り換え。

 乗り換えた車両はけっこう混雑していた。こちらの右となりの窓際には貴婦人みたいな服装の女性がいた。途中でおりる際に、あなたもこちらでおりるの? とたずねられた。二人称「あなた」を日本語学習中の外国人ではない、ネイティヴが日常生活で使う場面にでくわしたのは、もしかしたらこれがはじめてかもしれない。(…)駅に達したあたりで猛烈にうんこがしたくなった。さっき新祝園駅のトイレで少ししているわけだが、よくよく考えてみれば帰国してから一度もまともにうんこをしていなかったのだ、そりゃあたまっているはずだ。そういうわけでぶっ放した。
 (…)駅には弟が迎えにきていた。改札を抜けた先に見慣れない制服を着た女子高生がいた。いまはもう学ランを採用している高校などほとんどないのだろう。背が高く、透明感のある顔立ちの子だったので、ちょっと印象に残った。トランクにスーツケースをぶちこみ、助手席に乗りこむ。弟はいまの時期は仕事をしていないという。しかし9月になればまた(…)のところに注連縄作りの手伝いにいくようだ。
 寄り道はせず実家に直帰する。弟はこちらだけおろしてそのまま買い物に出かけた。玄関のとびらをあける。正面のリビングに母と(…)がいた。(…)はこちらの姿に気づくと、あせったようすで立ちあがり、ゆっくり玄関までやってきた。尻尾をふるのだが、やはり力がない。それにいつもであればひんひんひんひん鼻を鳴らすのだがそれもない、当然吠えもしない。そもそも以前であればこちらの足音に気づいてあらかじめ玄関で待っているはずなのだがそれもなかったわけで、やはり相当耳が悪くなっているようだ。しかしそれよりもはるかに印象に残ったのは、というかショックを与えられたのは、やはり後ろ足だった。想像していたよりもずっと弱っていた、衰えていた、ほとんどまともに機能していないようにみえた。すでに歩行の型が成立していない。前足はしっかり動いているのだが、後ろ足はすでになかば飾りと化していて、というと言い過ぎかもしれないが一定のリズム、一定の歩幅を刻むことがそもそもできていない、それにくわえてたびたび足がもつれる、だから本当にまともに歩けていないという印象を受ける。伏せていた状態から起きあがるのにもたいそう時間がかかるし、段差をあがるのにも苦労する。おすわりはもうできない。13歳半なのだ。人間の年齢に換算すると、ぴったり100歳らしい。しかたない。こちらが帰宅する瞬間を父が動画で撮影しており、のちほど見せてもらったのだが、力ない立ち姿でありながらも(…)はやはりはしゃいでいるふうであったし、こちらがなでるのをやめるなり、前足をお手するみたいにしてもっともっととおねだりするかつての姿勢も見せていて、前回出国したときはこれが今生の別れとなるのだろうと覚悟を決めていた、それを踏まえて考えると御の字だ、よく生き延びてくれたという話だ。そしてそんな状態にもかかわらず、かつてのようにこちらとバスタオルの引っ張り合いをするよう求めたり、ボールをくわえて持ってきたりもする。よだれでベトベトになっているはずのバスタオルであるが、においがわからない。
 土産だけ渡して風呂に入る。弟には毎度「いやげもの」(みうらじゅん)を渡すのが恒例なので、四年ほど前に(…)さんが部屋の大掃除をしていた際に家具の裏から出てきたという、かつてその部屋に住んでいた先輩の私物らしい、写真立てみたいやつのなかに中国の伝統的な飾り細工(ひとがたをしたもの)がおさめられている代物を渡す。しかし前回の帰国時に渡した木彫りの仏像やタイ・カンボジア旅行帰国時に渡した黄金色のガネーシャなどにくらべると、まだまだいやげものレベルが低い。
 ひととき(…)相手にだらだらとたわむれる。夕飯はそば。食後は荷ほどきし、空き部屋に荷物を運ぶ。たんすの上に積んだままになっていた書籍をチェックする。『スロー・ラーナー』(トマス・ピンチョン/志村正雄・訳)があったのでなんとなく手にとる。『V.』の上下巻本もある。このあたりは今回の出国時に持っていくか。さすがに寝不足で疲れていたので、はやめに部屋にあがって寝ることにしたが、いざ布団に横になってみると妙に冴えてしまい、それだったらと『スロー・ラーナー』(トマス・ピンチョン/志村正雄・訳)を読みはじめた。ピンチョンの若書きをあつめた短編集らしい。