20230731

 11時起床。階下に移動し、歯磨きしながらニュースをチェックし、めだかに餌をやる。冷食のパスタを食し、コーヒーを飲みながら、『震災日録――記憶を記録する』(森まゆみ)を最後まで読み進める。期待していた内容ではなかった。被災地のできごとや被災者の心情ではなく、離れた地域で生活する人間の2011年3月11日以降の日々がつぶさに記録されているものと思って手にとってみたのだが、本文の大半が被災地での支援活動であったり当事者から聞いた話の記録であったり東京で行う運動の記録であったりして、村上春樹風にいえば、震災にコミットメントしたひとの記録でありデタッチメントを保ったひとの日記ではない。やはりそういう本は世に出回っていないのだろうか。地道に無名のブログをあさるしかないのだろうか。「実弾(仮)」の資料として、結局もっとも役に立ったものは、ほかでもない自分自身の日記だ。こちらのように毎日日記らしい日記を書いている人間はたぶんそれほど多くない。震災以降は日記ブログカルチャーも衰退し、Twitter——という名前ではもうないのだった——に代表されるリアルタイムの短文ばかりがネット空間に蓄積されていくことになる。
 母の運転でユニクロへ。事前に目星をつけておいたワイドパンツやTシャツをもって試着の鬼と化す。ひとまず黒のワイドパンツをひとつ購入することに。Sサイズだと腰回りがパンパンだったのでMサイズ。裾上げしてもらう。Tシャツはいったん保留。裾上げの終わったブツと合わせたい。去年、淘宝で黒シャツを買ったとき、黒のチノパンにあわせて着用してみたことが一度だけあり、それまで全身真っ黒というコーデを試したことがなかったので新鮮だった、その印象がまだちょっと残っている感じがするので、黒のワイドパンツに黒のTシャツでタックインしてみようかなという気分になっているのだが、しかしそれだったらせめて足元だけはちょっとしっかりした革靴かなにか合わせたいよなと思う。
 近くにあるセカンドストリートにも寄ってもらったが、そもそも衣類をそれほど多くとりあつかっていない。JOURNAL STANDARDの革ジャンがちょっといい感じだったのだが、サイズがLで、うーん微妙。母は以前捨ててしまったもらいもののコップとおなじものが、中古であるにもかかわらず5000円近くの値段で売られているのを見つけてショックを受けていた。とっておけばよかった、と。
 母がセール品の服を見たいというので今度は(…)へ。母の買い物中、車でずっと待っているのも暑いし、(…)は「実弾(仮)」の舞台として登場するイオンモールでもあるので、その取材をかねて同行することに。母が服屋にいるあいだ、館内をひとりぶらぶらと歩いたが、中学生か高校生か知らないが、若い女の子が意外にいて、このあたりはまだ年寄りばかりというふうでもないのかなと思った。(…)はこちらが想定していたよりもずっとせまかった。「実弾(仮)」では、まおまおがこのモールの一階に設置された仮設ステージでチャリティライブを行う。仮設ステージは二階にいたる螺旋階段のそばに設けられているのだが、モデルとなった螺旋階段とその一帯が、こちらのあたまのなかにあったものよりもはるかにせまくこじんまりとしていた。京都のイオンであったり(…)の万达であったりの印象がまざっていたのだろう、三階か四階まで吹き抜けになっているひろびろとした館内を想定していたのだが、ララパークはそもそも二階建てだった。
 せっかくなので二階にある書店ものぞいてみることに。(…)書店。ないだろうなと思いつつ人文系の書棚を探す。「人文」のプレートが掲げられている書棚が見つかったので、え? マジ? あるの? と思って近づいてみたが、俗流心理学と宗教の本がほんのちょっとあるばかりで、このメンツで「人文」を掲げるのはどうなのという感じ。文庫本も探してみる。岩波は見つからない。女性店員ふたりがなにやら話しこんでいるのがみえたので、いちおう岩波文庫は扱っていないのかと確認する。ないという。岩波はたしか買い切り制度だったはず。だから地方の弱小書店ではほぼ扱いがない。
 近くにはヴィレッジヴァンガードもあった。ヴィレッジヴァンガードは田舎者が唯一文化らしいものに触れることのできる聖域みたいなもので、その辺の書店では全然とりあつかっていない本を置いていることもかつてはあったのだが(少なくともこちらがまだ学生だった時分、帰省中に本が欲しくなったときはいつも(…)のヴィレッジヴァンガードで適当な文庫本を買っていた)、今日のぞいてみたところ、そもそもの本の取り扱いがほとんどなかった、ほぼほぼ漫画だった。マジかと思った。だったらこの街でいったいどうやってまともな本に出会うことができるのだろう? インターネットか図書館? しかし不良はインターネットも図書館もろくに使わない! 誤配の可能性すら途絶えている!
 もうこんな感じなんだなと思いながら一階にもどった。母はまだ服屋にいるようだったので、近くにあるベンチに腰かけて、『震災裁判傍聴記』(長嶺超輝)を読みはじめた。
 母は結局なにも買わなかった。ほしい夏服がセールで安くなっていたのだが、サイズが合わなかったのだという。セブンイレブンに移動した。7万円×2回をおろした。以前店をおとずれたとき、まもなく発売開始する新メニューとしてスムージーのチラシが貼られていたのを思い出したので、ふたりで試してみることに。コーヒーとおなじで冷凍庫にカップが入っているのをレジに持っていって支払いをすませたのち、専用のディスペンサーに容器を置くかたち。一杯300円。母はベリー系のもっとも無難なやつをチョイスしていたが、こちらはもっとも味の予測できないケールのブツをチョイスすることに。ディスペンサーの前でスムージーができあがるのを待っていると、マスクを装着した若い女性がわれわれのほうにやってきて、もしかして(…)ちゃんのところですか? とたずねられた。(…)のところの長女だという。びっくりした。母はこの二年のあいだにもしかしたら何度か会っているのかもしれないが、こちらは実家待機のオンライン授業を余儀なくされていたころに一度か二度、(…)で顔を合わせたことがあるだけだ。あのころはたしかまだ高校生かそこらで、地元ではあまり見かけないようなちょっとサブカル風に洒落たファッションをしており、顔立ちもきれいな子だったのでけっこう印象に残っていたのだが、今日われわれに話しかけてきた彼女はすっかり別人のようにみえた。あいかわらずきれいな子ではあったが、服装がとても素朴だったのだ、白いTシャツにジャージみたいな格好だったのだ。謎はすぐに解けた。彼女は介護の仕事をしているのだった。いまから夜勤だという。大阪の看護学校に通っているのではなかったかと母がいうと、もう辞めてこっちに戻ってきたのだという返事。妹さんもたしかいましたよねとたずねると、ひきこもりですという。高校生? と母がたずねると、通信制のところにいちおうとのこと。(…)も大変なことになりましたねと話す。ちょっと調べてみたんすけど、いまの時代やったら服薬さえちゃんと続けとれば問題ないみたいでそれは安心しましたけどというと、でも副作用だけがちょっと心配ですという返事(アジソン病にはステロイドを投薬する)。
 車にもどる。あの子前も思ったけどべっぴんさんやなというと、母も同意。スムージーはけっこううまかったが、やっぱりコーヒーのほうが好きだなおれは。そういえば、これはたぶん帰国当日の日記に書き忘れていると思うのでここに書いておくが、日本のコンビニはいつのまにか支払いがセルフになっている! 商品をレジに通すのは店員の仕事であるのだが、その後の支払い方法の選択およびその支払いすべてが客にゆだねられており、最初けっこう戸惑ったのだった。客にどんどん仕事させるようになっとるな! 資本主義もここに極まれりや!
 書き忘れていると書きつけてまた思い出した、スマホのメモ帳に日記に書くつもりでメモっておきながら書かずじまいになっているキーワードが複数あるのだった。ついでなのでそいつらもここで成仏させることにする。
 まず「蟹がバイク乗っとるんかとおもった」。これはたぶん5月ごろのできごとだったと思う。夕方のよく晴れたキャンパス内を自転車で移動しているときのことだ。日差しがかなりまぶしく、サングラスをかけていても目をあけていられないほど強烈な西日が、黄金色の光線を斜めにするどく射出している、そのために万物の影がながくながくのびている、そんな時間帯だったのをよくおぼえているのだが、前から電動スクーターに乗った男子学生がやってきた。男子学生は大股をひろげていた。それもちょっとやそっとの大股びらきではない、信じられないレベルの大股びらきだった。正面からすれちがうかたちだったし、西日がまぶしかったのでよく見えなかったのだが、もしかしたらスクーターの足場に快递で回収した荷物かなにかをのせていたのかもしれない、その結果置き所を失った両足を不自然な構えにせざるをえなかったのかもしれないが、そのような事情はどうでもいい、ただそのとき、ほぼ180度に近いレベルで両足をひらいて電動スクーターにのった男がこちらにむけてやってくるのを逆光越しの遠目にながめたそのとき、蟹がバイク乗っとる! と思ったのだ。だからその印象をメモした。そして日記に書くのを忘れていた。
 もうひとつ。「睡蓮葉っぱの水弾く」。これは先学期、(…)さんと(…)さんと三人で大学の中にある池で睡蓮の花だの淡水魚だのをながめていたおり、睡蓮の葉っぱが水を弾くことをはじめて知ったときのことだ。女子学生ふたりのうちいずれかが、水に浮かんでいる睡蓮の葉っぱを指先でついて水中に沈めようとした、するといったん沈んだはずの葉っぱはすぐに浮上し、同時に、葉っぱの上をまるで水銀のような水滴がぶるぶると震えながらすべりおちていったのだった。それを見たこちらが感嘆の声をあげると、え! 先生、これ知らなかったの! とふたりはたいそう驚いたようすだった。中国の田舎で育った子どもであれば、小さいときにみんなこの睡蓮の葉っぱと水滴で遊んだことがあるという。傘にもなりますよと言ったのち、宮崎駿の映画にもありますと続いたので、龙猫(トトロ)? とたずねると、对对对という返事。そうしたやりとりの記録。
 最後。「手垢がつきまくって力太郎が一ダース産まれるわカスが」。具体的にだれのどういった発言に対して抱いたアレなのかはわからない、しかしこれもほかのメモと同様先学期中に記録したフレーズであるので学生か教員の発言に対しておもわずおぼえてしまった所感であるのだろう。たぶん、よほどくだらないことをだれかが口にしたのだ。で、それに対してたまらず、そんな手垢のついたフレーズをなにを訳知り顔でこのカッペが! と思った、そしてその思いがある閾値を超えた結果、手垢で力太郎が一ダース産まれるというパンチラインが生まれたのだろう。
 郵便局に立ち寄る。おろしにおろした40万円を口座にあずける。(…)から夏休みの宿題でもらった暑中見舞いに返事を書きたいのではがきを買ってきてくれと母にたのまれていたので、受付のおねえさんに暑中見舞い用のはがきでいちばんかわいいやつをくださいとお願いする。ムーミンが海水浴しているやつが出てきた。切手もいっしょに買う。
 最後に母が(…)に立ち寄る。こちらは車内に残って書見。そして帰宅。ホテイアオイについて、昨夜調べたところによれば、日当たりの良い場所に置いておけば7月から10月にかけて花を咲かせるとあったので、鉢も砂もあまっていることであるし、めだか鉢のホテイアオイもそろそろ間引きする必要もあるしでちょうどいいかというわけで、めだか鉢ふたつからそれぞれ一株ずつホテイアオイを没収して、あまった鉢に水を張ってその上にぶちこんでおいた。めだか鉢を日当たりのよい場所に置くことは許されない。水が煮えて全滅する。
 母がさっそく暑中見舞いの返事を書く。なつやすみをたのしんでね的な簡単な文章が全文ひらがなで書かれている。母はめちゃくちゃ達筆で、小学生のころにわれわれ兄弟が通っていた書道教室の先生からもほめられるレベルだったのだが、しかしそれで暑中見舞い完成というのはクソつまらない。そこでこちらもペンをとった。まず両親の名前が記されている差出人のところに「(…)うんこ」と追加で記し、それから裏面の余白に「(…)ちゃん、まいにちうんこしていますか? (…)と(…)はまいにちもりもりうんこしていますよ」と書いた。母にみせると、ゲラゲラ笑いながら、(…)くんよりって書いとけばというので、言われたとおりに加筆した。(…)はたしか小学二年生だったはずだが、弟がこうしたくだらないいたずらをする人間でないことはたぶん十分理解できる、文章を見た途端にこんなくだらないことをするのはこちらだとすぐに気づくんではないだろうか。
 きのうづけの記事の続きを書いて投稿する。今日はすずしい。それでひさしぶりに夕飯前に(…)をドライブに連れていこうということになった。(…)公園へ。庭に出てから車に乗るまでのあいだにうんこも小便もすませてしまったが、ま、それはそれとして(…)はドライブが好きであるので問題ない。(…)公園では想像していたよりもずっとよく歩いた。今日は車をおりてわりとすぐに補助具を装着した、それがよかったのかもしれない。途中で老夫婦の連れている緑内障の芝犬と出会った。おぼえがあった。実家待機を余儀なくされていた期間中、やはり(…)公園でいちど出会ったことがある。名前は(…)。年齢はたしか13歳か14歳という話だったが、足腰はまだまだ元気だった。夫婦は(…)の装着している補助具を見て、以前飼っていた犬は晩年車椅子を使っていたといった。われわれ家族もいずれあれが必要になるだろうという話をしていたところだったので、どこで手に入れたのかとたずねると、岐阜かどこかにある工房で用意してもらったという話だった(「買った」ではなく「借りた」といっていたが、そのあたりの詳細は不明)。本来はその工房に犬を直接連れていってサイズをはかってもらう必要があるのだが、距離が距離であるし老犬であるしということで、工房側の指示にしたがって写真をとったりメジャーでいろいろな部位のサイズをはかったりしたらしい。その犬はたしか16歳か17歳まで生きたということではなかったか。(…)は両目の視力を完全に失っているという話だったが、足取りは全然そんなふうにみえない、ただ目玉は真っ黒でやや張り出していた。秋生まれやから(…)? と母がたずねると、飼い主の女性は肯定した。(…)の母親は春生まれだったので、(…)だかなんだかいう名前だったらしい。
 帰宅。書見し、夕飯を食す。父がテレビをつけてNHKかどこかにチャンネルを変えると、バラエティ番組やクイズ番組のノリをとりいれた中国語学習系の番組がやっていて、ふなっしーががんばって中国語を話していた。ぼんやりながめていると、見知った街並みが映ったので、あれ? これ長沙ちゃう? と口にした。そうだった。長沙は花火の生産で有名だという。世界中で販売されている花火の何割かが長沙でうんぬんかんぬんみたいな情報も出ていたが、全然知らなかった。さらに毎週花火大会もあるというのだが、ほんまけ? 大気汚染対策として春節の爆竹すら都市部では制限をかけているというのに、毎週花火大会なんて許されるのだろうか? 今度学生らにきいてみよう。
 風呂に入る。ストレッチをし、デカビタを飲み、コーヒーを飲み、ウェブ各所を巡回し、2022年7月31日づけの記事を読み返す。2013年7月31日づけの記事も読み返して、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。「祝福された貧者の夜に」とサブタイトルの打たれた例の記事。いま読むとやっぱり、当時もいくらかはそう思っていたが、感傷的にすぎるし、自己陶酔がうっとうしい。

 今日づけの記事もここまで書いた。実は、実家にもどってきてからというもの、音楽を一度もきいていなかった。最初の二日はあれこれバタバタしているうちに自然とそうなっていたにすぎないのだが、音楽を丸二日聞いていないと自覚した瞬間、だったらこの状態でどこまでいけるだろうかという、例によってわけのわからん試みに対する好奇心が芽生えてしまったのだった。それで今日の今日までiTunesを起動せずイヤホンも装着せずという日々をおよそ二週間過ごしてきたわけだが、とうとうその禁を破ってしまった、カタカタやっている最中に音楽をききたいなと思ってしまった。理由はそれだけではない。母の運転する車に同乗しているあいだ、母はずっとコブクロのCDを流しているのだが、その楽曲のフレーズのようなものがときおりあたまのなかでくりかえされるようになったのだ。いちいち断るまでもないが、まったくもって興味もないし趣味でもない楽曲群であり、あたまのなかで断片的なフレーズがくりかえされるだけで多かれ少なかれげんなりしてしまう。それがさすがに嫌だったので、禁を破って解禁しようと思ったという事情もあるのだった。『Unfinished Reasons』を読んだこともあり、『COPY』(syrup16g)を流した。ひさしぶりの音楽にたいする感動よりも音質そのものに対する感動、もっといえば、音のつぶだちやレイヤーひとつひとつの解像度に対する感動をおぼえた。運転中の車で流れる音楽と、真夜中の食卓でひとりイヤホンをつけて聴取する音楽では、これほどまでに別物になるのかという、常識的といえばきわめて常識的な反応。しかし『COPY』は本当にいいアルバムだ。アルバム単位でもっともリピートした回数の多い一枚かもしれない。
 そういえば、今日のできごとであるか昨日のできごとであるか忘れてしまったが、とうとうスマホに表示されているアイコンもTwitterからXになった。びっくりするくらいダサいな!
 卒業生の(…)くんがモーメンツで高校の日本語教師として採用されたと報告していた。一年間就職浪人していたことになるのか。おめでとうのコメントとともに、これからは仕事が忙しくなるし以前より読書できなくなるなと寄せると、この一ヶ月半この試験のためにずっと準備ばかりしていてまともに本を読めていない、ひとまず明日からは夏目漱石全集を読むことにするという返信があった。すっかり文学青年だ。
 夜食は冷食の炒飯。歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックしたのち、間借りの一室に移動して書見の続き。『震災裁判傍聴記』(長嶺超輝)を最後まで読み進める。これも「実弾(仮)」の資料としては当てがはずれたなという感じ。震災後九ヶ月が経過した時点でなお警戒区域内にあるコンビニで空き巣をした人物が実際に存在したことがわかったのは儲けだったが。
 以下は『震災日録――記憶を記録する』(森まゆみ)より。

 夜、幼なじみのキョウコちゃんに会う。彼女はお母さまの介護中だ。「家を流された友だちに何がほしいと聞いたら喪服がほしいって。あした送るの」。現地が想像できた。すべて流されたけれど、お葬式にはジャージとかでなく黒い喪服が着たい、という気持ちが。被災地では瓦礫の処理をしながら、お葬式もたくさん行われている。
(72-73)

 被災地に親戚のいる人から、「津波のあと、おじいさんが庭に二〇〇〇万円へそくりを埋めておいた、と言い出し、みんなであわてて探したけどなかったんだって」という話を聞く。
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菊地家に泊まって聞いた話。「墓地の墓石がひっくり返り、どこが自分のうちの墓かわからない。このあたりかなあ、と花を供えたら、隣りの人はじゃあ、うちはこの辺かな、と。最初の人が間違うとみんな間違うねと笑った」
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