20230805

 11時起床。階下に移動し、歯磨きしながらスマホでニュースをチェックし、めだかに餌をやる。ヌマエビが三匹ほど死んでいた。しかも左の鉢のほうばかり。おなじサイズの鉢をふたつ置いているのだが、右の鉢のめだかはすでにこちらになついているというか、外敵に対する警戒心のようなものがかなり低くなっており、水面に指先を近づけるとそれだけで餌がもらえるとおもって姿をあらわすのだが、左の鉢のめだかはむしろ姿を隠そうとする。鉢の大きさもおなじ、飼育している生き物も同じ、浮かべているホテイアオイの数も大きさもほぼおなじであるにもかかわらず、どうしてこういう差が生じるのか。
 食卓にてきのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年8月5日づけの記事を読み返す。

 わたしたち人間の「こころ」のことはしばらく措いて、生物一般の話しにかぎってみても、個々の生物個体のどのような知覚、どのような行動に際しても、全身のすべての細胞がなんらかの仕方でそれに参加しています。いってみれば生物が身体として存在しているというそのことが、身体全体のレベルでも器官のレベルでも細胞のレベルでも、そのまま生物と環界との境界を形成しているのです。
 それだけではありません。生物にとって環界といえるのは、外部世界だけではないのです。有機体の内部状況も、いわゆる「内部環境」の形で相即の対象となります。生物が外界から栄養を取り入れるのは、餌が眼に見えたからというよりもむしろ、空腹が感じられるからなのです。主体を維持するための相即は、餌の捕獲に際してだけでなく、それ以前に自分の身体の内部状況に対しても保たれなくてはなりません。
 人間の場合にはさらに、精神分析のいう意識・無意識・前意識をすべて綜合した「心的装置」の全体が、あるいは生活史の意味での個人や共同体の歴史全体が、それとの相即においてのみ主体がその主体性を保ちうる環境として働いています。こういった生活史の全体は、外から入ってくる情報を処理するときの処理機構としてもはたらきますし、感覚情報といっしょに処理しなければならない情報として個体を拘束してもいるのです。
 だから、さっきお話ししたように主体は主体として成立するために世界との境界に向かって出立しなければならないのですが、実はこの「境界」というのは主体それ自身の存在のことなのです。そしてこれとまったく同じことが、複数個体によって構成される集団的な群れについてもいうことができます。群れの全体がその外部環境や内部環境——群れの内部環境としては、なによりもまずその群れを構成している各々の個体を考えなくてはなりません——と接触している境界のありかとは、実はその群れそれ自身の存在に他ならないのです。
 あるものが、そのものそれ自身と、それではないもの(環境)との境界——つまりそれ自身と環境との区別の生じる場所——である、抽象的ないいかたをすると「AはAと非Aの境界あるいは区別である」というのは、わたしたちがふだん慣れ親しんでいる論理形式からいうと非常に奇妙に聞こえます。わたしたちの通常の思考は、AはA自身と等しく(同一律)、Aは非Aではなく(矛盾律)、Aでも非Aでもないようなものは存在しない(排中律)というアリストテレス論理学の三大原則によって支配されています。だから「AはAと非Aの境界あるいは区別である」という「非アリストテレス的」な論理は、大変にわかりにくいのです。しかしこの論理は、実は生命を扱うすべての場面で重要な役割を果たしています。生命現象は熱力学の第二法則(エントロピー増大の法則)を破るということがよくいわれますが、それだけでなく、アリストテレス論理学をも破っているのです。生命の世界では、「主体」とは主体それ自身と主体でないものとの境界あるいは区別のことなのです。主体のこの論理——ヴァイツゼッカーの言葉を借りれば「反論理」——が、生命論の全体を基礎づけています。
 同種複数個体の群れにおいて、環境との境界がその群れの存在それ自体だとすると、群れを構成している各個体は、やはりその個体それ自身であるところの境界で環境との個別的な相即を保つことによって、群れ全体の環境との相即に参加し、群れ全体の集団的主体性を分有していることになります。各個体は、集団の構成員として集団的な主体性を生きるのと同時に、各自の個別的主体性をも生きています。ですから個々の主体は、それ自身がそれ自身と環境——この場合、同じ群れに属している自分以外の個体は、もちろんその個別主体にとっての環境の重要な構成分となるのですが——との境界であることによって、いわば二重の主体性を生きることになります。
木村敏『からだ・こころ・生命』 p.26-28)

 2013年8月5日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。8月5日という日付を目の当たりにしたときだったか、あるいは一年前の記事を読み返したのがきっかけだったか、(…)の誕生日であることを思い出したのでLINEを送る((…)の誕生日はこちらの誕生日のぴったり二ヶ月前であるのでおぼえやすい)。
 昼食は弟のこしらえた皿うどん。仕事から帰宅した父がテレビで大谷翔平の出場するエンジェルスとマリナーズの試合を観戦しはじめたのだが、二点差でエンジェルスがひきはなされている9回裏、ノーアウト1塁2塁でバッター大谷翔平というできすぎた場面が到来したので、これは打つんじゃないだろうかということでめずらしくこちらも弟もくわわって観戦したのだが、結果はあいにくの三振だった。
 食後のコーヒーを飲みながら『チェロと私と牧羊犬と』(八月長安/納村公子訳)の続きを読み進めた。15時過ぎだったろうか、兄一家の到着した気配がおもてでしたので、すぐにカーテンの裏にひっこんだ。(…)と(…)がうちにあがったところで母が、ごめんな、(…)ちゃんもう中国帰ってったんさと告げたが、いまや四年生と二年生のふたりであるのでこうした子供騙しにはどうやらひっかからないようす、カーテンの裏にこちらが隠れているのを見越したうえで、そうなん? でも別にええわ! と生意気にも言ってみせたので、こら! どういうことじゃおめえ! と叫んで出ていった。(…)はおととい二年ぶりの再会を果たしたばかりであるが、(…)とは今日が二年ぶりの再会ということになる。めちゃくちゃ背がのびていた。まだぎりぎり140センチはないというのだが、このままいけばおそらく小学生のうちに母親である(…)ちゃんの身長を抜かすだろうとのこと。
 しばらく姪っ子ふたり相手にふざけたおした。(…)はなぜか最近こちらが中国語を話せるかどうかをやたらと気にしているらしく、中国語でお酒ってなんていうの? トマトってなんていうの? などと矢継ぎ早に質問した。ふたりはじきにiPadでゲームをはじめた。(…)が(…)に通いはじめたのだが、その授業でなのか宿題でなのか忘れてしまったがタブレットが必要になったらしく、それで買いあたえて持たせたところ、(…)も当然じぶんも欲しいと言い出し、結果、彼女には兄のお古のiPadを与えたという経緯。当然ふたりともアプリでゲームばかりする。いまは小学校でもタブレットを使うというか、学校指定のものが配布されているとのこと。だからふたりはタブレットを二台ずつ持っている計算になる。以前ならば粘土遊びだの人形遊びだのごっこ遊びだのブロック遊びだのに付き合わされてさんざん疲弊したものだが、タブレットFPSのようなゲームをはじめたふたりはそちらに夢中だったので、こちらは(…)ちゃんに問われるがまま中国での暮らしについてのんびり語ったり写真や動画を見せたりして過ごした。
 16時ごろだったか、いつもよりかなりはやい時間に(…)を連れて(…)公園に向かった。(…)はやはりあまり歩かなかったが、うんこと小便はした。母はこちらが日本に滞在しているあいだに車椅子を導入したほうがいいかもしれないと考えているふうだった。リースというかたちになるにしてもオーダーメイドで買取というかたちになるにしても、ネットを利用して専門の工房とやりとりする必要があるわけで、そうしたもろもろの手続きをこちらにまかせたいというあたまがあるのだろう。来週だったか、狂犬病のワクチン接種のために獣医をおとずれる必要があるので、そのタイミングで獣医と車椅子導入のタイミングについて相談してみて、ゴーサインが出るようであればその日のうちに工房のほうに連絡すればいいのではないかといった。(…)公園にはカブトムシやクワガタムシを採集するための仕掛けのほどこされたクヌギの木が数本あった。クヌギの木に腐りかけの果実をぶっこんだストッキングをひっかけておくという古典的なアレであるが、枝にひっかけるのではなく木の幹に直接打ちつけた釘にひっかけてあり、またそれとは別に、樹皮を力ずくで剥がして無理やり樹液を出そうとした形跡もいくらかあり、マジでこういう連中はクソだなと思った。クヌギの木の樹皮をひっぺがしたり、無理やり穴をあけたりする連中というのは、こちらが小学生のころからやはりずっといる、オオクワガタがブームになったときなどは都市部からやってきた業者連中がわれわれの地元を荒らしまくっているといううわさもたびたびきいた。今日見たクヌギの木には、時間帯が時間帯だったからだろう、カブトもクワガタもおらず、カナブンとスズメバチオオムラサキだけがいた。オオムラサキってなんでスズメバチ相手にまったくビビらんのや? 子どものころからふしぎで仕方ない。

 帰宅。座卓を和室のほうにふたつならべて手巻き寿司。こちらの左となりに(…)、正面に(…)というポジションになったので、食事中はとにかく子ども相手にふざけたことばかり口にしていた。子どもでも理解のできる、いってみればおそろしく程度の低いクソネタを連チャンで口にし続けている最中、あ、授業のときのじぶんといまおなじモードだ、と思う瞬間が二度か三度あった。使用言語こそ標準語ではなく地元方言(に京都弁の混ざったもの)であるものの、むずかしい単語を避けてセンテンスを短くしたうえで、これは冗談ですよとわかるしるしに表情や身振りをやや誇張してこしらえる、そのようなコミュニケーションの形態をほとんど無意識のうちに選択して実行しているじぶんのありさまに、これはこれで一種の職業病みたいなもんなんだろうなと思った。
 食後、父は深夜の出勤にそなえて寝室にあがった。母は20時から団地のトロールがあるらしくそれに出かけた。兄一家とこちらと弟の六人でそのあいだに花火をすることに。ヌマエビ採集に使ったバケツに水を汲む。接近しつつある台風の影響か、なまぬるい風が巻きながら吹きこむようだったので、仏壇用の小さな蝋燭では火がもたず、どうしてそんなものがうちにあるのかしれないが、弟が持ってきたでかい蝋燭を電柱の裏側に立てることでどうにか格好がついた。途中、団地のほかの面々と横並びになって歩く、懐中電灯をぶらさげた母がうちのまえの道路を通りかかった。パトロールの面々とうちの団地もすっかり老人だらけになった、子どもの声も以前とちがって全然聞こえなくなったと語りあっていたまさにそのとき、うちの前で花火をしながらぎゃーぎゃー騒ぐ(…)と(…)の姿を目の当たりにする流れになったとのこと。
 最後は線香花火。(…)、おまえ知っとるか、(…)ちゃん(…)中学校の線香花火部で部長やってな、第3628回線香花火全国大会で神奈川代表と決勝戦でやったときなんて最長記録の36時間達成してな、中日新聞にも写真付きで掲載されたんやぞ、といいながら火をつける。類似の冗談を食事のあいだじゅうもしょっちゅう口にしていたので、(…)は、もうええって、またはじまったぁ! と生意気にも口にした。こうやって線香花火しとるとあの決勝戦の東京ドーム思い出すわ、副部長の(…)ちゃんが盲腸で試合出場できんくなってな、試合前日に病室であいつからプロ線香花火師やった親父さんの遺品の百円ライター受けとってな、と続けたところで、ほかのだれよりもはやくこちらの線香花火が落下した。カスが!
 団地を一周し終えた母らがまた近づいてくるのがみえたので、(…)と(…)といっしょに迎えにいった。ふたりは不意に鬼ごっこがしたくなったらしく、弟に対して、(…)くん追いかけてー(…)くん追いかけてーとしきりにくりかえした。そして弟が追いかけるふりをすると、まるで幼稚園児のようにきゃーきゃー騒ぎながら走った。
 うちにもどったあと、(…)がUNOをやりたいと言い出した。それで兄一家とこちらと弟の6人でUNOを2ゲームだけやることになった。ここでもまた、なつかしいな、(…)小学校UNO部の部長としてしのぎを削ったあの日々を思い出すわとはじめたところ、もうクソうざい! と(…)が笑いながらいうので、おまえどこでおぼえてんそんな言葉! と言った。最初の勝負でドベになってしまったので、あ、いまやっとるんは日本式か、中国式やったら最後までカード手元に残したやつが勝ちなんやけどな! とまた適当なことをいった。
 兄が娘ふたりをそのまま風呂にいれた。そのあいだ食卓で母と(…)ちゃんと世間話をする流れになったのだが、(…)が所属しているなかよし四人組グループのひとりがけっこう問題アリな子なのだと(…)ちゃんはいった。(…)の言葉遣いちょっと汚ななっとるやろ? それもその子の影響でさあというので、形容詞のクソとかうざいとかそういうアレだなと思いつつ話をきくと、くだんの問題児はだれかれかまわずケンカばかりしているらしい。詳細はよく知れないが、たとえばチャット上でふつうのやりとりをしている最中、まったく理解のできないタイミングで突然キレて、相手のことをボロクソに言いはじめる、のみならずほかの面々を囲い込んであの子とはもう口をきかないようにみたいな裏工作をしたりしているとのことで、小学校四年生ともなればそういうアレもまあはじまるわなという感じであるのだが、その子の場合はそういう裏工作の頻度が半端ないという。(…)も一度ターゲットになったことがあるらしい。そのときは問題児以外の面々がさすがにそれはおかしいんではないかと遠慮がちに抗議したのか、あるいはそういう空気を見せたのか知らないが、それでまずいとなった問題児が、うそうそすべてドッキリでーすというかたちで逃げの一手を打ったというのだが、その「ネタバラシ」も(…)に直接するのではなくほかのふたりにのみ行ったとのことで、それもあって(…)は泣いていたというのだが、そこで弟が、中学入るころにはそいつ逆にイジメられるやろとこちらとまったくおなじ所感を口にした。そういうやつ、たしかに死ぬほどたくさん見てきた。(…)ちゃんは(…)に対して、その子のことを毛嫌いする必要はない、かといって無理して付き合う必要もないと語ったという。本人がどう受けとったのかはわからないが、きのうはたまたまそうなったのか、くだんの問題児抜きの三人で遊ぶ機会があり、帰宅後に今日はすごく楽しかったとあかるい顔で語っていたとのこと。問題児の両親ははやくに離婚しており、母親は看護師なので不規則な生活を送っている、しかるがゆえに子どももほぼ毎日0時ごろまで夜更かししているらしいという話もあって、うーん、という気持ちになる。だれかれかまわずケンカを売る、意味のわからないタイミングでキレちらかすとなると、こちらはやはり小中学時代の(…)のことを連想するわけでそう漏らすと、(…)くん小学生のころさ、いつも汚い格好させられとったんさな、と母が不意に口にした。うちに遊びにくるときの服が汚れていたり、首筋のあたりに垢がたまっていたりするのを目にすることがたびたびあり、それであまり大事に世話してもらっていないのではないかといつも思っていたという。これは初耳だった。
 (…)と(…)が風呂からあがった。髪の毛はまだじぶんで乾かすことができないらしく、(…)ちゃんにバスタオルで拭いてもらってからドライヤーで乾かしてもらっているそのようすだけ見ると、幼稚園児だったころとやっぱりほとんど変わらない。ふたりはその後、こちらのスマホに入っている写真や動画に興味を持ちはじめた。写真を一枚一枚スライドしながら、これ中国? このひと日本語勉強しとる? と聞くのだが、そのなかに、中国って汚い? というあやうい質問が何度かまざって、子どもが記憶して口にする程度にはそういう話題が飛び交う環境にこの子たちはいるのだろうなと思った。ふたりは泊まっていきたいと口にした。明日また来るともいった。明日はもともと海で遊ぶ予定だったのだが、天気が悪いので中止になった、それだったらまた(…)で(…)ちゃんや(…)くんと遊ぶというのだが、あんたらほとんどゲームしとっただけやんとすぐに(…)ちゃんから突っ込まれていた。
 22時に兄一家は去った。(…)も(…)もリュックサックを背負っており、そのなかにじぶんのタブレットやSwitchなどの私物を詰めていたのだが、(…)のリュックサックが体のわりにずいぶん小さかった。さらにリュックサックのなかにはタブレットとSwitchのほかに、ピカチュウイーブイとあとポケモンではないぬいぐるみがふたつ入っていて、おまえいくらなんでもぬいぐるみ持ってきすぎやろと笑った。あとで弟から聞いた話によると、イーブイのぬいぐるみは(…)がまだとても小さいころに買ったもので、いまでも肌身離さず持ち歩いているらしい。移行対象。
 一家が去ると、家の中は一気に静かになった。夕食後の仮眠をとっていなかったので眠かったが、疲れは以前よりも感じなかった。四六時中世話を焼く必要はもうないのだ。(…)は爆睡していた。元気だった当時は、兄一家がこうして夕方から夜にかけて遊びにくると、そのあいだずっと興奮し続けて居眠りなんてまったくしなかったのに、今日は食事の時間以外はずっと居眠りし続けていた(途中、死んでいるんではないかと心配になり、呼吸をたしかめたほどだ)。耳が遠くなったおかげだと思う。そうであるから以前のように興奮することもなく、子どもらがぎゃあぎゃあ騒いでいてもいっさい気にせず、いつもどおりリラックスして熟睡することができるのだ。耳が遠くなることにもメリットがある。
 入浴し、ストレッチし、モーメンツに姪っ子らの写真を投稿する。書き忘れていたが、長野でインターン中の(…)さんから午前中「先生、故郷で楽しいですか」と微信が届いたのだった。それで夜まで断続的にやりとりを交わしていたのだったが、仕事にはもうだいぶ慣れてきたという。周囲に山しかないのはちょっと残念であるが、自然は豊かであるし(青空の写真や星空の写真が送られてきた)、ふだんお金を使うことがほとんどないので貯まるいっぽうであるし、同僚たちはみんな優しいという(あとで同僚たちといっしょに撮った写真が送られてきたが、かなり雰囲気の良さそうな職場だった)。最近82歳のおじいちゃんと麻雀をする機会があったというので、日本の麻雀と中国の麻雀はルールが違うでしょうというと、日本のほうが複雑だという返事(のちほど弟から聞いたのだが、中国の麻雀はほぼ運ゲーらしい)。職場のレストランでは懐石料理を提供している。一食で8000円。まだ食べたことはないというので、懐石料理は和食のなかでも特に素材の味を素朴に味わうものであるから、調味料でしっかり味付けをする(…)料理に慣れているきみたちにとってはたぶん全然おいしくないよ、8000円あるのだったらラーメンを8杯食べたほうがいいと受けた。(…)さんは多くの中国人と同様、日本の花火大会を見てみたいといった。長野でも開催されているとは思うが、あったとしてもなかなか仕事のシフトと都合が合わないだろう。それから日本の「若い男はみんな長い髪ですね」という話もあった。長髪という意味ではない。中国の男は基本的に大半が短髪で、うちは内陸の田舎だから特にそうなのかもしれないが、坊主頭とほとんど変わらない芋くさい髪型の男が多い。それとくらべると、センター分けができるくらいの長さがある男はみんな「長い髪」ということになるのだ。
 食卓に移動し、今日づけの記事をメモ書きでいったん書き残している最中、今日がすでに5日であることにあらためて焦慮をおぼえた。執筆と語学は実家にいるあいだはもうどうでもいいものとすることに決めたわけだが、授業準備だけはちゃんと進めておかないといけない。こっちにいるあいだにせめて日語会話(三)の教案は最後まで詰める。それから日語会話(一)の教案改稿にも着手しておきたい(特に前半の授業内容はおおきく変更する必要があるので)。
 手巻き寿司の残りで海鮮丼をこしらえて食し、歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックし、残りわずかになっていた『チェロと私と牧羊犬と』(八月長安/納村公子訳)を最後まで読み進めた。学校の成績こそが命であるという中国社会の状況、ある程度理解していたつもりであるのだが、小学校や中学校の秀才が実際にその学校生活のなかで成績というものをどういうふうにとらえていたのかがけっこうなまなましく描かれているのを目の当たりにすると、これはなかなかけっこうえげつないなと思う。中国における教師の度を越した権威についてもあらためて確認。
 今日づけの記事をある程度書いたところで間借りの一室に移動。『風呂』(楊絳/中島みどり訳)の続きをほんの少しだけ読み進めて就寝。