20230806

 ずいぶん寝た。目が覚めると正午近かった。階下におりると、父が(…)のちんこまわりの毛をはさみでカットしている最中だった。車にのせたり車からおろしたりする際、(…)を抱き抱える必要があるのだが、その際ちんこまわりの毛が小便で濡れており手が汚れてしまうことがある、それでなくても日頃から清潔にしておいたほうがいい場所なのだからと、昨日(…)公園で散歩している最中、ちんこと肛門まわりの毛をカットしてやろうという話をしていたのだった。父は腱鞘炎で手首を痛めている。それにくわえて指がこちらより太く、はさみの輪っかに指を通したまま操作するのがしんどいふうだったので、こちらがはさみを引き取り、ちんこまわりと肛門まわりの毛をざくざくカットしていった。ひとむかし前であれば、(…)はうなり声をあげて抗議しただろうに、いまやなされるがままだ。
 歯磨きをしながらスマホでニュースをチェックして、めだかに餌をやる。またヌマエビが何匹か死んでいた。みんな茹でたエビみたいに赤くなっている。水中のアンモニア濃度が高くなっているのだ。水換えをしてやったほうがいいかもしれない。
 昼飯は弟のこしらえてくれた冷やし中華。食後のコーヒーを飲みながら、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年8月6日づけの記事を読み返す。

 『1984年に生まれて』(郝景芳/櫻庭ゆみ子・訳)、けっこう政府を批判するような言葉も含まれている。ただ前にも書いたが、これはやっぱり習近平政権以前の社会に対する批判であるからオッケーということなのかもしれない。1984年生まれの語り手が大学生の頃、ネット掲示板が禁止されるという出来事が発生する。そこで学生たちが、抗議の集会という意味合いなのだろうか、広場に出てそこで各々ろうそくを灯すのであるが、これなど毎年天安門事件の日におこなわれている集会と同じだ(もっとも、いまは香港ですらそのような集会を開催することができないわけだが)。その様子をながめる主人公ともうひとりの人物は、掲示板が禁止されても同じことだ、また別の掲示板があらわれる、それが禁止されてもまたあらたな掲示板があらわれる、みたいなことを語るのだが、この見通しはいまとなっては甘かったと言わざるをえないだろう。ちなみにこの手の掲示板では歴史や政治についても議論されていたらしい。以下のような記述を見ると、ちょっと隔世の感がある。

 大学二年生の時、一人の学生がネットで読んだ一九五〇年代の歴史の一幕について教師に質問し、当時の政策決定は一体だれが責任を持ったのかと尋ねた。教師は答えたくないように見えた。この問題については諸説あると述べるに留め、どれが真相に一番近いかについて自分の考えは言わなかった。こういった濁し方に私たちは不満を覚え、二足す二は四といった明確な回答を求めたが、教師は答えたがらなかった。
 記憶をたどってみると、小さい頃から大学まで、出会った歴史の教師はいずれも明確な答えを提示したがらなかったように思える。

 あとは語り手と一時期恋仲になった平生などはがっつり西洋かぶれのアンチ共産党で現政権をぶっこわすしかないのだと息巻いているし、その平生と語り手が出会った読書会ではオープンには議論できないことがらがいろいろと議論されている。そのような読書会は少なくとも当時の北京ではけっこういろいろ開催されていたようだ。たとえば、以下のくだり。

 ある時、彼ら読書会メンバーは一人の詩人を招いた。詩人は詩作のテーマを敏感な政治問題に定め、発禁処分を受けた詩集を多く出版し、刊行物も手掛けていたが、それらをガリ版印刷所で身銭を切って印刷し、地下活動の文学圏で配布し、知り合いを通じて読者を広げていた。その日の討論会はすぐに詩の領域から飛び出し、政治討論会へと変化した。

 こういう文化はおそらくいまも部分的には生き残っているのだろう。実際、(…)のような内陸の田舎、決して教育レベルの高いといえないような環境でも、ひそかにウクライナを支持する(…)のようなカフェがあり、習近平政権に対して批判的な(…)さんのような文人もいるわけであるし、確かめていないのではっきりとはわからないが、おそらく(…)にある書店の老板も同様の思想を有していると思う。ただ問題は、いままさに大学生であるような若い層のなかに、はたしてこうした批判的意識をもちあわせている人間がどれほどいるのだろうという話で、この点に関しては折に触れて書きつけてきたように、こちらは全然楽観的ではない。楽観的になることのできない空気感の変化みたいなものを、この四年間を通してひりひり感じてきた。

 この記事を書いたおよそ四ヶ月後、中国全土で大学生を中心とした白紙運動が活発化し、現場によっては習近平の退陣をせまるスローガンまで叫ばれていたというのだから、中国という国は本当にわからないなとあらためて思った。いろいろな意味でポテンシャルがすごい。
 2013年8月6日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。そのまま今日づけの記事もここまで書くと、時刻は16時だった。

 新三年生の(…)さんと新四年生の(…)くんからそれぞれテーマスピーチの原稿が届いていたので、授業準備の前にそちらを片付けておくことにする。三年生のテーマは「(…)」、四年生のテーマは「(…)」になったという。(…)さんからはひとまず全体の論旨と構成のみ確認してほしいと頼まれたので、段落ごとに構造分析して問題点を提示し(論旨のつなぎ方と最後のまとめが弱い)、こちらの指摘した問題点とそれに対する改善案を担当の(…)先生に見せて相談したうえで、あらためて書き直して送るようにと指示した。(…)くんのほうはすでに初稿を(…)先生に提出し修正してもらったあとだという話だったので((…)先生の手によって習近平の発言を引用するくだりが加筆された痕跡!)、全文がっつり添削してひとまず完成稿まで持っていくことに。しかしこれにはいくらか時間を要する。
 作業を中断し、(…)を(…)に連れていく。雨上がりで地面がぬかるんでいるだろうから、(…)橋周辺で軽くすませることにしたのだが、初顔の黒柴を見かけた。名前をきくのは忘れたが、7歳のオスで、(…)に対してもけっこう興味津々だった。飼い主の男性は夜勤なのか、これから仕事だと言っており、だからはやく帰らないといけないと黒柴に何度も言い聞かせていたのだが、黒柴のほうはまだまだ帰りたくないらしく、四本足がすべて斜めになるほど踏ん張ってその場から立ち去ろうとせず、その強情さがいかにも芝犬だったので笑った。
 帰路、兄一家の家に立ち寄り、先日うちに忘れていった(…)の水筒を届けた。玄関に出てきた(…)ちゃんと(…)と(…)はみんな風呂あがりのパジャマ姿だった。もう風呂入ったんかんとたずねると、日中海に行っとったからという返事。微妙な天気ではあったが、子どもらも楽しみにしていたことであるし、結局決行することになったらしい。(…)ちゃんまた髭切ったん? と(…)がいうので、切っとらへんわいと応じた。おもてで車を待たせている状態だったので、渡すべきものだけ渡してさっさととんずら。
 帰宅。メシ食う。食後、ソファでひとときだらだら過ごしたのち、仮眠はとらずに入浴し、ストレッチし、それから食卓で(…)くんのテーマスピーチ用原稿の修正続き。ひとまずかたちになったところで返却。(…)くんはこちらの仕事のはやさに驚いているようだった。この仕事をするようになってはじめて気づいたのだが、基本的に中国人の教員は、学生からなにか頼まれたとしてもそれを即日かたづけることはせず、何度かの催促を経てようやく仕事に応じるというパターンが多いらしい。こちらは仕事をためておくのがマジで嫌いなので(日記をためるのが嫌いであるのと同じだ)、依頼にはなるべく即日応じるようにしているのだが(ただし、それはそれでこちらが毎日暇をしていると誤解されるリスクがあるので、最近では即日仕事をこなしつつも、その返信を意図的に遅らせるという妙なテクまで身につけてしまったが!)、そのたびに学生たちからはほとんど大袈裟といって「感動」と「感謝」のリアクションが届く。最初は言葉の壁に由来する誇張的表現でしかないのだろうと思っていたが、先述した事情を知るにつけて、なるほどああいうリアクションはけっこうマジだったんだなと思うようになった。
 それから授業準備。日語会話(三)の第32課の続き。アクティビティで使用する男女のポートレイト画像を大量に収集しGIMPで一部加工をする。ここまで手間暇かけたのであるからぜひ成功してほしい。
 作業を終えると0時。サンドイッチとパスタの夜食を食い、ジャンプ+の更新をチェックしたのち、間借りの一室に移動して就寝。