20230818

 夢のなかで舐達麻のBADSAIKUSHといっしょに見覚えのない部屋にいた。周囲にはAPHRODITE GANGの面々とおぼしき匿名的な人物らもいた。たぶんみんなでジョイントをまわしのみしていたのだと思う。場面が(…)小学校の音楽室に転じる。そこでもこちらはBADSAIKUSHと一緒にいた。しかし他の面々は見当たらない。教室内にはほかの人間の気配もあったが、それが小学生なのか、それとも大人なのか、よくわからない。BADSAIKUSHが教室の片隅を舌打ちしながら指差す。(…)学院の教室にあるのとおなじ監視カメラが設えられている。われわれが大麻を吸っていたこともこれでバレたわけだ。教卓ではない、児童用の机に腰かけている匿名的な男性教諭が、BADSAIKUSHに向けて暴言を吐きはじめる。きわめて不愉快な、ひどい言葉の数々。こちらは別にいまの仕事を失ってもかまわないというあたまがあったので、BADSAIKUSHを制しつつ、ひとり男性教諭のほうに近づいていき、座っている相手の顔面を思いきり蹴り飛ばし、倒れたところをひきずりおこして、さらに殴ったり蹴ったりする。
 目が覚めると11時半だった。階下へ。歯磨きしながらスマホでニュースを追う。恒大集団がアメリカにて連邦破産法適用を申請という報道。最初にデフォルトが報じられてからぼちぼち二年になるのか。父帰宅。手土産の焼きそばとからあげを食す。屁をこいたらちょっとだけうんこが出てビビる。(…)がうんこを漏らさなかった日は代わりにこちらが漏らすわけか。ボクサーパンツを手洗いする。情けない、あと一ヶ月ちょっとで38歳になるというのに、いったいなにをやっているのか。父が(…)を風呂にいれるのを手伝う。洗い終わったところを母とふたり大量のバスタオルでワシワシし、ドライヤーで乾かす。(…)の毛はダブルコートなのでなかなか乾きにくい。(…)はもっと簡単だった。
 きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年8月18日づけの記事を読み返し、2013年8月18日づけの記事を「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。以下は2022年8月18日づけの記事より。

 「枯木灘」で特徴的なのは螺旋型の冗長性だなと思った。「枯木灘」では同じ情報が飽きることなく倦むことなく何度も繰り返し提示される。誰の家がどのあたりにあるかとか、誰がどういう出自の持ち主であるかとか、かつてどういう事件や出来事があったかとか、そういうあれこれが、割と単調といってもいい変化のなさで繰り返し語られる。『百年の孤独』に認められるような、概略的な語りに続けてその詳細を語るというような語り直しでもない。変化するでもなく付け足されるでもなく、前回語られた事柄——というより「提示された情報」といってしまったほうがいいくらいその語りは素っ気なく即物的なのだが——がほとんどそのまま語られる。それも二度三度にとどまらず、四度五度とくりかえされる。読み直しをおこなわず連載を続ける作家が、複雑怪奇な家系図とその周辺に生じた無数のエピソードを、じぶんでも忘れてしまわないようにくりかえし書きつけたその痕跡なのかなと最初は思ったが、その頻度がちょっと尋常でないし、それにこうした「情報」とは別に、秋幸が土方として働いているくだりの描写もまた、ある一日と別の一日にほとんど変化が認められないような造りになっているので、これは意図してのことであるなと思いなおした。で、思ったのは、いくつかのエピソードをくりかえしくりかえし語るこのような冗長性は(「枯木灘」は一人称小説ではないものの、その大部分において語り手が秋幸に寄り添っている点を踏まえていうと)人間の思考に案外正確に即したものかもしれないということ。しかしこういう考え方はつまらない。で、次に思ったのは、秋幸を取り巻き秋幸を追い込む血族とその周辺にまつわるすべての出来事が、くりかえしくりかえし語られていくうちに——その語りは秋幸の想起と重ね合わせられている——、とうとうこらえきれなくなって堰を切ってあふれだす、その瞬間をこの小説を書こうとしているのかもしれないということで、たぶんこの読み筋のほうがおもしろいと思う。いくつかの出来事がくりかえし語られていく(想起されていく)うちに、細部があきらかになったりその解釈に変更が生じたりし、その結果、語り=想起の主体が次なるアクションを起こすという因果で成立しているのではなく、器に水が満ちていくように、出来事が同じ語り口で何度も何度も何度も語られていくうちに、とうとうその量にこらえきれなくなって、ある種の暴発としてアクションが生じる。出来事の質的変化ではなく、出来事の量的積み重ねこそが、アクション=飛躍の契機になっている。いや、正確にいえば、これら両者のあわせわざによってこの小説は成り立っているのだが、ただ一般的な小説作法として、出来事の量的積み重ね(同一の出来事らが変化のほとんど認められない語りに何度もなぞられる)が、その反復的構造に飛躍や切断をもたらすということはほぼないと思うので、やはりそちらのメカニズムのほうが読んでいて目立つのだ。

 毎日の記事冒頭に抜き書きをひとつずつのせる習慣がいつから途絶えているのだろうと思って記事をさかのぼってみると、6月22日に『二〇二〇年フェイスブック生存記録』(中原昌也)の一節を引いたのが最後になっている。『二〇二〇年フェイスブック生存記録』には大量の固有名詞が記録されているので抜き書きついでにそのひとつひとつを確認していたのだが、これがけっこう時間を要する作業であるのにくわえて学期末の忙しさもあったため、もろもろ落ち着くまで抜き書きをいったん中断しようとしたままいまにいたるのだった。読書記録によれば、現時点で抜き書きが30冊近くたまっていて、なかなかやばい。中国にもどったタイミングで再開せねば。
 日記とは別の抜き書き専用のノートを復活させるにあたって、ひとまずPagesで2023年分と2022年分のファイルをこしらえたのだが、8月18日以降のものは記事の投稿および読み返しの過程でひとつずつファイルに追加していけば問題ないとして、それ以前のものもさかのぼって記録しなおす必要がある。しかしこれがなかなかめんどうくさい。とりあえず両年ともに一ヶ月分ほど日記をさかのぼり、各記事冒頭に記録されている抜き書きだけコピペしてみたのだが、それだけでけっこうな時間を要したので、これはいっぺんに片付けるのではなく徐々にやっていったほうがいいなと判断した。
 それとは別に手書きの抜き書きノートをデジタル化する計画もある。抜き書きノートは書籍といっしょに、間借りの一室の押入れにつっこんであるダンボールの中にあるので、まずそいつを回収することにした。ノートは全部で9冊あった。一冊目の表紙には「2005年10月5日〜」という文字が残されている。記憶に間違いはない。こちらの二十歳の誕生日だ。深田がくれたのだ。ちょうどこの時期から本を読むようになりはじめた。最後のノートは「2009年6月17日〜」で、半分も満たないところで中断。ちなみに最後に書き抜かれているのは東浩紀の『存在論的、郵便的』の一節だった。
 しかし昨日チェックしたところによると、Evernoteに記録されている抜き書きの日付は2011年1月11日で、すると大雑把にいって、2009年から2011年のあいだの抜き書きが行方不明ということになる。それで日記の過去ログを検索してみたところ、2009年9月12日づけの記事に以下のような記述があった。

 今日は東浩紀存在論的、郵便的』の一部をノートに抜粋するなどして過ごしたのだが、20歳の誕生日プレゼントに(…)からノートをいただいてからというもの、気にとまった言葉やフレーズはジャンルを問わず馬鹿の一つ覚えのように抜き書きしてきたとはいえ、今更ながらこの行為に意味を見出しがたくなってきたというか、筆写にかかる時間や読み返しの便宜性などを考えると同様のことを検索機能のあるテキストファイルなり個人ブログなりでやったほうが、はるかに利にかなっているんじゃないかという気がしてきたので、そこのところを少し思案中。このブログ上であらたに「引用タグ」でも設置して抜粋していくのもいいし、更新停止中の公開ブログ(はてなとFC2)をそれ専用に特化させてやってもいい。あるいはタンブラーをはじめてみるというのはアリなのかもしれない。

 ちなみに、この日の記事には「『母さん僕のウマカ棒を両手でシゴかないで』というタイトルのAVが新作入荷されてきた。」というパンチラインも残されているのだが(セルビデオ店でバイトしていた時期なのだ)、それはどうでもいいとして、いや本当にどうでもいいと思ったらこんなふうに書き残さないのだから全然どうでもよくない程度にはやはりおもしろいわけだが、いずれにせよとにかく、上に引いた箇所を読んで、そういえば、FC2ブログを抜き書き専用のノートとして運用していたことがたしかにあった気がするぞと思った。
 2009年9月14日づけの記事には以下の記録。

 テキスト保存用代理サーバーの名目のもと、非公開設定にしたまま手つかずに放置してあったFC2ブログの過去記事をすべて削除、というのもためらわれるので下書き状態に設定しなおしたのち、外見には更地となったそこを利用して、書物・映画・ウェブサイト・日常会話などを通して採集した言葉を保存するための、引用倉庫と銘打つことにした。とりあえず今のところは非公開設定を維持しているものの、公開するならするでそれもアリかなーという気がしないでもない。結局、外部との接点みたいなものを心のどこかでは欲しているのだろう。

 それでひとまずFC2ブログにありったけのIDとパスワードに関する記録を総動員してログインを試みたのだったがあえなく撃沈した。FC2時代の「日記」はすべてテキストファイルとして手元に保存されているのだが(いちばん古いもので2006年11月7日づけの記事らしい、おれはもう17年間もこんな日記を書き続けとんのか! なにしとんねん!)、「引用倉庫」はどこにも見当たらない。
 しかしこの2009年9月14日づけの記事には『現代詩文庫 長谷川龍生詩集』の読了記録が残されている。『現代詩文庫 長谷川龍生詩集』は2011年1月11日づけのEvernoteに抜き書きが残されているので、あれ? どういうことだろう? と思いながら、今度は「Evernote」で過去ログを検索してみた。すると、2010年7月12日づけの記事に以下のような記録があった。

かつては無印のノートに黒のボールペン一本でがんばっていた抜粋作業であるけれども、遅まきながらそれ専用にブログのアカウントを取得してデジタル移行したのがたぶん一年半か二年くらい前のことで、ただ、それでもブログのカテゴリー機能なんかではやはり限界があるというか、きっちりタグ付けなんかして管理したほうが後々検索とかしやすいだろうし、それに接続したり更新したりするのも非公開用のブログだといちいち面倒というのもあって、そういう観点からなにか良いソフトはないものかと探している。タンブラーとかはちょっと論外であるし、Evernoteとかいうのはなかなか良さげだったのだけれど残念ながらOSが対応していないというアレであって、なかなか理想のものが見つからないというか、実際めんどうなのであまり積極的に探そうとはしていないのだけれどとにかく、アテンションプリーズアテンションプリーズ、お客様の中にその手の有用なソフトをご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか。もう一年以上前になるけれど、いちど引用だけで成立した百科事典的な架空の書物を書こうとしたことがあって、そのときは引用のためのテクストを整理している段階でパソコンに不具合が生じデータがすべてぶっ飛ぶという憂き目にあってしまったのだけれど、その手のメタフィクションに対する欲望というのは実をいうとまだ少しあって、いつか必ず完成してやろうと思っているからにはやはりこれからもひたすらに増殖し続けていく引用データをどこかへかっちり一元化して管理しておきたい、というのが本音で、そんなだからもし使い勝手の良さそうなのがあれば、ぜひともご教示ください。

 そして、2011年1月11日づけの記事。

手持ちのmacevernoteが対応していないからと一年以上前からその利用を諦めていたのだが、クラウド化というやつなのか、わざわざアプリーケーションをダウンロードせずともブログのようにアカウントを登録してサインイン/アウトで使用可能であることを昨日はじめて知った。evernote webというサーヴィスらしい。調べてみると、昨年初頭にはすでにmacにも対応していたようである。それで早速アカウントを登録したのであったが、fc2ブログのほうに非公開で蓄積してある抜き書き群をまとめてインポートすることは出来ないらしく(たとえ出来たとしてもタグ付けの必要があるのだからそれほど手間は変わらないのだけれど)、手動でいちいちやるのも面倒なことであるしと登録するだけして放置といういつもの経過をたどりかけたのであったが、しかし今日、これを機会に抜き書き群を読み直すのも良いかもしれないというか、こうでもしなかぎり永久に読み返すことなどないのではないかというアレから、これまで執筆に当てていた時間を利用して毎日少しずつ移行&タグ付け作業に励むことに決めた。その過程で次回作のヒントなりを得られることができたらいいという目論見も当然ある。

 これで謎が解けた。Evernoteの記事の多くが「2011年1月11日」に投稿したことになっているのだが、それ以前に読んで気になった箇所を抜き書きしてFC2ブログにためてあったものを、この日以降少しずつEvernoteのほうに移していったのだ。
 さらに同年同月25日づけの記事。

ここまで書いたところで近所のスーパーに食材の調達に向かいそして帰宅して午後四時半前、米がまだ炊けていないので夕食の調理にとりかかるわけにもいかずまたこうしてテキストファイルを開いているわけであるが、これまで執筆にあてていた昼前から夕刻までの時間というのを最近は非公開ブログに蓄積してあった引用抜粋集のevernoteへの移行作業にあてており、evernoteは手持ちのmacのosに対応していないからと使用を諦めていたのだけれどweb版というのがあるらしいことにひょんなことから気づき、それで旧ブログからそちらへデータをインポートしようと思ったらそういうのに対応していないみたいで、しかたないのでコピー&ペーストでもって人力で移行することにし、どちらにしろタグ付けなどする必要があるのだからそれはそれで構わないし、ついでだからこれまで蓄積するだけして読み返すことのほとんどなかったそれらに目を通すことにしよう、その過程で次回作のヒントなり何なり得られるかもしれないぞという下心でもって今日も今日とてカチカチとやり続け、カフカアフォリズムというかアフォリズムとしてカテゴライズしてしまうことに抵抗のあるような独特の断片というのに共通なのは要は用いる比喩のオブジェクトレベルとメタレベルを意図的に混同してみせることで穿つ論理の空隙というかパラドックスの積極的な捏造なのではないかと、因と果のねじれ目に手をつっこんでなにかを取り出そうとしているのではないかと、半年ほど前に記録した抜き書きなどを元手にそういうことを考えたりした。

 これらの過去ログ、読書記録、そして手書きの抜き書きノートなどを照らし合わせた結果、手書きをやめてから抜き書きも日記に含めて投稿するようになるまでのあいだ、それが具体的にいつからいつまでであるのかはまだわからないが、その期間中の抜き書きはFC2ブログEvernoteにすべて記録されていることがわかった。だったら、ひとまず、この抜き書きのまとまりをPagesに移行して印刷するところから、抜き書きノート(クラウド保存しつつも印刷するというアナログとデジタルのあわせわざの産物)を作りなおすことにすればいいだろう。ちなみに、Evernoteにはいまはもう見なくなってしまったひとびとのツイートもけっこう記録されていてなつかしいし、あと、(…)さんが2010年に書いたブログ記事も複数あった。なんだかんで(…)さんのブログももうずいぶん長いあいだ読み続けているわけだ。直接連絡をとりあうようになったのはもっとずっとあとのことだけど、(…)くんと知り合うよりもはやく、それどころか(…)くんと知り合うよりもさらにはやく、まずこちらは(…)さんの存在をそのブログを経由して認知していたことになる。この当時のインターネット、よかったな。おっさんみたいな所感表明だけど、他人との距離感が絶妙だった。

 今日づけの記事をここまで書くと18時半前だった。すぐに夕飯。(…)は入浴で疲れているので今日はドライブに行かない。食後ソファでひとときだらだらしたのち、食卓に移動してコーヒーを用意してパソコンに向かう。書き忘れていたが、押入れの中から抜き書きノートを回収するにあたって汗だくになったので、回収すべきものを回収したあとすぐにシャワーを浴びたのだ。だから今日はもう風呂には入らない。これも書き忘れていたことだが、ダンボールを開封して中の書籍をあさっている最中、あれも再読したいこれも再読したい状態になったというか、さすが四度もの引越し(=選別作業)を乗り越えた書物らだけあって手元に蔵書としてあるものはどれもこれもきわめて魅力的なものばかりだったので、次の帰国時はもう図書館に通わなくてもいいかもな、蔵書の再読だけでも十分かもなと思った。とりあえず保坂和志の小説論三部作はいい加減再読したい。
 授業準備を優先しなければならないことはわかっているのだが、どうしてもEvernoteに残っている抜き書きが気になるので、とりあえずいくらかPagesのほうに手動でコピペしていくことに。当然その過程で抜き書きは読み返す(むしろそれが楽しみなのだ)。あらためてデータを検分したところ、FC2ブログEvernoteに記録されている抜き書きは2009年9月から2011年4月までのものらしい。それ以前のものは無印のノートに手書きで記録しているし、それ以降のものはおそらく日記にその都度まとめて記録されている。ノート9冊分を手打ちでデータ化するかどうかはまだわからないが(すべてデータ化するのはかなりめんどうくさいし、読み返しの過程でいまなお印象に残るものだけをピックアップするのが現実的だろう)、とりあえず今学期中に2009年9月から2011年4月までの抜き書きをすべてPagesに移すことができればいいかなという感じだ。
 それでひとまず2009年9月分のみ読み返し、選別し、Pagesのほうにコピペしていくことにした。タイトルだけ列挙すると、『書きあぐねている人のための小説入門』(保坂和志)、『現代詩文庫18 長谷川龍生詩集』、『ゴーストバスターズ—冒険小説—』(高橋源一郎)、『現代詩文庫22 鈴木志郎康詩集』、『家族解散』(糸井重里)、『平凡王』(高橋源一郎)、『表層批評宣言』(蓮實重彦)、『カムイ外伝(1)』(白土三平)、『谷川俊太郎詩集 続』。『書きあぐねている人のための小説入門』はつい最近再読した。現代詩文庫についてはこの当時、古本屋で見かけたものはとりあえず買って読むという生活を送っていた。『表層批評宣言』はたしかはじめて読んだ蓮實重彦の著作だったはずで、だからこちらが蓮實重彦を読むようになったのは2009年9月からだということになる。今回、抜き書きを読み返していて、やっぱりじぶんはこの人物にけっこう大きな影響を受けているよなとあらためて思った。
 せっかくなので、抜き書きのなかでもとりわけ印象に残ったものを日記にも引いておく。まずは『現代詩文庫22 鈴木志郎康詩集』より。

ところで又、人間は全然何も知らないということもない。知っていることを足場にして想像に身をまかせる。それと同時に想像を言葉に換えて行く。こんなことはわかり切ったことだ。では何故言葉に換えるかとなると、他人に伝えるためだ。すると想像に身をまかせるから、言葉に換えるところまで来ると、その想像の主体は変らなくても、明らかに極面が変ってしまうことになる。言葉を持ち出すと途端に他人に直面することになってしまう。しかしこの境界は余りきっぱりとはしていないようだ。実際には言葉を持ち出して他人と直面しているのに、当人は他人に直面しているということに全く気付いていないで過せることもある。そして更に他人に対する仕方というのも人々によってかなりの違いがあり、作家にとって実にこの他人の認識の仕方が言葉の質を決定しているともいえる。
(「浴室にて、鰐が」抜粋)

 続けて『表層批評宣言』(蓮實重彦)より。

たとえば『文学の根への問い』と総題されて書きつがれた一連のエッセイの冒頭で、「今生きているという事実に自明の手ごたえがあるならば、誰もその意味をことさら問うたりあげつらったりしようとは思うまい」(「ヘルダーの断念」、『懐古のポスト』河出書房新社)と書く川村二郎は、「疑いの余地なく明白」なものは「問い」を誘発するに至らないという命題を文学の領域で普遍化して、「文学とは何か、詩とは何か、この種の本質論の勃興は、むしろこの名で呼ばれる実在を信じがたくなった心の、意識下にひそむ不安の奔出ではないかとも見えるのだ」と論を進めているが、こうしたいかにももっともらしい断言が思考の奪われたさまを露呈せざるをえないのは、それが徹底して「制度」的な思考にほかならぬからだ。世界の不可解な変容ぶりが存在に疑問符を希求させるという視点それ自体が、「文学史」をはじめとする諸々の「制度」的な場で川村氏が間違いなく読み、あるいは読んだことを忘れている言説の怠惰な反映にすぎず、だから誰もがこともなげに口にしうる視点と酷似してしまうが故に、その言葉は必然的に貧しいのだが、問題はかかる自明の「貧しさ」にとどまるものではない。こうした「制度」的な視点に無意識のうちに操作される川村氏が、必然的に、「問うこと」自体の積極的な資質を捏造された「設問」の次元に貶めて、充実した事件として生きられるべき「問い」をその視界から一掃してしまっており、しかもそうした事件性の排除を、「問い」をめぐる言説のほとんどが共有しているという点こそが真に問題なのだ。「文学」にせよ「詩」にせよ、それを「何か」と問う体験は、「この名で呼ばれる世界の実存を信じがたくなった心」によって、「意識下にひそむ不安の奔出」として特権的に生きられるものではいささかもない。「今生きているという事実に自明の手ごたえ」を感じつつあるものこそが、なおも世界へと向けておのれ自身を旺盛におし拡げ、世界との無媒介的な合一感をくまなく玩味しつくしている瞬間に、「制度」とは無限に離れた地点から発せられる未知の声として、「問い」と「答え」とを同時的に生きるといった事件こそが、真実の「問い」なのだ。「問い」とは、「制度」的な言葉によってあらかじめ抽象空間に設置されているものではなく、予想だにしない時空に、過去の体験を超えた言葉として、それを口にする者自身を驚かせるやり方で不意にかたちづくられ、しかも「答え」そのものを裡に含んだものなのであり、その不意撃ちが存在を崩壊へと導くことはあっても、存在の崩壊感覚が「問い」を招きよせることなど断じてありえはしない。「青い海」という言葉に触発されて「青い海とは何か?」と「問う」ことを憶えた人間が、そう問い続けたあげくにある日「青い海」 と遭遇し、そこに「答え」を読んだり読みそびれたりすることが「問う」ことなのではなく、ある日、思いがけず、まぎれもない「青い海」に不意撃ちされ、何の準備もなかったはずの心に「問い」と「答え」が一つの言葉としてかたちづくられるといった瞬間的な事件こそが「問う」ことの積極的な資質にほかならず、 川村氏はそうした「問い」の側面を「文学」と呼ばれる「制度」によって奪われている(……)
(P.39〜40)

意識や観念や動機に裏側から支えられた「文学」ではなく、それ自身が表層に露呈された形と造型として「文学以前」を「文学」化すること。その試みの前には、あの「制度的」な二元論はもはや一つの抽象でしかなくなっている。「われわれのなかの『歴史家』の任務は」と西郷信綱は結論する、「形からきりはなされた、純粋ではあるがやせた不毛の『人間的』な文学意識を切断し、われわれのなかの『詩人』をもっと『非文学』的に培養し、それによってもっと人間的になることにあるのかも知れない」(傍点原文)。これを「社会」と「個人」の弁証法的な統一などと呼ぶのはやめにしよう。ここでいわれていることは、「社会」や「個人」がそう簡単に「文学」に反映したり、「文学」によって表現されたりはせず、「文学」は「文学」としてそれ自身の顔、それも「制度的」な思考が顔とは認めがたいだろう顔をそなえており、しかもその顔は、精神や思想がまとった仮面としてではなく、それ自体が顔である顔として露呈されているのであり、その顔の形をまざまざと触知するには、時に応じて「社会」的であったり「個人」的であったりもする便利な自分自身の顔を、放棄しなければなるまいということばかりである。「もっと人間的になること」。西郷信綱がその一句のうちに読みとる「人間」とは、ほかでもない、分離し隠蔽されて生きる「紙」と「言葉」とが隙間なしにはりつきあった「書物」の上に、無媒介的に、ということは思想や精神の媒介なしに密着することで顔を失う「人間」、「批評」と「作品」とを同時に事件化しつつ消滅しうる「人間」にほかなるまい。
(P.96〜97)

問題とは、「制度」の捏造する具体性を装った抽象にすぎず、生きられつつある瞬間には、方向を欠いた多様なる意味がわれがちにたち騒ぐ無表情なる表層にほかならない。生きるとは、距離もなく中心もなく、ひたすらのっぺらぼうな意味作用の磁場に身を置き、その白痴の表情と向かいあう残酷なる体験を不断に更新することだ。そして問題とは、その無表情な残酷さをいかにもそれらしいイメージに置きかえ、それが欠いている方向と意味とを捏造し、ありもしない輪郭をことさらきわだたせ、世界を構成するあまたの事物や存在とがそこへと向けて秩序だった配置ぶりを示す偽の中心を捏造しようとする現実回避の恰好の口実なのだ。それは、世界の無表情をそれらしい表情にすり換え、そのすり換えによって自分自身の顔と名前とを確信しようとする、白痴の残酷さの放棄なのだ。
(P.124〜125)

いったい小説家の大江健三郎は、どうして 『ピンチランナー調書』という「作品」を書いたのか。作家たる大江氏はどんな思想をそこにこめようとしたか。いかなる意味をそこに読みとればいいのか。われわれ読者をどこへ引きずって行こうとしているのか。「作品」と向かいあった思考がたどるのは、おおむねそうした謎解きの運動だ。つまり「作品」とは、読むことによって埋められる空白、あるいは越えられる距離としてそこに姿をみせているのだ。この運動は奇妙なことに、いまここにあるはずの「作品」をいったん虚構化してなかったことにして、逆にいまここにはない不在の作者の思想を問題化し、隠された意味をさぐるべく距離の彼方へ視線をなげかけるという仕草をともなうが故に、すぐれて抽象的な運動だということになろう。
(中略)
作者にそれなりの思想があり、「作品」にそれなりの意味がそなわっているのは当然のはなしだ。だが、思想は作者ではないし、意味もまた「作品」ではない。それは、読者が作者の「生」と「作品」の現在とを、抽象化することではじめて視界に浮上する問題であるにすぎない。それを理解する試みは決して無駄ではあるまいが、そのとき読者が無意識に身を譲りわたすものが、「生」と現在とをことが終われば廃棄しうる二義的な媒介に還元してしまう嘆かわしい頽廃にほかならぬという事実だけは、そうたやすく忘れられてはなるまい。(…)そのとき「作品」は、その意味や作家の思想に従属し、あきらかに一人の作者がある目的を持って書いたものでありながらも、思想や意味をはるかに超えた豊かな混沌として存在に迫ってくることをやめてしまう。
(P.139〜141)

だが『野火』とは、はたして崩壊と喪失という試練の物語なのか。野火という「記号」が隠している不在の意味を解読しえなかったことの無力感が直接の契機となって、より重要な解きがたい問題としての「神」や「宿命」と戯れ、その困難な戯れを介して死や過失への歩みを深めてゆくという作品なのか。そしてそこで耐えねばならぬ頽廃のさなかに、戦争という悲惨と生きることの尊厳とが改めて問題として姿をみせるという図式をもった小説なのか。そうではあるまい。野火という「記号」は、「神」や「宿命」という特権的な問題へと人を導くことで充たされる象徴的な欠落として「私」を脅えさせ、その記憶にまといついて離れないのではない。それは、野火いがいのものへと翻訳されることをこばむ充実した過剰として生なましく視線に迫り、たえず更新される現在として愚鈍の残酷さで存在を犯し、ほとんど荒唐無稽なあつかましさで知りつくした世界を畸型化させるものであったが故に、「私」を心底から脅えさせたのではないか。主人公が「神」を、「宿命」の一語を思わず洩らしてしまうのは、過渡的な欠如とは異質の充実した過剰、局部的な視界とは無縁の絶対的空白としてあからさまに露呈される現在を、何とか回避しようとして「記号」を抽象化せずにはいられなかったからだ。人を問題へと逃亡させずにおかないこの積極的な畸型性こそが、文学的「記号」としての「作品」にほかならない。ついに読みえないという無力感を普遍的事実として人に納得させることで安堵させる「神」や「宿命」といった問題ではなく、その白痴の表情をまとえと獰猛に迫ってきて、存在を絶対的な畸型性に譲りわたさずにはおかぬ充実した過剰としての「作品」。大岡昇平の『野火』とは、その残酷な「作品」体験を徹底化させたそれ自身が残酷きわまりない「作品」だ。
(P.144〜145)

 上の「野火」についてのくだりは、千葉雅也の「意味がある無意味」(=穴)と「意味がない無意味」(=石)の話とほぼ同じだ。

「作品」とは、それが言語の連鎖として完結しているというその定義からして、体系としての言語にとっては過剰なる何ものかである。それを言語という風景の上に位置づけた場合、その構図は亀裂や割れ目、思わぬ陥没点に蔽われて徐々に崩壊してゆくだろう。逆に「作品」が風景としての言語を包みこみ、必然性を欠いたやり方でそれを支えることになりもするだろう。風景という贋の表層は、そのとき表層であることをやめ、「作品」こそが真の表層に浮上することになる。 つまり、「作品」こそが畸型の怪物にほかならなかったわけだ。(…)怪物としての「作品」は、風景の構図にいくつもの線を走らせ点をうがち、それを割れ目や穴にまで拡大していって、遂には表層としては機能させなくしてしまう。(…)「批評」とは、「作品」を風景に対する荒唐無稽な過剰として機能させ、 風景を崩壊へと導く読み方にほかならない。
(P.227)

世界には、遭遇の契機が過激な顕在性を誇りつつあたりに充満しているので、この過剰な充実ともいうべき息苦しさを何とかやりすごそうと、風景の時代の物語は、思考を不可視の領域で戯れあう顔や表情の解読へと誘わんものと躍起になっているのだ。だから風景と呼ばれる装置の究極の機能は、抽象化によって充満を希薄化する作業だといえるだろう。風景は過剰を恐れ、体系化によってこれを薄め、引きのばそうとする。ところで、肝腎なのは風景の希薄化装置の必死の作動ぶりを正当化する客観的な理由などなに一つ存在してはいないという点である。風景は希薄化する。しかしその希薄化作用は、いかなる正当なる基盤も持ってはおらず、ただ風景が風景であるために風景は希薄化しているというにすぎない。
(P.228)

 ほか、『谷川俊太郎詩集 続』より。ひさしぶりに谷川俊太郎を再読して思ったが、隠喩とアフォリズムをもとにして組み立てるタイプの詩、すなわち、「意味」が主戦場となっている詩は、このひとによってほぼ完成されているのだな。四元康祐なんかもそういう系譜の詩人だったように記憶しているけれど——というか、四元康祐という詩人をひさびさに思い出してググってみたのだが、2020年にドイツから日本に本帰国したらしい。あと、2015年に『偽詩人の世にも奇妙な栄光』という小説を刊行していて、それが野間文芸新人賞の候補になっている。ちょっと気になる。

僕の愛に死の用意がある
僕の野心に死の期待がある
(二十億光年の孤独 拾遺「弓の朝」抜粋)

すべてが時に蝕まれる
やがて最も強い愛さえも
絶え間なく時は私の今を奪い
私は常に新しく信じ直さねばならぬ
(二十億光年の孤独 拾遺「今」抜粋)

私の生がどうしてもはねのけられぬ重さをもって
私の墓石になってくれるのを私はひそかに願っている
(二十億光年の孤独 拾遺「今」抜粋)

誰?と訊ねるともう人は去ってしまう
何?と訊ねるともの達はかたくなになる
私が問に気づかずにあふれた答ばかりの中にいる時
私のまわりにすべてがある
(二十億光年の孤独 拾遺「四行詩抄」抜粋)

すべての人が忘れる
事件を忘れる
死を恐れる
忘れることは事件にはならない
(落首九十九「事件」抜粋)

窓の外の若葉について考えていいですか
そのむこうの青空について考えても?
永遠と虚無について考えていいですか
あなたが死にかけているときに
 
あなたが死にかけているときに
あなたについて考えないでいいですか
あなたから遠く遠くはなれて
生きている恋人のことを考えても?
 
それがあなたを考えることにつながる
とそう信じてもいいですか
それほど強くなっていいですか
あなたのおかげで
(その他の落首「これが私の優しさです」)

決意したか
 
繊細と論理のあやふやな迷路の中で
どこまでも話しつづけることを
(その他の落首「雲雀について」抜粋)

 上の「雲雀について」の一節、はじめて知ったのはまだ本を読みはじめてほどないころ、それこそかなり初期の抜き書きノートに抜き書きした記憶があるので、たぶん2005年か2006年に出会ったのだと思うけれども、当時気に入っていて、けっこうしょっちゅう日記に引いていたおぼえがある。小説よりも詩のほうに興味があったころか。

せめて上手に後悔しようと
過去を苦い教訓に未来を夢見る事は
あの日のあなたのかけがえのない
こわれやすい愛らしさを裏切ることになる
(うつむく青年「後悔」抜粋)

一枚の絵のなかには
無数の決断がある
静かな
目に見えぬ決断が
(うつむく青年「そして日々が」抜粋)

 今日づけの記事をここまで書くと時刻は22時半だった。夕方にシャワーを浴びたとはいえ、夜に入浴しないのはやっぱり落ち着かないなというわけで浴室へ。あがってから授業準備。第0課(3)の続き。
 途中、新三年生の(…)さんから微信。テーマスピーチの原稿を部分的に書き直したという報告。(…)先生にはまだ見せていないという。ざっとチェックした感じ、大枠自体は問題ないと思われたので、そのとおりに伝える。ひとまず(…)先生の返信待ち。そこから少々雑談。(…)先生はハルビン出身であるが、夏休みや冬休みになるたびに北京に帰る。生まれがハルビンというだけで幼少時に北京に越したということなのかなとこちらは思っていたのだが、(…)さんによると、(…)先生の姉ふたりがたいそう金持ちであり、それで北京に家を買って、(…)先生らの母君をそこに住まわせているということらしい。また、(…)先生の奥さんは(…)の「コンピューター学院」——というのはおそらく日本でいう工学部みたいなアレだと思うが——の教員であり、その奥さんの父君にいたっては教授であるという。これも初耳だった。(…)先生の奥さんは経済学院の教員。それでいえば、(…)先生の旦那さんも理系の学部の教員であったし、夫婦で大学教員というパターンはどうやらけっこう多いようだ。
 新入生の軍事訓練について、今年は21日間もあると(…)さんは言った。彼女らの代は15日間だったというのだが、たぶん彼女らの代のほうが(コロナのせいで)イレギュラーに短かったんではないか? それから、こちらが中国にもどる22日は「中国のバレンタイン」だというので、あ、ちょうど七夕に当たるのか、となった。その前日の21日はほかでもない彼女の誕生日であるらしい。それから、大学内における外国語学院の扱いが悪すぎるという学生たちの口からたびたび聞かれる愚痴もあった。(…)さんがもっとも納得がいかないのは八人部屋の寮についてであるらしい。彼女とルームメイトらとの関係は良いというのだが、それでもせまい部屋に八人も詰め込まれたまま四年間も暮らすのはやっぱりしんどいだろうし、なにより女子寮は建物自体も相当老朽化していると聞く。仲が悪い部屋も当然ある。英語学科の学生の話として聞いたが、部屋同士での衝突もときどきある、一度外国語学院の事務室で、「8VS8」の大喧嘩が生じ、そのときは「先生はコントロールできません」という状況だったとのこと。比較的おとなしい子の多い日本語学科担当でよかったと冗談で口にする。
 0時半になったところで作業を中断。冷食の汁なし坦々麺を食す。歯磨きをすませて間借りの一室に移動。ジャンプ+で無料公開されている『BORUTO』の続きを読みはじめたのだが、序盤はバトルシーンが『ドラゴンボール』に近い『NARUTO』という感じの漫画だったのが、アマドと果心居士が動きはじめたあたりから構図がやや複雑になり、エイダとデイモンの登場により(絵柄や書き文字含めて)ジョジョ化ないしはハンター化する。おもしろい。第二部も読みたい。
 朝方、階下におりると、(…)がまた部屋でうんこを漏らしたと母がいった。このところ毎日だ。ぼちぼちマナーベルトではないおむつを装着する必要があるかもしれない。