20230819

 正午起床。きのうは就寝が6時近かったが、明々後日は早朝に家を発たなければならないので、生活リズムをたてなおすべくがんばった。階下に移動し、歯磨きしながらニュースをチェックし、冷食のチャーハンを食った。それから間借りの一室にあがって軽く荷造り。問題ないことは明白だったが、いちおうパッキングを終えた状態のスーツケースの重さを確認すると、15キロほどだった。中国語の参考書もiPadも外付けハードディスクも結局一度も使うことがなかった。
 コーヒーをがぶ飲みしながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年8月19日づけの記事を読み返し、2013年8月19日づけの記事を「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。途中、(…)さんからまた微信。テーマスピーチの原稿について(…)先生から返信があった、と。内容は問題ない、しかし文章をもっと練るべきであるという指摘に続けて、来学期に歴代参加者らの原稿を渡すのでそれを参考にして文章をブラッシュアップせよとの指令が下ったとのこと。何度も書き直しをするのもアレであるし、この段階でこちらが全面改稿を担ってもかまわないと思ったのだが、彼女はいったんじぶんでやってみるという。(…)からは(…)の動画があらたに送られてきた。前回会った際、こちらが車内で一度か二度だけレクチャーした一発ギャグ「お父さん、にー、いち、ゼロ、発射!」をいつのまにかマスターしており、それを披露しているものだった。

 今日づけの記事をここまで書くと時刻は17時だった。22日にひかえている出発にそなえて電車の時刻などを調べた。これまでは電車で京都まで出て、そこから関空直行のバスに乗ることが多かったのだが、あらためて調べてみたところ、難波まで電車で出て南海線に乗り換えるという方法のほうが金も時間もかからないし、時刻によってはたった一回の乗り継ぎで空港まで行くことができることが判明したので、は? マジかよ! いままでのワシの選択はなんやってん! 空港からの復路については基本的に(…)のところに立ち寄ることが多く、だから京都駅経由のルートをたどるのがふつうだったわけだが、そこで思考停止してしまった、空港までの往路については別に京都駅を経由する必要などこれっぽっちもなかったのだった。片道だけで2000円弱浮く計算になる。浮いた金でまたロト6でも買うか!
 めだか鉢のようすを見に行く。稚魚のサイズがぼちぼちでかくなってきたので、成魚らのいる鉢に移す。ついでにホテイアオイのひげ根をチェックしたところ、たまごのついているやつがあったので、そっちは稚魚用の鉢に移した。
 抜き書き用のノートを押入れから回収した際にダンボールの中のつげ義春が目についたのでひさしぶりに読むかと思って出しておいたのに着手する。新潮文庫のもの。『無能の人・日の戯れ』と『義男の青春・別離』の二冊。読みはじめてほどなく墓参りにいくぞとうながされる。家族四人そろって家を出る(時間帯的にドライブに連れていってもらえると期待していたらしい(…)がめずらしく玄関まで出てきたのでちょっとかわいそうだった)。墓地に向かう前に(…)に立ち寄り、母がそこで供物一式を購入したのだが、例によって買い物が長い。どうしてこれほど時間を要するのだろうとふしぎになる。墓地では四人総出で軍手だのビニール手袋だのを装着して草むしりする。黒い体表にオレンジ色の斑点の浮かんでいる幼虫がちらほらいて気色悪い。水をかけ、米を撒き、カステラとコーヒーをかたちだけそなえて合掌。(…)の健康を祈る。供物はそのまま回収。何年も前からこれが墓地のルールになっている。供物を荒らすカラスの増殖が原因らしいのだが、今日はカラスだけではなく猿まで見た。それも二頭別々に見かけた。あいつらもやっぱり供物目当てに墓地までやってくるのだと思う。墓地では細い柱のような墓石が無数にならんでいる一画も見かけたが、母によればあれは神道系の墓石らしい。卒塔婆をひとまわりかふたまわり大きくしたような石材。
 帰宅して夕飯担当の弟をおろし、(…)をのせ、そのまま(…)へ。時刻は19時ごろだったが、すでにあたりは暗くなりつつあり、日が落ちるのもずいぶんはやくなった。(…)は小便を二度すませると、みずから小走りで車にもどった。さっさと帰宅してメシが食いたいのだろう。滞在時間はわずか三分ほどだったが、これでも気分転換になるのであれば問題ない。
 帰宅。靴箱からadidasのスニーカーとサンダルを回収して旅行鞄に収納する(のちほどサンダルはやはり不要だと判断)。二年前に購入するだけして中国に持っていかなかったプラスチックのキャリーケースを今回は持っていこうかと思い、貸していた父から受けとってはみたのだが、いややっぱりいらねーなとなった。父はふだんCD入れとして使っているという。その父からもう着なくなったというハーフ丈のレザーコートをもらった。レザーコートというかレザーのダウンジャケットか。あんまりきれいなシルエットではないし、別にという感じのデザインであるのだが、腹の出ている父はもう入らないというので、いちおうもらうだけもらっておくことに。むこうで手持ちの服といろいろ合わせてみる。合わないようだったら売るか。
 そのレザージャケットのポケットになんとなく手をつっこんでみたところ、中から若い女性の写真が出てきたので焦った。父は財布を持たず紙幣も小銭も裸のままポケットにつっこんでおく習慣があるので、万札入ってないかなといいながらポケットに手をつっこんだのだった。手をつっこみながら、これで中からまずいものが出てきたらどうしようと、そのときすぐとなりにいた母の視線を一瞬意識したのだが、まあさすがにそれはないだろうと思ったところ、胸ポケットのあたりから透明の袋に入ったプリクラみたいな写真に指が触れ、やばい! と反射的に判断してなにも見ていないふりをしようとしたのだが、いまのなに? と母が目ざとく見つけたので、南無三宝! と胸のうちで唱えながらくだんの写真を取り出したのだった。プリクラみたいなサイズでプリクラみたいな加工が施されている若い女性の写真だった。友人たちと一緒に写っているわけではなく自分ひとりだけが写っているものだった。服装の感じからして職場の技能実習生だろうと見当をつけた。母国に帰国する前にプレゼントとして渡されたものなのだろう。いや、実際はどうかしれない、そもそも本当に実習生かどうかもわからないし、じぶんひとりだけが写った写真を渡すというのもアレなんだが、そういうものとして押し通すことにした。袋の表面には黒のマジックで「(…)さんへ」と記されていた。父の本名は(…)である。
 夕飯食す。ソファでひととき休憩し、風呂に入ってストレッチし、墓場にかたちだけそなえたマウントレーニアを飲みながら、つげ義春の続きを読み進める。夜食はラーメン。歯磨きをすませて間借りの一室に移動したあともひきつづきつげ義春。『義男の青春・別離』に収録されている夢を素材にした作品群はやっぱりいいなと思った。特に「コマツ岬の生活」と「必殺するめ固め」は何度読んでもすごいなと思う(前者の最後のページにはいつもびびる)。「夢の散歩」の空間もいい。今日再読した二冊ではない、別の本に収録されているものだったと思うが、夢のなかでしかあいまみえることのないすかすかの土地に秩序の不明な建造物がならびたっている空間をほとんどセリフなしでたっぷり味わわせてくれる作品があったように記憶しているのだけれど、あれはどの本に収録されているなんという作品だっけ。