20230823

 9時ごろに自然と目が覚めた。歯磨きをし、ウエハースを食し、身支度を整える。Trip.comで高鉄のチケット変更の申請を昨夜しておいたのだが、変更ならずの返信が届いていたので、当初の予定通り13時前の列車に乗ることに。チェックアウトして空港に向かう。国内線のターミナルに入ってすぐのところにバスのチケット売り場があったので、(…)駅まで行きたいと告げる。英語はあまり通じないようだったので、やりとりはほぼ中国語。(…)に行くつもりなのかというので、(…)だ、すでにチケットは予約してあると応じる。(…)駅までのチケットは25元。おもてに出ると、乗り場にいる女性スタッフが頭上で大きく手をふりながらこっちだと合図してくれる。売り場の女性から駅まで行きたがっている外国人がいると無線経由で聞いていたようす。バスというよりはバンに近い乗り物が停止している。いや、さすがにバンではないか、いちおうあれでもバスということになるのか。先客は中国人男性ひとりのみ。こちらが乗りこんですぐに出発。
 移動中は窓外の景色をずっとながめる。(…)の街並みをこうして昼間の光の下でながめるのはずいぶんひさしぶりな気がする。ピカピカの高層ビルの合間にボロボロの集合住宅が谷底のようにひしめきあっていて、この感じが中国だよなと思う。
 移動時間は一時間にも満たなかったと思う。駅の入り口に到着したところで礼を言って車をおりる。チケット売り場の行列に並ぶ。予約していたチケットを発行してもらったところで、出発にはまだ二時間ほどある。新築された(…)駅とはことなり、(…)駅の構内はあまり過ごしやすい環境ではないので、近くにカフェでもないだろうかと百度地图で検索。すぐそばにあることが判明したので、徒歩三分の距離を歩く。気温は35度ほどしかなかったと思うが、日差しがするどく、日向を歩いているだけで、むきだしになったじぶんの腕の皮膚がじりじりと焦げついていくような感触をおぼえる。
 カフェは快適だった。美式咖啡をオーダーし、入り口に一番近い四人掛けのテーブル席をひとりで独占し、一時間半ほどひたすら書見する。コーヒーはやや酸味があったが、それほど悪くない味だし、値段もけっこう安かった。店では『モーテル・クロニクルズ』(サム・シェパード畑中佳樹・訳)をずっと読んでいたのだが、『氷上旅日記』を書いたヴェルナー・ヘルツォークなんかもそうであるけれども、映像表現にかかわっている人間の描写はすばらしいなと思う。風景描写もいいのだが、人間の描写もいい。というか人間を風景描写するように描写しているということか。『偶景』よりもさらに意味の濃度の薄められた輝く断片がちらほら。

 ぼくたちは皆でキャフェテリアにすわって待った。そしてインターンが看護婦見習いに話しかけたり、レジ係が退屈そうに客から代金を受け取ったりするのを眺めた。レジ係の顔は、時は重荷なり、と言いたげだった。耐え抜かなければならない一日一日に、打ちひしがれている顔だ。ぼくたちは眺めつづけた。レジで代金を払った人々が、手に盆を持ったままくるりとこちらに向きを変える。そうして、目で空席を捜す。代金を払い終り、テーブルに向かって歩き始める前の、その一瞬の無の時間。そのとき彼らは何者でもなく、彼らの仕事も役職も消えうせて、ただプラスティックの盆の上にゼリーをのせたまま、馬鹿みたいにつっ立っている。次にどうすべきかを、決めかねているかのように。ぼくたちは壁の白い時計を見た。
(205)

 付箋が手元にないので、のちほど抜き書きするつもりの文章が記載されているページの端を折ってドッグイヤーをこしらえるわけだが、わりとしょっちゅう、すでについている折り目をただなぞるだけの瞬間があって、この本を前回読んだのはたぶん十年以上前だと思うのだけれど、ぐっとくるタイミングというのは案外変わらないもんなんだなと思った。
 出発時間まで30分ほどになったところでカフェをあとにした。空港よりはずっと簡略化された保安検査を通り抜けて待合ロビーへ。ベンチでひととき待つ。列車が到着したところで、ゲートの前の行列に並ぶわけだが、(…)にそっくりの子連れの女性がものすごくナチュラルに割り込んできたので、いかにも中国のおばさんというようなアレでもない、もっとずっと若い世代の人物であるにもかかわらず、いまだにこういうことをさらりとやってのけるのかとなかなかげんなりした。
 高鉄に乗り込んだら乗り込んだで、後ろのほうにひとりとんでもなくでかい声で通話している女がいて、取引先相手にケンカでもふっかけているような激しい口調のその声は、(…)に到着するまでの一時間ほとんど止まることがなかったのだが、下車する直前にそちらのほうをふりかえってみると、通話ではなくじぶんの隣に座らせた娘相手に宿題の指導かなにかをしている声であることが判明して、マジかよ、そんなでかい声をキンキン張りあげなくてもいいだろと思った。幼い娘はほとんど泣き出しそうな顔をしていた。(…)までこちらの右隣に腰かけていた若い女性はプーさんのぬいぐるみと花束を手にしていた。昨日が七夕であったわけであるし、恋人からプレゼントされたものなのかもしれない。

 (…)駅に到着。駅構内だけではなくおもての広場もたいそうきれいになっており、タクシーロータリーまでできあがっている。列に並ぶ。タクシーはひっきりなしにやってくる。以前は駅の外に出たところで呼び込みの人間が大量にいて、どこに行きたいのかという質問に(…)までと応じると、同乗者があとふたり見つかるまで待っていてくれと言われて、実際にそのふたりが見つかるまで待つという仕組みだったが、この二年でそうした乗合タクシーのようなものはこの田舎町からもすっかり消え去ってしまったのかもしれない。
 南門の前でおりる。北門までと伝え忘れていたので、寮までけっこう歩くはめになってしまったが、まあひさしぶりの大学であるしそれもかまわないかなという感じ。スーツケースをごろごろ転がしながら人影のほとんど見当たらない日照りのキャンパスを歩く。寮に到着したところで、20キロ以上あるスーツケースを抱えながら五階まで階段をあがる。さすがにしんどい。
 部屋に入る。特に埃っぽいということはない。bottle waterをミニプログラムで注文し、淘宝でアイロンとコーヒー用のネルをポチる。しばらくすずんだところで、冷蔵庫の中をチェックする。妙なにおいがする。以前(…)さんがうちで料理を作ってくれたときに持ってきた老干妈ほかのせいだ。冷蔵庫の電源を落としていたこの一ヶ月のあいだにおそらく腐ってしまったのだろう。こいつだけ出国する前に処理しておくのを忘れていた。冷蔵庫の中にはほかに生油や黑醋などもある。常温保存でもたぶん問題ない代物だと思うのだが、これでまた腹が痛くなったらかなわないので中身を全部捨てる。
 ふたたび部屋を出る。自転車のタイヤに空気を入れる。ハンドル付近に蜘蛛の巣が張っていた。(…)へ。顔馴染みのおばちゃんがふたりそろって笑いながら迎えてくれたので、好久不见了! とあいさつ。いつ戻ってきたんだというので、きのう(…)についた、(…)には今日もどってきたと応じる。日本にはどれくらいいたのかというので、一ヶ月ほどと返事。(…)は暑すぎるというと、故郷はこれほど暑くないのかというので、暑くないと返事。それでいつもの食パンを二袋購入。
 続けて(…)へ。中途半端な時間帯だったので客はだれもいないし店員も顔馴染みのおばちゃんひとりしかいない。担担面の大盛りをオーダーする。昨日も今日も腹の調子が気になってろくなメシを食っていないこともあってか、一口食った瞬間、これやっぱクソうめえな! となり、アホみたいないきおいでがっついてしまった。そのまますべてたいらげてしまいそうになったが、こんな早食いしてしまったらのちほど大変なことになるかもしれないと途中で思いとどまり、いったん休憩ということでスマホでネットサーフィン。途中、知らない番号から着信。bottle waterの配達人だった。最初なにを言っているか全然わからなかったが、やりとりを交わすうちに、どうやらこちらの寮がどこにあるのかわからないらしい。なんのために住所登録をしてあるんだよと思ったが、たぶんキャンパスのいったいどこにこちらの寮があるのかわからずにうろうろしているのだろう。いまじぶんは外にいるのだと告げると、舌打ちとともに電話が切られた。やれやれ。
 食後、(…)で買い物。ハンガーと冷食の餃子と生油と黑醋と红枣のヨーグルトを買う。帰宅すると、玄関前にちゃんとbottle waterが届いている。購入したものを冷蔵庫に入れようとしたが、例のにおいがまだとれていないふうだったし、冷凍室のほうは霜の溶けた水がたっぷりたまっていたので、中仕切りをすべて取り外していったん洗剤で洗うことに。できればそのまま床掃除などもしたかったし、布団のシーツも洗いたかったのだが、そのあたりはまた追々やることに。
 シャワーを浴び、洗濯機をまわす。母からLINEが届く。大学には無事到着したのか、と。到着したと返信すると、すぐに着信がある。今日(…)に電話したという。(…)ちゃんに電話して(…)に変わってもらったところで、(…)飛行機落ちやんかったって、ちゃんと中国のおうち着いたって、朝から下痢ピーやったけどうんち漏らさへんかったってと告げると、それまで突然電話がかかってきたことに何事かと緊張しているようすだった(…)——もしかしたら本当に飛行機が落ちたのかもしれないと構えていたのかもしれない——は爆笑し、この話(…)ちゃんにしていい? お母さんにもしていい? と言ったという。
 デスクの埃だけ布巾できれいにしたのち、パソコンまわりをセッティングして、21日づけの記事の続きを書いて投稿する。ウェブ各所を巡回し、2022年8月22日づけの記事を読み返していると、新三年生の(…)さんから微信。大連で地震が発生したという。めずらしい。遼寧省地震などこれまで聞いたことない。実際、(…)さん自身、生まれてはじめて体験した地震だという。ごくごく小さな地震だったというのだが、「怖すぎて死にそうです」とのこと。
 (…)からも連絡。明日の午後4時にlocal police stationをおとずれるという約束だったが、午前10時に予定変更してもかまわないかという。かまわないと応じる。娘からあなたにgiftがあるというので、こちらも彼女らにあげるgiftがあるのだと応じる。
 そのままきのうづけの記事も途中まで書く。書き物をしながらひさしぶりにスピーカーでいろいろ流す。『21世紀の火星』(Q/N/K)、『Practice chanter』(Léonore Boulanger)、『Donda』(Kanye West)など。Léonore Boulanger、めちゃくちゃいい。ほかの音源もディグってみよう。
 22時半になったところで作業を中断し、冷食の餃子とヨーグルトを食す。それから歯磨きをすませてベッドに移動し、そのまますぐに眠るつもりだったのだが、なぜか目が冴えてしまい長々と無駄にインターネットするはめになってしまった。深夜、プリゴジンの乗った自家用ジェット機が墜落したという報道に触れる。ここまで明々白々たるものを見せつけられると、暗闇に乗じてというニュアンスの含意されてある暗殺という一語を使用するのももはやはばかられる。