20230905

 朝方に何度も目が覚めた。授業初日ということでなんだかんだでやはり緊張感があったのだと思う。アラームは8時半に設定してあったのだが、8時になったところでもう活動開始しようとベッドから抜け出た。四年生の(…)さんから微信が届いている。卒論に使う本を借りにいってもいいかという。午前中は授業であるが、午後であればいつでも空いていると返信する。「(…)さん」と一緒に行くというのだが、あれ、彼女は(…)さんと仲良しだっけ、ルームメイトだっけと不思議に思った、と、これを書いている最中、この「(…)さん」とはもしかしたら(…)くんのことかなと思いなおした。ふたりでいっしょにうちに遊びにきたことが以前ある((…)さんと書道の先生を交えた食事会の夜だ)。
 歯磨きしながらニュースをチェック。トースト二枚の食事をとり、身支度を整え、リュックサックに荷物を詰める。教務室に立ち寄る用事があったのでいつもよりはやめに寮を出る。第五食堂の一階でミネラルウォーターを買って外国語学院へ。電動スクーターに乗っている授業終わりの(…)先生とすれちがう。(…)先生も今日が初日の授業だったという。教務室で教学手冊を四枚受けとる。ついでに今学期の授業が考试であるか考查であるか調べてもらう。予想通りすべて考查との返事。教室がC305になっていたので、これはどこにあるのかとたずねると、外国語学院ではない、新校区のほうだという返事があるので、えー! となる。それで急いでケッタを停めてあるところにもどり、二年生のグループチャットで教室のある建物はどこにあるのかと質問。(…)さんから新校区の地図が、(…)さんから建物をピンでしるしづけた地図アプリのリンクが送られてくる。急いでそちらに向かう。一年前だったか二年前だったか、(…)くんたちのクラスの授業を一度外国語学院ではない建物にある教室でやったことがあるのだが、おそらくあそこだろうと見当をつける。到着したところで(…)くんが外まで迎えにきてくれる。
 教室に到着したのは時間ぎりぎりだった。最初の授業なのにごめんねー! と謝る。学生らは特にいつもと変わりなし。みんなたいそう明るく歓迎してくれているのがわかる。ひさしぶりの再会ということもあってテンションも高い。このようすだったらわざわざ処理水の件について触れる必要もないなと思う。出席をとりながら、目についた学生をいろいろイジる。(…)くんは欠席。新入生の軍事訓練に付き合う係らしい。軍事訓練はほぼ九月いっぱい続くはずなのだが、彼はそうなるとまるっと一ヶ月授業に出ないことになる。それが問題なしとされるのがすごい。(…)くんは裸眼になっていた。(…)くんは今日はスピーチ練習がないので出席したが、来週以降はおそらく出席できないだろう。(…)くんは夏休み中アルバイトをしていたが、具体的にどんなバイトをしていたかは日本語で説明できないようす。(…)くんは先学期とはことなり(…)さんと隣同士で最前列に着席。当然イジらざるをえないのでイジる。みんな笑う。(…)くんはbiologyに移籍。(…)さんは英語学科に移籍。(…)さんと(…)さんのふたりは中央最前列でやる気まんまん。このふたりはいつもしっかり受け答えしてくれるので大変ありがたい存在。能力も高い。その後ろにならんで座っている(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんも同様。ありがたい。(…)さんの腕には星だのなんだのの模様が入っていた。シールのタトゥーであることは明白であるが、不良少女! 怖い! と例によっておおげさにリアクションをとる。(…)さんはインナーカラーをいれてますますかわいくなっていた。(…)さんは90年代の日本のギャルみたいに髪の毛がプリンになっている。(…)さんと(…)さんのふたりは先学期とおなじ場所を陣取ってやっぱりやる気まんまん。このふたりもありがたい。(…)さんと(…)さんの黒竜江省組は変わらず元気。勉強に対する意欲はまったくないのだが、ふたりとも愛嬌があるので授業中にいろいろイジりやすいし、こちらになついてくれているのも態度ではっきりわかる。新入りの(…)さんは広西省出身。広西省の学生を見るのははじめてかもしれない。日本語の学習歴はゼロ。以前は(…)さんとおなじ酒店管理を学んでいたというので、もしかしたら(…)さんに誘われるかたちで移ってきたのかもしれない。(…)くんは以前はbiologyを学んでいたという。日本語学習歴は四年。
 まず、日語基礎写作(一)の段取りについて、あらかじめ用意しておいた資料を使って説明。ひさしぶりに教壇にたって声を張る。途中で声がうらがえりかけた瞬間が何度かあり、マジか、このままだと声が飛ぶぞとあせり、腹式の発声を意識する。毎学期初回の授業ではおなじ感想を抱くものだが、教壇にたってただ話すだけでどっと疲れるし、喉が信じられないほど枯れる。初回の課題は「接続詞作文」。趣旨の説明を終えたところで、ぴったり休憩時間になった。毎回そう説明しているのだが、まじめなテーマの作文はこの授業でとりあげない、文章を書くという行為は絵を描いたり歌を歌ったり楽器を演奏したりするのとおなじ楽しい創造行為であるのだと説明したうえで、ふざけにふざけまくった例文を複数、本当はこちらが書いたものであるけれども先輩らの作品であると偽ったうえで紹介したので、一部の学生らはきっとやる気を出してガンガンふざけてくれると思う。とにかく中国式の「正解」がある作文という発想から少しでも逃れてほしい。

 学生らが作文に集中している授業後半はぼうっと廊下をながめたり窓の外に視線を送り出したり、あるいは学生らの手元をのぞきこんだりして過ごしていたのだが、そんなしずかなひとときにふと、こんなにもまじめで明るくてやさしいほんの子どもが、愛国教育ひとつで人生を狂わせられてしまう、その最悪の帰結のひとつがたとえば特攻隊員たちの犠牲だったんだよなと思い、強烈な怒りをおぼえる瞬間があった。そうして死を命じた連中は責任もとらず戦後ものうのうと生き延びており、その子孫が一族の過ちを腐った美辞麗句で上書きしようとしている。クソみたいな世界だ。

 二年生は(…)先生の授業がないという。基礎日本語は(…)先生が担当するらしい。これは意外だった。(…)先生はこれまで基礎日本語を担当したことがあるのだろうか? 今年から新入生が二クラスあるわけだから、その関係での変更であると思うのだけど、しかし今後、(…)先生が基礎日本語を担当する学年とそうでない学年とのあいだには、能力およびやる気の面でけっこう大きな差が生じるのではないかと思うのだが、どうなんだろう。
 授業終わりの帰路は異常に混雑していた。C305教室のある「第三教室棟」はかなり大きく、外国語学院以外の学生らも授業をたくさんしており、授業終わりの帰宅ラッシュ(?)時には階段がすし詰め状態になっていた。外に出ても同じで、「第三教室棟」から第四食堂を結ぶルートも自転車での移動がはばまれるほどの大混雑で、新入生がまだやってきていない時点でこれなのかよとげんなりする。11時40分に授業を終えたその足で食堂に向かうというのはいちばんまずいパターンで、そうであるからこそ午前中に授業のなかった先学期はかならず大混雑になるその時間帯の前に食堂に足を運んでいたわけだが、今学期は11時40分に授業を終える日が週に二日もある。どうしたもんか。その日だけは寮で簡単なものでも食うようにするか。もう少しすずしくなったら移動しやすくもなるし、(…)まで足をのばしてもいい。いずれにせよ、食堂は避けるべきだ。
 ただ、第三食堂と第四食堂がリニューアルしたという話がちょっと気になっていたので、第四食堂の入り口付近だけのぞいてみた。店が入れ替わっているのみならず、間取りまで変更になっていたので、けっこう本格的だなと思った。第四食堂はたしかにこちらが赴任した当初からずっとみすぼらしかったのでリニューアルというかリフォームするのはわかるのだが、第三食堂に関してはわりと最近きれいにしたばかりだったはずで、それだったらそれよりも先にこちらの行きつけである第五食堂をもう少し過ごしやすくしてくれよという話なのだが、まあこちらは食堂に滞在してメシを食うことはほぼなく毎回打包なのでどうでもいい。
 帰宅。インスタントラーメンにトマトとネギをぶちこんで食す。それからベッドに移動して昼寝。30分ほど寝たところで起き、デスクに移動してきのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年9月5日づけの記事を読み返す。以下、2021年9月5日づけの記事より。

 大澤真幸は、規範が想定する範囲内の領域を「経験可能領域」と呼ぶ。そのうえで、資本主義とは経験可能領域を拡張し、より普遍的なものへと変えていく運動だと説明する。資本主義の運動の中で、経験可能領域がより普遍的なものへと拡張していくということは、そのたびに前あった規範が否定され、新しくより普遍的な規範に置き換えられていくことになる。この運動の中では、より普遍的な経験可能領域を先取りしたものと、現在の経験可能領域にとどまるものがいて、剰余価値とはまさにこの異なった水準の経験可能領域のあいだの「格差」で発生する。だから人々は、より普遍的な経験可能領域を先取りするための競争へと動機付けられることになるのだ。資本主義とはまさに、「そのままの規範でいいのか?」と問い続ける逸脱規範によって駆動されている、と言えるのかもしれない。
(熊谷晋一郎『リハビリの夜』 p.242)

 帰宅後、夕飯。食後、ソファで『むらさきのスカートの女』。そのまま最後まで読み終えたが、これは『こちらあみ子』や『星の子』と比べると、けっこう見劣りするかなという感じ。語り手は子どもではなく大人。『こちらあみ子』や『星の子』では「抜けた子ども」によるバイアスのかかりまくった視点を採用することで、「信用できない語り手」と「説明の省略」を(軽薄なギミックとしてではなく、「抜けた子ども」による語りの自然な表象ととして)達成することに成功していたが、同じ手法を「子ども」ではなく「大人」に移し替えてやろうとすると、結局、その「大人」の属性にある種の狂気(に類するもの)を与えなければならない。そこのところの力技が、『むらさきのスカートの女』ではさほどうまくいっていなかったのではないかという感じ。
 それでも「わたし」が「権藤チーフ」であることをはっきりと明言しない序盤の禁欲っぷりであったり、(内面的な)語りの饒舌さに比して対人的な語りがきわめて稀であることの徐々に理解されていく「わたし」の露出の仕方であったり、うーん、やっぱり技巧的であるなと感心するポイントは多い。あとは描写。
 『むらさきのスカートの女』でも描写といえるような描写はほぼ存在しない。「公園」、「リネン庫」、「客室」——登場する空間はだいたいすべて飾り気のいっさいない名詞だけで処理される。読者それぞれの記憶、経験、イメージに丸投げしてしまうこの徹底っぷりもなかなかすさまじい。ほとんど記号的。だからこの今村夏子の小説を読んでいても、場面が映像として浮かぶことはない。浮かぶことがあったとしても、だいたい童話の挿絵や漫画のようなデフォルメされた表象をとる。
 しかし一人称の語りとは本来こういうものかもしれないなとも思う。ひとが絶えずその内面で一人称による語りを持続しているとして(「物書き病」とは別の意味で)、毎日目にしている部屋、職場、通勤路、公園をいちいち丁寧に言葉を尽くして説明するかといえば決してそんなことはなく、むしろその説明をことごとく内包し圧縮しつくしたものとしての普通名詞「部屋」、「職場」、「通勤路」、「公園」を多用する経済的な語りに依存するに違いない(われわれの認知は「名詞」を多用することで省エネをはかる)。圧縮されたものをわざわざ分解するというのは、象徴秩序に揺さぶりをかけることであるし、主体を不安にさせる現実的なものの顕現を誘うことでもあるから、むしろ、一人称的な内面の語りとしては不自然なものだ(この意味で、目にしている景物(名詞)をいちいち言葉にする——文に解体してしまう——「物書き病」とは、一種の自傷行為であるといえる)。
 だから『むらさきのスカートの女』の「わたし」にとっては、身の回りのほとんどすべてが完璧に象徴化されており、神経症者(定型発達者)であれば多かれ少なかれあちこちに認めることになるだろう象徴秩序のイレギュラーや破れ目や陥没のようなものがほとんど存在しないといえるのかもしれない。そしてだからこそ、そのような破れ目ないしは陥没としてあらわれた「むらさきのスカートの女」に、ストーキング行為をしてしまうほど取り憑かれているのではないか(「まなざし」としての対象a)。

 夕飯は第五食堂。昼飯がラーメンだけで腹が減りまくっていたので大量に打包する。腹いっぱいになったせいで食後は猛烈に眠くなったが、ここで寝てしまうとまた生活リズムが狂うぞというわけで耐えていると、(…)さんから19時ごろに寮に行きますという微信。それで部屋を軽く掃除した。
 食後のコーヒーを淹れていると扉をノックする音がたつ。つつましやかなノック。性格が出るよなァと思いながらとびらを開く。(…)さんと(…)さんのふたりがいる((…)くんではなかった)。(…)さんの置き土産である文庫本をソファの上にならべる。すでに中国語に翻訳されている本もあると思うし、中国国内の政治に触れた本もあると思うので、それらを避けて適当に選ぶようにと告げる。紙コップに水をそそいだのをふたつソファのとなりのテーブルに置いておく。こちらが忙しいのではないかと(…)さんは恐縮しきりだった。本を一緒に選ぶとなるとこのふたりの場合はそれがかえってプレッシャーになるかもなと察し、ふたりをそのままにして寝室のほうに引っ込み、デスクで写作の課題添削にとりかかった。
 小一時間ほど経っただろうか、(…)さんに呼ばれた。ふたりとも本を決めたという。せっかくなので日本で買ってきたお土産のクッキーをふたりに渡す。四年生全員に配るだけの数はないので秘密ねと告げる。そのまま少し立ち話。(…)さんは専攻を法学に変更するわけだが、志望大学はまだ確定していないという。院試の内訳は法学(300点)、外国語(100点)、政治(100点)だというのだが、外国語は日本語ではなく英語を選択したというので、これだけ日本語能力が高い学生であるのに、それ以上に英語のほうが自信があるんだとちょっと驚いた。(…)さんは日本語専攻のまま(…)大学を志望。あそこは(…)さんですら落ちたところであるし、正直(…)さんではけっこう厳しいんではないかという印象。入試には作文問題もあるというので、必要であればいつでも添削するので微信で連絡してくださいと告げる。(…)さんからはCOPYはどうしていますかとたずねられた。COPY? とたずえかえすと、先生の犬……というので、あ、(…)か! となり、まあ13歳だから足がずいぶん弱っているけど、でもご飯はすごくたくさん食べるよと応じると、(…)さんは笑い、わたしはじつはずっと心の中で(…)のことを思っていましたというので、ありがとうと応じた。そうしたわれわれのやりとりを(…)さんはおぼろげにしか理解できていないようだった。専攻を法学に変更した、さらに受験科目までも日本語から英語に切り替えた、そんな(…)さんのほうが少なくとも会話およびリスニング能力にかんしては(…)さんよりずっと上のようにみえた。(…)さんはよく本を読んでいるようであるし、というかこの仕事をはじめて気づいたのだが、やっぱりゲームばかりしている子たちや抖音でしょうもない動画ばかり見ている子たちにくらべると、趣味は読書ですと公言している学生のほうがずっと地頭がいいと思う、というかけっこう残酷なまでの差があると思う。(…)さんはこちらがスピーカーで流していた音楽にも興味をもったようす。日本の音楽ですかというので、日本のも外国のもいろいろあるよと応じる。どんな音楽か知りたいようすだったので、AppleMusicの再生履歴をざっと見せたのだが、こんなもん見たところでおぼえられるわけないわなということで、あとで微信を送るよと約束する。
 それでふたりを部屋の外に送り出す。音楽の再生履歴をざっとテキストにまとめて(…)さんに送る。Washed OutやTempalayや中村佳穂やROTH BART BARONやShe Her Her HersやSyrup16gFenneszやKID FRESINOなど。それにくわえて『Private/Public』(高木正勝)も通して流していたのでそれも伝える。こうしてみると、たまたま日本の音楽ばかり流していたようだ。
 浴室でシャワーを浴びる。あがってストレッチをする。(…)さんからも先生の部屋で流れていた音楽を知りたいというメッセージが届いたので、先のリストを転送する。その流れで多少雑談。こちらが本を読んだり音楽を聞いたりすることを生活の中心に据えていることに対して「先生は上品な人ですね」といったのち、中国ではそういう人が少ない、みんなお金が好きだ、「でも、生計を立てるために、本を読む時間がない人もいます」と続けてみせるので、ぼくは京都に住んでいたころ、市内でいちばん家賃の安いボロボロのアパートに住んでいたと受けると、中国語には「斯是陋室,唯吾德馨」という言葉がありますという返信。ググってみると、劉禹錫(りゅううしゃく)の「陋室銘(ろうしつのめい)」という詩の一節であるらしい。こちらのブログ(https://igasanjin.muragon.com/entry/459.html)で紹介されていた。上から白文、訓読文、口語訳。

陋室銘(平水韻下平聲八庚九靑通韻)
 
山不在高、有仙則名。
水不在深、有龍則靈。
斯是陋室、惟吾德馨。
苔痕上階緑、草色入簾靑。
談笑有鴻儒、往来無白丁。
可以調素琴、閱金經。
無絲竹之亂耳、無案牘之勞形。
南陽諸葛廬、西蜀子雲亭。
孔子云、「何陋之有?」

陋室(ろうしつ)の銘
 
山は高きに在らず、仙有らば則ち名あり。
水は深きに在らず、龍有らば則ち霊あり。
斯(ここ)は是れ陋室にして、惟(た)だ吾が徳のみ馨(かんば)し。
苔痕(たいこん)は階(きざはし)を上って緑に、草色は簾(すだれ)に入って青し。
談笑に鴻儒(こうじゅ)有り、往来に白丁(はくてい)無し。
以て素琴(そきん)を調(ととの)え、金経(きんけい)を閲(けみ)すべし。
絲竹(しちく)の耳を乱す無く、案牘(あんとく)の形を労する無し。
南陽の諸葛が廬(いおり)か、西蜀の子雲が亭(あづまや)か。
孔子云う、「何の陋(いや)しきことかこれ有らん?」と。

狭くて粗末な住まいのモットー
 
山は高いからではなく、仙人がいるから有名になる。
川は深いからではなく、龍がいるから神秘的なのである。
狭くて粗末な部屋ではあるが、ただ私の品徳を高尚にしていれば恥じることはないのだ。
斑点のようなコケが階段を上って緑を成し、草の色は簾越しに青々と眺められる。
ここで談笑しているのは大学者たちであるし、卑しい輩が行き来するのは見られない。
生活は貧しいが質素な琴を弾くことも、仏教の経典を読むこともできる。
騒がしい楽器の音が耳を汚すことはなく、役所の文書や手紙で煩わされることもない。
南陽諸葛孔明の草廬や、西蜀の揚子雲の載酒亭など古来の名士の庵室にも比せようか。
論語」子罕篇で孔子も言っている、「そこに住む人に君子の徳があるときには,どうして粗末で卑しいことなどあろうか、いやありはしない。」と。

 21時半から23時まで「実弾(仮)」第四稿執筆。プラス9枚で計715/1040枚。シーン37、ほぼ修正なしで通過。しかしここはちょっと弱いなと思う。もうひとつインパクトのあるエピソードか会話がほしい。
 三年生の(…)さんに微信。「ニーバーの祈り」を紹介したかったので、引用して書いた「卒業生のみなさんへ(2019年)」をそのまま転送する。もしかしたらほんの少し力になれるかもしれない言葉が紹介されているので、余力のあるときにちょっと読んでみてください、と。その後、寝床に移動し、『小説の自由』(保坂和志)の続きを読み進めて就寝。