20230916

 ラカンパロールについて、二つの様式を考える。
 ——想像的関係のあいだで交わされるパロール。これを「空のパロール」と呼ぶ。これはおしゃべりのように本質的なことは何も言わないための言葉、自らの存在とは無関係な場で回転する言葉である。日々の会話で交わされる言葉は、ほとんどこの空のパロールだといってよい。
 ——それに対して、象徴的な〈他者〉とのあいだで交わされるパロール。「充溢したパロール」と呼ばれる。これは主体の存在を決定するようなパロールであり、〈他者〉からのメッセージを受け取ることである。「汝はわが妻なり」と誓うとき、私は自らを夫として決定する。主体は自らのメッセージを他から逆転したかたちで受け取る構造となっている。これは話す者のその後の行動を規定する行為としてのパロールであり、「武士に二言はない」というように、一旦発せられると後には戻れないパロールである。
(向井雅明『ラカン入門』より「第Ⅰ部第一章 鏡と時間」 p.34-35)



 10時ごろ起床。アラームはそれよりもはやく仕掛けてあったのだが、今日はめずらしく起きにくかった。昨夜寝たのが遅いというわけではない。歯磨きしながらニュースをチェックし、トーストを一枚食す。数日前からワイヤレススピーカーの調子が悪く、どれだけ充電してもなぜか電源が入らない、より正確にいえば、一瞬起動することは起動するのだが、すぐに切れてしまうという具合で、以前もこういうことはあったのだが、しばらく放置しておけばよくなった、それが今回はよくならない。さらに充電中にバチッ! バチッ! と物騒な音が立つ始末で、これ下手したら爆発したり火事になったりするんちゃうんけと怖くなった。あたらしいものをポチるか。
 きのうづけの記事の続きを書く。二年生の(…)さんから微信。「案内放送」とはどういうものかという質問。たぶん車内アナウンスのことだろうと思いつつも、どういう文章のなかで出てきたのかとたずねると、教科書の一部を写真に撮ったのが送られてくる。予想通り、公共交通機関の車内アナウンスのことらしかったので、これこれこういうものだよと説明。
 (…)さんから11時50分ごろに微信が届く。着きました、と。便所でうんこしている最中だったので、あと5分待ってくれと返信。それで身支度を整えて外に出る。第五食堂へ。(…)さんは第五食堂の入り口に置かれてあるテーブルに腰かけていた。日焼け防止のサンバイザーみたいなのをかぶって手元のスマホをいじっていたので顔がよく見えず、最初確信がもてなかったのだが、近づいてみたところで、あ、やっぱり彼女だなとなった。それで声をかけた。ぱっちり二重になっていた(のちほど整形手術したという話があった)。全体的にすこし痩せたかなという印象。以前はもっとぽっちゃりしていた。コロナをきっかけに会えなくなっていたわけであるから、直接の対面は2019年の12月が最後ということになるのか? ということは三年半以上会っていなかったことになる! (…)さんはいい店を見つけてあるといってこちらにスマホをみせた。店名に「咖啡」と入っていたので、おそらくカフェだろう。そちらまで歩いていこうというので、ひとまず南門のほうに歩きはじめた。
 歩きはじめてすぐに手紙を渡した。彼女らが二年生のころに授業で書いた「未来の自分への手紙」だ。本来は卒業前の写真撮影のときに手渡す予定だったのだが、コロナのせいでその写真撮影の場にこちらは同席することができず(日本でオンライン授業をしていたころだ)、手紙も渡すことができないままだったのだ。(…)さんは自分がどんな内容を書いたか、だいたいおぼえているといった。
 滴滴で南門に車を呼んだ。(…)さんはひさしぶりの(…)なので土地勘というか距離感を失っており、その結果車をはやく呼びすぎてしまい、南門まで歩いていくのであればまだ5分以上はあるのにはやくもタクシーが到着してしまった。結果、そいつはキャンセル。それで南門まで出たところで、ふつうに流しのタクシーに乗りこんだ。くだんのカフェも予想していたのと全然違う場所にあるようなので、結局万达に向かうことになった。車内では遠慮のひとかけらもない日本語でおしゃべり。あいかわらず元気で、おしゃべりで、積極的で、まったく物怖じしない性格。処理水の話は出なかったが、彼女は学部生時代から共産党が嫌いだと公言していたり、テストの作文問題に香港のデモを見学しにいったことを書いていたり(それも自由をもとめるひとびとの姿を見ることができてよかった的な所感を残していた)、いわゆる精日分子ではまったくないのだが、たぶん気性的にということなのだろう、自由と平等をもとめるリベラルな感性の持ち主で、それにはおそらく生まれが深圳であるという事情もあるのだろうが、だからほかのクラスメイトらとは一年生のときから毛色がちがったし、結果としてクラスでやや浮いているところもあった。彼女はこちらが赴任した初年度に一年生だった学生で、その時点で一種特別な学生であるのだが、それにくわえてとりわけ熱心な学生であり、かつ、やたらとこちらになついていて、だからやっぱり特別というほかない学生で、そして彼女のほうでもこちらに対して同様の印象を有しているのだった、つまり、万达に到着したあとは四階フロアをしばらくぶらぶらしたのち、陝西省の料理店で順番待ちをすることになったのだが、土曜日の昼間ということでかなり混雑しているなかで三十分以上待っただろうか、そのあいだもずっと、わたしはね、わたしはね、大学院でいまこうやって勉強しているのも先生のおかげ、私はほんとうに感謝しているよ、ほんとうにほんとうだよ、というようなことをまっすぐこちらの目を見て何度も口にしたのだった。彼女がおべっかや社交辞令を毛嫌いする性格であることをよく知っているこちらはその言葉の純度を疑わない。
 店では西安の名物であるという饼と餃子とビャンビャン麺を食った。どう考えても多すぎるオーダーだったが、店内にかなり長時間居座っていたために、なんだかんだで結局運ばれてきたものの大半は食っていたと思うし、というか日本であればこういうだべりかたをするのはなにひとつめずらしくないのだが、中国でこんなふうにおなじ店に二時間ほどずっと居座るという経験ははじめてかもしれない、学生たちは基本的に食事をすませたらひととき休憩することすらなくすぐに席を立つものであって、こっちにやってきたばかりのときはそのせっかちな感じにちょっと慣れなかったわけだが、今日はまるでサイゼやくら寿司で(…)とだべっているときのような、時間を贅沢に無駄遣いするとき特有のなつかしいあの気分で(…)さんとだらだらと過ごしたわけで、このだらだらとした怠惰な心地よさを共有できる相手というだけでもやっぱり彼女は特別だよなと思った。
 まあ、とにかく、いろいろしゃべった。彼女は一年生のときからこちらとの交流に積極的で、まだろくに日本語を話せないときから毎週のように一緒にメシを食っていたし、休日に一緒に出かけることもあったし、オンライン授業中もたびたび微信でやりとりしていたわけで、そういう学生ってよく考えたらいまはいないよなと思った。いや、たびたび連絡を寄越す学生はいるし、ときどきメシを食いにいく学生もいるのだが、授業終わりに毎回いっしょに食事をするという学生は、彼女や(…)さんを最後にいなくなっている、というかこれはこれまで何度も書いていることであるけれども、やっぱりコロナを境にして、伝統が途切れたためだよなと思う。それまでは授業が終わったあとは外教とメシを食いにいくというのが一種の伝統のようなものとしてあったというか、先輩らがそうやっているのを上級生下級生関係なしに混じり合う日本語コーナー経由で知った後輩らがじゃあわたしたちもというわけでおなじように外教をメシに誘い、結果、クラスでもっとも積極的かつ熱心な子たちの能力がそのいわば課外授業を通してみるみるうちにのびていくというのがあったわけだが、コロナをきっかけにして日本語コーナーもろともそういう伝統が完全に失われたのだ。こちらとしては正直仕事がひとつ減ったという意味ではありがたいというのもあるのだが、ただやっぱり学生らのことを考えるとあんまりよろしくないというか、コロナ前とコロナ後では、トップレベルの学生の口語能力に明確に差がある、それはやっぱりこういう事情によるものであることは否定できんよなと思う。(…)さんは三年生時の12月にN1を受けて180点満点中160点以上とって合格している。合格ラインが100点だが、たとえば現四年生の(…)くんや(…)さんなんかは高校生のときから日本語を勉強しているにもかかわらず二年生時の7月で合格できていない、つまり、100点以下だったわけで、彼らとたった五ヶ月しか違わないタイミングで大学から日本語を勉強しはじめた彼女が160点をとっているというのはやっぱりずば抜けている。

 かつてのクラスメイトの話にもなる。まずは(…)くん。彼はこちらが再入国後に一度(…)まで遊びに来たわけだが、地元で一人暮らしをしているものの毎日全然楽しくない、仕事もつまらないし友達もいない、大学時代がとてもなつかしいしあのころにもどりたい、そういうことばかり口にしていたよと告げる。彼の仲良しである(…)くんの現状についてもたずねられたので、(…)にある幼稚園のようなところで働いているらしいと受けると、彼は優しいし気遣いができるし大人びているしそういう仕事にぴったりだと思うという反応。こちらも同意する。しかし(…)さんは彼がゲイであることをおそらく知らないだろうなと思う。それでいえば、(…)くんがゲイであるかどうかたずねる質問をまたこちらにしてみせたので、前回同様、仮にぼくがその質問に対する答えを知っていたとしてもきみに答えることはできないよ、どうしてかわかるでしょう? というと、すみませんという素直な反応があった。
 (…)さんはやはり今年も大学院試験に失敗したらしい。これで三年連続で落ちたことになる(二年目は正確には病気で受験自体ができなかったのだったか?)。彼女は現役のころからずっと(…)大学にこだわりつづけていたわけだが、もう少しレベルを落としてほかの大学院を受けるというあたまはなかったらしい。去年添削をたのまれた作文をみるかぎり、日本語能力自体はかなり高くなっているという印象を受けたのだが、(…)さん曰く、英語や政治の点数がよくないのだろうとのこと。それにくわえて、浪人中は彼氏とずっと同棲していたらしく、それのせいで実際のところあまり勉強に集中できていなかったのではないかというので、さもありなんと思った。中国の恋人たちはマジで四六時中ずっといっしょにいる、朝から晩までずっと離れず行動している、ああいう距離感であるから同棲なんてすればそりゃあまともに勉強をする時間なんてとれないだろうと思う。いまはおそらく日本語関係の仕事をしているとのこと。たぶん北京に住んでいるというので、北京で仕事を見つけた彼氏についていったかたちかなと思った。彼氏は中学時代からの同級生で、付き合いはじめたのはたしか大学一年生からだったと思うが、(…)大学でアニメの制作を学んでいるという子だった(一度もぐりとしてこちらの授業に出席したことがある)。(…)さんがいうには、その彼氏は大学時代から仕送りなしで自分でちょっとしたものをこしらえて小遣いを稼いでいたらしい。そういう自律/自立心の強い子であるから、どちらかといえば反対のタイプである(…)さんは惚れたのではないかといったのち、先生知っていますか、じぶんとあまり似ていない、じぶんにないものを持っているひとを私たちは好きになりやすいですと続けてみせるので、じゃあきみの元カレもやっぱりきみが持っていないものを持っていたのとからかうと、そうかもねそうかもね、そうかもしれませんわからないけどね、と(…)さんは笑った。
 その元カレとは別れて一年になる。三歳年下だった。相手の浮気がきっかけで別れたものとこちらは記憶していたのだが、それはもうひとつ前の元カレだった。一年前に別れたその元カレと別れたきっかけは浮気ではないという。出会いのきっかけはマッチングアプリ。アプリ自体が悪いとは思わない、でもやっぱりアプリで恋人を探すひとは真剣じゃないひとが多いと言ったのち、じぶんは本気だったし恋愛に対して真剣でまじめだったが、彼氏のほうはそうでもなかった、浮気をするタイプではなかったけど真剣さがじぶんとは釣り合っていないように感じたと続けるので、ということはなんだかんだいって(…)さんも朝から晩まで四六時中相手といっしょにいたいと考える恋爱脑な感じだろうと思ったが、相手の真剣さが足りないというのはそういうわけではなかった。元カレはたしか数学を専攻している大学生だったと思うのだが、クラスメイトの中に彼のことを慕っている女子がいた。彼自身、じぶんがその子から好意を持たれていることを知っていた。その子からは彼氏のところにちょくちょく微信が届いていた。どれもこれも罪のないような内容だったというし、彼氏も(…)さんにじぶんたちのやりとりをいつ見てもいいといったというのだが、(…)さんとしてはやはりその子とやりとりしてほしくないというあたまがあった。気持ちはわからんでもないのだが、だからといって相手の連絡先を消せとかそういう話になるのはちょっとアレなんではないかと思ったところ、何度言っても彼氏はじぶんに恋人がいるということをその女の子に伝えようとしなかった、それがどうしても許せなかったのだという不満が続いたので、は? マジで? となった。彼氏はじぶんに好意を抱いているクラスメイトの女の子に対して絶対に彼女持ちであることを言おうとはしなかった、それどころか女友達にはだれひとりその事実を打ち明けようとしなかった、恋人がいるとは言わなくてもいい、しかしせめて自分には好きなひとがいると相手に宣告してほしいと(…)さんが言ってもやはりきかない、それで別れたのだというので、あのね、その彼氏ね、別れて絶対正解だったよ、そいつね、断言する、100%浮気するよ、そのまま付き合っていたとしても絶対! 100%! 浮気する! と力をこめていうと、先生、さすが経験者ね! 説得力がありますよ! というので、だれがやねんと笑った。
 一番忘れられない彼女はだれですかときかれた。イギリス人の彼女ですかというので((…)についてはリトアニア人であると告げるのが面倒なのでイギリス人であることにしていた)、いや一番とか別にないけどなあというと、一番未練があるひとはだれ? だれ? たくさんいるでしょ? ひとり選んで! というので、未練っていうのはまったくないなぁ、仮に元カノからもう一度付き合ってって言われてもオッケーすることは絶対にないよ、別に嫌いとかそういうんじゃないよ、感謝もしているしそれぞれの経験がマジで勉強になったから、でもいまからやりなおしたいっていう気持ちはゼロだね、そういうのはまったくないなぁと受けた。すると、もとめていたのと違う答えだったのか、納得しないような表情を浮かべてみせるので、あのさ、もしかしてきみさ、一年前に別れたその彼氏にまだ未練があるの? とたずねると、すなおにうなずいてみせるので、クソ笑った。結局それかよ! と。(…)さん自身、肯定しながら爆笑していた。このタイミングで爆笑できるなんて、やっぱり気持ちのいい子だなと思った。未練の話をこんなにカラリとしたムードで交わせる人間なんてなかなかいない。

 (…)さんは元カレとの思い出に忘れられないものがあるといった。いっしょに日の出を見に行ったときのことだという。その日は当然朝早く起きる必要がある。そして山に登る必要もあったので大荷物になる。荷物についてはもちろん前日にしっかり準備していたわけだが、当日になって、前日に準備しておいた荷物とは別に、彼氏が一本のうちわか扇子のようなものを手にした。そして山登りの途中、いったん休憩して息をあえがせている彼女に向けて、彼氏がそのうちわか扇子をあおいで風を送ってくれた、そのときに本気で恋に落ちたのだと思うという。どう思いますかというので、小学生の話かと思ったと笑いながら正直にいうと、(…)さんも笑った。でも花束をもらったときもよりもずっとその瞬間のほうがうれしかったらしい。
 いまはもう恋愛には興味がないというので、きみは毎回そういうけどさ、でも一年か二年経つとぼくのところに恋愛相談の微信を送ってくるじゃんというと、今回はほんとよと(…)さんは笑った。まあこれから修士論文で忙しくなるし、次の恋愛は社会人になったタイミングでいいかもねといったのち、次は誠実で優しい男にしておきな、それが一番だよと続けると、いまはねいまはね、本当にそう思うよ! というので、大学一年とか二年のときのきみはいつも180センチ以上のイケメンにしか興味がないって言ってたよね、優しさのほうが大切だよとぼくがいっても全然聞く耳持たずだったけどというと、わたしもね、いろいろ経験して成長しました! 大人になりましたよ! と(…)さんはいった。
 将来について、以前は大企業でバリバリ働いて金持ちになるということを公言していた彼女であるが、いまは高校の日本語教師になることを検討しているという。実際、今日の午前中も(…)で現役生らにまじって教師の資格試験を受けていたのだというので、えー! そうなの! 意外! とびっくりした。現在アルバイトで高校生に日本語を教えているというのだが、塾と家庭教師の掛け持ちで、親からの仕送りなしで生活できる程度には稼ぐことができているというものだから、相場はいくらくらいなのとたずねると、家庭教師であれば一時間で250元ほどだというので、は? マジで? そんなにもらえんのけ! となった。広州のような大都市であれば金持ちのボンボンもたくさんいる、さらに中国人の親は子どもの教育のためであれば湯水のように金を使う、そういうわけで高考をひかえている高校三年生の男子学生などからかなり需要があるらしい。ちなみに、教え子のひとりからは好意をもたれたことがあるらしく、誕生日にいっしょに食事をするようにと誘われたが、「子どもに興味はねえし」と思って断ったという(相手はそのまま塾をやめたとのこと)。仮に広州で公立高校の教師として採用されることがあれば、月収20000元は見込めるというので、さすがにこれにはびっくりした。しかも授業も週に七コマ程度でいいらしい。20000元ってぼくの給料のほぼ3倍じゃんというと、(…)さんは笑った。
 同じコースを専攻している院生はたしか7人といっていただろうか? みんな優秀で、なかには中山大学を卒業した学生もいるという。だれもかれも研究熱心で、普段の授業とは別に、研究会に所属してバリバリ研究を進めているのだが、じぶんは全然「学術的な人」ではないと(…)さんはいった。たしかにそのとおりだと思う。彼女は学問や芸術にたずさわるタイプの人間ではない。そういうこともあって、博士課程には当然進学するつもりはない。さらに競争力の激しくいつクビにされるかわからないような大企業に勤める気にもなれない(そういう会社にインターン生として勤めたこともあるようだが、二十代の大半を会社のため仕事のためにそそぎながらも三十代や四十代でクビを切られる、そういう残酷な競争っぷりを目の当たりにして嫌気が差したらしい)。そういうわけで、公務員扱いでクビになることも滅多にない、公立高校の教員という選択肢が手元に残ったかたちらしかった。もちろん、家庭教師や語学学校講師の経験を重ねるうちに、その種の仕事に面白みを見出すようになったという事情もある。
 店を出る。せっかく(…)に来たのだから(…)を飲みたいというので一階にある店舗まで移動。こちらもそろって注文する。(…)までは飛行機で来たという。飛行機に乗ったのは初めてだったというので、これはかなり意外だったが、飛行機そのものに乗ったのがはじめてという意味ではない、深圳や広州から(…)にやってくるのに飛行機に乗ったのが初めてという意味だったのかもしれない。高铁は雨のせいですべてキャンセルになったというので、え、まだ降ってんの? とたずねると、わたしの大学の近くも大変ですといって、浸水しまくっている街の動画をスマホで見せてくれた。陝西料理の店は彼女がこれまでの感謝の意味で会計をもってくれたので、(…)ではこちらが支払った。
 (…)さんはこのあと母校である(…)を見に行くといった。(…)が(…)として来年独立するという話をすると、学校もきれいになるんだったらそれはいいことだと思いますというので、あのトイレとか最悪だもんなと応じると、あれはねあれはね! 前の世紀みたいです! わかりますか? というので、わかるわかる、あれもう戦争の時代のレベルだよねと受けると、(…)さんは笑いながらそうですそうですといった。
 外に出る。広場に横付けしているタクシーに乗りこむ。まずは(…)の北門へ。こちらはそこで途中下車。じゃあまたね、次はぼくが広州に行く番だね、修士論文で困ったことがあればいつでも連絡しなさい、と告げて別れる。
 それで帰宅。ひととき休憩したのち、きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年9月16日づけの記事を読み返す。

 しかし、主体が心理的内発性から切り離された時、つまりこの心理的内発性もある種の因果律にすぎないことが明らかとなり、主体がただの自動人形[オートマトン]に成り下がったかと思われる時、カントはこの主体に言う——まさに今、君は君が知っているよりも自由である、と。言い換えるなら、自分は自律的な存在であると信じている主体に対して、カントは〈他者〉、すなわち主体の支配の及ばない因果律がはたらく次元の存在を主張する。しかし、主体自身がこの〈他者〉——何らかの法則、心的傾向、隠された動機——に依存していることを意識し、「もう、どうでもいい」と言って自分を投げ出そうとする時、カントはこの〈他者〉が隠しもつ「裂け目」を指し示し、そこに主体の自律性と自由を位置づけるのである。
 以上がカントの言う自由の概略であるが、我々はそこにラカンの有名な言葉、「〈他者〉の〈他者〉は存在しない」——言い換えれば、〈他者〉は完全な存在ではない、それはある種の欠如のしるしを帯びている——の反響を聞くことができる。カントは、原因の〈原因〉は存在しないと言っているのであり、まさにこのことが、主体に対して自律性と自由をもたらすのである。だから主体は、たとえ自分の行為が因果律によって完全に決定されたものであったとしても、(違うことをする自由があったと感じて)罪悪感に苛まれることになる。我々は、このように説明されるカントの自由の逆説を見逃してはならない。彼は、因果律を超えたところにある自由の姿を暴こうとしているのではない。そうではなく、彼は、冷酷にも因果律の支配を最後の最後まで突きつめることにより、この自由が姿を現すことを可能にしている。カントは、因果律による決定の内に、つまり原因と結果の間に、ある種の「躓きの石」があることを示す。そして、まさにそこにおいて我々は、厳密な意味における(倫理的)主体と出会うことになる。主体は、因果律による決定の中に生まれるのだが、この決定が直接的に主体を生み出すわけではない——原因とそれがもたらす結果の間の関係を可能とするような何か、「躓きの石」を越えて原因と結果を結びつける何かが、主体を生み出すのである。
(『リアルの倫理——カントとラカン』アレンカ・ジュパンチッチ・著/冨樫剛・訳 p.43-44)

 ここを読んだとき、いま再読している『小説の誕生』(保坂和志)の以下の一節をふと思い出した。

 時間の中での出来事というと、ひとつに因果関係がある。しかし私は因果関係というのがどうも胡散臭くて仕方ない。ニーチェもどこかで「なぜ、原因と結果に分けて考えたがるのか。原因-結果はひとまとまりの出来事である」という意味のことを書いていた。
 人間は大きな連鎖の中から、自分の理屈で把握できるものを都合よく抜き出して、因果関係という方便を作ってるだけなのではないか。
(…)
(…)因果関係を抜き出した途端に〝時間〟が消えるのではないか、ということを私は言いたいのだ。因果関係も時間の一側面であることは間違いないけれど、人間にとって説明しきれない、不可解なものとしてあらわれてくるものであるところの時間とは違うものになってしまっている。

 なんとなくこれらふたつの文章を読んでいるうちに(これらの文章とはおそらく無関係に)練りあがっていったのは、原因と結果を主体が結びつけるのではなく(因果律を主体が見出すのではなく)、バラバラな出来事がまずあり、それらが原因と結果の二項で束ねて結びつけられるその結び目に主体が事後的に生成されるというイメージで、これはつまり、小説における事後的な語り手の生成問題がこちらのあたまには常に居座っているからであるのだが、しかしこうした論理の逆転で可能になる考え方にもだいぶ飽き飽きしてきたので、そろそろ別の発想が欲しいかもしれない。
 そのまま今日づけの記事にもとりかかる。腹いっぱいだったので夕飯はもう抜くことにした。記事を書き進めながら(…)にLINEを送る。おすすめのワイヤレススピーカーはないか、と。Marshallの防水仕様のやつに対するリンクがすぐに送られてきたのだが、Marshallのものは以前淘宝でチェックした際、中国国内で購入すると死ぬほど割高になるというデータをすでに得ていたので、これはないなと思ったが、いやでも円安の関係でもしかしていまはそうでもなかったりするんではないだろうかと思い、それで調べてみたところ、日本であれば20000円ほどで購入できるものがやはり28000円ほどしていたので、これはないなと思った。もうひとつのおすすめはJBLTENGAみたいなかたちをしたやつで、これもやっぱり以前(…)にすすめられたさいに淘宝でチェックしたところ割高であった、ではなかったか? たしかそもそもの取り扱いがなかったのではなかったか? しかし今回あらためてチェックしてみたところ、ふつうに正規品が流通しているようであったし、価格も日本で購入する場合とほぼ変わらなかったので、じゃあこれだなとすぐにポチった。防水仕様ということはシャワーを浴びながら音楽を聴くこともできるわけか。最高やな!
 母からLINEが届く。(…)を獣医に連れていったとのこと。後ろ足の注射だのサプリだのなんだので20000円以上の出費があったという。月一の注射の効き目が切れてくるとやはり歩くのがしんどそうではあるが、それでも注射をする前とくらべるとずっと元気であるという。
 二年生の(…)さんからも微信。(…)でメシを食ったという写真付きの報告。こちらも昨日食ったばかりだと応じる。(…)にある支店で食べたというが、こちらはそっちの店をおとずれたことはまだない。
 夕飯を抜かしたせいでだんだんと腹が減ってきた。食堂で麺でも食おうかなと思い、二年生のグループチャットでおすすめの夜食はないかとたずねたところ、すぐに(…)さんから反応があった。第四食堂の一階に鱼粉の店があるという。まだ営業しているかとたずねると、ちょっと聞いてみるという返事があった。まだ営業中ですと続いたところで、礼を言って身支度をととのえた。寮を出る。(…)の周囲に義理の娘や(…)があつまって雑談していた。
 軍服姿の新入生が隊列を組んでいるバスケコート脇を走る。時刻は19時半をまわっていたはずだ。第四食堂に入り、教えてもらった店名を探す。あった。厨房のおばちゃんに金汤鱼粉をオーダーする。粉より面のほうがよかったのだが、面はないという。おばちゃんは外国人であるこちらにたいしてもおどろきひとつ浮かべなかった。(…)さんは食堂でアルバイトをしているといっていたし、彼女のほうから直接このおばちゃんにさっき連絡が入ったのかもしれない。うちの外教がもうすぐそっちに行きますよ、と。
 オーダーしたものを受けとって席につく。今日は打包するのではなく食堂で食うことにしたのだ。この時間帯であればそもそも混雑していないし、それにたまにはこういう気分転換もいいだろうと思ったのだ。行儀の悪い話であるが、食事をとりながら『小説の誕生』(保坂和志)の続きを読み進めた。鱼粉は熱いし辛いし、あまりバクバク食べることのできる代物ではない。それに食堂は全然エアコンがきいていない(エスカレーターをつける金があるんだったらエアコンをつけろと思う)。だからゆっくりゆっくり食べながら、合間に書見することにしたのだった。食っていて気づいた。この店、以前第三食堂にあった鱼粉の店だ。第四食堂に移動したのだ。
 食事中、(…)から声をかけられた。どうやら彼女も夜食を食べにきたようすだった。delicious? ときかれたので肯定し、学生にいちばんおいしいnoodleはどれかとたずねたらこれだというすすめられたのだとサムズアップして答える。
 食後、そのまま席で書見をすすめていると、三年生の(…)さんから微信が届いた。「先生、寝ましたか」「ケーキを食べたいですか」というので、いま第四食堂にいる旨を伝えると、「じゃ、探しに行ってもいいですか」というので、「どうぞ!」と返信。で、ほどなくして彼女が姿をみせたのだが、今日はひとりきりだった。透明な買い物袋を手にさげている。なかにはロールケーキが二箱と小さな紙パックの牛乳。ロールケーキ一箱は彼女のもの、残りはすべてこちらのものらしい。礼をいって受け取る。めずらしいことに彼女はそのままこちらの向かいに座った。いつもであれば渡すべきものを渡してとっとと去ってしまうわけだが、そういえば前回微信でやりとりした際、(リストカットの件もあったことであるし)またゆっくりお話しましょうと伝えた、その言葉を踏まえての行動なのかもしれないとおしはかった。
 で、結局、それから食堂の閉店するまぎわまで、つまり、22時ごろまでということになると思うのだが、二時間ほどおしゃべりすることになった。しかし(…)さん、こちらが想像していたよりもずっと会話能力が低かった。だから会話の大半はこちらの辞書アプリを媒介としながら進められたのだが(彼女のスマホはすでに充電が切れていた)、けっこう簡単な単語すら聞き取れない場面が何度もあって(「自転車」や「情報」が通じない)、クラスのなかではかなり優秀な部類に入る三年生でこれなのかと、ちょっとうーんと思った(しかしこうした印象は、昼間に日本語ペラペラの(…)さんと会っていたというのもあるだろう)。そんな(…)さんであるが、大学院進学を考えている、しかも目標は北京大学であるというので、マジで? とびっくりした。しかしそう語る本人が語るそばから吹き出していたので、これはまあ一種壮大な夢みたいなものであり、現実的な目標というわけではないのだろう。
 (…)さんは髪の毛を切っていた。言われてみればロングからセミロングになっている、というか言われるまで気づかないじぶんの鈍感さにまたうんざりするわけだが、これは一種の気分転換のようなものらしい。しかしuglyだと何度もいう。中国の女子はやっぱり多くがロングヘアを愛好するわけだが、こちらはセミロングやショートのほうが女の子はずっとかわいくみえるというよくわからん信念に憑かれているので、いやいやいまのほうがかわいいですよといった。具合はどうかとたずねると、最近はよく寝るしよく食べるという。一日に五回食事をとるという(朝昼晩のほかに下午茶と夜食を食べるとのこと)。以前は眠れないし食欲もないといっていたのに、まるで躁転しているみたいだなと思いつつ、傷はどうなのかとたずねると、長袖をめくって左手の手首を見せてくれた。まあまあえぐいことになっていた。傷跡は三つ。大きなものが手首にひとつ。もうひとつ大きなものが、リストカットというよりはアームカットと称されるような位置にひとつ。そのあいだに小さなものがひとつ。全部赤紫色に浮かびあがっており、縫ったあとも痛々しく残っていた。手首を曲げるとまだ痛みがあるという。いつ切ったのか? 寮で切ったのか? という質問には、実家にいるときに陶器のカップで切ったという返事。つまり、武漢土産をもってスピーチ練習用の教室にやってきたあのとき、彼女はすでに手首を切ったあとだったわけだ。あのときはこちらの部屋に直接土産をもってこようとして電話してきたのだった。しかしこちらは(…)くんと(…)くんに呼ばれるかたちでメシだけ食いに教室に来ていた、だから彼女も遅れて土産だけもってあらわれたわけだったが、もしかしたらあのとき本当はこちらの部屋でスピーチ代表をおりること、そしてリストカットしたことを告げるつもりでいたのかもしれない。
 クラスメイトはだれも知らないんだよねとあらためて確認した。(…)さんは知っているというので、あ、相棒にはちゃんと打ち明けることができたんだな、とちょっとほっとした。英語学科の彼女は知らないらしい。なんだったけ名前、(…)さん? とたずねると、肯定の返事。彼女は自分のルームメイトであり、日本語にたいそう興味があると続けたのち、(…)さんは先生のことが大好きですというので、いやぼく彼女とほとんど話したことないよと笑った。先生は一年生に人気ですというので、一年生はまだ会ったことがないよというと、二年生と訂正があり、二年生の学生はみんな(…)先生が好きだと言っていますというので、まあ今だけだよ、三年生、四年生になるにつれてびっくりするくらいの速度でトーンダウンしていくものだからというようなことを、ジェスチャーたっぷりで説明すると、(…)さんはケラケラ笑った。(…)先生の日本語の発音がすごいというので、彼女は天才でしょう、あんなに日本語の上手な外国人なんてほかにいないよと受けた。(…)先生と(…)先生のふたりは本当にすごい、うちの日本語学科のトップ二人だねと続けると、(…)先生は……と笑いながらたずねてみせるので、いやもうじぶんで笑ってしまってるじゃんとなった。(…)先生の授業は時間の無駄ですというので、先輩たちもみんなおなじことを言っていたよといった。
 また病気の話になる。(…)さんや(…)さんの例を紹介する。とはいえ、彼女らは双極性障害であったわけで、(…)さんとはまた話が別になるわけだが、これこれこういう病気でとスマホを介した筆談でもっていろいろ説明していると、じぶんも医者にこれと診断されたみたいなことをいうので、は? となった。は? マジで? たしかにほんのついさっき、躁転しているみたいだなという印象をかすかに感じはしたが、しかし(…)さんのようにあからさまな躁転ではない。

 その(…)さんですらⅡ型であったわけだし、仮に(…)さんが双極性障害だったとしてもI型であるということはまずないと思うし、そもそも彼女は以前精神科を受診していないと言っていた、だからこのあたりちょっとよくわからない。もう少しつっこんでいろいろ聞いてみたかったのだが、なんせ思っていた以上に口頭でのやりとりがむずかしかったので、まあこのあたりは次回でいいかと思った。
 食事の話になった。(…)さんは一度こちらの部屋に料理を作りに来てくれたことがあるわけだが、あれはマジでびっくりするほどうまかった、これまでにいろいろな学生が料理を作りに来てくれたが、マジでダントツでうまかったので印象に残っている。そういう話をすると、(…)さんはむしろこちらが彼女の料理を気に入らなかったと考えていたという。どうして? とびっくりしてたずねると、二度目の誘いがなかったからというので、いやいやいやとなった。それでこちらが準じているルールについて説明した。つまり、学生に対してこちらから食事や散歩の誘いをもちかけることはないという原則であるが、大学から禁止されているのかと(…)さんがいうので、そうではなくてこちらから学生に誘いをかけるといろいろ面倒くさいことになるから、先生が一部の学生だけひいきにしていると噂されたりその学生が嫉妬の対象になったりするからと、だいたいにしてそのようなことを説明すると(実際はといえば、それもいちおう理由としてあるのだが、単純にじぶんから誘いをかけるほどこちらも暇ではないし、それに放っておいてもあちこちから誘いはあるからであるのだが)、(…)さんは知らなかったといって驚いていた。じゃあまた作りにいってもいいですかというので、ぜひお願いしますと受ける。
 それから新入生の話にもなった。日本語読みを記した名簿一覧をスマホに表示したのを見せながら、名前だけで男の子か女の子かわかる? とたずねると、だいたいわかると言いながら、この漢字があったら男、この漢字があったら女、とひとつずつ指差していく。なるほど。彼女の相棒である(…)さんと同姓同名の新入生がいると教えると、(…)さんは笑いながら(…)さんの名前はおもしろいといった。熊の——といいながら胸や腹のあたりを指差してみせるので、あ、そっか、「丹」はそういう意味だもんなと笑った。そう考えてみると、たしかにおもしろい名前だ。ぱっと見、小学生のように幼い顔つきをしている小柄な女の子であるから、そういうイメージには全然そぐわない。
 処理水の話も出た。処理水ではなく「核排水」とスマホに打ち込んで、これについてどう思いますかと問われたのだが、(…)さんは壁の外側に出たことのない人間だろうなという気がなんとなくしていたので、さてどうしたもんかなと思った。政治に関する話はしてはいけないと国際交流処から言われているんだよとひとまずいった。(…)さんはちょっと残念そうな表情を浮かべた。日本語学科の学生は今回の件を受けてみんないろいろと世間体の悪い思いをしているみたいなことを筆談で伝えてみせるので、でもね、長くても二年か三年の話だと思うよと応じた。ぼくはもう四十年近く生きているでしょ? そのあいだに日本と中国の関係が悪化したことなんてたくさんあったし、その反対に関係がよくなったこともたくさんあった、そのくりかえしだから、だから今回もそのうち元どおりになるよと、だいたいにしてそのように伝えた。(…)さんは納得したふうだった。
 (…)さんには(…)大学に留学している友人がひとりいるらしかった。その友人は日本人はじぶんたちに対して親切ではないと言っていた、どう思うかとあったので、まず「日本人」と「中国人」という主語を捨てて個人単位でものを考えるようにするようにといった。このあたりどこまで伝わっていたのか、ちょっとこころもとないところがあるのだが、友人ひとりの経験を普遍的な事実であるように解釈するという思考、友人A(中国人)とその同級生B(日本人)との関係を、そのまま「中国人」と「日本人」の関係と同一とみなす、こういうバグった認知を有している若い世代が、狂ったような愛国教育と全体主義的風潮のためなんだろうが、どんどん増えているという印象をこちらは持っているので、そこをまずはキャンセルしておきたかったのだ。クラスメイトの(…)さんと(…)さんが長野での暮らしを死ぬほどエンジョイしているという事実はもちろん彼女も知っていたので、それを例に出して、同僚の日本人らともそうやって楽しく過ごしているひともいればそうでないひともいる、それだけの話だよというと、日本人は中国人が嫌いではないですかというので、そんなものはひとそれぞれだよ、日本でも中国でも韓国でもアメリカでもイギリスでも外国人差別をする人間はいる、しない人間もいると説明したところ、先生は中国でそういう経験をしたことがありますかというので、つい先日のタクシーでのできごとを話すと、(…)さんはびっくりした表情になって、でも中国人は——といって口ごもってしまった。たぶん中国人はみんな優しいですとか、中国人はみんな差別しませんとか、そういう言葉を続けようとしたのだろうが、それがまさしくお題目でしかないことに気づいて歯止めがかかったということなのだと思う。こちらが思っている以上に根深いものがあるなと思った。まあ小学生のころからあんな教育を受けていたらそうなるのも無理はないわなと同情もおぼえる。
 それで結局、壁の内側と外側の話もちょっとだけすることになった。たしかいまの中国のネット上では日本バッシングがめちゃくちゃ激しいと彼女がいったのをきっかけにそういう話になったのだと思う(ぼくがいま外で日本語を話していれば危ないでしょう? というと、危ないと思いますと(…)さんはいった)。コロナと同じだよと前置きしたのち、インターネットの壁は知っている? とたずねると、肯定の返事があった。コロナのとき、微博でも小红书でもテレビでも、日本は大変です! アメリカは大変です! ヨーロッパは大変です! という情報ばかりだったでしょう? でも、実際は全然そんなことはなかった、大変は大変だったけど壁の内側で流れている情報と現実は全然違った、それとまったくおなじ状況がいままた起きているという印象を受けるよといったが、さすがにこの手の話を口頭のみでやるのはむずかしそうだったし、話題が話題だけに下手に誤解が生じるとまずいので、それ以上は踏み込まなかった。
 ところで、(…)さんは手首の傷を隠すための長袖シャツの下に胸元のわりとあいた白のインナーを着ていたのだが、彼女が前屈みになるたびに胸の谷間がのぞいたので、これちょっとマジで困るなと思った。乗代雄介が『それは誠』のなかで、あれは胸ではなくスカートからのぞく太腿だったと思うが、おなじクラスの女子のそれがちらちらするのをついつい目で追ってしまうことを、視界の端をゴキブリだったかネズミだったかが横切ったら反射的に目で追ってしまうようなものだと書いていて、これほど腑に落ちる完璧な比喩もめずらしいなと思ったものだったが、目はそういうふうに動いてしまう。だったらその対策として、視界そのものを別方向にずらせばいいのかもしれないが、それはそれでずっとそうしているとめちゃくちゃ不自然になってしまうわけで、四十路もそう遠くないというのにいまだにこういう状況でどうするのかが正解なのかわからん。同世代のざっくばらんとした関係をすでに築きあげている相手であればこんなふうにもならないんだろうが、異国で、この歳の差で、さらに教師と学生という非対称きわまりない関係性での対峙だから、追ってしまうものはもう仕方ないとひらきなおるわけにはやはりいかない。
 食堂のスタッフが片付けのためにたちはたらきはじめたところで席を立った。周囲は恋人ばかりだと(…)さんはいった。言われてみればたしかにそうだった。こんな時間に食堂にいることなんて普段ぜんぜんないので知らなかったのだが、夜遅い時間の食堂というのはデートスポットのうちのひとつであるらしい。キャンパス内であるから問題はないだろうとは思うが、いちおう時間が時間であるので女子寮まで送っていくことにした((…)さんはもともと今学期から寮を出てひとり暮らしをすることを考えていたが、治安がやはり気になるので計画はとりやめにしたらしかった)。女子寮の手前の三叉路で古本売りの荷台が出ていた。お! ひさしぶりだな! となったのでちょっと冷やかしていくことに。(…)さんはわざわざこちらのために日本語か英語の本はないだろうかと売り子にたずねてくれたが、日本語の本は当然一冊もない、英語の本はAdventures of Huckleberry Finnの一冊のみ。あとはすべて中国語の本であったが、日本文学はお決まりの太宰治村上春樹東野圭吾が大半を占めている。中国語作家でこちらが見知っているものといえば、余華はやっぱり大量にある。あとは『三体』と『囲城』、それから『囲城』を書いた銭鐘文の妻であり、夏休み中に『風呂』を読んだばかりである楊絳の『我們仨』もあった。ほか、海外文学ではスタンダールの『赤と黒』、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』もあった。(…)さんはどちらも読んだことがあるという。スタンダールを読んだとき、こちらはそれこそいまの(…)さんと同じくらいの歳だったなとふと思った。(…)さんは『百年の孤独』が全然おもしろくないといった。なんで? とたずねると、同じ名前ばかり! という返事があったので、クッソ笑った。それから村上春樹の『海辺のカフカ』については「エロ!」といい、「子どもが読む、ダメ!」と続けた。いろいろ聞いてみるに、(…)さんはどうやらエンタメ系の小説のほうが好きなようす。これおもしろいですといってこちらに進めてみせる中国語圏の作家の本のタイトルがどれもこれもダサかったし、英語圏の作家の本も彼女のおすすめはすべてこちらの知らない名前ばかりで(たぶんサスペンスとかホラーとかそういうものばかりだったと思う)、日本の作家では乙一の『夏と花火と私の死体』が好きだといった。
 おもてで日本語で話すのは危険ですとか言っておきながら、こちらとそろって荷台の前でアホみたいに日本語でさわいでいたわけだが、するとおなじ荷台をながめていた軍服姿の女子のひとりが声をかけてきた。じぶんは日本語専攻の学生で彼はこの大学の外国人教師であると(…)さんが説明すると、軍服女子はこちらについて服装からして外国人だろうと声を聞く前からずっと気になっていたといった。軍服姿であるということは当然新入生である。なにを専攻しているのかとたずねると、farmingと(…)さんが通訳してくれた。しかし日本語にも興味があるらしい。ひまだったら一年生の授業にもぐりで来てもいいよと伝えた。
 女子寮前で(…)さんと別れる。外国人寮にもどると、なぜか敷地内で大の大人が六人か七人くらい集まっていた。(…)や(…)のほか、(…)もいたし、おそらく国際学部の学生だろうと思われる姿もあった(もしかしたら留学生かもしれないが)。学生とおぼしきそのなかのひとりにHello! と声をかけられたので、Hi! と応じる。なにやってんの? とここで輪に加わってもまためんどいことになるだけだろうし、なにより今日は午前も午後もたくさんおしゃべりしたから日記が長くなるにきまっている、できるだけ今日中に書き進めておいて明日授業準備するだけの時間を作っておかなければならないというあたまがあったので、集団は無視してとっとと部屋にもどった。あとで外教のグループチャットを確認したところ、(…)とインド人外教が学生を交えてバトミントンをしていたらしくそのようすをとらえた写真を投稿していたので、その流れで寮の敷地内でだべっていたのかなと察した。
 シャワーを浴びる。(…)からLINEが届いている。AirPodsProの初代がリサイクルショップで安く売っていたので職場用に購入したという。(…)さんからも微信。(…)さんと(…)さんといっしょに万达で火鍋を食べたという写真付きの報告。あと、病院そばのセブンイレブンの内装工事がすでにかなり進んでいるらしく、この分だと今月中にオープンするかもしれないという話もあった。テンションあがるな! さらに、(…)市が現在「「文明の町」 の評価に参加する準備をしている」関係で、裏町の屋台がすべて追い出されてしまったという話もあった。去年も一昨年も同様のinspectionがあったと記憶している。「文明の町」のinspectionがキャンパスでおこなわれるので、スクーターを路駐するなとか、ヘルメットをかならずかぶれとか、自転車の置き場を変更しろとか、そういう通知が(…)からたびたびあったのだ。今年もまた同様のinspctionがあるということだろう。どうせ一時的なものでしょう、じきにまた屋台ももどってくるよ、コロナの前も屋台追放運動みたいなのがあったけど経済が悪化した途端にむしろ政府が屋台を後押ししていたくらいだしというと、たぶん一ヶ月ほどの我慢だと思いますという返事。(…)さんからは(…)の写真が大量に送られてきた。書き忘れていたが、食堂では(…)や(…)の話もたくさんしたのだった。(…)さんは(…)の食事をすべて手作りで与えているという(新学期のはじまったいまは祖母にお願いしている)。栄養管理がかえってむずかしくなるじゃんと思ったが、(…)さん曰く、中国のドッグフードは健康に悪いものばかりなのだという。日本のは健康にいい、でも高いから買うことができない、それでじぶんで作っているのだ、と。(…)の月の食費は2000元。え? それはちょっときつくない? となり、あのさ、前から思っていたんだけど、きみの両親ってもしかしてすごくお金持ち? 社長? というと、そうではないですと笑いながら否定されたが、貧乏ということは絶対にないと思う。(…)の食費は本来じぶんがもらう生活費で補っているらしい。国慶節のあとに先生の部屋に料理を作りにいっていいですかというので、了承。国慶節中に実家で練習するという。
 今日づけの記事にとりかかる。当然、終わるわけがない。0時になったところで中断して寝床に移動。一瞬で眠りに落ちた。